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04. 壊れないように抱き締めた

「汚らわしい」


ディリが母親の感情的な侮蔑の言葉を耳にしたのは、偶然が重なってのことだ。

長年の不作がようやく一段落つき、実りの季節を迎えた今、ローレンシウム国内は大いに賑わいをみせている。

そんな中、王付きの近衛騎士であるディリは、どちらかとうと暇をもてあましていた。

老王はすでに王冠を息子へと譲ることに決めており、数年内に戴冠式が執り行われる予定だ。それにともなって執務も全て王子の代へと受け渡されており、文官などはその引継ぎに忙しい。

だが、王付きであり、武官でもある彼ら近衛騎士は、再配属の予定はあるものの、今だ正式に発表されていない。その手前、登庁したものの鍛錬や団内の細かな事務仕事しかすることはない。戦争が終わり、平和な時を経て、もともとお飾りに近かった近衛騎士団はさらにその傾向を深め、大人しく鍛錬をしている連中ばかりとは言えない。忙しい、といえば、将来王冠を手にする予定となった王女付きとなるか、すでに手にしている王子付きになるのかを駆け引きするぐらいだろう。

そういったやりとりとは無縁なディリは、定刻になれば早々と職場を離れ、屋敷へと帰る毎日だ。

母親のコゼレアは徐々に、一日に占める睡眠の割合が増え、それに伴い体の方も衰弱しつつある。そんな彼女と夕食を共にする機会は非常に少なく、まともな時間に帰れるようになったにも拘わらず、コゼレアの顔を見ない日の方が多いぐらいだ。

だが、今日のコゼレアは、どうやら起きていたようだ。

彼女の声を聞き、母親がいるであろう部屋へ足を進めた彼は、その内容が理解できるほどの距離なるにつれ、眉間に皺を寄せていった。

もともと、コゼレアは気位が高く、我慢のきかない性格だ。

それらは第一子であるディリに主に向けられ、彼は気まぐれに罵られ、褒められ、ぶたれ、抱きしめられた。そんな母親を愛し、だがどこか冷めた心で見ていた彼は、彼女を切り捨てることで成長することができた。

だが、どこかで罪悪感を抱いてもいる。それは、実母が例え間違っていたとしても、彼女に強く出られない、といった性質に端緒に現れることとなった。

その日も、彼は母の罵倒を聞き、その内容を知り、だが、それを問いただすことはできずにいた。

母、コゼレアが、稀なことに夫も子供二人も亡くし、未亡人としてここにいる、という耐え難い現実に気がついた瞬間、異質な子供であるレナに激しく八つ当たりをしていたとしても、だ。

