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10. 貴方が欲しい

 客足が途絶え、昼の時間をだいぶ過ぎた頃、安価な食事を提供する定食屋の従業員たちは、ようやく順番に賄いに手をつけることができた。

当然レナもその一人で、同じ年頃の店員たちと入れ替わりに遅い昼餉を口にしていた。

どちらかというと量を重視する傾向にある店において、意外なことにこの賄いは質が良い。原材料は安価であったり屑野菜であったりはするものの、栄養価が高く美味な賄いは従業員たちの活力の一つとなっている。

給料は安く仕事はきつい。しかしながら、人柄のよい主夫婦と元気で人の良い仲間、そしてなにより気持ちのいい客に囲まれて、レナは精神的に十分満足していた。例え以前の暮らしの方が、物質的にはるかに恵まれていたのだとしても。

充足感を味わいながら、切れ端とはいえ香ばしく焼かれた肉を口にしたとき、仲間の威勢の良い声が響いた。

客が来店したことを告げるそれに視線を向け、助け手がいるかどうかを確認する。

しかし、同僚の常の客には決して見せない態度を垣間見、また、見覚えのある男の姿を確認したとき、レナは大きくため息をついた。


「久しぶり」


まっすぐと、店の隅の机にて賄を食べていたレナに向かってきた男、ディリがやや間抜けな言葉を発する。


「あなたが来ていいところじゃないと思うんだけど」


レナは、わざとらしく座りなおし、再び昼餉に取り掛かる。

接客がなくとも、これから仕込みを手伝わなくてはいけない。もたもたして食べ損ねれば、なまじここが食事どころなだけに、辛くなるのは自分だ。


「変わらないね」

「こんな短い間に変わってたまるものですか」


憎まれ愚痴を叩くレナは、それでもせっせとその口へ食べ物を運んでいる。

屋敷で見たことがないような食べ物を口にする彼女は、だが、その品を失ってはいない。

彼女が投げつけた、来ていいところではない、という言葉は、正直レナにも当てはまっているとディリは考える。


「で?用があるんでしょ?」


黙ったままレナを見つめ続けている男をせっつく。

小さい頃から一緒に生活をしているとはいえ、さすがにこのような不躾な視線にさらされることに慣れてはいない。


「あの・・・・・・」


煮え切らない男は、この場になってもやはり変わらない。身なりのいい優男が、評判の看板娘のもとへ尋ねてきたとあって、野次馬が知らぬ間にあふれかえっている。


「仕事があるんだけど」


冷たく言い放ったレナに、野次馬の男たちどよめく。

それでも言いよどむ男に、レナがためいきをついてようやく、ディリが重い口を開いた。


「俺とプロトアに逃げよう」

「はぁ?」


だが、ディリの言葉に、周囲の歓声とは裏腹に、レナは呆れかえる。


「あそこは、ここほど貴族社会じゃないし、やっぱりここと同じで人材不足だっていう話だし」


確かに、隣国プロトアは、歴史あるローレンシウムと異なり、ややそういった価値観はゆるい。だが、そういったものがないわけではない、あくまでここと比べてましである、といった程度だ。


「伝手は?」

「え?」


故に、レナがそういったことを詰問するのは当然のことだろう。そんなことは学のないレナにすら、いや、市井に馴染んだ彼女こそ詳しいのかもしれない。


「だいたい、ちょっと前まで敵国だったんだし、どうやって国境越えるの?」

「それは」

「ローレンシウムの貴族が向こうにいったら政治亡命と思われても仕方がないんだけど?」


一市民が混乱にまぎれて住み着くのではなく、名門家系の当主があちらへ逃避行する、というのは、ただそれだけで政治的問題を孕む。


「で、どうやって食べていく気?」


レナは、ここでようやく己一人の手で日々の糧を得ることができた。そして、彼女のような人間がそれを可能にすることがどれほど大変であるか、ということを知っている。

この職場ですら、ブラドノル家の推挙がなければ、決してもぐりこむことはできなかっただろう。

国内ですらそのような状態なのに、剣以外もったことがない、という人間が隣国へ行ったところで、生計を立てるのはなまじなことではないはずだ。


「騎士にでも」

「無理」

「じゃあ、傭兵?腕に自信はある」

「あのね、もう戦争は終わったの。騎士団だって縮小傾向にあるのに、傭兵なんて雇ってくれるわけないじゃない。ましてローレンシウムの貴族であるあなたを!」


レナの言うことは、いちいち最もだ。

長年続いた戦争に辟易したローレンシウムは、どちらかというと騎士団の数を減らす方向にある。国庫でそれらを賄い切れなくなった、という身も蓋もない事情もあるが、それにしても必要のないものは減らすのが常套だ。それは恐らくプロトアでも同じことであり、ようやく落ち着いた今、眼に見える形で軍事力を強化し、他国に不信を植え付けるようなまねはしないだろう。


