#03 親友の変化
勇人と共に、ガラガラとドアを開けて教室に入る。
中から様々な話し声が耳に届き、ざわざわとした喧騒になっていく。
俺の席は窓側端の列、前から三番目。
ちなみに一緒に登校した勇人は廊下側から二番目の列、一番後ろの席。
席に座ってすぐに、前の席にいた女の子が振り替えって、笑顔でおはよう、と言ってくる。俺もおはよう海河さん、と返す。
俺の前の席の女子、海河瞳さんは、このクラスの学級委員をしている。
ボーイッシュな髪型で、眉毛の太い、如何にも運動部と言ったような雰囲気を持つ女の子だ。
その海河さんは、その眉毛を軽く八の字に曲げ、心配そうな面持ちで聞いてきた。
「ねぇ、今日何か宿題あったっけ?」
時々聞いてくる質問だ。大体こう聞く時は課題をやり忘れている。
そして、ノートを貸させらせたり、プリントを貸させられたりする。別に嫌ではないんだけど、何とも言えない気持ちになるんだよな。
「えっと……ああ、確か今日提出のレポートがあったな。俺は昨日、一夜漬けして終わらせたよ」
「……」
さっきの元気なおはようはどこへ行ったとばかりにテンションが落ちてゆく。やっぱり。
「家に忘れてきた……」
突然、海河さんの席の周りで大爆笑が起こる。今まで抑えてたんだろうか?抑えてたんだろうな。
「ひとみぃ、また?」
「二時間目だから時間ないよ~」
「あの先生厳しいからバレるとヤバくね?」
同情と爆笑の渦に囲まれた中で、「貸してくれるよね?」といった表情で俺を見る海河さん。
その真っ直ぐな視線から目を逸らし、俺は仕方なく、鞄からレポートを取り出した。
そして、渡した時にはテンションがMAXに戻ったようで、「光月君、ありがとー!」と言いながらクルリと身を翻し、猛然とコピー作業を開始した。
いつもの事だし、うん、これで一見落着だろう。俺の役目は終わった。
……周りから妙な視線が突き刺さる気がするが、何なんだろうか。気にしないことにする。
教室内がいろんな意味でざわざわとしている中、ビシャッ!っと教室のドアが開く。
「はいはい静かにー!朝のSHR始めますよー」
左腕に学級日誌といくつかの書類を抱えて教壇に上った女性は、俺のクラスの担任、林田凛子先生。
スラリとした体型と、眼鏡が似合うことが相まって『美人秘書先生』とも呼ばれている。
しかし内面はかなりの天然で、しばしば授業の用意を持たずに教室に来てあたふたしたり、廊下で転んだりする。後者は噂で聞いたけれど、半泣きで床に向かって文句を言っていたらしい。面白い先生だ。
肩までかかる漆黒の髪を手で後ろに払ってから、眼鏡の奥に見える穏やかな目で教室の中を一望する。
「じゃ、出欠確認取りまーす。青木君!」
鈴のなるような声で名前を呼ばれた生徒が、次々と多様な声で返事をする。俺も、先生になんとか届くであろう声の大きさで、はい、と応えた。
「よし、全員出席確認。今日の連絡は特になし。以上!」
起立、礼。
ありがとうございましたの挨拶とともに、俺の学校での一日が始まっていく―――
◇
一日の授業を終え、帰りのSHRも終わり、さあ部活へ行こうという雰囲気になった教室の中。
俺は帰りの支度をしていた。
その途中で海河さんが来て、「今日はありがとうね、次もよろしく!」と先の不穏を感じさせる挨拶を残して去っていった。
ちなみにレポートは物凄い速さで模造したらしく、一時間目の休み時間には俺のレポートを返してくれた。「終わったよ!」と笑顔で汗を拭いながら。
で、なぜ帰りの支度をしているかというと。それは、俺が帰宅部だからである。
運動部にも文化部にも、あまりやりたいことの無かった俺は、結局どこの部活にも入らずに、帰宅という道を選んだ。
……まぁ、一番の理由は、他から見ると異常な俺の腕力を誰にも見せたくないから、という事だけどさ。
けど、その方がアルバイトを腰を据えてやることが出来るし、ない日は家に帰って気がすむまでインターネットサーフィンする事が可能なのだ!
