一日目
雪がしんしんと降る冬の日。
二人の子供が公園で遊んでいた。一人は青い防寒具に身を包んだ普通の男の子。もう一人はこの季節に合わないほど薄いワンピースを着た少女。
二人は時間を忘れるほど長い間遊んだ。
だが終わりの時間が来ないことは無い。なぜなら時間と言う概念がこの世界には存在しているから。
けれどそれは一時的な終わりなんかではなく、少年にとっては半永久的な終わりであることを示していた。
「もう……遊べないんだ」
「どうして? 私のことが嫌いになったの……?」
――ごめん、僕は君のヒーローになれないんだ。
そう言い残した少年は少女に背を向け、逃げるように走り出した。
そんな彼を見つめる少女の瞳には涙が溜まっていき、やがてぼろぼろと涙が頬を伝ってこぼれ落ちていく。
「ひとりぼっちは、もう嫌ぁ。わたしの……大切な……」
少女は一人、少年のことを想いながら――――この世界から消えた。
今日は12月26日。
中学校や高校が冬休みになり始めたその日、いつになく寒い冬の今日、とある家の少年は自分が寝坊したことに気付く。
現在の時間は午前八時。学校に行くならまだしも、休みの日にしては結構早い時間だが、それは彼にとっては遅すぎる時間であった。
なぜ彼にとって今が遅い時間帯なのか?
それは前日のクリスマスで、照り焼きチキンを愉快に片手で掴みながら父親が笑顔で驚きの一言を家族全員に言い放ったからだ。
「よし、今年の冬休みも家族みんなで旅行に出かけるぞ!!」
旅行好きな少年の父親はいつもこんな風に唐突に旅行の話を始める。そして家族もノリノリで旅行の支度をする。これが少年の家族の日常だ。
旅行期間は父親の言っていた冬休み期間中の十日間。出発時間は予定では六時だったような気が、と少年は思い出す。
父親曰く、「日本中をいけるところまで回ろうぜ!」というなんとも無茶苦茶な話をしていた。
しかし、父親がそんな事を堂々と宣言したにも関わらず、現在――家族の一員であるはずの少年自身は自分の部屋にいるのだ。
嫌な予感しかしない。
そう思い、最近スマホ型に変えた己の携帯を見る。すると携帯には一件のメールが送られてきていた。
父親からのメールだ。メールにはこう書かれている、
『冬夜くんは起こしても起きなかったので、母と弟と一緒に行ってくるぞ。高校二年生なら何とかできるだろう、もう三年生にもなるのだから。ガンバレ!』
(どこの映画!? 寝坊したから置いていくって、ケビンのママでもそんなことはしなかったはずだよ! 例えケビンが厄介者でもさぁ!?)
別に嫌われているわけでもないのに、旅行に置いて行かれた悲しさに、少年は一人心の中で嘆きを叫ぶ。
気が済むまで後悔した後、あまりの寒さに少年は「へくちっ!」と小さくくしゃみをした。
この季節と外に雪が降っているせいで、少年の部屋の温度はは十度を軽く下回っている。くしゃみが出るのも当然の温度だ。
彼は鼻をすすりながら、ぼそりとつぶやく。
「風呂にでも入ろうかな、どうせ一人だし」
少年は素足で寒い床を我慢しながら歩き、階段を下りて一階の風呂場に向かう。風呂に向かう彼の顔は、まるで楽園に向かうかの如く笑顔だった。
「あー、暖かい」
あれから二十分経っただろうか。少年は冷え切った体が温まっていく幸福に、おもわず言葉を漏らす。だが、本人はあまり気にしていない。彼にとって風呂の温かさを満喫するのが今現在の最優先事項だからだ。
彼の名前は、柴咲冬夜。
普通のこの家に住んでいる、ごく普通の高校生。
二次元方面の知識はそれなりに少しある人間だと本人は自負している。と言っても彼の中にあるこの知識は友達に教えてもらった物が大抵なので、重度と言うほどではない。 軽く知っているだけ、そういう表現が合う。
