再会の尻尾
雪が降り積もる森の中。
世界が変わったあの日、曇天の森の中で天野は冬夜に話しかける。神の力を失ったというのに、彼の表情はどこまでも飄々としていた。
「今日から冬夜君は春休みだよね。だからその間、私がきな君の面倒を見ようと思う。きな君にはこれから色々な手続きをしないといけないだろうから、そういう面倒なことは私が引き受けるよ。大丈夫、春休みが終わった始業式の後に必ず会えるから」
そういって笑顔を向けた二人は僕の前から消えてしまった。そのあとは普通に家に帰り、春休みが終わるまで平和な日常を過ごしてきた。
そうして今――冬夜含む三人は、学校の昼休みの時間に屋上に立っていた。
季節が移り変わりはじめのせいか、晴れているにもかかわらず屋上を流れる風は少々肌寒く感じる。
そんな静かな屋上の上で、一人が口を開く――冬夜だった。そんな冬夜の顔には不安と不満が入り混じっていた。
「どうしてきなが学校に来ているんですか……?」
「そうだね、約束通り君の質問に答えよう。これはきな君の願いだ」
「きなの?」
そうして冬夜は天野に向けていた顔をきなに向ける。天野の隣に立っているきなは、冬夜に顔を向けられた途端にしゅんとなった。
自分が怖い顔をしていることに気付いた冬夜は、我慢して少しだけ笑顔を浮かべた。
「わたしが天野さんに頼んだの」
「だけどきな、学校は学ぶ場所だから、いくらきなが行きたいって言っても……」
そうだ。確かにきなは頭がいい。しかしあの冬休みの間に自分はきなに高校レベルの勉強は教えられなかった。そうすると、きなは冬夜の学年の勉強に追いつくことは限りなく不可能だ。
それが冬夜の不安であった。
「そこらへんは気にすることは無いよ。私が春休みの間にきな君に高校二年生分の知識は蓄えさせておいた。だから冬夜君が不安がることは何もないはずだが?」
微笑を浮かべながら、「きな君も頑張ったんだよ」と自慢そうに天野は話した。
しかしそれを聞いた冬夜の顔は晴れておらず、不安をぬぐい切れていないみたいだ。
「それに、きなは四気神なんですよ。こんなところで出歩いていたら」
「そのための君だろう?」
天野は冬夜の言葉を遮る。その顔には少しだけ怒りが混じっていた。
「それとも冬夜君はきな君に世界のことを何も教えないまま生活させる気だったのか? それに君には守ることができる力があるじゃないか」
「守る力?」
「そうだ、冬休みの時に襲ってきたときの常立神との戦いのとき、君は覚醒してあいつを完膚なきまでに叩きのめしたじゃないか」
あの時――きなを助けるために常立神に戦いを挑み、死にそうになった冬夜を何度も助けてくれたあの九尾の妖狐の力。冬夜はその力を覚醒させ、見事勝利を手にしたことを思い出す。
「そうですね。最近の平和な生活のおかげですっかり忘れていました」
「まったく。きな君はこんな男に本当に自分の命を預けてしまってよかったのかい?」
冬夜の忘れ癖にあきれてしまった天野は、さっきの話で笑っているきなに問いかける。
目線を冬夜から天野に変えたきなは、笑顔のまま答えを返す。
「うん! だってとうやはわたしを守ってくれるって約束してくれたから」
そう言って、きなは視線を再び冬夜に向きなおすと、
「わたしのヒーローだもの」
最高の笑顔を冬夜に向けるのであった。
学校が始業式のおかげで早く終わったので、冬夜は下校ルートを歩いていた。
朝乗ってきていた自転車には乗らず、自らの足で歩く。なぜなら、その隣には久しぶりに会ったきながいるから。さすがに二人乗りというわけにはいかないので、こうして冬夜はきなと共に歩いているのだ。
歩きながら冬夜はきなに話題を振った。
「しかし驚いたよ。まさかきなが学校に入学してくるなんて」
「ごめなさい、黙ってて」
冬夜の隣を歩いているきなは、落ち込み気味に小さな体をさらに小さくする。
しかし冬夜は、そんなきなの頭に手を置いて軽く撫でた。
「別に気にしてないよ。それに僕だってきなと少しでも一緒に居たい」
きなの頭に置いておいた手をどけた冬夜は、そう言って笑顔を向ける。それに呼応するようにきなも冬夜に笑顔を向けるのであった。
歩くこと約四十分。二人は冬夜の家の前に立っていた。
「えっと、きなは家に帰らないの?」
もちろん、冬夜の隣には家に帰るはずのきなが首を傾げながら。
「もしかして今日から前のように僕の家に住むの?」
冬夜の問いかけにきなの頭はこくん、と少しだけ前に傾いた。
しかしそうなると、家族にどう説明すればいいのだろうか。そんな考えが冬夜の頭によぎる。
――一度天野さんに相談しよう。
冬夜は考えをまとめ、とりあえず電話を使うためにきなと一緒に自分の家に入ろうとした、
その瞬間だった。
突然、感じたことのある違和感が冬夜を襲う。この感覚は忘れもしない。
――これは神域の感覚だ!
そう感じ、冬夜は首を振って辺りを見渡す。しかし近くには何の気配も感じない。ならだれが?
