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僕と尻尾の冬休み  作者: 柴健
僕と尻尾の恋戦編
23/30

ショートストーリー ~尻尾の風邪事情~ 下

 ところ変わって天野家のきなの部屋。

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、風邪を引いたきなは自分の部屋のベッドの上でパジャマ姿で寝転がっていた。顔は少し赤く紅潮しており、額には朝に照が貼ってくれたばかりの熱冷ましシートが乗っている。


「けほっ、けほっ」


 咳が激しくとても体調が良いとは言えない状況のきな。

 しかし、現在の天野家にはきなを看病してくれる人物はいない。天野と照そして佐野は学校に行っており、天野の妻も仕事が忙しくて数日前から帰ってきていない。


「……ヒノカはだいじょうぶ?」

「私は大丈夫です、主」


 きなの机の上で寝ているヒノカは、きなを心配させない様に振る舞うが、顔色はそれほど優れていない。

 布団の中できなは止まらない咳を抑え込もうとしながら、看病してくれる人がいない寂しさを感じていた。

 寂しさを感じると同時にきなの脳裏には冬夜の笑顔が浮かぶ。優しく柔らかい彼の笑顔を思い出すだけできなの寂しさは紛れる。

 けれど、ほんの少しだけきなは冬夜のことを心配していた。自分は冬夜に迷惑をかけてしまっているのではないかと。

 全てはあの冬の日から始まった。

 冬夜がきなを見つけて一緒に暮らし、冬夜がきなに言葉を教え、冬夜がきなに幸せを与えてくれた。きなを狙う敵からも命がけで彼女を守り、今では一緒に学校に通ったり、放課後にどこかに遊びに連れて行ってくれている。

 でも一番は――――深い愛情を与えてくれた。

 記憶もなく獣耳と尻尾が生えている少女を、人は何の意味もなく助けるだろうか。いや、冬夜だからこそきなを救ったのだろう。正義感が強く、どこか奥手で、それでも誰かを傷つけさせたくないという思いが大きい彼だからこそきなを助けたのだ。

 そんな優しい冬夜だからきなには不安があった。

 それは今まで冬夜はきなに対して何一つ不満を言ったことがないこと。

 きなのわがままに冬夜が怒ったことは一度もない。むしろきなの前ではほとんど笑顔でいることが多い。きな自身も冬夜を怒らせない様にとほんの少しは我慢しているのだが、やはり冬夜に甘えてしまっているという自覚はきなにもある。

 (わたしが遊びたいって言えば、とうやは一緒に遊びに連れて行ってくれるし、あれが食べたいって言えば材料がある範囲内でとうやは作ってくれた)

 色々と思い出すが、やはりきなの言葉を否定した冬夜の姿をきなは今まで見たことがない。

 (少しぐらい否定してもいいのに。とうやはわたしが好きだからどこか遠慮してるのかな?)

 心の中で平気で『好き』と使っているが、きなの思っている『好き』は別に恋愛的な意味を含んでいるわけではなくあくまで好みの意味を表している。

 冬夜が記憶を無くしていた時にきなは『好き』という言葉の意味を照から聞いていた。


「ねぇねぇ照」

「どうしたのきなちゃん」

「『好き』って、どういう意味?」

「……いきなりどうしたの、きなちゃん」

「お勉強してるときにね、好きには好みの意味と、人に対する意味があるみたいなんだけど、人に対するときの、特に異性に対しての好きって特別な意味があるんだって。でも辞書にはその特別な意味が書いてなかったの。照なら分かるかなって」


 そんなきなに照は困りながら、


「それは、大切な人に対する好きって意味だよ~。きなちゃんにだって大切な人いるでしょ~?」

「うん、とうやも照も佐野も、みんなみんな大切だよ!」

「嬉しいな~」


 と、多少誤解を生むような照の説明できなは『好き』の意味を解釈していた。

 (とうやにとっての大切な人になれるといいな)

 尻尾をぱさぱさと動かしながら、恥ずかしそうな笑顔できなはうずくまる。

 ふと、熱と眠気に襲われたきなはそのまま眠りについた。


 ――――何時間ほど眠っていたんだろう。

 眠りから覚めたきなは、時計を確認しようとしたときに自分の体の異変に気付く。寝汗をかいていたようできなの体はびっしょりと湿っていた。


「ふぇ、気持ち悪い……にゅ?」


 ふと、きなの鼻孔をくすぐるいい香りが部屋の外から漂ってきていた。

 しかし、現在天野家にはきなしかいないはず。だとすれば、

 (もしかして、泥棒……!?)