レナは、聞くに堪えない程の雑言を浴び、邸内には彼女をかばうものはいない。

コゼレア付きの侍女はもちろんのこと、女中頭でさえ見てみぬふりをする。

だが、そんな彼女たちを非難することなどできないディリは、気がつかれぬよう部屋の前を後にした。

そんな彼の行動を見て、年若い女中たちが、ますますレナに冷たくあたったとしても、ディリにコゼレアを責めることはできないのだから。





「元気か?」


時間通りに始まった夕食は、夢へ舞い戻ったコゼレアも同席した。

その中ではレナは彼女の娘であり、上機嫌に彼女に娘が好きだったという料理を分け与えている。

先程の振る舞いをした女と、同一人物とは思えず、思わずディリはレナへよくわからない問いかけをする。

レナは、しっかりとした表情で、コゼレアをあしらいつつ、ディリへと笑って見せた。

その顔に、陰りはない。

あれ程の暴言にさらされれば、涙の一つぐらい見せてもいいものを、と、ディリは呆れたような安心したような面持ちで主菜を口にする。

今日の料理は、妹が好きだったという食材でそろえられ、コゼレアはそれらを口にしているレナをみて気分良く過ごしているようだ。

――波風を立てたくはない。

そんな言い訳を己にしながら、ディリは、今日屋敷で聞いた出来事を封印することにした。




「お暇なんですか?」

「そうだねぇ、僕はディリと違って不真面目だし」


先代夫人が寝室へと引きこもっている時間に、屋敷へカルが訪れてきた。

一度彼女を見学に来た彼は、それ以来主がいないことなどお構いなしに、ヴァレス家を訪問している。時には彼の妹を伴い、レナの悩みの聞き役を妹、ディエにお願いしている。

外部のものとはいえ、いや、外部のものであるがゆえに、カルはレナがこの屋敷でどのように見られているのかを見抜いてしまっている。

使用人でもなく、主一家でも、まして客人でもないレナは、使用人たちにとってはまさしく目障りだ。

ただ戦場で拾われただけで、彼女たちより上等な生活をする彼女に反感をもっても仕方がない。それが理不尽とはいえ、手続きにのっとり、ヴァレス家の一員となったのならば、抱く思いも違うのだろう。だが、ディリはそれをせず、さらには扱いすら中途半端だ。だから、使用人たちはレナを軽んじ、また日ごろの鬱憤を晴らす道具とみなしている。

そんな扱いにもかかわらず、レナは弱音を吐かない。

それがまた、カルの庇護欲をそそり、ディエも彼女をひどく同情している。

そういう思惑からの訪問なのだが、遠巻きにしている一部の若い使用人たちも、カルの存在そのものは好ましいものらしく、彼が親切に声をかければかけるほど、一時はレナへの風当たりもましになることを彼は知っている。


「ところで、どうしてこんな季節にそんなものを着ているの?」


今日のレナは、まだ暑さが残る中、長袖を着込んでいる。

確かに成人した女性は肌を見せることをよしとされず、どちらかというと布の表面積が多い衣装を身につけるのだが、この季節はさすがに半袖の衣装が普通だ。貴族たちなどは、袖口の意匠や、手袋の配色などに熱心である。


「ええ、ちょっと。日焼けするのが嫌いなので」

「室内なのに?」

「出かけることもありますので」

「手袋ぐらいいくらでもあるでしょ?」


気まぐれな夫人は、レナを娘と誤認している間に、数多くの衣装も彼女に作らせている。記憶が途切れている夫人は、以前作ったものを覚えておらず、気まぐれに注文しては、屋敷へと届けられているからだ。そんな散財が許されるのもヴァレス家ならでは、ではあるが、そう言うわけでレナは貴族の娘の中でも衣装もちである。そのことを知っているカルが指摘すると、レナは曖昧に笑うのみだ。


「お嬢さんがた、もうしわけないけど新しいお茶をくれるかな?あ、それと、そろそろ妹がくるはずだから、迎えにいってやってくれないかい?」


数人いる使用人へ仕事を振り分け、客間にレナとカルの二人が残される。

レナは一瞬だけ怪訝そうな顔をし、だがすぐさまいつもの笑みを浮かべた。

カルは「ごめん」と、短くレナに謝り、どういうことなのか認識できないでいるレナの袖を手繰り上げる。

レナの右腕に真新しい痣と裂傷を見つけたカルは、そのけがの度合いの酷さに絶句し、強く彼女の手首を握り締めたまま彼女の顔を凝視した。


「どうか内密に」


その言葉を、ようやく認識できた瞬間、カルは怒りをぶちまける。


「どういうことだよ!おかしいじゃないか、こんなの」


まだうまく言語化することができないでいるカルは、もどかしい気持ちをどうにかして伝えようと必死になってレナへと訴えかける。

だが、レナは冷静にカルを宥め、また、使用人たちが部屋へと戻ってきたことを告げる。

腰を浮かせ、レナへと詰め寄っていたカルは、取り繕うように深々と椅子へ座り直す。


「妹様がいらっしゃいました」


使用人が新たな来客を知らせ、その声からしばらくしてディエが訪れる。

ディエは、室内の少し異質な空気を感じ取り、すぐさま全ての侍女を遠ざけた。


「どうしたの?」


頭を抱えた兄に、妹が声を掛ける。

この屋敷へは、最初は気まぐれできたディエではあるが、今ではレナ自身を気に入っている。

特殊な養育過程がそうさせたのか、彼女の時に純粋で、ときに世慣れた性格がおもしろく、また頼るところのないレナの良き姉のように振舞うことに気持ちのよさを感じているからだ。

