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僕と尻尾の冬休み  作者: 柴健
僕と尻尾の恋戦編
17/30

ひとときの境目

「えぇ、私が悪かったです冬夜君。だからその形相で睨むのはやめてください」


 柴咲家を訪れた天野だったが、家に入れてもらうなり冬夜から多くの仕打ちを受けていた。受け取るときに茶の湯呑の中に指が混入、あげくには塩まで入っていてしょっぱい。

 天野の願いを受け入れた冬夜は仕方なく顔を和らげた。


「まぁいいですけど。なんでそんな大事なことを黙っていたんですか?」

「いや実は、二人はもう恋人だから既に契約しているんじゃないかと思っていたんだ」

「なっ!?」

「……コイビト?」


 恋人。思春期のせいか、冬夜はその単語を聞いて驚きの声を漏らす。隣にいるきなのほうは分かっていないのか、きょとんとしていた。


「契約とは相手と通じることだからね。君たちの仲ならすでに契約していてもいると思っていたのだが、その様子からだとまだみたいだね」

「それにしては父さん、冬夜君ときな姉ちゃんの契約期間……『仮契約』にも関わらず、ついさっきまで冬夜君は力を使っていたっすよ」

「そうか。前に私と戦ったときは冬夜君は力を使えなかったが、それはきな君が力を貸せなかっただけだしなぁ。それ程にきな君と冬夜君の契約の効力が強かったというようだ。さすがきな君だ」


 天野は感心しながら茶を口にする。まずそうな顔をしながら。


「あの、話を聞いててわからないんですが、さっきから言っている『契約』って一体なんなんですか?」

「そうだね。冬夜君には話さなければいけないね」


 そういって、天野は一呼吸いれる。


「――――『契約』。文字通りの意味だ。私達のような神の中には、己の力を契約者に一部を譲渡する能力がある者もいる。しかしこれはあくまでお互いの信頼からなっているので、一方から力を与える場合は別物になる。しかしこの契約能力が使える者は小数に限られる。私でもその力は使えなかった」

「で、でも天野さんは僕に渡した木刀に神力を込めていたじゃないですか。あれはまた別なんですか?」


 違う。と天野は一言答える。


「確かにあれも一種に近いが、生物に与えるのではまったく違うものになるらしい」

「らしいって、天野さんでも知らないんですか」

「しょうがない。極稀なことだからあまり知られていないんだ」


 ふと天野は時計を確認し立ち上がった。天野に習うように息子の佐野も立ち上がる。


「それでは、きな君も帰ろう」

「……ぅ」


 うめき声と一緒にきなの体が小さく飛び上がった。その顔にはやらかしてしまったときの色が浮かんでいる。


「あれ? きなって今日から僕の家に住むんでは?」

「何を言っているんだ冬夜君。そんなことをしたら君の家庭でいろいろ大変なことになるだろう?」


 きなを今から自分の家に住ませたら。

 確かに家族にどう説明すればいいんだろうか。考えてみればわかるものだった。


「でもきなは」


 そう言おうとしたとき、冬夜の目にきなの顔が映った。


「うぅ……」


 そこには、帰りたくない。と言いたげにきなはうつむいていた。

 その様子に天野と佐野は少しばかり困った顔をする。

 二人にとってもきなの気持ちがわからなくもないのだ。好きな人と一緒に居たいという気持ちは人間だろうが神様だろうが、感情を持ったものならば大体が生んでしまう――――必然(こころ)なのだから。