 人の家に勝手に上り込んで料理を作る泥棒も珍しい、普通はそう考えられるが、泥棒が入ってきているという事実に動揺している今のきなにはそんなことを考えている余裕はない。

 どうしよう、と慌てふためくきなをよそに、一歩ずつ確実に誰かが階段を昇ってくる音が聞こえてくる。


「ひ、ヒノカー!」


 とりあえずそばにいる者に助けを求めようとヒノカに声をかけるが、眠っているのか反応はない。

 何をされるか分からない。もしかしたら襲われてしまうかもしれない。そんなことを考えるだけできなの心臓は恐怖で締め付けられる。

 けれど、一歩、一歩と階段を上ってくる音は大きくなっていく。

 風邪をひいているせいで今のきなには逃げる気力も体力もない。きなはそのまま動かずに覚悟を決めた。

 きなの部屋の前で足音が止まった直後、がちゃり、ときなの部屋の扉が開く。

 (とうや……!!)

 心の中で冬夜の名前を叫びながら、ぎゅっ、と目をつぶったきなを待ち受けていたのは、


「おはよう、きな。起きてたんだね」


 泥棒にしてはどこか聞き覚えのある優しい声。しかも自分の名前を言ったということは相手は自分のことを知っている。と言うことをきなは理解した。そして不思議なことだらけの真実を知るために、まぶたの力を緩めて目を開く。