きながこれを? ときなを見るが、本人はこの事態に気づいていないようだ。
冬夜は意識を集中させ、神力を感じようとする。
だがそれは一人の少年の声によって中止せざるを得なかった。
「でええええええええやああああああ!」
声のほうから、一人の少年が手に持った木刀を冬夜に向かって振りかざしたのだ。
そんな少年の動作を冬夜は素早く感じとり、きなを掴んで後方へと飛ぶ。
「いきなり何を!?」
「へっ、俺があんたにそれを言う義務があるかよ」
目の前に現れた少年は、蒼色の短髪、少し柄の悪そうな顔をしていた。
攻撃の一振りを終えた少年は後方に飛び、逃げていく。
「言っておくが、この神域は俺にしか解くことができねえぜ」
ということは、あいつを倒さなければこの空間から出ることができないのだ。冬夜はあたりを少しだけ見渡した後、きなを置いて走り出した。
「きな、あいつは僕が何とかするからそこで待っていて。おそらく近くには何もいないはずだから!」
「あっ、待ってとう……や」
きなが呼び止めようとしていた時には、冬夜の姿は豆のように小さくなってしまっていた。
「くっ、待て!」
冬夜は上空を飛んで逃げる少年を追いかけていた。もちろん己の足で。
すると冬夜の家が見えなくなった頃、空を飛んでいた少年は地面に降り立った。
「一体、何が目的なんだ」
「もちろん、四気神が欲しいからだ」
少年の受け答えに冬夜は歯を食いしばる。その顔には怒りが込み上げていた。前にも冬夜には同じ経験があり、そしてその時に彼女を泣かせてしまったから。
冬夜はその怒りを少年にぶつける。
「お前みたいな……」
「ん?」
「お前みたいなやつらのせいで、きなは一度死にかけたんだ! 許さない、絶対に!」
冬夜の心のギアがカチリと切り替わる。
次の瞬間、冬夜の体に白いオーラのようなものが纏わりつく。――否、それは白い炎。どこまでも白く、邪なる力を零にする程強力な白炎。
冬夜がきなを守るときに使用した彼女の力。冬夜は再びその力を発動させる。
「くっ……」
「うおおおおおおおおお!!」
冬夜に纏わりついていた炎はやがて冬夜の姿を白髪に変化させ、同時に白く大きい九本の尻尾、そして武器として冬夜の腰に纏わり九本の刀となった。
そのうちの二本を抜いた冬夜は少年に向かって突撃する――――はずだった。
突然、冬夜の姿が戻ってしまい、白髪だった髪は黒に戻り、耳と尻尾も消えてしまう。しかし突進している冬夜の勢いは止まらない。
「なん、で……がはっ!?」
戸惑う冬夜の腹に少年のキックが突き刺さる。威力を体で受け止めきれないまま冬夜はごろごろとアスファルトの地面を転がっていく。冬夜はやわらかい何かにぶつかりようやく止まる。
「大丈夫、とうや?」
「きな、なんで」
冬夜がぶつかったのはきなの体だった。どうやら冬夜の後を追ってきていたようだ。
「とうやに酷いことしないで、佐野」
「さの?」
きなは木刀を持っている少年に向かって少し怒り気味に言う。
すると、さっきまで悪人オーラ全開の少年は即座にきな達に土下座をし始めた。同時に神域も解除される。
「ごめんなさい、ごめんなさい! きな姉ちゃん」
「何がなんやら……」
さっきの戦闘が終わってから、三人は冬夜の家にいた。今の時間は両親は不在、弟はまだ帰ってきていない。佐野という少年から事情を聞くには今がちょうどよかった。
とりあえずは客人ということで、冬夜は二人をソファーに座らせ、茶を注いだ。
「いやぁ、どうもありがとっす」
「で、佐野君だっけ? きなとはどういう関係なのかな?」
笑顔で冬夜は佐野に尋ねる。しかしその笑顔はとても引きつっていた。
「べ、別にやましいことはないっす! ただ家が同じだけで」
「家が同じって……まさか、天野さんの息子!?」
「そっす。俺の名前は天野佐野っていうっす。よろしくっす」
天野佐野。語呂にどこか違和感を覚える名前だが今はそんなことは関係ない。重要なのはどうして冬夜を襲ったのかだ。
「とうや、怪我大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
久しぶりに帰ってきたおかげで家の中を懐かしそうに見ていたきなが、冬夜の腹をさする。しかしその横では、佐野が戦闘の時のように殺気を含んだ顔をしていた。
早急に冬夜は自分のお腹をさするきなを止めると、気になっていた本題に切り出しす。同時に佐野の顔も通常に戻る。
「どうして僕を襲ったんですか」
「それは、俺の父さんからの依頼だったからっす」
「そんな、なんで」
「おそらく、父さんは知っていたんだと思います。冬夜君ときな姉ちゃんの契約が切れることを」
冬夜は口をぽかんと口を開けたまま固まった。
冬夜には検討つかなかった。まさかきなの力には期間があったことなど。
「その顔は、父さんから何も聞いていないんっすね」
「……僕は何も聞いていない」
「そうっすか。なら一旦俺の家に行くっす、父さんもいるので」
そういって、佐野が立ち上がろうとしたとき、冬夜の家のチャイムが響き渡った。
「すいませーん、天野ですけどー」
チャイムの後に響き渡った声の主は……天野本人だった。