勉強?……まぁ、うん。なにそれおいしいの、とでも言っておこう。ちゃんとやってるよ、うん。学校で。
支度を終えて、今日は水曜日でバイトが無いから――毎週水曜日は定休日なのである――今日はネットで何を調べようか、と思いながら廊下に出ると、すぐ近くで勇人がスマホをいじりながら柱に寄り掛かっていた。
「あっ、勇人?」
「ん?おっ、おやっほー誠!おめー、今日はバイト無い日だっけ?」
「ああ、お前の部活は?」
「顧問が出張でさ、部長も休みなもんで。一緒に帰ろうぜ!」
「なるほど。いいよ!」
◇
大分肌寒くなってくる十月の秋の風を受けながら、西の彼方へと沈んでいく茜色の太陽を見上げる。
冬に近づくにつれて太陽の沈みも早くなっていて、なんだか物悲しさを感じる今日この頃だ。
「やっと涼しくなったよなぁ。八月とか灼熱だったぜ、死ぬかと思った」
「だよなぁ。俺も帰り道でぶっ倒れる直前になったことあるよ」
地球は今、急激に進んでしまった地球温暖化という環境問題の影響下にあり、日本でも平均気温が年々少しずつ上がってきている状況である。
赤道付近の国では、生活のための食糧不足が深刻化し、既に人間が生きていくには苦しくなっていきつつある。
今は日本への影響が「少しずつ」だが、そう遠くない未来に四季がなくなったり、赤道付近の国々と同じ状況に陥ることは想像に難くない。政府が様々な法や対策をして解決しようと試みているが、どうなるんだろうか。
ちなみに俺は、そこまで危機感を抱いていない。最近、よくニュースで騒がれている「超能力者」の中には、温暖化さえも止めてしまうような能力を持つやつがいるんじゃないか、と思っているからだ。
「超能力者」は常人ではない力を持った危険な人間、というふうに言われている。
実際、ニュースに散々出てくる超能力者はその力を使い殺人やら強盗やらをしていて、犯罪を犯す筆頭の人間として恐れられているし、家に近い地域で超能力者が絡んだ事件が発生したりでもすれば冷や汗ものだ。
でも、俺は、超能力者は物騒な奴ばかりじゃないんじゃないか、と思う。
いつかは超能力者が世界の役に立つようなこともあるんじゃないか、とも思う。
楽観的かもしれないが、何せ「超能力者」には未知の部分が多いし、研究とか調査とかが進んでいけば、いずれなんとかなるだろう。多分。
隣で歩く勇人は不機嫌そうに、何処からか取り出したボールを指先で回転させている。
「せめて部室にエアコンぐらいは付けて欲しいぜ」
「え?付いてないのか、男バス部は」
「そうなんだよ~。部長がえらく熱血バカでよ、『ウチの部活にエアコンなんて甘っちょろいもんはいらへん!扇風機で我慢しぃ』なんていうからたまったもんじゃねえぜ」
「……それは辛いな」
だろ?と言いながらボールをひょいと放り投げてくる。俺はそれを受け取って、同じように指で回転させてみようとしたが、すぐにするっと落ちてしまう。俺には無理だった。
確かに、夏に男だらけかつ扇風機だけって、想像するだけでむさ苦しいものがあるな……。
運動部はよくやるもんだ。感心しても同じことをやる気はないけど、ね。
とりとめのない話をしながら歩いていると、何処か近くで微かに銃を放つ音がした。
「何だ?」
「……」
よくあるおもちゃの銃の音か?昔よく従兄弟とハリウッドごっこ遊びしてたな……っとそうじゃない。
さっきの音は、それの音とは明らかに重さが違っていた。
空気が振動し、爆発するような音。
もしこれが本物の銃声だったとしたら。
色んな意味で、ヤバいんじゃないか?
「さっきの音……銃だよな?どうする、勇……人?」
ここから逃げるか?それとも様子を見に行って、確認次第警察に通報するか?
そう尋ねようと隣を見ると、異常と言っていいほど顔を青ざめ、歯をカチカチと鳴らせながら俯いている勇人の姿があった。
恐怖で怯えている?いつもウザったいほど明るく、立ち入り禁止の看板も平気で突き進む、勇人が?
「おい、どうしたんだ勇人?」
「……お前は早くここから逃げろ」
消え入りそうな、それでいてはっきりした声で勇人は言った。
「全力で、家まで帰れ。俺は、やらなきゃいけないことができた。」
「やらなきゃいけないこと……?なんだよ、それ。まさか、銃の音がしたところに行って自分で事件解決とかするのか?それはさすがに危険すぎる」
「さっさと逃げろ!お前まで殺されちまうぞ!」
俺が言い切る前に、何処までも響いていくような怒声が俺の鼓膜を震えさせた。
いつもとは違う友人の姿、声に、俺は何も言うことができなくなっていた。
俯き、震える拳をぐっと握り締め、恐ろしい何かに耐えているように見える勇人。
嫌な空気が広がり、沈黙が続く。
そして、俺の聴覚に、再びあの銃声の音が聞こえた。今度は、連続して二発。
その瞬間、サッと顔を上げた勇人は銃声の聞こえた方向、右の道の路地裏へと走り出した。
その時見えた勇人の顔は、怒りの表情で満ちていて。
俺はしばらく、その場にただ立ち尽くすことしか、できなかった。
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