 しかしそこに私情は挟めない。世の中には事情(ルール)というものがあるのだから。

 仕方のないことだ。


「ほらきな君。ここにいては冬夜君の邪魔になってしまう。私たちと一緒に帰ろう」

「そうだよきな姉ちゃん! 今日の夜ご飯もきっとおいしいっすから!」

「……そうだね、ごめんなさい。天野さん、佐野」


 少し暗い表情ながらもきなは天野達と同じように冬夜の家の玄関に向かって歩く。

 冬夜は玄関の前で立つと三人を見送った。


「きな。好きな時に遊びに来ればいいよ。僕はいつでも待っているから」

「うん。とうや、またあそびに来るね」


 そういってきなは冬夜のほうにばいばいと手を振った。見送る冬夜も、心情は不安だが、きなのためだと思い、笑顔で後ろ姿を見送る。


「また明日も会える」


 そう呟いて冬夜は家の中に戻った。



 世界は大きく変わってしまった。

 人間だった世界の時とは比べ物にならないほどに。

 たとえば、道を歩いているのが普通は人間だけなのに対し、人間の体から獣の耳や尻尾を生やしている人が当然のように歩いていたり、自分の力を仕事に生かして生活したりと、人間ならざる者たちは人間の生活になじんでいた。

 冬夜は学校に行く道のりの中で街を見ながら世界の変化を観察していた。


「おはよう、城ヶ崎さん」

「……なんだ柴咲君ですか」

「なんだとはひどいなぁ。せっかくあいさつするために少しだけ早歩きしてきたのに」


 教室に向かうために廊下を歩いていた冬夜は、同じクラスメートの城ヶ崎彩芽の姿が見えたので、そばに近寄る。そんな冬夜を避けるように城ヶ崎はすぐに冬夜から距離をとった。


「城ヶ崎さん、なんか避けてない?」

「そんなことはないですよ」


 平坦な口調で城ヶ崎は答えるが、冬夜はその言動に違和感を覚える。冬夜は見透かす。彼女が自分に対して何かを思っていることを。


「もしかして僕、城ヶ崎さんに何か嫌なことでもしてしまったのかな」

「な、何もしてないです。冬夜君は私に何もしてないですよ」

「本当に……?」

「本当です。それに早く教室に行きましょう」


 城ヶ崎は冬夜を急かすように早歩きで前に進む。

 (やはり僕が何かしたみたいだなぁ)

 何のことかさっぱりわからない冬夜は、とりあえずこの件は保留にして教室に向かった。


 開いている教室の扉をくぐって中に入ると、昨日見た通りのクラスメートがそれぞれ座っていた。

 だがそれは冬夜にとっては今日からクラスメートになった者たちばかりだ。なんせ冬夜は今のクラスメートとの思いでをほとんど持ち合わせていない。

 世界が変わったせいで、クラスメートも変わってしまったからだ。

 (おかげで、新しい出会いもあるけど、見ない人ばかりなんだよなあ)