「もう一時だけど、おかゆ食べられる?」

「とうや?」


 制服の上からエプロンをかけただけの冬夜が、湯気立つおかゆの入った小鍋を片手にきなの前でいつもの優しい笑顔を浮かべて立っていた。

 そんな冬夜の様子をきなはきょとんと見つめるだけだった。


 今から一時間ほど前の学校。


「え、きな今は一人なの?」


 昼の休み時間。きなが体調不良で休みという事情しか聞いてなく、今のきなの状況が心配になった冬夜は同じクラスの佐野に尋ねていた。


「そうっす。父上は学校を休むわけにはいかないし、母上も仕事が忙しくって帰ってきてないっす。アネキも部活が忙しいし、俺は……」

「テストの点数が低いんだったっけ」

「はいっす」


 情けなさそうに佐野は頷く。そういえば、きなが佐野に勉強を教えていたなぁ、と冬夜は苦笑いしながら思い出す。


「やっぱりきなは一人で家にいるんだ」

「本人は、一人でも大丈夫、と言ってたっすけどやっぱり心配っす」

「だよね」


 うーん、と冬夜は腕を組みながら少し考えた後に口を開く。


「――――佐野、僕は体調が悪いから早退するって天野先生に言っておいて」

「冬夜君、帰るんすか?」

「うん。やっぱり一人でいるきなが心配なんだ」

「それなら俺も」

「点数が悪いなら出席ぐらいしないと学生として危ういんじゃないかな。僕はほぼ毎日学校に登校してるから単位の心配はないけど」


 揺るぎようのない事実に佐野は言葉を返せない。その後、佐野は自分のバッグからキーチェーンを取り出し、家の鍵だけを外して冬夜に手渡した。


「家の鍵っす。何かあったらちゃんと連絡するんすよ。こっちも心配っすから」

「ありがとう佐野」


 冬夜は受け取った鍵を制服のポケットにしまうと、己の机に向かいすぐに帰り支度を済ませる。


「それじゃ佐野、後はよろしく」

「きな姉ちゃんを頼んだっす」


 佐野との言葉を交わした冬夜は小走りで廊下に出る。すぐに自転車小屋に向かおうとしたとき、後ろから冬夜を呼ぶ声が聞こえてきた。


「冬夜君」

「あ、月菜」


 そこにはお弁当箱を片手に時詠月菜が立っていた。おそらく今日も冬夜と食べようと廊下で待っていたのだろう。


「あの、」

「ごめん、今日僕早退するから……またね!」

「あ、」


 一言だけ言った冬夜は月菜の前から走り去っていく。一人置いてきぼりにされた月菜は、廊下に立ち尽くし、考えをまとめた後、自分の教室に向かって歩き始めたのだった。

 その後、学校の敷地内までたどり着いた冬夜は、誰にも見つかることなく、自転車に乗ってきなのいる天野家まで走っていくのだった。



「って聞いてる、きな?」

「とうや、あーん」

「ふー、……はい」

「あむっ」


 口を開いたきなに冬夜は、自分で作ったお粥を彼女の口の中に運ぶ。

 卵と醤油を混ぜた簡易的なお粥。もちろん作り立てなので、お粥を冷ますことも忘れない。

 今まで、どうやってここまで来たのかを説明していた冬夜だったが、肝心のきなはお粥を味わうのに夢中で全然話を聞いていない。

 幸せそうにお粥を頬張る彼女を責めることはせず、別の話題へ切り返す。


「ところできな、熱は下がったの?」

「朝よりは良くなったよ」

「ならよかった」


 きなの調子が良くなっていると本人から聞いたことで、冬夜は安堵の吐息を漏らす。けれど、


「けほっ、けほっ」

「大丈夫、きな……?」


 まだ本調子じゃないせいか、いまだにきなは咳をしている。

 そんな彼女の背中をさすりながら、冬夜はある違和感に気付く。


「きな、パジャマ湿ってるね」

「うん、起きたら汗かいてたんだ」

「ならパジャマを交換するのと、体を拭か……」


 なきゃ。と言いかけて冬夜は口ごもる。何を言っているんだろう。

 なぜなら、彼女の体を拭くということは彼女には上半身を裸になってもらうということ。いくら前に何回も一緒に風呂に入っていたといっても、きなを子供ではなく異性として認識している冬夜にとってはやはりやりづらい。

 だが、一度口に出してしまった言葉は訂正できない。


「そうだね。これ以上悪くなるととうやにも迷惑をかけちゃうから、お願いとうや」

「あ、でも僕男だし」

「……?」


 まだ冬夜の気持ちの意味が分からないきなは不思議そうに首を傾げる。もちろんそのあたりを理解していないので本人に悪気はない。

 言ってしまった自分が悪いな。と冬夜は覚悟を決してきなの体を拭くことにした。


 洗面台から、人肌程度に冷ましたお湯の入った桶とタオルを持ってきた冬夜は、きなの後ろに座る。


「きな、後ろは向かないでね。あと前はあとで自分で拭くんだよ」

「うん、分かった」


 とりあえず背中から。ということで、座っているきなは白い髪の毛をまとめて前の方に流している。

 タオルを桶につけて絞った後、割れ物でも扱うように冬夜はきなの背中を拭いていく。


「痛かったら、言うんだよ」

「うん」


 緊張で震える手を抑えるように、それでいてきなに痛くしない様に力を込めてきなの背中を拭いていく冬夜。内心どきどきしながら、きめ細かいきなの背中を拭きながら見つめる。


 (落ち着くんだ……僕!)

「にゅー」


 無心できなの背中を拭いている冬夜を余所に、きなは気持ちよさそうな声を漏らす。

 だいぶ気に入ってくれているみたいだ、と冬夜はリズムを崩さないように背中を拭き続ける。

 背中を拭き続けていて冬夜は改めてきなの背中が自分よりも小さいことを再確認した。小さな小さな彼女の背中。けれどその背中には大きな使命を背負っている――――彼女が四気神であるという切っても切れない使命が。

 でも冬夜にとってはそんなことはどうだっていい。彼女が何者であれ、冬夜にとっては何一つかけがえのないただ一つの存在。

 そんな大きくも小さい存在を守っていくことが、幼少期から自分に課せられた使命だったと、冬夜本人は己の心を再確認した。そう感じた頃には冬夜の手の震えを止まっていた。


「終わったよ」

「ありがとう、とうや。……どこいくの?」


 タオルをきなに手渡した後、冬夜は早々にきなの部屋を出て行こうとする。


「僕がいたら、きなが前を拭けないじゃないか」

「え、わたしはこのままでも――――」


 そう言ってきなは手に取ったタオルで体を拭こうとした時、冬夜は急いできなの部屋から逃亡した。

 その後、きなの部屋の扉から冬夜の声が聞こえてくる。


「体拭き終わってパジャマを着たら声かけて。僕は扉の前で待ってるから」

「うん、分かった」


 きなの同意の声を扉越しから聞いた冬夜はとりあえず床に座ることにした。

 (きなには少しだけでいいから、恥じらいを覚えてほしいな)

