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プロローグ

じわじわ更新していきます。

百合するのは本当に後半になる予定です。

 最後の戦争が終わって何年になるのか、数える者もいない。

 最後の政治的紛争がいつ終わったのか、誰も知らない。

 最後の入札争いの結果は、どこにも残っていない。

 最後の殺人事件がいつだったか、記録にも残っていない。

 人類は、真の平和を手に入れた。


「あら、マブチさん。いい日和ですね」

「そうですね、ミツイさん。こんなにお天気も良くて」

 二人の主婦は笑いながら、並んで道を歩いていた。その両手にはナイロン製の大袋を提げている。日に一度の配給に並ぶべく、こうして世間話をしながら駅前に向かうのが彼女らの日課になっていた。

「こう暑いと、あれでしょうね。お野菜もよく育つんじゃないかしら」

「全くですね。おいしいお野菜が食べられて嬉しいです」

 笑いあいながら、彼女らは足早に道を進む。その頭上を、時折影が掠めた。

それをにこやかに見上げて、ミツイはマブチに水を向けた。

「お宅の御主人は、最近どうですか?」

「ええ、可愛いもんです。一日中子どもと遊んでいてくれるものですから、腰が楽で助かります」

「そうですね。うちも似たようなものです。本当に、助かりますね」

 そうして他愛もない話題を差し出し合ううちに、彼女らは配給の列にたどり着いた。長く伸びたそれは、三百メートルほど先で食料や生活必需品を配布しているキャラバンに続いている。そこには必要なものを必要なだけ言えば、町中に配っても十分なほどの物資が備えられていた。

「お先にどうぞ」

「いえいえ、昨日譲っていただいたじゃありませんか」

「そうですか。それでは」

 先に並んだマブチは、前に立つ男の悪臭を気に留めた様子もなく、ミツイに向き直った。

「ところで、ミツイさん……」

 そこでマブチの目に留まったのは、脇のビルから駆け出してきた一人の少女だった。長く伸ばした茶髪を一つに縛ったその風体は、いかにも寝起きだった。皺だらけのシャツをひとまず着て、色あせた半ズボンをひっかけただけの、部屋着のようなスタイル。

「まぁ」

 マブチは口を手で覆った。

 ミツイはその目線を追って、すぐにマブチに険しい顔を見せた。

「いけませんよ、マブチさん」

 その声が届くよりも早く、マブチは思ってしまった。

私なんて、六時に起きて準備をしているというのに。

 駅から遠くに住んでいるというだけで、こんなみすぼらしい少女よりも私はみじめだ。

 ああ、なんて――


 ――妬ましい。


 その瞬間、影がマブチを覆った。

「しまっ……」

 その頭を、影が一口に飲み込んだ。

 切断面から鮮血を吹きだして、倒れ伏すマブチ。それを黒い影が覆った。

 それは、「虫」だった。

もぞもぞとうごめきながらそれは肉を黙々と食み、瞬く間にマブチを石畳に残るどす黒い染みへと変えた。

 ミツイの絶叫が街道を震わせた。

「……!!」

 慌ててふさごうとした口に、「虫」が殺到した。

 青年が列の最後尾に着くころには、ミツイも石畳に残る無数の血痕の一つとなっていた。

 「虫」が飛び去った後には、無表情な人の列が延々と続いていた。

 


 最後の戦争が終わって何年になるのか、数える者もいない。

 最後の政治的紛争がいつ終わったのか、誰も知らない。

 最後の入札争いの結果は、どこにも残っていない。

 最後の殺人事件がいつだったか、記録にも残っていない。

 人類は試行錯誤の末、感情を完全に押し殺せるように進化した。

 突如発生した「虫」に対抗するために。

 穢れを探知し、穢れを喰らう「虫」に抗うために。

 ……否、彼らの目から逃れるために。

 敵愾心を喰らうそれを駆逐するすべはなく、恐怖を喰らうそれは新たな恐怖を呼んだ。

 

――そうして人類は、真の平和を手に入れた。



配給を受け取った少女は、のっそりとビルの自室へと戻った。

「うん、おいしい」

 平坦に言いながらパンを口に運んで、彼女は通信機を起動した。相手の姿をリアルタイムに投影するその通信機は、かつて立体通信機ソリッドパスと呼ばれていたようだった。

 物心ついた時からそばにあったそれの名前を教えてくれたのは、彼女の唯一の話し相手だった。

「……あ、……おはよう、マナミ・イサハラ。今日も早いね」

 彼女――マナミは頭を掻いた。

「ほかにやることもなくってねー。受信できるってことは、あんたもそうのはずだよ、ケイ」

 通信相手――ケイもマナミに合わせて頭を掻いた。

「それを言われちゃ立つ瀬がないな。まぁいいよ、余計な詮索は無しにしよう。で、昨日は何があったんだい」

「あー、昨日は何にもなかったけどねー。ついさっき、喰われた。二人」

「そいつは痛ましいな。知り合いかい?」

「んにゃ、知らん人。っつーか私の知り合いってあんたしかいないから」

「光栄だよ。そうだな、こっちは……」

 そうして一日中、彼女らは話し込んでいた。

 何気ない一日。無限にも思える記入済みの日記の一ページ。

 

――次の日の事は、ページをめくってみるまで分からない。


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