 ちらほらと人間である元々のクラスメートたちの姿も見える。だが大半は人間ならざる者ばかりであった。

 ひとまず。冬夜はクラスの端っこにある自分の机がある方向に足を進め、荷物を降ろして座る。


「おはようっ、とうや!」


 冬夜の隣の席から聞き覚えのある可愛らしく大きな挨拶が聞こえてきた。

 冬夜の隣。そこには昨日転校してきたきなが城ヶ崎に変わって座っていた。冬夜はきなに笑顔を向けると挨拶を返す。


「おはよう、きな。今日は一人で学校に来たの?」

「うん。わたしの……天野さんの家は学校に近いから歩いて来れたよ」


 きなは楽しそうに話し始める。昨日のように不安そうな色が彼女にないことに冬夜は安心した。

 その時、教室の男子たちが自分のことを見ていることに冬夜は気付く。その視線はけして良いものではない。同時に男子たちの(うれ)いの言葉も耳に入ってきた


「くそっ、なんで冬夜はあんなに可愛らしい転校生に好かれているんだ?」

「知り合いって言ってたよな。まさか、家族同士で決められた許嫁だったりして!?」

「うらやましい、うらやましすぎるぞ……」


 こんな感じに、冬夜の耳には男子たちの怨念じみた言葉が入ってくるのだ。

 一方、可愛らしい転校生はというと、


「でね、昨日は家に帰ったら佐野に勉強を教えてあげたんだー」

「へ、へぇ」


 自分が男子の話の話題になっているにも関わらず、冬夜だけを見て会話を続けている。

 そんな状況も悪くないかな。と心に思いながら、チャイムが鳴るまできなの昨日の話を聞き続ける――はずだった。


「おはようっす、きな姉ちゃんに冬夜君」


 冬夜に投げかけられたあいさつの方向を向くと、昨日会ったばかりの天野の息子、佐野が手を上にあげながらひらひらと揺らしていた。


「ん? 佐野君じゃないか、なんでここに」

「えっ、だって俺たち同じクラスっすよ」


 そう言って佐野は後ろを振り向くと、誰も座っていない机を指差した。どうやらそこが彼の席らしい。それによく見ると、彼が指差した机の右隣には、冬夜が朝に会ったばかりの城ヶ崎が座っていた。

 それに気づいた城ヶ崎は、冬夜達のほうを見ると、すぐに肘をついて視線を元の場所に戻した。


「そうなんだ。知らなかった」

「それより冬夜さん、少し聞きたいんっす」


 佐野はさっきの明るい顔から少し不安そうな顔に変わる。


「冬夜君って城ヶ崎さんの前の隣の人っすよね。城ヶ崎さんっていつもあんな感じなんすか?」

「あんな感じって――――」

「そうっす。昨日からなんかむすっとしてるんすよ、城ヶ崎さん」


 冬夜は城ヶ崎のことを再度見る。確かにいつもよりは怖い顔をしていた。少しの間だけ隣にいた冬夜だが、あんな顔を見たことがない。彼女はすごくお淑やかだから、怒ることはあまりないのだ。


「一体何に対して怒っているんだろう……。僕じゃないって言ってたんだけどなぁ」


 様子を見にいくために冬夜は席を立とうとしたが、ちょうどスピーカーから朝のチャイムが響き渡った。

 チャイムを聞いた佐野やクラスメート達はそそくさと椅子に座り始める。


「それじゃあ……朝のホームルームを始めようか」


 教室のドアを開けた天野は、教卓に立つと出席を取り始めた。


 放課後のチャイムが鳴り響き、生徒たちは帰り支度を始める。窓から見える景色には燃えるような夕日が姿を現していた。

 (結局、城ヶ崎さんに何も聞けなかったなぁ)

 冬夜が近づこうとすると去っていく今日の城ヶ崎のことを思い出しながら、冬夜もほかの生徒たちのように荷物をカバンの中に突っ込むと帰るために足を進める。今日は何をしながら帰ろうかなと考えながら。もちろん――――。


「とうや、一緒にかえろっ!」

「うん、行こうかきな」


 校門を出た冬夜ときなは家の方向ではなく商店街がある方向に足を進める。冬夜は自転車を押しながらきなの隣を歩く。

 時間はまだ午後の四時前。遊んでいくには十分と考えた冬夜は、きなと一緒に商店街に行くことを計画していたのだ。


「きな、勉強の方は大丈夫そう?」

「うん。勉強は天野さんが家で教えてくれていたから大丈夫だよ」


 それに佐野だってわたしに教えてくれたし。ときなは楽しそうに話す。冬夜といない春休みの期間、彼女にとっては有意義だったのだと冬夜は理解した。

 商店街にたどり着くと、きなは嬉しそうに周りを見る。この辺では確かに珍しいものが沢山ある場所だ。

 なんせ、田舎だからと少しでも地域の人が都会のように買い物できるようにと、こんな風にいろんな店を展開できるように町が計画したのだから。

 なんてことを思い出していると、町の茶色い照明に照らされているきなが冬夜を引っ張った。


「とうやっ、とうやっ! このパンすごくおいしそうだよ!」

「うん? 本当だ、……きな食べる?」


 次の瞬間、きなは目を輝かせて冬夜を見る。同時に彼女の耳と尻尾がせわしなく動き出す。犬のようなしぐさに冬夜は少し笑いながら、自転車を外に置いてきなと一緒にパン屋に入った。

