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06. 立場、が、この体を絡めとって

――ヴァレス家先代夫人の死は、この家に燻っていた問題をまざまざと浮かび上がらせる結果となった。



 家名のわりには質素な葬儀を執り行ったディリは、喪服に身を包んだレナに視線が集まっていたことに不快感を覚えた。

初めて彼女を見た彼らは、息を飲み、そしてあからさまに欲をこめた視線を彼女へと投げつけた。

あまつさえ、彼らはまた一様にディリを同属とみなした。

つまり、彼女をそういう女として扱っているのだろう、と。

視線だけで咎めるわけにはいかず、だからといって不快であることにはかわらないディリは、最低限の礼儀以上はつくさなかった。

彼らと自分との接触を必要最低限に抑え、レナの姿を隠す。

じりじりと焼け付くような胃を抱えながら立ち回ったにもかかわらず、僅かな機会を狙い面と向かってレナが欲しい、と提案してきた係累が現れる始末だ。彼らにとってのレナがどれほど魅力的だったのかを痛感する。

そして、彼らにとってのレナがどれほど軽く扱われる存在であるか、という事実すらも突きつける。

提案をしてきた彼はすでに妻帯し、子までなしているにもかかわらず、レナを欲していた。

誰も彼も、レナを対等な人間どころか、一人前の女性としても扱ってはいないのだ。

もちろん、その原因はディリにある。

彼は、結局レナをヴァレス家に迎えず、だからといって教育を与え外へ出す準備を怠った。彼女をただここに滞在する元孤児、という立場から掬い上げなかったからだ。

そして、コゼレアの死。

彼女がそれでもこの家に居続けた理由は、コゼレアがレナを娘と混同していたせいなのだから。

その理由がなくなった今、彼女を縛る理由は何一つない。

葬儀が終わり、大量の侍女たちに暇を与えた屋敷は、ひっそりと静まり返っていた。




「レナは?」


ディリは、屋敷の中で呼ぶことすら憚られていた彼女の名を呼ぶ。


「お部屋におられるようですが」


噂話を広め、レナを執拗に追い詰めていた侍女たちとはちがい、家令はレナの中途半端な立場を慮り、なおかつ最低限の答えしか主によこさない。

それを聞き、ディリはいまだかつて訪れたことのない彼女の私室へ足を踏み入れることにした。

ためらいがちに扉を叩き、中からレナの声が聞こえた後、彼は私室へと入り込む。

レナは、驚くほど何もない質素な部屋で、幾ばくかの荷物をまとめていた。


「何をしている?」

「葬式も終わったことですし、この家をでます」


仮定でも許可を求めるのでもない、レナのあまりにきっぱりとした物言いに、ディリは言葉を失う。


「カルのところか?」

「まさか」


咄嗟に思い浮かべたのは、その男ぶりが有名な親友のカルだ。

彼は純粋にレナに好意を抱いていたことをディリはよく知っている。また、彼の前で堂々と求婚して見せたことも記憶に新しい。

真っ先にその名を思い出すのは当然のことで、まさかレナが考える暇も与えずその答えを切り捨てるとは思わなかった。


「だったら」


妾に欲しい、と囁いてきた中年男の顔が脳裏によぎる。

彼らを直接レナと接触させた覚えはないものの、ああいった手合いはそういう手間を惜しまないものだ。


「働きにでるだけです」

「おまえが?」

「はい。働かなければ食べていけませんよ?」


そんなことも知らないのか、と暗に言われているようで、ディリは鼻白む。


「読み書きもろくにできないくせにか?」

「買い物をする程度はできます」


思ってもいないはずの言葉が飛び出してくる。そしてそれは見事なまでにレナに切り捨てられていく。

レナが薄く笑う。

こんな風に笑う彼女を、ディリは知らない。

妹のふりをして、子供じみた態度をとっていた彼女とは正反対の、何もかも見透かしたような瞳の色に、たまらずディリは目を逸らす。


