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僕と尻尾の冬休み  作者: 柴健
僕と尻尾の恋戦編
18/30

救世主は矢の如き光輪

 気が付いた冬夜の目の前には、見知らぬ女性が自分の顔を覗き込んでいるのが見えた。ぼんやりとしながら彼女の顔を見る。整った顔立ちはお日様のように優しく、瞳も大きくて丸い。どうやら美人さんのようだ。

 そして冬夜は自分の後頭部が暖かく柔らかいことに気付く。


「あのさ、そろそろ起きてくれないとウチの足が痺れちゃうんだけど?」


 彼女は冬夜の上から困った表情で話しかける。そう言われてやっと、冬夜は自分がこの女性に膝枕してもらっているという事実を理解した。

 理解したと同時に飛び起き、彼女から距離を取って土下座する。迷惑をかけていたのなら尚更だ。


「ご、ごめんなさい!」

「いやいや、ウチが好きにやっていたことだし~」


 にぱっ、と明るい笑顔を冬夜に向けながら彼女は片手をひらひらと揺らす。相手を動揺させないように気楽に。同時に後ろで縛っている黒い彼女のポーニーテールも揺れていた。


「あ、あの。あなたは誰ですか?」


 冬夜はさっき自分が襲われていた時のことを思い出し、(助けてもらって失礼だが)警戒しながら彼女に尋ねる。

 すると彼女は少しだけ困った顔をして冬夜の質問を答える。


「もしかしてきなちゃんと佐野から聞いてないかな」

「いえ、何も」

「……早いな~」


 彼女は冬夜の即答に動じながらも、コホン。と咳払いして続けた。


「ウチは天野(あまの)(てらす)。まぁ、佐野の姉だよ」

「なっ、」

「ついでに、さっき君を助けたのもウチだ。この弓矢でね。って言っても覚えてないかな」


 照は頬を指でかきながら、気楽に笑う。

 だが、冬夜は覚えている。気を失う直前にフードの少女を狙って放たれた矢が地面に刺さる瞬間を。自分のことを助けるために放たれた矢を。それに彼女の手元には紅く美しい弓もある。矢はどこにも見当たらないが、恐らくさっき使用したものだろう。

 照を信じるには十分すぎる証拠だ。

 冬夜は警戒を解いて、和解の笑顔を照に向ける。


「助けてくれてありがとうございます。知っていると思いますが、柴咲冬夜です」

「うん、知ってる。きなちゃんのハートを射抜いた色男でしょ?」

 

 あまりの台詞に冬夜は咳き込む。その様子を見ていた照は声を出して笑った。


「ごめん。……ふふっ、冗談だよ」

「笑いながら言っても説得力の欠片もありませんよ」


 冬夜は口をぬぐいながら照に非難の言葉を吐いた。ふと、自分がいる空間……青空とのどかな草原の中で、一際目立つ程の優しい太陽が昇っているこの空間。自分がいる場所が、夜の時間帯なのにも関わらずとても暖かいことに気付く。

 熱いというわけではなく、優しい温もりが部屋中を包んでいた。――――そして『神域(ゴド・フィールド)』の感覚も感じる。

 最近になって気付いたがどうやら『神域(ゴド・フィールド)』には個人の特徴が出てしまうようだ。冬夜にはどういう仕組かは分からないが。


「そういえば、あなたは何で入ってこれたんですか。――――あの場所に」


 あぁ、そのことか。と彼女は自分の弓を自慢のように見せつける。

 特に何の仕掛けもなさそうな普通の赤い弓に見えるが、彼女は説明をしてくれた。


「この弓には神力無効化の力が混ざっていてね。自分と同等、またはそれ以下の力を持つ者が発生させた神域(ゴド・フィールド)に少しだけ穴をあけることができるの。逆に自分以上の力を持つ者が発生させた神域(ゴド・フィールド)には効果がないけどね」


 彼女は偶然通りかかったところに突然発生した神域(ゴド・フィールド)の中に感じた冬夜ともう一つの気配を怪しく思い、己の弓矢を使って入ってみたところ、冬夜が危険になっているのを見て助けてくれた。ということらしい。