 中には見たことのないパンがぎっしりと置かれており、店の中はパンの甘く香ばしい匂いで満たされていて、思わず眠くなりそうだ。


「う~ん、すごくいい匂いがするね」

「そうだね、この前行った近いスーパーではこんなには売ってないからね」


 そんな会話をしながらきなは店の前で見つけたお目当てのパンを見つける。大きめのコッペパンの上に蜂蜜がコーティングされていて、いかにも女の子が好きそうなパンが店の明かりを反射しながら置いてあった。札には『ハチミツパン』と書かれており、学生にも優しいワンコインの値段だ。


「それじゃあ、きなの分買ってくるね」


 そういって、冬夜は近くにあったビニールの中にパンを一つ入れると会計に向かおうとする。同時にきなにぐいっ、と引っ張られた。

 驚いた表情のまま冬夜は後ろを向く。そこには不思議そうな顔で服の裾を掴むきなの上目づかいがあった。


「とうやは買わないの?」

「うん、僕はいいよ。あまり間食とかしないから」 


 そういって、冬夜はきなの手を握って会計を済ませる。

 「ありがとうございました」と店員の挨拶を背に二人はパン屋を出て、学校の方向へと歩く。


「はい、きな食べな」

「うん。ありがとう、とうや」


 きなは冬夜に渡されたパンをおそるおそる口に含む。二回の咀嚼の後、きなの耳と尻尾がピン! と立つ。

 どうかしたの、と。冬夜が聞こうと口を開くよりもきなのほうが早かった。


「おいしいよ! とうや!!」

「……そっか、それはよかったぁ」


 はぁ、と。冬夜はきなの喉にパンでも詰まったのかと心配していたのだが、彼女の笑顔を見てほっと溜息をつく。

 そして、その笑顔に蜂蜜がつきっぱなしなのを見て冬夜は笑う。そんな冬夜にぷぅ、と。頬を膨らませるが、すぐに元の笑顔に戻すとパンを冬夜に差しだす。

 どうやら「食べろ」ということらしい。

 冬夜はきなに、大丈夫。と、身振り手振りで返すがきなは譲らず、更にぐいっ、とパンを突き出す。


「分かったよ。いただきます」


 一口。冬夜はパンの先端をかじる。

 パンは思っていたよりもおいしく、口の中に蜂蜜の甘い香り、蜜のどろっとした食感が口の中に膨らむ。数回咀嚼した後、冬夜は飲み込んできなのほうを見る。


「確かにおいしいね」

「うんうん。おいしいでしょ?」


 冬夜の感想を聞いた後、きなは続けて、

 さっき冬夜がかじったばかりのパンを口に含む。

 (あれ……、これって俗にいう『関節キス』というやつなのでは?)