「あのさ、レナちゃん。この子、求婚しているんじゃないかい?」


説教をする小娘と優男、といった風体となってしまった二人に、野次馬の中年女性から声がかかる。


「ほらさ、連れて逃げるって言えば駆け落ちじゃないか」


完全に面白いものを見る観客と化した野次馬たちは、次々と頷き、また口々に勝手なことを話し始める。


「そうなの?」


半信半疑のレナは、念のため、とディリに問う。

期待に反し、しっかりと頷いたディリに、今度はレナが驚愕する。


「うそ!」

「こんなこと冗談で言えるほど器用じゃない」


それはそうだ、と頷いたレナは、腕を組んでディリを見上げる。


「だったら、愛人にでもなんでもすればいいじゃない?それなら体面を保てるでしょ?」


どよめきが響き、ディリが心なしかレナの言葉に照れを浮かべる。


「それは嫌だ」

「でも、それ以外あなたの望みがかないそうな手はないし、だからそんなばかげたことを言ったんでしょ?」


レナの推理はほぼ正確にディリの思考過程を言い当てている。

ヴァレス家に、レナを正妻として迎えることは表向き不可能だ。

それはあくまで馬鹿正直に真っ向勝負をすれば、の話ではあるが、軍人馬鹿のディリはそういった方面にはそこ抜けで疎い。

そしてレナが吐き捨てた愛人、という待遇ではあるが、そうは言ったところであっさりとヴァレス家を捨てていったレナが承知をするわけがない。

行きつ戻りつした思考は徐々に八方塞となり、ほぼ実現不可能な案が、まるですばらしいものであるかのような錯覚に陥ったようだ。


「だったら忘れたら?あなたならいるでしょ?他にいくらでも」


いくらでも、と強調されたレナの言葉に、色々と声に出しては言えない己の行状に、ディリはひきつった表情を浮かべる。ヴァレス家の跡取りとしては、釣りあいが取れた家から数多の令嬢を紹介され、また個人としてそういう部分を発散させなくてはいけなかった彼には、馴染みの娼館がある。


「俺は、レナがいい」


切羽詰って口にした言葉は、今まで誤魔化し、浮かび上がってこないようにしていた本音だ。

それをようやく吐き出せたディリは、非常にすっきりとした顔をしている。

長年のつかえがとれたかのように気持ちが晴れ、さらには自分が言ったことばに自分が納得する始末だ。

取り囲んだ野次馬が口笛を吹きながら囃し立てる。


「だったらなんとかしたら?」


だが、そんな彼を一瞥し、レナは観衆を押しのけるようにして厨房へと歩き始めた。

残された彼は、次々と見ず知らずの人間に激しく励まされ、そして大声でレナへと告げる。


「なんとかするから!」


一瞬立ち止まり、だがレナは振り返りもしなかった。

ディリは気の毒なものを見るような観衆の視線にも気がつかず、意気揚々と邸宅へ帰っていった。




「ほんとになんとかするなんて思わなかったわ」


すっかり飯屋の看板娘としての生活が板についていたレナは、ほどなくしてディリにヴァレス家紋章付きの馬車で職場へ横付けされ、驚愕すると共に、再び衆人観衆の下にさらされ、非常に恥ずかしい思いをした。

そもそも場違いな上に、馬車の中からさらに場違いな人間が出てきたのだから当たり前だろう。

花束を抱え、跪かれた経験はあるものの、それをこのような場所でやられては、普通の女なら逃げ出したくなるだろう。

結局、あまりの恥ずかしさに耐えかねたレナが、ディリを無理やり馬車へ押し込めるにあたって、自分もどういうわけかそれに乗らざるを得なくなってしまった。

そんなやりとりのあと、流されるようにどこかの養女となるためのサインをし、お針子たちがせわしなくレナやディリの体の測定をし、次々と贈り物がヴァレス家へと運ばれる日常が続く。

ついには、どちらも信じていない女神の前で永遠の愛を誓い、さらには公にヴァレス家の人間へ迎えられたことを発表され、ほんとうにいつのまにかレナは逃げ出せなくなっていた。

ディリへの思いが、レナの態度を鈍らせたとも言えるが、それにしても今までのディリとは違った、あまりの手際のよさにどちらかといえば周囲が驚嘆するありさまだ。

育った家へ帰宅し、お気に入りの茶器を使いながら、レナは呆れたような口をきく。

それをディリは嬉しそうに聞きながら、今日も買い込んできた菓子をあれこれ彼女へと勧める。

子煩悩ならぬ妻煩悩となってしまったディリは、言外に同僚にからかわれるものの、あまりの幸せっぷりに、もはやそれを話題にするものすらいない。


「太るって」

「もうすこし肉付きがよくても」


そんな会話がヴァレス家の庭でやりとりされ、今まで影から見守ってきた、代々この家に仕えている使用人たちが眼を細める。

来年には、きっと、この家はさらににぎやかなものになるだろう、と。

ヴァレス家はレナを得、更なる繁栄の時代を迎えた。

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