「温まったし、そろそろ出ようかな」
風呂の熱エネルギーをしっかり体に充電した冬夜は風呂を出ると、体が冷めないうちにリビングで暖を取ることを実行するために、急かすように足を進めた。
風呂を出た冬夜は、一人満面の笑みを浮かべながらリビングの椅子に座っていた。
風呂に出たばかりということもあり、冬でありながら体はぽかぽかとしていた。それは当然なのだけれど、
「長く浸かりすぎたかな? すごく熱いや」
長い。と言ってもほんの二十分ぐらいなのだが、冬夜の体はいつも以上に温かいままであった。それはむしろ熱いくらいに。
リビングにあるヒーターのスイッチはONにしたが、昔の軌道が遅いタイプのヒーターなので、いまだに点火していない。
冬夜はふと窓の外を見てみた。丁度雪が降っており体の熱を冷ますには十分すぎる温度であろう。
そうして、冬夜は思ってしまった。
「そうだ。こんなに体が熱いなら外に行けば涼しくなるだろう」
普通の人間ならあまり考えないであろう提案を冬夜は考える。突拍子に思いついたことを実行する。それが柴咲冬夜という人間なのだ。
そうして冬夜は、外に出るための準備を始める。今は体は火照っているが、帰ってきた時に寒いことを考えて少し薄めのジャンパー、両手には通学時に利用している丈夫な黒い手袋、昔から使っている二人分の長さを持つマフラーを装着した。
装着を終えた冬夜は自分の家の重たい扉を開き、雪が降り続ける外へと出発するのであった。
この時、彼がこんなことを考えなければ、あんな出会いも無かっただろう。
その選択は正しかったのか、あるいは間違っていたのか、それは後に冬夜が判断すること。
けれど、そういう方面に知識のある彼ならばその時の出会いをこう思うだろう。
それはまるで、小説のようにに出来すぎていて、それでいてお決まりパターンのようだった。
外に出てみると、そこは白銀の世界が広がっていた。
天気は曇っており、午前中であるはずなのに暗く視界も悪い。けれど曇り空からは白い雪がゆっくりと降り続ける。
降り続ける雪たちは、重力に抗うことなく道路や壁の上へと降り積もってゆく。
「雪が降っているせいか、誰一人としていないな」
まぁ、こんな真冬に外に出ようと思うのは自分ぐらいだろう。と冬夜は自分に半分あきれる。
豪雪という訳ではないが、それでも人の行動力を削ぐには多すぎる雪だ。彼が歩く通りには一人として歩いている人物は見当たらない。
(昨日のクリスマスには降らなかったのに、何でもない日であるこんな時に降るのだろうか)
ホワイトクリスマスと言う冬らしいことがなかったことに、冬夜は心の底から残念がる。
名前のせい、ではないだろうが、四つの季節の中で冬夜は冬が好きだ。だから、冬に関連する、雪やクリスマスは全般的に好きだ。
他の季節にはあまり興味がないと言うことは無いのだが、友達になぜか『季節感がない』と冬以外の季節では良く言われる。
「今日は気分も良いし、もう少し奥の方まで行ってみようかな」
白い息を吐いた後、冬夜は散歩感覚で奥に進むのであった。
ここまでに来る途中、冬夜はさまざまな物を見つけた。
こんなに寒い中にでも、生きようとする植物、家の外を駆ける元気な子供たちの姿、春への準備を進める動植物たち。
彼が住んでいる地域が田舎なおかげか、冬夜は散歩をしながら冬の自然を楽しそうに眺めた。
その瞳はまるで、雪の中を駆け回る子供の用に無邪気だった。
そろそろ体も冷えてきたので、冬夜が家に帰ろうと方向を変えようとしたその時、この辺には慣れているはずの冬夜は、身に覚えのない森に遭遇した。
(近所にこんな森あったっけ?)
