ショートストーリー ~尻尾の風邪事情~ 上
県立神岡高校。
生徒数計三百人を超える人数が通う高等学校。人間や異種族が程よく住んでいるこの町のおかげで様々な生徒が入学してくる。偏差値は平均よりも上回っているため、大半の生徒は進学を希望するのがあたりまえ。
敷地は土地代が都会よりも安いせいか大きく、体育館やプールの設備も整っている。草木も適度に校舎の周りに植えられているため環境は良い。校舎本体は歴史があるせいか古く感じるが、改築工事が進んでいるおかげかまだ数年は持ちそうな雰囲気が漂う。
「おーい、冬夜!」
眩しすぎるくらいの朝日が照らすクラスに一人の男子生徒の声が響き渡る。彼はクラスに入ってきたばかりで、紺色のスクールバックを整理している柴咲冬夜に近づく。
時詠月菜の事件が発生してから数日が経った後、柴咲冬夜、もちろん襲ってきた時詠月菜達も今まで通りの学校生活を満喫していた。
もっとも……、
「なぁ教えろよ冬夜~、他のクラスの時詠とはどんな状況なんだ? お前には四季上がいるのにどういうことなんだよ~?」
「月菜とは友達なだけだよ。それにきなだって別に彼女ってわけでもないし」
朝の教室、来たばかりの冬夜は荷物整理をしながら困り気味に親友に返答した。
会話の通り、あの朝のことがあったせいで冬夜の周りには良くない噂が出回っている。
交際している関係なのか、いつも楽しそうに行動をともにしているきなのことはどうするのか、二股交際なのか、などなどデマが広まっている状態。
そんな冬夜の状態を楽しむかのように親友である新条諦は、笑顔で冬夜に質問攻めをしている。
「大体、そんなこと聞いてどうするの」
「いや、どうもしないけどさ」
「それに諦、僕は何度も言ってるじゃないか。僕に彼女なんてできるわけないって」
「そんなこと言って、最近のお前の行動を見ている奴らのどれだけが信じるんだろうな」
諦はそう言ってどこか遠くを見る。それはまるで親友である冬夜のことを信頼していない様子である。そんな状態の彼に冬夜は、彼がどうして遠くを見ているのかの理由が分からないのでとりあえず諦に尋ねた。
「それどういうこと?」
「それはだな……」
そうして諦が話し始めたのは、とある生徒から聞いた先日の冬夜ときなの行動について。
冬夜も諦の話を聞きながらその日にどんなことがあったのかを思い出す。
放課後の廊下。窓の隙間から夕日が照らす廊下を、冬夜ときなは楽しそうに並んで歩きながら、放課後は何をしようかについて話していた。それは周囲からまごうことなく恋人同士のように。
「今日もどこか行く? 僕は宿題ないから付き合えるけど」
「わたしも宿題ないよ」
「そうだろうね、きなは物分かりがいいからね。えらいえらい」
「にゃ」
そう言って、冬夜は笑顔できなの頭を撫でる。一方のきなも嬉しそうに笑顔を浮かべた。同時に彼女の白い尻尾も感情と同様に揺れる。
「それじゃ、今日も商店街行こうか」
「ほんと!?」
「うん。その様子だときなはずいぶんと気に入ったんだね」
「だって、商店街はおいしいものいっぱいあるんだもん。それに面白いものもいーっぱい!」
きなは楽しそうに身振り手振りで冬夜に気持ちを表す。
冬夜の町、神岡町は数年前まで全国と比べて知名度があまり無い場所であったが、今年作られた商店街が成功し、現在では多くの観光客が訪れている。
日々新しいもの、昔から存在する古いものが交じり合っているこの町の商店街が、きなの好奇心をくすぐるようだ。
「じゃあ早く行こうか。時間ももったいないし」
そう言って、冬夜はきなを置いて小走りを始める。
「とうや、廊下は走っちゃダメなんだよ!」
「大丈夫、この時間先生いないから。早く行くよ」
「ま、待って」
