#07 可能性を信じて
◇
ピチュン、ピチュン、ピッピー。
小鳥のさえずりと、朝日の光が差し込む朝。
眩しさに目を擦りながらむっくりと起き上がり、時計を確認する。
午前九時三十分。
いつもなら、既に学校へ到着し、今頃一時間目の授業が始まっている頃だろうか。
十分に寝たはずなのに、重りを身につけているかのような気だるさが身にまとわり付いている。
「……はぁ、だりぃ」
――「あの日」から、一週間が経った。
俺は、今日まで学校を休み続けている。
何も、やる気が起きなかった。
一分一秒を無駄に過ごしているのが自分でも分かる。
でも、どうしようもなかった。
あの日、あの事があってからは自分が何をすればいいのか、「生きる意味」というものが見出だせなかった。
でも、勇人は俺が「生きる」事を望んでいた。
だから俺は自殺という逃げの道は取れない。
何がなんでも、生きなければいけない。
ベッドから降りてゆらりと立ち上がり、自分の机に腰かけるやいなや、ノートパソコンの電源ボタンを叩く。
最近は、気力が無いせいで半廃人のようになっている俺。
そんな中でも、数日前からやり始めている事があった。
それは、あの日の真相をネットで調べる、ということ。
あの銃を持ち、ローブを着た少女は一体何者なのか?
どうしてあの場所で、あのような事件が起きてしまったのか?
そして、あの時起こった不思議な現象。
銃をつきつけられ恐怖で動けなかった時、俺は何者かの「声」を聞いた。
誰かに話しかけられているような、自分自身が話しているような、そんな感覚だった。
何度かその「声」と対話した後、瞬きをした一瞬の間に、あの路地裏は崩壊していた。
あの時に何が起こったのか、俺には分からない。
分からない。分からないからこそ、調べ続けた。
だが、最も情報を手に入れる事が出来るはずのネットでも、俺の知りたいことは見つからなかった。
その上、どうしても看過できないことが、そこにはあった。
――ネットにある情報と、自分が見た現実が、大きくかけ離れていたのだ。
時は少しだけ遡る。
あの日、俺は、あの場所から少し歩いた後、警察に連絡した。
目の前で人が殺された、と。
警察に簡潔にあの付近の住所を伝えたあと、電話を切った。
「その場所で待っていなさい」とか「名前を聞かせて貰えますか」とか、警察は俺の事を色々聞こうとしていたみたいだが、俺はそれを聞き入れなかった。
もうあの場所には居続けたくなかったし、事情聴取なんて心の痛みを広げさせられるような真似をされるのは本当に嫌だった。
その後は家に走って戻った。
立ち止まるだけで涙が溢れ、うずくまって泣きたくなる。
だから、走ることで感情を発散させた。それでも、胸でせめぎあう複雑な感情は今にも爆発しそうだった。
家に帰ったら、まだ誰もいなかった。
俺の両親は共働きで、夜の七時になるまで帰ってこない事も度々ある。
もし両親のどちらかが家で迎えてくれていたら。
感情を抑えきることができずに、赤子のように泣きじゃくっていただろう。
でも、誰もいなければ、ある程度抑えることが出来る。
気持ちをぶつける相手がいなければ、それは自分自身へと向かうからだ。
濡れた服を着替えもせずに、自分の部屋へと向かった。
暗く、静かな部屋の隅で、声を押し殺して泣いた。
勇人の死を、現実として受け止めながら――
「あの日」、俺は、確かに警察に連絡した。
つまり、警察はあの場所に行くだろう。
破壊された壁。パイプが引きちぎれ、水溜りの地面。そして、二人の――遺体。
それに、どちらの遺体にも身体に銃痕がある。
だから、普通に考えれば殺人事件になる。
加えて、まだ犯人は捕まってないから、その周辺の住民に被害が広がる可能性があるし、大きなニュースになるはずなんだ。
だが、ネット上のどこの記事を開いても、殺人事件になっていないのだ。
『路地裏の一軒が一夜にて崩壊』
『パイプ内に爆発物が混入し、路地裏で爆発か』
どこの記事を見ても、破壊された建物のことは書いてあるが、「被害者はゼロ」と報道している。
おかしい。
「あの時」に俺が見たものは、幻だっていうのか。
あんなに恐怖して。
あんなに泣いて。
あんなに無力感に絶望した出来事は、すべて夢だったのか?
俺が見た、勇人の死は、ウソだったのか?
そんな思いが、数日間、ずっと頭を駆け巡った。
躍起になって調べても、被害者の三文字は存在しなかった。
もしかしたら、俺だけがおかしいのかもしれない。
俺だけが、夢を現実だと思い込んでいるのかもしれない。
あの時、あの路地裏で見たことは、自分が巧妙に作り出した幻なのだとしたら。
勇人が、まだ生きている可能性が……ある、という事か?