「それは本当にありがとうございました、お姉さん」

「いやいや~。……ん、お姉さんって?」

「え。だって佐野のお姉さんってことは、僕より年上ですよね。どおりで綺麗な……あれ?」


 冬夜の目の前で照は震えていた。噴火寸前の火山のようにぷるぷる、と。

 彼女の震えが止まったと思うと、今度は黙って弓を冬夜の方向に構えはじめる。しかし手元には矢などない。

 突如、彼女の右手から輝く矢が現れた。彼女の神力で作られたそれは弓のまえで、ギリリ、と音を立てて素早く構える。輝く矢の矛先は――――柴咲冬夜に向けられていた。

 ヒュン、と風切り音が冬夜の耳の横を通り過ぎる。

 その後彼女の手の矢が自分の顔の横を通り過ぎたと理解した。

 冬夜は思う――――自分が一体何かしたのだろうか、と。

 彼は直前のことを思い出す。ただ、『それは本当にありがとうございました、お姉さん』と言っただけだ。

 だが、冬夜は気付かない。自分が言った最後のキーワード、『お姉さん』がこの場において最大の地雷であることを。

 そうとは気付かない冬夜に照は続けざまに神力で創造した矢を構える。構えた後、半泣きになりながら怒声と共に弓を離した。


「ウチは君と同い年だああああああああ!!」

「ご、ごめんなさーい!」


 時すでに遅し。冬夜が謝罪の言葉を放った後には、空間を覆うほどの砂埃が舞い散った。



「で、照。それはどうしたんだい?」

「はい。ウチがとどめを刺したようなものです。父さ……父上」


 ここは天野家。その玄関に立っているのは、好青年のように見える風貌だが冬夜のクラスの担任、天野。もう一人は大人の女性のようなスタイルを持つが、少し幼さが残る黒髪高校生、天野照。照の背中にはちょっと前まで凡人だった高校男児、柴咲冬夜が気を失った状態でおぶられている。彼の体には泥がついておりボロボロの状態だった。

 天野は照に笑顔で問う。もちろん笑顔といっても目は笑っていない。彼にはほとんどの事情が分かっているのだから。


「それは照子が悪いのかな? それとも冬夜君が悪いのかな……?」

「はい、ウチです」

「……反省はしてる?」


 照は父である天野の前で首を前にぶんぶん振る。

 その行動に天野はため息をつくと照子を家の中に入れてリビングに向かわせると、電話のある自分の部屋に向かった。もちろん昔の懐かしい黒電話ではなく近代で使われているような普通の電話である。