 はぁ、とため息をついて冬夜はきなが体を拭き終わるのを待つ。



「とうや、」

「どうしたの、きな」


 一通りの片づけを終えた後、冬夜は再びきなの看病をしていた。きなはベッドで眠り、冬夜はその横で彼女の様子を観察していた。時折きなの額にある布を水で冷ましながら。


「きなね、とうやに黙ってたことがあるの。――――聞いてくれる?」


 まるで何かを思い出すかのようにきなは小さく口を開く。彼女のその瞳は天井を見つめているが、それはどこか遠くを見ているよう。

 そんなきなの一言に冬夜は黙って頷く。

 冬夜の了承を得たきなは語り始める。


「わたしあの時知ってた。とうやと天野さんが戦うことになった理由を。でもとうやには言えなかった、言えるわけ――――なかった」


 きなは冬夜が眠っていた間の一月の天野との会話を思い出す。



「きな君、大事な話がある」

「わふ?」


 眠っている冬夜の様子を見ていたきなに、真剣な眼差しを天野は向ける。

 聞かれてはまずいから、との理由で一階に降りた天野ときなは顔を見合わせるようにリビングのイスに腰掛けた。


「さて、まずは何から話そうか」


 ふーむ、と気難しそうな顔で天野は呟く。一方のきなは黙ったままどんな話なのかを心待ちにしている。もちろん興味本位で。


「まずはきな君、君は君が特別な存在であることに気付いているかい?」


 常立神に狙われる、冬夜が九尾の力を手に入れる、それら全ての原因は、四気神と呼ばれる彼女にある。そのことをきな自身が気づいているのかを天野は確かめたかった。


「わたし……知らない」


 ふるふる、と首を横に振るわせた後、戸惑った表情で固まっている。

 (無理もないか)

 彼女の記憶がないことは冬夜との初対面の時に大体予想はついている。もっとも、どうしてそうなったかまでは想像できないが。


「話しておくが、君は私と同じように神に分類される存在だ。そしてその中でも最高峰であり謎の存在である『四気神』というものだ」

「そう、なんだ」


 混乱するきなに天野は続ける。


「謎が多いこの神については、数が多いのか少ないのか、どんな力を持っているのかもわかっていない。故に君がどんな神なのかを知らないが、九尾の狐の力を従えているということは、相当強力だと言わざるを得ない。君にはその自覚があるのかい?」

「わたしは……っ」


 冬夜と同じ普通の存在だ。きなはそう言いたかった。でも、その言葉をきな自身の耳と尻尾が躊躇わせる。

 記憶を失っている彼女にはソレの理由を述べられず、だから黙っていることしかできない。仮に話が本当だったとするなら、いや本当なんだろう。そういうことなら冬夜と違う自身の体にも納得がいく。

 自覚したくなくても、時としてそれは己がものだと理解しなければいけない。


「心がそれを拒むか。ならばもう一つ、きな君は――――冬夜君と一緒に居たいかい?」

「……わたしは、とうやの傍にいたい」


 震える唇できなは答える。その言葉に偽りはない。

 しかし、


「それが彼の人生を捻じ曲げてしまってもかい?」

「え」


 天野の言葉にきなは言葉が出ない。目を見開いた状態で固まることしかできなかった。

 別に想定していなかったわけではない。自分が特別なのだと理解した彼女が、凡人である冬夜と一緒に居るということは、冬夜にも危険が及ぶということはこの数分で十分理解していた。だが、頭で理解しても心が冬夜と離れることを拒む。


「きな君が冬夜君と一緒に居るということは、お互いが命を狙われるということ。今回はうまくいったけども、今度きな君を狙って襲ってくる者が、君の力を借りた冬夜君より弱いという可能性は極めて低い」

「うん」


 きなは天野の言葉に返事をする。だがいつもの彼女のように明るい返事ではない。――――自分が一緒に居れば冬夜も傷つけてしまう。

 けれど、


「……それでも。わたしはとうやと一緒がいい」

「彼と一緒に茨の道を歩くのか」


 冬夜が人の子である以上、きなと道を並んで歩くにはそれ相応の努力と才能が必要になってくる。いずれ降りかかる災厄に立ち向かうために。

 分かり切った言葉を放った後、苦い表情を浮かべる天野を余所に、きなは椅子を立つと窓越しに曇った空を見上げる。


「わたしには――――帰る場所がない。それは天野さんも、とうやも、もちろんわたしも知ってる。わたしには昔の記憶がないから、帰り方も分からない。絵本で読んだんだけどね、小鳥さんは生まれた時から帰る場所を持ってる。もしもわたしが神様だとしたら、わたしはどこから生まれてきたんだろうね、天野さん?」