 意識した瞬間、冬夜は自分の顔が熱くなっていくのを感じる。一方のきなはそんなことは気にせずにハチミツパンを綺麗に飲み込んでいく。


「ごちそうさまでした。…………どうしたの、とうや」


 きなは口の周りをかわいらしく舌でぺろっ、と舐めると不思議そうに冬夜を見る。一方の冬夜はその仕草できなの唇を見てしまい意識してしまう。


「ん、あっ、なんでもないよ?」


 冬夜は動揺しながらきなに返すが、


「そう?」


 きなは頭の上に『?』を浮かべたまま前を向いて歩きなおす。心の中で安堵のため息をついて冬夜も足を再び進める。


 あれから遊び続けたせいで、時間はすでに午後六時を回っていた。空には見慣れた月が浮かび上がっている。

 二人の目の前には新築の家が建っていた。現代のような整った白いフォルムの一軒家。きなが住んでいる天野宅である。


「いいのに、別にここまで送らなくても」

「いやいや、きなが襲われたりしたら大変だし。それに、きなが住んでいる家を知ることができれば、休みの日にも遊びに来れるから」


 そういって冬夜はきなから離れて帰ろうとする。

 その時、再び背中から引っ張れる感覚がした。けれど、さっきほど強いものではなく、もう少し力を込めれば抜けてしまいそうな、気付かないような力加減だった。


「あ、あのねとうや」

「、なんだい」


 冬夜は静かにきなのほうに顔を足を向ける。彼女の手は裾から離れ、すとん、と膝のほうに落ちた。彼女は顔を下に向けていて、どんな表情を浮かべているのか分からない。

 そのままきなは続ける。


「もし、良かったらでいいんだけど。……明日からお迎えに来てくれない?」

「いいよ」


 即答。冬夜の返答に驚いてきなは、下に向けていた顔を上にあげた。


「そんな驚いた顔しないでよ。可愛い顔がさらに可愛いじゃないか」

「とう、や?」


 彼女にとっては少しギャンブルだったのかもしれない。彼にだって断る権利はあるのだから。けれども、冬夜はきなの願いを断らない。断ることなど考えられないから。

 自分を諦めて、一度は世界を捨てた彼女を冬夜は見捨てない。――――もっとも、彼女はそんなことを覚えていないけれど。

 冬夜はすぐにきなに予定の時間を聞く。

 きなは楽しそうに笑いながら、冬夜と明日の計画を立て始める。


 きなと別れた冬夜は自転車に乗って自分の家に向かっていた。時間は七時前。親にメールの一つも入れなかったので、きっと怒られる。と確信していた冬夜は自転車のペダルを力の限り回す。

 回しながら、今日の一日を振り返る。

 今日もきなの笑顔を沢山見れた。冬夜は思い出しながら、ふと、自分の顔も笑っていることに気付く。彼にとっても今日は楽しかった。

 あともう少し。遠くに自分の家を見た冬夜の足に力がこもる。


 すっ、と角から人影が見えたことで冬夜はとっさに急ブレーキをかける!


「危ないっ!!」

 

 冬夜は相手に大声で事態を伝える。

 次の瞬間、その人影は冬夜の上空を舞った。冬夜はそんなことに驚く間もなく、自分の自転車をブレーキと片足で力づくに止める。同時に冬夜の目線は自動的に人影のほうに向く。


「ごめんなさい、急いでいたとはいえ驚かせてしまって」


 人影からは言葉の一つも聞こえない。それに少し様子がおかしい。それどころか、さっきは突然だったので気付かなかったが、こんな時間に黒いローブをフードをかぶりながら歩くなんて明らかに自殺行為だ。

 まずい人に関わっちゃったかな? と冬夜はこれからの対応を考えていると、


「しば……さき、とう……や」


 聞こえてきたのは女性――――というよりは少女の声が聞こえてきた。声の主は信じたくないがフードの人からのようだ。

 見た目も冬夜より少し小さいだけだし、自分の名前を知っているし、中身はもしかしたら高校生かもしれない。そう思いなんとか弁解をしようとしたとき、


「シキ……ガミ!」


 冬夜の体が凍る。同時に周りの空間が暗闇から一変する。

 周りに見えるのは時計。それも一つでも一種類でもなく、様々な時計がそれぞれの時を刻みながら動き続けている。けれど、動きを邪魔しているわけではなく、単に背景として浮いているだけのようだった。

