#06 死
◇
辺りは闇で溢れ、一切の音は聞こえない。
海の底にいるような感覚。
どこか包み込まれるような心地よさを感じるその空間で、ただ上を見上げていた。
一体どれほどの時間が経ったのか。
外では何が起こっているのか。
ここは何処なんだろう。
ふつふつと湧き出る疑問は、しかし形にはならず、どうでもいいやと思えてしまう。
そんな微睡みの中で、頭の辺りに、ちかっ、と痛みが迸る。
何だ?と思う暇もなく、急に体が引っ張られる感覚。
物凄い勢いで今まで見上げていた上へ、上へと上がって行き――――
「……!?」
目を開ければ、そこには信じられない光景が広がっていた。
「何が……あったんだ……?」
すぐに目に入ったのは、中が見通せるほどに半壊したコンクリートの建物と、その下に積み上がった瓦礫の山。
あの付近にはさっきまで、ローブを着た奴が銃を持って立っていたはずなんだが……。
驚きに目を見開きながら、誠は後ずさる。
ピチャリ、と足元から音がした。
「!?」
下には、水溜まりが広がっていた。
何で、と思ったが、その答えはすぐ近くにあった。
足元には大きく湾曲した巨大なパイプが、中ほどから引きちぎられて転がっていた。
その穴からこんこんと水が溢れ出し、路地裏周辺の地面を水で満たしている。
状況が理解できない。
さっきまで俺は、あのローブ姿で銃を持った、声から察すると少女と相対していたはずだ。
あの時、この場所はここまで荒れていなかったし、俺は恐怖に囚われて何もできなかった。
なら、誰かの援軍が来たのか?
いや、それにしては誰も周りにいないのはおかしい……っ!
周りに、人。
勇人。
勇人はどうなったんだ。
誠は弾かれたように左を向く。
血が混じった水溜まりに横たわった二人の少年がいた。
手前に胸を抑えて横たわっているのは……勇人だ。
「――っ!」
すぐさま駆け寄った。
抱き上げると、違和感が襲った。
軽すぎる。
「まさか……死んでなんかないよな……?」
側にいた、壁に寄りかかっているもう一人の少年を見やる。
彼は、勇人よりも酷い有様だ。
両足に1弾ずつ、そして腹に、心臓に1弾ずつ衣服に穴が空いていた。
そこからは大量の血が溢れ、全身の皮膚も既に青白くなってきている。
顔は髪で隠れて見えない。
首を誠のいる方向へ傾け、横たわるその姿は凄惨なもので――
「う……っ」
吐き気がする。
親や先生、友達に守られてきた誠の半生は、死などとは無縁のものだった。
「人が死ぬ瞬間」に遭遇したことは一度もなく、血なんかも軽く怪我した時に少し見る程度だ。
そんな平和な環境で生きてきた誠には、あまりにも衝撃が大きすぎた。
「うおぇっ…!」
顔を背け、吐いた。
胃の中にあるもの全て。
だが、吐いても吐いても、吐くものが無くなっても、むかむかとした気持ち悪さは抜け切らなかった。
胸が苦しい。胃が苦しい。全身が苦しい。
こんなに苦しいことなんて、初めてだ。
すぐ目の前には、死んでいるかもしれない人間がいる。
その事実が、誠の精神を、体を蝕んだ。
もう、嫌だ。
こんな辛い場所から一刻も早く、逃げ出したい。
逃げて逃げて逃げて、誰もいない、何も無い場所へ逃げてしまいたい。
そして、そこで誰にも見られることなく、泣き続けていたい。
……でも、だめだ。
勇人が、ここにいる。
俺の、最も大切な、親友。
だから、助け出さなきゃいけない。
たとえ、助からないと誰かに言われたとしても。
俺は、必死に呼びかけた。
勇人が、目を覚ますのを信じて。
手で押さえている胸からは血が流れていく。
顔からは血の気が抜け、危険な状態にあることが分かる。
だが、呼吸は弱弱しくも、まだある。
まだ生きている。
こんな時、どうすればいいのか。
人工呼吸?心臓マッサージ?