 次に天野は電話の番号を数回プッシュすると、受話器を自分の右耳に当てて応答が来るのを待つ。

 ガチャリ、という音とともに柔らかい女性の声が耳に届く。


『はい……?』

「あのもしもし、私は天野といいます。こちらは柴咲冬夜君の家の電話番号で間違いありませんか」

『はい、間違いありませんよ』


 電話の相手を確認した天野は一息置くと言葉を続ける。


「私は冬夜君の担任を務めています、天野です」

『あら学校の先生でしたか。冬夜がお世話になってます。ところで冬夜に御用ですか?』

「いえ、冬夜君を私の家で預かっているのでそのご連絡をと」

『冬夜が何かしたのですか?』

「何かというほどでもありません。彼に勉強を教えてほしいと言われたので、よかったら私の家でと誘ったのです」

『そうですか。冬夜は邪魔になっていませんか?』

「とんでもないですよ。……ところで今日は少し時間がかかりそうなので私の家に泊まらせてもよろしいですか?」


 電話越しに声は帰ってこず、受話器からは沈黙しかない。

 少し怪しすぎたか。と天野が焦っていると言葉が聞こえてくる。


『構いません。冬夜も勉強を教わりたいでしょうし、それに同姓の先生なら間違いはないでしょうし』


 それに、と彼女が続けた後、受話器越しの雰囲気が変わったように天野は感じた。


『冬夜なら何があっても大丈夫ですから』

「そうですか、わかりました。息子さんは大事に預からせていただきます」


 それでは、と挨拶をすると受話器から接続が切れる音がしたので、天野は静かに受話器を戻す。


「『何があっても大丈夫ですから』……か」


 冬夜の母親から聞いた言葉を天野は呟くように復唱する。

 天野一人しかいない部屋に言葉が響いては消えていく。



「……よっと」


 天野が電話をするために部屋に向かっている間、照はおぶっていた冬夜をのソファーの上に腰かけさせる。

 気を失っているせいで体の力が働いていない人間を座らせるには少し手間取るはずだが、彼女は難無くこなす。


「さて、これからどうしたものか」


 照は冬夜の前で唸りながらつぶやく。

 さすがに汚れている少年をこのままにするのも何か悪い気がする。元々は自分のせいなのだから。

 かといって眠っている少年の衣服を異性である自分が脱がすのには、いささか抵抗がある。

 勿論、ウチには父や弟がいるが、それとこれとはまた別次元の話だ。なんせ他人だし。


「とりあえず、上着だけでも脱がせておこう」


 一番汚れの目立つ制服のブレザーを冬夜から脱がせることにした照は、彼のボタンを上から順にプチプチと外していく。ボタンをはずし終えると今度は手際よくブレザーを脱がす。

 冬夜のブレザーを脱がすのにそんなに時間はかからなかった。

 なんせ子供のころから弟が自分に世話を焼かせるのだから、こんなことを手際よく覚えてしまうのも仕方ない。

 とりあえず照はブレザーをハンガーにかけると、窓のところにあるカーテンレールにハンガーを引っかけた。


「次は……」


 考えながら冬夜の方に顔を向けた照はドキリとする。

 (結構可愛い寝顔してるんだね~)

 むふふと照は冬夜のことを眺めるが冬夜が起きる気配はない。

 それが分かると照は瞳を輝かせて笑顔に変わる。


「起きないならいいよね~……」

「……照!」


 冬夜に触れようとしていた照の背中に男の怒声が刺さる。

 その声の主が分かっている照は、肩を震わせながら恐る恐る後ろを向く。


「あの……お父さん……?」


 振り向いた先にはさっき自分と対面していた時のように、笑っていない笑顔を浮かべている天野の姿があった。いや、さっきよりもさらにすごい剣幕で。

 次の瞬間、天野家に照の悲鳴が響いたのは言うまでもない。


 ふと目を開けるとそこは家の天井。だけれど冬夜はその天井に見覚えはない。

 ぼんやりとしている頭で冬夜は考える。ここにいる前に自分は何をしていたのかを。

 靄がかかっている記憶の中を探ると、目の前にいるのは黒いフードを被った少女の姿。その少女が自分を攻撃してきたこと、さらには別の少女に弓矢で助けてもらったこと、そして弓矢の少女に最後は殺されかけたこと――――全て思い出した。


「――――――はっ!?」


 恐怖しか残っていない自分の記憶、そしてここはどこなのかを確かめるために冬夜は体を素早く起こす。

 そして視線をあちらこちらに向ける。

 あちこちを見ているときに冬夜は不可解な光景を目にした。


「まったく、私の娘だというのにどうしてこんなにも変な方向に成長してしまったのだろうか……」

「ごめんなさい」


 目の前には正座をしている弓矢少女、天野照。その目の前できれ気味に説教をしている天野。

 冬夜にはまったく状況が読めなかった。

 その時、天野は起き上がった冬夜に気付いたのか、照への説教を途中で中断させると、冬夜にさっきとは全く違うぱっと明るい笑顔を向ける。一方の照子は危機を脱出できたせいかほっとした表情を浮かべ