その時、何も感じなかったのならまっすぐ家に帰ることもできた。
しかし冬夜は帰ろうとせずその森の入り口に足を踏み入れる。
彼自身、理由はわからなかった。
ただ一つ、――――感覚的に誰かが呼んでいる気がした。そんな気がしたから、興味本位で彼は森の中に入って行く。
どこまで、どこまでも奥へ。
森に入ってから五分ぐらいは経っただろう。
森の割にはそんなに障害物は無かったのですいすいと進んでいくと、木々に埋め尽くされているせいで薄暗かった森の通りの奥から明かりが差し込んでいるのが見える。
「そろそろ出口かな」
薄暗い森を歩いていたせいか、あまりにも眩しいその光を拒むように瞳を薄く開きながら冬夜は足を進ませる。出口までもう少しのようだ。
ざくり、と心地よい感触が足に伝わってくる。何があるのかを見るために、先ほど薄く開いていた瞳を少しずつ開く。
冬夜の目の前に飛び込んできた風景は、
言葉にできない。その一言しかなかった。
目の前にあったのは一面の雪。建物や樹木などの障害物のない大きな平地に、まるで雪が誰かの手で敷き詰められているかのような圧巻の風景。
さっきの通りの風景を白銀の世界と表現したが、この場所は格が違う。
どこまでも白く、どこまでも純白。さっきまでの雪景色よりも数段美しい景色を冬夜は今目に焼き付けている。
その光景に見とれていた冬夜はふと気付く。
突然、曇っている上空の雲が開き、一筋の日光が雪の上にいる者を美しく照らした。
動物。にしては人の形をしている気がする。ここからではよく見えなかったので確認するためにと、その者のいる場所に冬夜は雪を踏みしめ歩いていく。
歩いて距離を少し詰めた冬夜は、遠目にだがそれの形状を確認した。
そこにいた者。それは――――横たわる様に眠る幼い少女だった。
見た目は十才ぐらいだろうか。肌は雪のように白く、髪も同じく雪の様な穢れのない純白。少女の腰まで長い髪は、光の反射加減では銀髪にも見えそうなくらいに日光を反射している。
遠くからだが、冬夜は少女の顔を自分の首を少し曲げて少女の顔を覗く。
可愛らしい少女の眠っている顔が見えた。眠っているその顔は天使のように優しく穢れのない表情をしている。それは一目見ただけで心を奪われてしまいそうなほど。
おそらく、いや絶対に美人の部類だろう。
けれど、冬という季節にも関わらずノースリーブの白いワンピースを着て眠っている少女に冬夜は少し違和感を覚えた。
ためしに声をかけようと更に足を進めたその時、
「……これは?」
冬夜の顔色が変わる。更に近づいたことによって見えたものがあったからだ。
それは、彼女の体から生える獣の耳と尻尾。髪の色と同じでさっきまでよく見えなかったのだ。
一筋の日光に照らされ、その眩しくも美しい白を髪と同じように反射していた。そして、その耳と尻尾は――――まるで本物のように時折ぴくっと動いていたのだ。
「これは俗にいう、けもみみっ娘?」
と不思議そうに見ている場合ではない。と冬夜は気付く。
この子が起きたら絶対に面倒事に巻き込まれる。心の中でそんな確信があった。
「面倒。と言うことで放っておくことも出来るけれど、それじゃ可哀想だよね」
そうだ、もし触って反応がなかったら放っておこう。そう決めた冬夜は目の前で眠っている少女に手を伸ばす。
その時だった。冬夜の頭の中にいくつかの選択肢が浮かび上がる。
・顔に触れる
・背中に触れる
・肩に触れる
・足に触れる
・耳に触れる
・尻尾に触れる
・胸に触れる
とりあえず一番下は却下だ。選択肢的にBAD ENDだろう。それに少女の胸はぺったんこだ。仮にそのことを下手に刺激したら起きたときに激怒されでもしたら警察沙汰になるだろう。そもそも、なんでこんな考えが自分の頭で思いつくのだろうか、と冬夜は不安を覚えた。
残る下から三つもマニアックなふれあい方だろう。さすがに第一印象で変態と言うレッテルは張られたくない。
だとすると、残り三つ。
顔、背中、肩。この三つが妥当だろう。
冬夜はうなりながら数秒考えた後、決意を固めた。