 悲しそうな笑みを浮かべるきなの質問に天野は口を開かない。答えられないのは明白だ。

 でもね、ときなは続ける。


「そんなわたしにとうやは優しくしてくれた。みんなが不思議がっていたわたしのお耳と尻尾を見ても、とうやは……」言葉を濁しながら照れたように、「『可愛い』って言ってくれた。わたしは、そんな優しくてあったかいとうやと一緒に居たい」

「それは君のわがままなんじゃないのか。記憶がなく子供同然な君にこんなことを言うのも酷な話だが」

「うん。そうかもしれない」


 さっきとは違い少し明るい笑顔を浮かべるきな。

 けれどその笑顔はすぐに消える。


「でもね、天野、さん」


 その言葉を境に無理な笑顔が崩れていく。


「本当はわたしね――――とうやに傷ついてほしくない」


 やるせない顔で彼女の頬から大粒の涙がこぼれる。


「とうやがわたしをかばって死んじゃいそうになった時――――ここが苦しかった」


 胸に当てた手は強い力でワンピースを握っていきしわができている。彼女の涙は止まらない。


「えぐ……、とうやの体に何本も刃が刺されていくとき、その光景を見るたびに胸が痛かった」


 天野は彼女の言葉を黙って聞く。


「わたしはひとりぼっちになるのは――――とうやと離れるのはいや。だけど、とうやが傷つく姿を見るのはもっといやだよぉ! とうやが傷つかないためにわたしがとうやの傍から離れなきゃいけないのは分かってる。それならわたしはどうすればいいの……?」

「そんなの直接冬夜君に問えばいい」


 その率直な天野の言葉に驚くきなを余所に天野は玄関へと歩きはじめる。


「私は冬夜君が起きたら彼と戦おうと思う。もし彼が負ければ彼の記憶を一時的に軽く封じ、君を思い出せるかを試してみようじゃないか。きな君がそんなに大切に想っている彼が、わが身を削ってでも必死できな君のことを守ろうと誓っているのかを」

「あ、天野さ」

「このことを彼が起きたら知らせて準備させるもよし。彼の心の内を知りたいならば知らせずにいなさい。――――選ぶ権利は君だけにある」


 そうして天野が柴咲家から出て行こうとしたとき、


「そうだ、冬夜君がいつ起きるか分からないけど、これ」

「なにこれ?」


 きなの方に戻ると、手に持っていた数枚の紙をホッチキスで止めてあるものを渡す。


「よーぐると?」

「体にいいから作ってあげなさい」


 そう言って天野は柴咲家から去って行った。この時、このレシピのせいでちょっとした事件が後に起こるのをこの時のきなは知らない。


 ベッドで事の始終を全て話したきなの表情は暗い。


「それがあの時とうやに秘密にしてしまったこと。わたしはとうやが本当にわたしと居てくれるのか、わたしには分からなかった」


 今にも泣きそうな顔できなはつぶやく。一方の冬夜はきなの話に適当に相槌を打ちながら、彼女の話を黙って聞いていた。その表情にはやるせない笑顔を浮かべて。


「とうや、わたしはとうやのことを――――」


 ふるふると怯えながら言葉を紡ぐきなの頭を、冬夜は優しく撫でた。

 そんな冬夜の行動にきなは驚いたように顔を向ける。


「とうや?」

「そんなことじゃ僕は怒らないよ、きな」


 きなの頭から手を放した冬夜は振り絞る様に声を出す。


「僕だってきなと同じように怖いんだ。弱い僕のせいできなを悲しませてしまうことが。いつか、きなが僕の元から離れて行ってしまうんではないかと」

「それはちがう、とうや」

「だから、僕もっと強くなるよ。僕のことをきなが信じてくれるように」


 そう言って冬夜はきなに微笑みかけると、水に入った桶を取って立ち上がる。


「話も終わったし、早く寝るんだよきな」

「……うん」


 そう言って扉を閉める冬夜に笑顔を向けてきなは眠った。


 天野家の洗面台で冬夜は桶に入っていた水を捨てる。だがその顔は明るくはない。

 (僕ってきなにあんまり信頼されてなかったんだなぁ……)