急かす冬夜の後ろを、きなも小走りで追いかける。
きなが冬夜に追いつこうとしたとき、突然きなの足がもつれた。その拍子にきなは転びそうになる。
「あ、」
きなが間の抜けた言葉を放った時、彼女の様子がおかしいことを察した冬夜は後ろを向く。そして、一秒にも満たずに事態を理解した冬夜は、すぐさま体の正面をきなの方向に向き直す。
「きな!」
間一髪、転びそうだったきなを冬夜は受け止め、飛び込んできた衝撃を重心移動で殺し、冬夜は自分ときなが転ばない様に踏ん張る。
その後、受け止めたきなを心配するように、冬夜はきなに優しく言葉をかける。
「大丈夫、きな?」
「ありがとう、とうや」
そう言って離れるかと思われたが、きなは一向に離れない。
離れる気配のないきなに困ったように冬夜はきなに問いかけた。その間にもきなは冬夜の胸に顔をうずめている。
「どうしたの、きな」
「とうやあったかい。もうすこしこのまま……」
「時間なくなっちゃうよ?」
「うん」
瞳を閉じたきなはそのまま数分間、冬夜に抱きついて彼の温もりを感じ取っていた。
「ということがあったらしいな」
「な、あの時人はいなかったはずなんだけど。どこの情報!?」
「はぁ……」
話している途中で嫌そうな顔を浮かべ、あげくため息を付いてしまった諦に、冬夜は焦り気味に問い詰める。
無防備にも誰もいない廊下であんなことをしてしまっていたことへの後悔、同時にそれを見られていたという羞恥に冬夜は動揺を隠せない。
そんな冬夜をさらに貶めるように、
「実はまだあるんだぞ。……これは時詠と一緒にいたって聞いた」
「まだその手の話あるんだ」
続けて諦は仕入れた情報を語り始める。
時間は昼の休み時間。いつものように冬夜がきなとお昼を食べようとしていた時の話である。
「柴咲、別のクラスの時詠がお前に用があるって」
突然、クラスの中でも一際目立つ長髪を持つ男子生徒が冬夜に向かって叫んだ。その瞬間、月菜との噂が広まっていたということもあり、クラスメートの視線が冬夜に集まる。
冬夜はその視線を痛く思いながらも、
「なんだろう。ごめんきな、遅くなったら先にご飯食べてて」
「分かった。いってらっしゃい」
冬夜はクラスメートの視線を避けながら、お弁当も持たずに廊下に小走りで向かう。
そうして、お弁当を両手で持ちながらどこか忙しなく廊下に立ち尽くしている時詠月菜の元に近づく。
「どうしたの時、……月菜」
「……一緒に、お弁当」
駆け寄ってきた冬夜に、無愛想ながらも精一杯の微笑を浮かべる月菜。そんな冬夜に悟らせるように、静かに、それでいて力強く言葉を放つ。
月菜はお弁当を一緒に食べたいのか、と理解した冬夜はきなを大声で呼ぼうとするが、冬夜の行動に気付いた月菜に裾を引っ張られたせいで言葉が詰まった。
月菜の方をみると、さっきの精一杯の微笑とは裏腹にいつもの無愛想な顔に戻っていた。それどころかいつもより機嫌を損ねているようにも見える。
「二人で……行こ」
「って、月菜!? 僕お弁と――――」
そんな小さな体からどうやったらそんな力が出るのか、と思えるほどの力で月菜は素早く冬夜を引っ張ってどこかに向かっていく。
無論、そんな彼らは廊下で歩く人々の中でも極めて目立っていた。
彼女が冬夜を連れてきたのは、いつぞや冬夜も訪れた学校の屋上。数年前と違いフェンスなどが現在の技術で強化されており、生徒が自由に使用していいことになっている。
呼吸と服を整えている冬夜をよそに、月菜はフェンスの下の土台に背中を預けるようににちょこんと腰を下ろす。冬夜もそれを見習うかのように少し距離を開けて座る。
そんな冬夜の様子に不満そうな声で月菜は口を開く。
「どうして……間を開けるの?」
「どうしてって、女の子の隣ってなんだかどきどきしちゃうから」