(よし、ここは肩にしよう)
幸い相手がワンピースと言うこともあるので肩は素肌だ。体温があるかで生きているかも判別できるであろうし。
そうして冬夜は少女の肩に手を触れる。肌はお餅のように柔らかく張りがあり、女の子らしかった。
しかし、今気にするのはそこではない。
呼吸をしている人間とは思えないほどに、彼女の体の温度はとても低かったのだ。どう考えてもこの少女の体調が良い状態とは言いづらい。
「……んっ」
少女は小さく息を吐いた。吐いたその息は温度により煙のように白くなって空気の中へと消えて行く。
その呼吸は、彼女が生きている証だった。
(こんなところで、死なせるもんか)
さっきまで面倒と言っていたにも関わらず、冬夜はすぐに自分の上着を彼女に着せると背中におぶる。
冬夜はこの子を絶対に助けたいと思った。どうやって助けるのかなんて考えぬまま冬夜は歩き出す。
なぜ助けようと思ったのか、この時は本人にも分からなかった。根拠など何もないのに。
動物は好きだが、この少女を冬夜は動物とは思っていない。そもそもそんなことはこれっぽっちの理由にもならない。
『優しさ』だったのだろうか、それも冬夜にとってはどこか違かった。
冬夜にとって一つ確かなことは、――――この子をここで死なせたくない。という気持ちが生まれたこと。ただそれだけ。
冬夜は少女をおぶったまま家まで全力疾走した。少女を背負っている間、彼女の鼓動が背中越しに確かに伝わってくる。
それはどこか、彼女が「生きたい」と言っているように冬夜には聞こえた。
家から来た道を全速力で走ってきた冬夜は、呼吸が荒いことも気にせず、玄関に入るとすぐさま靴を脱いでまず風呂場に向かう。
(さすがにあれだけの時間なら風呂も冷めてないはずだ)
そう思った冬夜は、少女を洗面所の壁に横たわらせた後、風呂場の蓋を開けて一応確認する。
風呂からは自らの温度を示すように暖かい湯気が上がる。
それだけで、風呂の温度の確認をするのは十分だった。
冬夜はおぶっている少女をそのまま風呂に入れようとしたのだが、一つ難関があった。
彼女は服を着ている。
だが、生死に関わることだ。恥ずかしがっている場合ではない。後から「裸を見られた」という文句を言われても構わないとまで冬夜は思った。
そうして、彼女の体をあまり見ないようにして冬夜は着せていたジャンパーを脱がせると、彼女が最初に着ていたワンピースに手をかける。
「……なっ!?」
その時、冬夜は驚愕した。
なんと、彼女はワンピースのしたに――何も着けていなかったのだ。
「――――!」
驚愕の事態に赤面しながら声にならない音を声帯から出す冬夜だったが、あまり見ないように強く目を瞑って彼女を風呂に半ば投げるようにして浸からせたのだった。
風呂の扉を閉めた冬夜は扉に体重をかけるように座る。いきなりのことだらけで、どっと疲れが押し寄せてきたのだ。
その時、冬夜の体がぶるっと震える。全速力で外を走ったとはいえ、上着を着ていなかった彼の体は冷え切っていた。
(そういえば、自分の防寒具をすべて彼女に着けてしまったんだっけ)
彼女が溺れないことを確認した冬夜は、彼女が風呂から上がった時のことを考え、風呂場に彼女を置いてリビングのストーブを点けに行くのであった。
スイッチを押したストーブは、時間をおいてからそれらしい音を立てて火をつける。
「うぅ寒い」
冬夜は火が点いたストーブに手をかざす。紅い灼熱のルビーのように燃える火炎を見ていると、さっきあったことすらも忘れてしまいそうだ。
部屋も暖まってきた頃、疲れがたまっていた冬夜はうとうとしてきた。
(駄目だ、ねむ、い)
少女を背負って走ったり、お風呂に入れたりとした冬夜は、暖かさに誘われるようにストーブの前で眠りはじめる。
ぴちょん。
薄い意識の中、冬夜は顔に柔らかく冷たい物が付着するのを感じた。
(そういえば、あれから眠ってしまったんだっけ。僕の家には僕一人しかいないはずなのに、なぜか顔に冷たい水滴のようなものが……、水滴?)