ていた。


「おはよう冬夜君、気分はどうだい?」

「えっと、体の節々が痛いです」

「へぇー、そうかい――」


 天野は冬夜と会話をしながら照に目を向ける。

 その瞬間、彼女の方は大きく揺れ、次には冬夜に両手を合わせて謝罪のポーズをしていた。

 冬夜にはこの家の序列がある程度分かった気がした。何となくだけど。

 照に向けていた視線を冬夜に戻すと再び口を開く。


「娘が迷惑をかけたようだね。あの子には君の監視を頼んでいたのだけれど」

「監視?」

「そう、監視。佐野からは聞いている。今の冬夜君は力を使えないのだろう」


 冬夜は黙ってうなずく。異存はない。


「だから念のためにと照に君を見守る様にと言ったのだが……」

「あはは、ごめんね~冬夜君」


 後ろでまとめた髪を掻きながら自嘲気味な笑顔で謝罪する。


「いえ、僕は別に……。それに助けてもらったのは確かです。もしあの時、照さんが助けてくれなかったら僕はあの娘に連れて行かれていたことでしょうし」


 言葉の途中で冬夜は下を向いた。

 力のない自分はとても無力だということに悲観したためだ。

 彼女の力を借りなければ自分は誰も守ることはできない。自分はここまで弱いという事実に。

 そんな事実にただ少年は歯ぎしりする。


「そんなに悲観するなら強くなるために努力すればいいじゃない」


 ふと照は悔しそうな声を漏らす。その声を聞いて驚いた冬夜は頭を上げた。

 そんな冬夜を気にせず、元のトーンで照は続ける。


「そういう風に自分は誰かを守れないって悲観するのは別に悪いことじゃないと思う。だけど何も守れないって分かってて何もしないのは別だと思うな、ウチは」 

「……はい、そうですね」


 照の言葉に納得した冬夜は、何か行動を起こそうと立ち上がろうとするが、さっきの疲労が残っているのかふらつく。


「さすがにその体で努力するのは無理みたいだね冬夜君。君はシャワーを浴びてきなさい。今日は私の家に泊まっていいから」

「泊まっていけって、いいんですか?」

「別に私に困ることは無いよ。私は冬夜君を信頼しているから」


 あはは、と笑いながら天野は冬夜と照を置いてリビングを出て行った。

 残された二人は顔を見合わせる。

 すると急に己の体を押さえた照は叫ぶ。


「ウチは食べてもおいしくないよ!」

「何の話ですか!?」


 その後、とりあえず冬夜は天野家の風呂を借りて体を洗い流すと、自分用に天野が用意してくれた寝巻に着替えた。少しサイズが大きいのは仕方ない。

 着替えた後、風呂に入る直前に天野に言われていた部屋を探し始める。


「確か階段を上ってドアプレートがない部屋って言ってたっけ」


 冬夜は階段を上るとそれぞれ部屋の扉を見た。

 部屋はいくらかあったがドアプレートのない扉の部屋は一つしかなかった。ほかの部屋の扉には、『照のへや』とか『サノの間』などのドアプレートが扉の前に掛けてあり迷うことは無いだろう。

 そして今、冬夜はプレートの掛けてない扉の前に立っていた。どちらかというと疲労のせいでかろうじて立っているという状況だが。

 冬夜は重たいまぶたを擦りながら静かに扉を開ける。静かに開けたのは、照や佐野を起こさないようにするためだ。

 開けた扉の奥の部屋が、多少薄暗いが冬夜の目に入る。

 てっきり物置のようなところに適当に布団が敷いてあるだけだと思ったのだが、まるで誰かがいましたと言わんばかりの生活感にあふれている部屋だった。

 特にベッドや勉強机が暗い部屋の中でも存在感を溢れさせている。

 一旦、部屋の電気を付けて確認しようか、と考える冬夜だったが、疲労による睡魔が確認したい思いよりも強くなってしまい、目の前にあるベッドにまっすぐ向かうことに決定。

 冬夜はベッドの上に倒れるように寝転がる。布団からはどこか甘い匂いがしていて、さらに睡魔を加速させる。

 (とりあえず……寝よう)

 冬夜は瞳を閉じて今日に別れを告げた。


 窓から漏れる太陽の日差しと小鳥のさえずりで彼女は目を覚ました。

 布団から出ている顔についている獣耳を震わせている彼女の名前は四季神きな。生を受けたときから最強の神様であることを命じられた少女。そんな彼女の過去を知る者は冬夜ただ一人。本人だって覚えていない。