「どきどきしてても……いい。大丈夫」
そう言って冬夜を急かそうとするのだが、その後も動かない冬夜に痺れを切らせて月菜が冬夜の隣に寄り添う。
「近くない?」
「……」
月菜が間近にいることを意識している冬夜を余所に月菜は持ってきたお弁当を開く。中身はご飯が四割、おかずが六割ぐらいの至って平凡なお弁当なのだが、お弁当箱のサイズが小さく、彼女が小食であることが伺える。ご飯の上にはシンプルなごま塩ふりかけ。おかずはほとんどが一口サイズのように小さい。
その一つ一つを月菜は丁寧に箸で口に運ぶ。
お弁当を持ってきていない冬夜は、月菜が堂々と隣で食事していることに驚くのと同時に、自分がお弁当を教室に忘れてしまったことに気付く。
冬夜のがっかりした様子に気付いた月菜は、冬夜の手元に気付いて、
「……お弁当ないの?」
「月菜に引っ張られたからお弁当教室に忘れてきちゃったんだよ」
「……ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないよ。それに、人間一食抜いても平気だから。……次が体育だったら死んでたけど」
あはは、と笑う冬夜の隣で月菜は静かに笑みを浮かべた。そしてお弁当の一口サイズの玉子焼きを冬夜の口元に運ぶ。同時に片方の手も玉子焼きが落ちない様に添えられている辺り、丁寧な彼女らしい。
「このお弁当……私の手作り」
「そうなんだ。お母さん入院続きだったからかな」
「うん。お口に合わないかもしれないけど……食べてみて」
「食べてって、ただでさえお弁当少ないのに、それにこの構図って」
あーんの構えだよね、と言う前に冬夜は口を閉じる。可愛らしい少女と一緒に居るのもどきどきするが、そんなことを言ってしまうのも恥ずかしいようだ。
だが、月菜は冬夜の考えていることなどお見通しのように、
「……あーん」
と不満そうに、それでいて恥ずかしい様子で月菜は冬夜の口元に箸を近づける。
「……ん」
待たせるのは彼女に悪いかな、と自分への言い訳を作って冬夜は差し出された玉子焼きを口にする。なるべく箸に口をつけない様にしながら。
「……おいしい」
「本当に?」
「うん。僕もいくらかお料理するんだけど、月菜のも結構おいしい」
「そっか、よかった……」
月菜が安堵のため息をついたとき、学校中に大きなチャイムが鳴り響く。それは午後の授業が始まる五分前を意味しているチャイム。
チャイムを聞いた途端に冬夜は立ち上がって、
「もうこんな時間か。それじゃ月菜、おかずありがとう!」
挨拶だけ済ませると、全速力で教室への階段を下って行く。次の時間は歴史を担当している天野なので遅れると何かと面倒なのだ。
そんな冬夜の後姿を見送りながら、残り僅かのお弁当を片付ける。
お弁当をお預けしてしまったのは少し心が痛いが、彼が自分の料理を「おいしい」と言ってくれたのが、彼女には今日一番で嬉しいことだった。
「ありがとう……か」
自分が彼にしたことは絶対に許されないはずなのに、彼はあんなにも優しく優しい笑顔を私に向けてくれる。そんな冬夜の姿に月菜の心は締め付けられる。
忘れようなんて思わないし、忘れることは出来ない。
傷ついたのは彼だし、助けてくれたのも彼だ。――――そんな彼に私は何ができるのだろう。
春風が吹き続ける屋上で月菜は空を見ながら考える。答えは一つとして思い浮かばない。自分が冬夜のために何をすればいいのか、そしてこの胸の恋心を本当に彼にぶつけてしまっていいのか。
紫のクセ毛を風に揺らしながら、月菜も屋上を後にした。
「屋上に行ったという情報までだが、どうせ二人でいちゃいちゃしてたんだろ。大体予想つくぜ」
「そんな、いちゃいちゃなんか……」