そんな彼女の問いかけに、ただレナは首をふり、カルは無言でレナの腕を指差す。


「あら?どうしてこんな時期に長袖なの?」


兄と同じ疑問を口にした彼女は、素早くレナの袖をまくる。

そこにやはり兄と同じものを見つけ、ディエもまたしばし言葉を失う。


「鞭、ね」


ようやく口を開いた彼女は、責める風ではなくレナに問いかける。

頷いたレナは、だが、それ以上語ることはない。


「奥様、でしょ」


だが、兄とは違って、ディエは冷静にその傷から、それを与えた犯人の像を結ぶ。

レナは押し黙ったまま、答えようとはしない。

だが、その沈黙が、その答えが正しいのだと、二人に雄弁に語りかけている。


「使用人が馬用の鞭なんてもってないでしょう?厩舎の使用人とあなたは全く接点がないし、彼らがそんなことをする利点がない」


黙ったままのレナをディエは引き寄せ、抱きしめる。

引き取られてから初めて触れた柔らかな感触に、レナは耐えていたものが切れたのか、涙をこぼす。

泣き声すらあげず、ディエに顔を押し付けるようにして涙を流す。そんな彼女の頭をディエは優しく撫でる。


「どうして、とは言わない」


この家の夫人が心を病んでしまったことを、彼らは知っているから。


「だけど、ヴァレス様はご存知なの?」


ただ首を左右に振るレナの態度に、彼女ははじめて見目のよい少しだけ憧れていたディリに心の中で悪態をつく。


「なぜ言わないんだ?」


カルは、同じ髪色のせいなのか、本当の姉妹のような彼女たちに気後れしつつ、だが、真っ先に思った疑問をようやく口にする。


「お願い、内緒にして」


か細い声が聞こえ、ディエとカルは顔を見合わせる。


「そういうわけには」

「いつも、じゃ、ないから。奥様はご病気だから。だから!」


レナの訴えに、二人は何も言えなくなる。

他人の彼らがこの家のことでどうにかできることは少ないと知っているからだ。

対等な友人同士であるカルとディリだが、その家格は驚く程違う。使用人たちも、カルの容貌にひかれている若い女性以外は、どちらかといえば冷淡だ。なにより、彼らはレナ自身にとって決して味方ではない。

最も彼女を気に掛けなくてはいけないディリは、今までの様子から考え、こういうことには無頓着であり、責任をとるとはおもえない。

もうすぐ年頃となるレナを屋敷へ抱え、病気の実母の相手だけをさせていることは、美談として語られている以上に、レナにとっては理不尽極まりない状態だ。食べさせてもらっている、というだけで、その他のものをすべて相殺できるほど、人間の心理は単純ではない。


「わかった、黙ってる」

「おい!」


察しのよいディエは、レナの心配も置かれた状況も全て勘案し、そう結論付ける。それに納得できないカルは、妹の一睨みで、発言をあっけなく封じられる。


「レナちゃんの立場はわかってるでしょう?」


ディリはなにもしない。それは恐ろしいほどに。

彼はきまぐれに彼女を拾ってきただけだ。


「だったら、せめて私たちが心配するしかないじゃない」


そう言って、ディエは再び強くレナを抱きしめ、さっさと彼女を呼び寄せた馬車へと押し込めた。

初めての外泊は、やや強引に行われ、レナは引き取られて始めて、心からくつろげる食事を口にした。

その夜、コゼレアが自殺を図った、という知らせがブラドノル家にもたらされ、レナは帰宅を余儀なくされた。

コゼレアが寝台でジョゼリィの名を呼ぶ。

レナは、コゼレアに寄り添いながら、驚く程体温の低い手を握り締める。

奇跡的に、コゼレアは一命をとりとめた。

だが、結果としてその行いは彼女の体をより衰弱させることとなった。

レナは、叱責どころか、何も言わないディリに罪悪感を抱く。

ヴァレス家は、家名の高まりとは反対に、その影を色濃くしていった。

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