 情けない話だが気になってしまうのは男の性である。

 けれど、冬夜は春休みの最後の日のきなの言葉を思い出した。


『嬉しい……。わたしはとうやを信じていてよかった』


 空虚な三か月が経った後、冬夜ときなが再び会えた時の泣きながらきなが放った言葉。冬夜にとってその言葉は忘れたくても忘れられず、忘れたくもない。

 例え、自分の全てが壊れても、この言葉だけは残るだろうと冬夜は自負していた。

 だから、どんなにあの時きなが信じていなかったとしても、今の自分を信じていてくれる。そんなきなのために戦うと決めたから、冬夜はきなの言葉に優しく返答できたのだ。


「さて戻ろう」


 水を汲み終えた冬夜はきなの部屋に戻ろうと歩む。


 ――――消えてしまえばいいのに。


 この世全てを恨むような、この世の悪すべてを孕んでいるようなどす黒い雰囲気の声が冬夜の耳に突き刺さる。

 急に聞こえた声にふっと冬夜は後ろを振り向く。もちろんその場所には誰もいない。冬夜の探知能力を使わずともこの部屋に誰もいないことは明白。

 けれど、今までに聞いたことのないその言葉を聞いて、冬夜の額には恐怖からか汗が噴き出していた。



「冬夜君、きな姉ちゃん、ただいま帰った……っすよ」


 夕方ごろ、帰宅した佐野はさっそくきなの部屋の扉を開ける。

 爽やかな風でカーテンが揺れ、夕日が交じり合うきなの部屋。そこには寝ているきなに覆いかぶさるように眠る冬夜の姿があった。

 二人とも熟睡しているらしく、部屋に入ってきた二人に気付くことなく、安らかな寝顔を浮かべながら寝息を立てている。


「うーん、起こしちゃまずそうね~」


 佐野の後ろから、佐野についてきた姉の照が小声でつぶやく。その後、照の片手をくいくいと手前に引くハンドサインを見た佐野はゆっくりと扉を閉めた。

 冬夜が起きて帰る頃には、時計は既に午後七時を回っていた。


 次の日、冬夜ときなはいつも通りの道を歩いていた。照や佐野も一緒で、二人は冬夜達の前を歩いている。


「うーん!」

「その様子だと体調は良いみたいだね、きな」


 のびをしているきなのことを微笑ましく思いながら、ふと思いついた疑問を冬夜は佐野に投げかける。


「結局、きなの風の原因ってなんだったんだろう」

「おそらく、きな姉ちゃんの力を冬夜君が使いすぎたのがいけなかったんじゃないかって踏んでるっす」

「僕、力使いすぎてたの……?」

「通常、神力と言っても持ってるから使いこなせるって訳でもないんだよね~。正しい使い方を知って、それを練習して初めてちゃんとした出力に変わるんだ~」


 ぴたっ、と止まった照は後ろを振り返り、


「でも、きなちゃんの力は未知数だし、本人も他の誰も知らない。故にその力の使い方を知るには……二人の努力によるのかな~!」


 立ち止まっていた冬夜ときなに照は指を指しながら言った。


「俺達はそれぞれで自分の力の使い方を知ったっす。勉強があんまり好きじゃない俺達が出来たんすから、きっと二人にも出来るっすよ」

「そのための協力も惜しまないよ。だってウチ達友達だもん」


 笑顔の佐野に抱きつきながら、照は嬉しそうに喋る。「や、止めるっすアネキ」と少々照れながら引き離す。一方の照はいつものように楽しそうな笑顔を浮かべている。


「そっか……そうだよね。ありがとう二人とも。僕、頑張るよ」

「きなも、がんばる!」


 二人の思いを再確認した照と佐野は、微笑んだ後前を向いて歩きはじめる。


「じゃあ先行投資として冬夜君のお弁当のおかず一個貰うっすよ」

「話が違う!」

「きなも食べるっ!」

「きなはいつも食べてるよね!?」

「大変だね~、冬夜君。あはは」


 こうして四人は再び登校するために歩みを進める。

 でも冬夜は気付いていない。この時から既に自らも深刻な病に片足を突っ込んでいることを。風邪など比較対象にもならない、人間のみにかかるこの世界の理に背いた禁断の病に。


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