どちらも俺には出来ない。
余計なことをして、勇人を死なせてしまったらと考えると、出来ない。
そんな自分が腹立たしい。
だから、俺は叫びかける。
意識が戻ることを、信じて。
◆
雨が降り始める。
少女は、空を仰ぎ見てそう思った。
空は見渡す限り灰色の雲で覆われている。
雨が降れば、超能力者を感覚で探知することは難しい。
(それ以前に、こんな格好じゃ、何も出来ないわね……)
少女の着ていたローブは、無残にもボロボロに破けていた。
超能力者と戦うには、どんな理不尽な現象にも対応出来るよう、高い瞬発力が不可欠だ。
体を動きやすくするため、最低限の装備と最低限の衣服しか持ってきていなかったのだ。
今、少女を見る者が居るならば、露出狂と間違えられかねない程の有様だ。
少女は、気だるそうに大きく息を吐く。
「……油断、した」
あの戦いで、私は完全にあの少年を軽く見ていた。
つまり、油断していたのだ。
だからこんな情けない姿になってしまっている。
彼は強かった。
少なくとも、最近交戦した超能力者の中では、飛び抜けている。
「超能力が」ではなく、「超能力の使い方が」だ。
今までにあのような身体増強型の超能力者は何度か見たことがある。
だが、彼らは自分達の持つ能力に過信して、素人のような立ち回りしか出来ない者ばかりだった。
力任せに正面から突撃してくる者。
無駄に動き回って錯乱しようとしてくる者。
どれも私にとっては単調な攻撃でしかなく、相手を注視していれば大したことはなかった。
しかし今日あの場に現れ、雰囲気が豹変した後の彼は、何度も戦い慣れているような動きをしていた。
ずっと、単調な動きばかりを相手にしていたせいで、その変則的な動きに瞬時に対応することが出来なかった。
辛うじて逃げ出すことができたものの、自己嫌悪が強く残ってしまった。
「次は……仕留める」
全超能力者の駆逐。
熱く、強い意志を胸に抱いた少女は、まだあの少年がいるであろう方向を睨み、言い放つ。
そして、頭上に広がる薄暗い空を見上げ、高く、跳躍し――
少女は、姿を消した。
◇
ポツポツと降り始めていた雨は、やがて強い雨へと変わっていく。
雨は、気まぐれだ。
降って欲しい時に降らず、降って欲しくない時に遠慮なく降る。
本当に、勘弁して欲しい。
今の自分の心は、既に悲しみで溢れているのだから。
勇人の反応は、無かった。
どれくらい叫び続けていただろうか。
声は枯れ、ただその場に佇むことしか出来ない。
もう、何もする気にならない。
言いようのない虚無感が、心を支配していく。
俺は、助けられなかった。
助けると決めたのに。
俺の決意は、そんな弱いものだったのか。
雨が幾度となく体を叩く。
その水滴が心に浸透し、氷の刃となって貫いていくような痛みが、誠を襲っていた。
勇人の眠っているような顔を見て、呟く。
「ごめん……俺、本当に、ダメなやつだな……」
言葉に出せば、余計に自分が嫌いになる。
でも、出さずにはいられなかった。
ここにいるのが自分でなければ、勇人は助かったかもしれないのだ。
だが、もう終わってしまった事だ。
これから俺は、この悔恨をずっと抱えて生きていくしかないのだ。
たとえ、それが辛いものだったとしても。
勇人が、俺を生かしてくれたから。勇人が、俺に生きろと言っているから。
俺は、この汚れた現実を過ごしていくしかないんだ。
そっと勇人を地面に横たわらせる。
彼の両手を胸の上に置いて、誠はその場を離れる。
俯きながら、一歩、また一歩。
来た道を、引き返す。
家に帰ったら、どうするか。
何も、したくないな。
このまま何もせずに生きていけるなら、そうしたい。
それで、勇人が俺に望んだことは、果たされるだろうから。
思考を放棄し、勇人との最後の場所である小広場を出て行く。
身も心も、雨に打たれながら。
◆
「ふぅ、ようやくっすね」
「ああ、雨が降り始めるとは予想外だった」
誠が去っていった路地裏。
そこに、二人の男がいた。
黒い外套を纏い、壊れた地面を躓くことなく進んでいく彼らは、異様な空気を醸し出していた。
「はぁ、天気予報は見ておくべきっすね」
「ふむ、そうだな」
背丈の低い男が身振り手振りで話を切り出し、姿勢よく歩く男が軽く返す。
このやりとりが何回か続いた後、彼らは目的地へ到着した。
「ここか」
「そのようっすね」
半壊した建造物。ちぎれた巨大パイプ。そして、横たわる二人の少年。
背が小さい男が少年らに近づき、まじまじと観察する。
「ディーンは身体中多発、ユートは心臓を一発食らってます。これはいくらなんでも……」
「……そうか」
答えた男も、少年らを見る。
それは確かに、誰が見ても助かることはないと思う程の様態だった。
大量の血が溢れ、それが地面を満たす水と混ざり合い、少年らを中心に血の湖が広がっていた。
もう、死んでいるだろう。
男はそう判断した。
だが――
「……いや、まだやりようはある。連れて行こう」
「そうなんすか!?」
「ああ」
落胆して落ち着いたものの、また蘇った甲高い声に返答し、男は周囲を見回す。
崩壊し、ヒビが入り、少し衝撃を与えただけで残りも崩れ落ちそうな建物。
地面に広がる亀裂と、その中心にあるクレーター。
それを見て目を見開きながら、ほう、と呟く。
「……なんかあったんすか?」
「ああ、なかなか面白いものだよ」
軽く目をつむり、しばらくその状態でいた後、上を見上げる。
そして、その視界に時々映る雷光を目を細めながら見つめ、彼にとって――否、彼らにとって重要なその事実を口にする。
「……ここに、我らと同じ超能力者がもう一人、いたようだな」
男は、口の端をニヤリと持ち上げ、そう言った。
Chapter1.『あの日の出来事』END
next chapter2.『乗り越えた先に立つ場所』
#07 可能性を信じて