「家事すら満足にできないだろう?賄いとしてもおまえをやとってくれるようなところはないぞ、あるとすれば」


その先にある下世話な言葉を飲み込む。

家事をする能力を摘み取っていたのはヴァレス家の人間だ。

コゼレアが娘と思い込んでいる間は、彼女はこの家の令嬢として振舞わなくてはならない。そのために、彼女は全ての雑務から遠ざけられ、だからといって教育を与えられるわけでもなく、ただここにいさせた。そんな人間が、何をできるのか、という思いと、どうしてそんな風にしてしまったのか、という悔恨の思いがせめぎ合う。

そして、口につくのは悪態ばかり。


「はっきりと言えば?娼館ぐらいしかないって」


先回りして、飲み込んだ言葉を突きつけられる。

レナは無邪気な子供、ではない。冷めた目で、彼を見上げている。


「それは」

「正解よ。もう明日にでも働けるようになってるから、邪魔をしないで」


はっきりとした彼女の口調に、彼は気圧される。

だが、それでも容認できない内容に、彼は言葉を振り絞る。


「そんな、そんなことは許さない。ヴァレス家からそんな仕事をする人間をだすことはできない」

「働かないと食べていけないでしょ?それに私みたいなのにできる仕事って限られてるって思っているのはあなたでしょう?」


どこまでも突き放した態度に、ディリは徐々に苛立ちを覚える。

家の中の出来事に、彼は見てみぬふりをした。確かに立場は不安定だっただろう。

だが、あのまま孤児として生きていたところで、今のように育つことができたかというと、それは可能性が薄いだろう、と、ディリは自負している。

戦争孤児が何の後ろ盾もなしに、健やかに成長できるほど今のこの国の情勢は穏やかなものではないことを知っているから。


「感謝しろってこと?」


吐いて捨てるようなもの言いに、今までの全ての面影が壊れていく。

清楚で、無邪気で、花のように笑う彼女はどこにもいない。


「そうね、確かに食べさせてもらって感謝してる」

「娼館がどんなことをする場所か知っているのか?」


間抜けな質問をするディリに、レナは再び冷笑を浮かべる。


「私ね、あなたが拾ってくれる前、親に売られたの」

「売られた?」

「そう」

「だけど、あのときのお前はまだ小さくて」

「そういうのがいいっていう人間はどこにでもいるって知らないわけじゃないでしょ?」

「だが」

「あなたのお仲間にも、ほら、いるでしょ?」


娼婦を買うには当然金が要る。

それはその娼婦の格によって値が上下する。美しく、体のよい娼婦は高額で買われ、そうではないものはそれなりの値で扱われるのだ。そして、より特殊な性癖を満足させるような娼妓は、より高額な値で取引されるものだ。また、極端に低い年齢の相手にしか反応しない、という人間は多く、それらを相手にする子供たち、というのが非合法だけれども高値でやりとりされていることを、ディリは知っている。そして、そのほとんどは、財をもった連中であり、噂の域はでないものの、貴族が名を連ねていることも知っている。

まるで、自分がそのような汚いと思っている連中と同じであるかのような物言いに、ディリはいらだつ。


「だから、心配しないで。遅いか早いかの違いぐらいだから」

「だめだ、ヴァレス家からそんなものを出すわけにはいかない!」


同じ言い訳を繰り返す。

ディリは、それ以上に伝えなくてはならない大切な言葉が喉にひっかかったような思いで、彼女に言い募る。


「私は、ヴァレス家の何?」

「それは」

「居候?」

「いや」

「奥様がいなくなった今、私は用済みでしょ?」

「でも」

「これ以上、束縛しないで」


突きつけられた言葉に、ディリは身動きできないでいた。

その間に、レナは手早く一抱えの荷物をまとめ、歩き出す。

彼女は振り返りもせずヴァレス家の屋敷を去っていった。

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