 そして今更ながら冬夜はこの感覚を思い出しす。神が使える特別なあの場所を――。


「『神域(ゴド・フィールド)』!?」


 気付いた時には遅い。冬夜は既にこの空間に捕らわれていた。

 フードの彼女は、戸惑っている冬夜に何かを投げる。それは別に武器ではなく、ただの歯車。

 ただの歯車は、冬夜にめがけて投げた野球ボール並みの速度で回転しながら襲い掛かる。


「うおっ! 危ないじゃないか!!」


 冬夜の非難の声も彼女の耳には届かない。二つ三つと歯車が冬夜めがけて飛んでくる。だが、それを避けられない冬夜ではない。歯車の軌道を読んで的確に避ける。

 けれども彼女の攻撃が止むどころかその数が時を重ねるたびに増えていく。

 終わらない時間。

 そんな風にも錯覚してしまいそうな時間冬夜は攻撃を避け続ける。次第に呼吸は乱れ、動きも鈍ってきたことに彼は気付く。

 その隙を狙わんと数十個の歯車が冬夜を襲う。

 こつん、と一つの歯車が冬夜のすねに当たり、所狭しと動いていた冬夜は地面に転ぶ。


「がはっ!」


 地面に叩きつけられ、肺の中の空気をすべて吐き出す。同時に歯車が床に向かって放たれる。だが、ここにきて冬夜は歯車の軌道の特徴を掴んだため、体を横に転がして回避した。

 (歯車の軌道はすべて直線。僕に向かって追尾(ホーミング)してくるわけではない)

 それさえつかめば簡単。と冬夜は体を立ち上がらせ、彼女から距離を取ろうとしたとき、後ろに何か異物が邪魔していることに気付く。

 邪魔しているのは――――浮遊していた歯車だった。

 その場所だけではない。辺りを見渡すと歯車がそこらじゅうに浮いていた。これでは身動きが取れないどころではなく、捕らわれているのと同じだ。


「くっ」

「あなたは玩具(オモチャ)。故にあなたには勝ち目はない」


 彼女はフードの奥で笑いながら冬夜にゆっくり近づく。

 冬夜は彼女に悟られないように逃げるためのルートを探すために視線を横に向ける。


「無駄。あなたが逃げるのは不可能」


 必要最低限のことしか言わない彼女は冷たい声で降伏を促す。

 ――――けれども負けられない。冬夜には負けられない理由があるから。

 冬夜は考える。今ここから逃げる道を。

 今まであったことを集合させて冬夜は考える。

 ――――あなたは玩具(オモチャ)