「大方、昼時だったし弁当でも食べさせてもらったのか? あーん、なんて言いながら」
「……」
「無言ってことはおい、冗談で言ったんだが図星なのか」
「大変お話づらいのですが、そうです」
「はぁ。お前知らないだろ。何気に時詠が学校でも人気高いのを」
「そうなんだ」
知らなかった。というか最近知り合ったばかりの冬夜にとっては知らなくても当然である。
何も知らない冬夜に、諦は話を続ける。
「成績は優秀、ミステリアスでクールだけれど小柄で守ってあげたくなる見た目が男子にはそそるらしく、一部の男子には好評らしい。それをお前が独占してるんだからなぁ。転校生の四季上といい今年は敵を作りやすいのかもな、冬夜」
「嫌な予言しないでよ。それにしたって諦は寺の息子なんだからさ」
「それとは関係……ねぇよ」
諦の家は代々寺の住職なのだが、二次元趣味をこじらせてからは寺を継がないことを決めているらしい。それ程今の諦にとって趣味は重要なのだ。
「ところで、僕のことばっかりだけどそっちは何か無いの。こういう話」
「あぁ、それをおれに聞くか」
諦は先ほど冬夜の恋事情の情報を語っていた時程ではないが嫌そうな表情を冬夜に向ける。その顔には怒りでも悲しみでもない感情を浮かべている。
頭を軽く掻いた後、ため息をついた。
「別に恋の悩みじゃないけど、城ヶ崎のことはほったらかしにして大丈夫か? 最近元気がないように見えるんだが」
「ほぅ……、諦は彼女を」
「違う。おれのタイプではないはずだ」
「そう」
なんだ、と冬夜はいつもの笑みを浮かべる。
「所でどうなんだ?」
「う~ん、別に気にする程ではないと思うんだ。いつも挨拶すれば返してくれるし、話しかけても返してくれる。だけど、」
「だけど?」
「なんか避けられてる気はするんだ。席が離れて話す機会も減っちゃったからあまり違和感ないけど。と思って僕から聞いたんだけど城ヶ崎さんは何も教えてくれないんだ。あの様子だとだぶん僕のせいだと思うけど」
冬夜は状況が分からないと首を傾げるが、悩みがあれば話してくれればいいのに。と困ったように笑う。
そんな冬夜に何も言うことができなくなってしまった諦はため息をつく。
「女って難しいな」
「少しは理解したいとは思うけど難しいよね」
「所で、そろそろチャイムが鳴るが、いつも一緒に登校している四季上は今日どうしたんだ?」
腕を組みながら冬夜の机にちゃっかり座っている諦は、きなの机を見ながらそう言った。時計は四分後に授業が始まる針を刺している。
「今日はきなは体調不良なんだ。風をこじらせたみたい」
「そうなのか。大事にならないといいな」
机から立ち上がった諦は冬夜を背に、手をひらひらと仰ぎながら自分の机のある方向に向かう。場所は大体城ヶ崎の机の後ろに位置している。
諦が座ったことを確認した冬夜は、教室の窓ガラス越しに外の校庭を見つめる。もしかしたらきなが遅れて来るのではないか、という期待を込めて。
けれど、遅い時間なので校庭には見回りの先生ぐらいしか立っていない。
丁度、朝のホームルームの時間のチャイムが鳴り響き、
「みんなー、おはよう!」
ドバン! と教室のドアを轟音を立てながら開けて担任の天野が教室に駆け込んできた。もうこれは半ば日課になっており、耳の良い生徒が耳を塞ぐのも同じように定番になっている。
「それじゃあ、ホームルームを始めよう。今日は四季上さんだけ風邪で欠席なのでよろしく」
天野の言葉を聞いてきなが欠席だということを確認した冬夜は、持ってきていた本をバッグから取り出す。挟んでおいたしおりを机の隅に置くと本を読み始めた。
けれど、心の中ではやはりきなのことが心配で内容なんて入ってこない。
(大丈夫かな、きな)
冬夜にとって、きなのいない一日が始まった。