 そんな彼女は今は天野家に住まわせてもらっている。

 目覚めたベッドも天野家から借りているものだ。

 だが、その借りているベッドに彼女は違和感を覚えていた。

 なぜなら、自分がかぶっている布団が今日に限ってとても重く感じるから。彼女には昨日上に何か置いた覚えはない。

 ふと、きなの耳に小さい寝息が聞こえてきた。

 それを確認するために彼女はおそるおそる布団の上を覗く。布団の上には見覚えのある少年――――柴咲冬夜が幸せそうに眠っていた。

 そんな事実に彼女の頭は混乱する。


「え、とうやが何でわたしの部屋に? 今は一緒に暮らしていないからいるはずが……」


 小声でつぶやいた彼女は一つの答えにたどり着く。

 (なんだ、夢か)

 混乱していた彼女はこの事実を『夢』として認識することにした。

 夢にしては少しリアルな気もするけど、と心の中では少し疑いながら。

 夢と理解したきなはさっそく冬夜の肩に触れる。自分が想像している通りに温かい彼の体に、彼女は懐かしさを感じて顔の筋肉を緩ませた。

 次に、寝間着姿の彼女は布団の上に移動すると冬夜の胸元に再び寝転ぶ。春先なせいか布団をかぶらなくても部屋の中はそんなに寒くない。

 温かい冬夜の体温、生命活動を続ける冬夜の鼓動、彼女は眠っている彼に寄り添いながらそれらを感じていた。

 夢の中なら何をしても誰にも怒られないから、と。

 彼女は一番好きな人の元で幸せを感じていた。


 だが、そんな幸せはすぐに終わりをつげ、喜劇へと変わる。


「んぁ……」

「にゃ?」


 彼は小さなうめき声をあげると同時に薄い瞳を開ける。

 一方の彼女はその反応にびくりとしながら彼の顔を見た。

 二人の視線が合う。


「あれ、きな?」

「と、とうや……?」


 寝ぼけ眼を擦りながら冬夜は目を開ける。そしてこの場に起こっていることが現実であることを確認するために、自らの頬を軽くつねった。

 痛い。

 どうやら今の状況は夢ではなく――――現実。

 冬夜の顔が青ざめる。

 一方のきなも、冬夜の青ざめる顔を見て、「これは夢じゃない」という事実に気付く。

 気付いてすぐにきなも冬夜とは別に顔が紅潮していた。


「あはは……おはよう、きな」

「おはよう……とうや……」


 会話こそ簡単に聞こえるが、そんな簡単さに似合わないほど二人の会話はぎこちなく、乾ききっている。

 次の瞬間、この訳の分からない状況が耐え切れなくなった二人の悲鳴は、静かな天野家に響き渡るのであった。


 あれから学校へ行くための支度を終えた冬夜は年齢に合わないほどに疲れ切った顔をしながら、きなと一緒に通学路を歩いていた。

 その理由は至極簡単である。

 悲鳴を聞いてやってきた佐野に不法侵入者に勘違いされる、その後にやってきた照にあることないことを言われ、佐野に油を注がれて誤解を解くのに散々時間を使った、極めつけはこの状況を作ったのは実は天野本人という衝撃の真実。……疲れないはずがないよ。


「えっと、大丈夫、とうや?」

「うん……なんとか」


 悲壮な顔を浮かべながら返事をする冬夜に、きなは掛ける言葉が見つからずに困った顔をする。

 静かな二人の空間には、昨日の冬夜が風呂に入っている間に、照に拾ってきてもらった自転車のチェーン音が虚しく響く。

 そんな中、きなは少し照れ気味に口を開いた。


「そういえば昨日の約束、とうやはちゃんと守ってくれた。……ありがとう」

「まぁ、ある意味ではそういうことになるね」


 きなの精一杯の笑顔を見たせいか、冬夜の声のトーンが少しだけ上がった。

 好きな子に感謝されるのが嬉しいのは、冬夜とて例外ではないのだ。

 気分を良くした冬夜は、きなに笑顔を向けると片手で自転車を持つと、もう片方の手で彼女の手を引く。


「ほら、早く行くよきな!」

「……うん! 待ってよとうや!」


 手を引かれたきなは、最初は驚いた表情になったがすぐに笑顔に戻る。彼女にとって冬夜と一緒に学校に行くことは、彼と一緒にいられることは、きなにとっての幸せなのだから。

 二人は小走りしながら学校に向かう。

 そんな二人の上には、眩しい太陽の日差しが降り注いでいた。

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