 その一言を思い出した冬夜は、空中にある隙間を利用して歯車を足場のように使う。


「なっ!」


 フードの少女は驚きの声を上げるが、無視して冬夜は空中に浮く歯車を飛びながら彼女との距離を詰める。


「今度は……僕の番だ!」


 彼女が歩いて来てくれていたおかげで近かった距離を更に詰めて、冬夜は左手を握りしめながら歯車を飛ぶ。

 彼女は両手を振って歯車を冬夜の顔面に飛ばすが、冬夜は首を少し動かして避ける。左手が当たる距離になったとき、体重をすべて乗せた冬夜の拳が少女に振るわれた。


「きゃあ!」

「くっ!」


 パァン! と肌がふれたみずみずしい音が空間に響く。同時に少女は後ろに倒れ、冬夜は後ろに下がる。

 冬夜の手のひらに激痛が襲う。冬夜は少女に拳を当てるのをためらい、張り手にしていたのだ。冬夜の甘えが生んだ失敗である。

 だが今回の甘えは決して失敗なんかじゃない。

 彼女はとっさに歯車を盾として構えていたのだ。もし冬夜が拳を握っていたら骨折以上の痛みを伴っていただろう。


「柴咲、冬夜!」


 彼女は倒れながら、恨めしそうに冬夜の名を呼ぶ。冬夜は再び立ち上がり彼女に向かって突撃を開始する。

 あの方法を使うしかないわ。少女はぼそりとつぶやくが、冬夜には聞こえていない。

 冬夜は少女との距離を詰めると再び張り手を構える。せめてもの情けとして。

 けれども彼女は動かない。それどころか、自分の細い右手でフードを握っている。前が見えないから動かすというわけでもないだろうに。

 次の瞬間、少女はフードを右手で揺らす。フードから見えたのは少女の瞳。顔を狙っていた冬夜は彼女の瞳を凝視する。その瞳は黄色く、まるで吸い込まれそう――――。

 次の瞬間、冬夜と少女との距離が離れた。目で彼女をとらえていたので、体が勝手に攻撃をする。

 勿論、攻撃するのは何もない空気。冬夜に無駄といえる隙が生まれた。

 突如、冬夜の腹に歯車が入り、彼は歯車が壁となしている場所まで吹き飛ぶ。倒れている間にも彼女は歯車を飛ばす。けれどもそれは冬夜に当てるわけではなく、彼の手前で動きを止める。それはまるで彼を歯車という名の監獄に捕えるように。


「僕を、どうするつもりだ」

「一つ、四気神の場所を吐かせる。一つ、あなたを人質にする。それだけ」

「言っとくけど、僕はそのどちらも君に叶わせないよ」

「そう」


 彼女は冷たくつぶやくと、コートの中から歯車をふよふよ、という音が似合うくらいのスロースピードで飛ばす。狭い空間の中ではかわすことのできない冬夜は、後ろに下がる。下がっても食い込んでくる歯車。背中にあるのも歯車。

 歯車同士が近くに寄った時にすることは一つ。

 二つの歯車は冬夜の腹と背中をえぐる様に高速回転を始める。


「があああああああああああああああああああ!!」


 腹と背中をえぐられ血が吹きすさぶ――――ことは無かった。あるのは痛み。気を失いそうなくらいエグい痛みが冬夜を襲う。

 その様子を少女はただただつまらなさそうにフードの奥から眺める。彼女には慣れっこのように、日常のように苦しむ冬夜を眺める。

 数分ぐらい経って、歯車は動きを止めた。冬夜の体からは嫌な汗が出ており、額も体もべたべたになっている。この状況でも、風呂に入りたい。と思う冬夜だった。


「止めた、理由は?」

「そろそろ選ばせようと」

「選ぶ、って」

「痛みで気絶するか、自らすべて従うか」


 彼女は冬夜の聞きたいことをすべて読んでいるかのように即答する。


「それと、わかっていると思うけど。あなたはこの攻撃で死ぬことはない」

「なん、で」

「それが私の能力」


 この戦いの突破口を開こうとするが、無口な彼女からはヒントすらも出てこない。冬夜はくたくたの体を少しでも動かして逃げようともがく。

 次の瞬間、歯車が回転を再開し始めた。キィーン、と歯医者で聞こえてきそうな音が空間に伝わる。同時に冬夜の叫びも。


「があああああああああ!?」

「ほんと、哀れ」


 この世から意識が飛びそうなのを冬夜は必死にこらえる。こらえなければいけない。ここで意識を飛ばせば負けになるのだから。痛いのを我慢して集中する。


「人間は、脳の許容を超えた損傷を受けると、気を失うって聞いたけど、あなたはしぶとい」

「そ、それ、は、あり、がと、う」


 痛みに耐えながら冬夜は口を開く。せめてもの強がりだ。だけど、もう持ちそうもなかった。冬夜の意識がだんだん遠のく。

 このまま意識を沈めてしまえば、僕は彼女にとらわれ、きなを悲しませてしまう、と。冬夜は考えながらきなの悲しい顔を思い出す。


「せっかく、あんなにいい笑顔を沢山見たのに」

「柴咲、何を言っている? 気を狂わせたか」


 そんな言葉も冬夜には届かない。目にはもう光も灯っていない。そろそろ気絶することを冬夜は呆ける視界を見ながら悟る。

 そうして、そのまま冬夜の意識は沈んでいく――――はずだった。 


「くっ、何奴!?」


 歯車の動きが止まる刹那、少女は後ろに飛んで消える。呆ける視線で見たのは……矢。飛んできた矢は地面に刺さっている。


「――、――ぶ? ――い?」


 聞いたことのない女の声を聴いた後、冬夜の意識は消えた。

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