昨日から抱いている根拠の足りない考えに浸りながら、パソコンを閉じる。
立ちくらみを抑えながら階段を下り、リビングへ向かう。
いつもと変わらないリビング。
ただ、時間が遅いから父さんはもう会社へ出かけている。
父さんは、工業系の会社に勤めていて、主にロボットの製造に勤めている。
ロボットといっても人の形をしたようなものではなくて、工場等に使われるような特殊なものだ。
父さんから仕事の事について聞いたことがないから、それくらいしか知らないが。
「あ、おはよう誠!」
「……おはよう」
「体の調子は大丈夫?もー、前あんなにびしょ濡れになって帰ってきたのに、お風呂にも入らずにいるから風邪ひいちゃうのよ。」
「……ごめん」
「次は気をつけるのよ。ほら、ご飯よ!」
そう言ってテーブルに置かれたのは、お茶漬けとたくあん。
あの日からほとんど食欲もなく、空元気すら出せなかった俺に、母さんが用意してくれているものだ。
お陰で今は、酷かった風邪みたいな症状も収まり精神的にも落ち着きつつある。
本当に、母さんには感謝している。
なんとなく見たテレビに映るニュースには、芸能人が熱愛やら何やらしかなく、求めている情報は流れていなかった。
朝食を終えた俺は、自分の部屋に戻り、ベッドの上に座った。
そして、端に置いてあったスマートフォンを手に取り、握り締める。
スマホは、勇人が死んだと思ったあの日から一度も使っていない。
大体スマホを使うときといったら、俺は家族や勇人と連絡しあう時ぐらいしかないし、勇人がいない今、使う必要なんて無いと思っていた。
だが、今日試したいと思っていることが一つ、ある。
それには、この携帯を使わなくてはならない。
親指を滑らせてスマホを操作し、一つの画面に辿り着く。
それは――『勇人の携帯』への発信画面。
「勇人」の文字を見た瞬間、様々な光景が脳内に蘇る。
今までの思い出、そして死の瞬間。
再び底知れない悲しみに飲み込まれそうになるが、必死に歯を食いしばってこらえる。
手が震えて、スマホを取り落としそうになるが、反対の手で抑えて食い止める。
ホント、俺のメンタルって弱すぎるよな。
でも、ダメだ。そんなんじゃ、ダメなんだ。
「あの日」までの自分に囚われていては、前に進めない。
勇人が、生きているかもしれないんだ。
やらなきゃいけないことを、今、やらないでどうするんだ。
心の中で必死に自分を言い聞かせながら、「発信」の位置に指を動かす。
そして――押した。
ピッ ピッ ピッ……
静寂の中、電波が相手を探す音だけが耳に入ってくる。
四回目。五回目。
電子音が鳴るたびに、心臓の心拍数が上がっていくのが感じられる。
いつもなら、勇人に電話をかけたら直ぐに、あのバカみたいなテンションで「ぃやっほー!」って言ってくる。
俺はそれを聞く度に「うっさいなぁ」って呆れてたけど、本当はそれを楽しんでいた自分がいた。
今、あの言葉をもう一度聞けるのだろうか。
あのネットの情報が真実なら。
俺が、夢と現実を勘違いしているだけなら。
もしかしたら。
七回目…八回目の電子音――
プルルルル…プルルルル…
繋がった。
今、勇人の携帯に繋がっている。
俺はスマホを耳に強く押し当て、震えを抑えている片方の手をさらに強く握る。
出てくれ……勇人……!
数秒が何十分にも感じられる時間の流れの中。
声が、聞こえた。
『……の……たい、……すよ』
「え……!?」
そこから聞こえた声は、勇人のものではなかった。
ノイズが強く、はっきりと聞こえないが、それくらいは分かる。
勇人じゃないなら、今の声は一体誰の声なのか。
限界までスピーカーに意識を集中する。
『……ろう!……はや……だ!』
怒鳴り声。
そして、一秒後。
ブツッ!……ピー……ピー……
通話が、途切れた。
手がスマホを掴んだまま、力尽きたように落ちる。
しばらく呆然としていたが、再び、高速で思考を展開する。
一体、どういうことなんだろう。
俺はさっき、勇人の携帯に電話をしていたはず。
それなのに、聞こえてきたのは俺の知らない誰かの声と、異常なまでに強いノイズ。
勇人は今、どこかに出かけていて、誰かと会っている最中なのだろうか。
だとしたら、誰かの声がするというのは頷ける。
大方、携帯を放置している時に俺からの電話が鳴ったから、勇人と会っている一人が出て、もう一人にいじるなやらなんやら怒鳴られた……というところだろうか。
次に気になるのは、強いノイズ。
これについては、よく分からない。
通信状態の悪いところにでもいるのだろうか。
ノイズの発生する原因は、調べてみないと分からないな。
後で、調べてみよう。
これで一つ、確認することができた。
勇人と直接話すことはできなかったが、勇人の携帯は何処かに存在する。
つまり、勇人が生きている可能性がまだある、ということだ。
もう一度、勇人に会えるかもしれない。
そう考えていいだろう。
うん。いいはずだ。
なんか、朝起きた時より体が重い。
……電話するだけで、こんなに疲れが出るとは思わなかった。
しばらく、寝よう。
そう思い、誠はベッドに倒れ込み、吸い込まれるように眠った。
そして、誠は夢を見た。
それは、一年前の記憶。
親友との、出会いの記憶――
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