眠っていた冬夜が目を覚ますと、目の前には、きれいな二つの蒼く大きなビー玉が二つあった。
冬夜の上には先ほど風呂に入れたはずの少女が乗っかっていた。あまりの出来事に冬夜は無言。一方の少女は何の反応も示さない。
気まずい沈黙を打破するために、冬夜は少女より先に言葉を紡ぐ。
「えっと」
「……わふぅ?」
和風って言ったのだろうか、言葉の意味はどうでもいい。問題は今の状況だ。とまとめた冬夜は、とりあえず現在の状況を整理することにした。
さっきストーブの抗いがたい誘惑に負けて、うとうとストーブの前で眠ってしまった。
そうしたらさっき風呂に入れたはずの少女が僕の上を馬乗りしている。それも裸の状態で。
以上、整理完了。
「って、降りてくれないかな?」
「わふぅ」
少女は冬夜の話を聞かず、冬夜にキスしてしまいそうなくらいに顔を近づけるとすんすんと匂いを嗅ぎ始める。
その行動はまるで危険がないか確認するために犬が臭いを嗅いでいるよう。
「わふぅ~」
顔を離した少女は、冬夜の匂いを気に入ったのか、とびっきりの無邪気な笑顔を冬夜に向けるのであった。
一方の冬夜と言うと、女の子にこういうことをされるのは初めてだったので、どきどきしっぱなしで何もできない。
「あ、」
いきなりのことに頭が混乱していたが、ふと彼女が風呂場から来たと思われる方向を見てみる。案の定だが彼女が歩いてきたであろう場所は水浸しであった。
それに彼女を改めて見ると、長い銀髪と体はびしょびしょに濡れたまま。こうしている間にも冬夜の顔には水滴が落ち続ける。
冬夜はとりあえず彼女のことを心配して口を開く。
「えっと、そのままだと風邪ひくよ?」
「か。ぜ?」
彼女は顔をかしげるとまるで言葉を覚えたてのような赤子のようなかたことな喋り方で返した。
(この子、言葉が分からないのか?)
通ってきたところが水浸しと言い、風呂から出てきたのにびしょ濡れのままのことっといい、どうやらこの子は体を拭くことやお風呂のことについて知らないようだ。
まるで本当に動物そのもののように。と分析していたら、髪の毛から水滴がまた冬夜の顔の上に落ちてきた。
この寒さだと実際に風邪をひいてしまう可能性があるので、冬夜は多少強引に少女を上からどかす。
すると彼女の裸体が目に映らないように瞳を閉じながら、今まで住んできた感覚で風呂場に向かう。
風呂場にはタオルが置いてあるはずだから。
「ちょ、ここで待ってて。いいね?」
「にゃう」
タオルをとりに行く冬夜の背中に、さっきとはまた違う、猫のような鳴き声で返事をする。
冬夜の意思が伝わったのか、冬夜が帰ってくるまで彼女はその場を動かなかった。
風呂場から駆け足で戻ってきた冬夜の手には、少女が着ていたワンピース、彼女を拭くためのタオルが脇に抱かれていた。
ワンピースをストーブの近くに置いてある大型のソファの上に置くと、冬夜は彼女に被せるようにタオルを投げる。
投げたタオルは彼女の全身を覆うように落下した。
「ちゃんとおとなしくしててよっ」
「わふぅううううう!?」
少女の頭をタオルで拭き始めたとき、彼女は嬉そうに雄たけびのような声を上げた。声とは逆に体はプルプルと震えながらも我慢しているけど。
拭いている途中に気付いたけど、タオルの上からでもわかる程彼女の髪の毛はとても柔らかい。まるで高い絹の布を扱っているような気分に錯覚してしまう程に。
髪の毛からある程度の水分を拭き取ると、冬夜は体にタオルを覆いかぶせるようにしながら拭き始める。
後ろから拭いているので見える危険性もない。安全だと冬夜は確信した。
最後に拭くのは……彼女の尻尾だ。
(…………)
あまりツッコミは入れず丁寧に拭いていく。動物の尻尾と同じせいか、少し多めに水分を吸っていた。
こうして体中を丁寧に拭いた後、
「腕あーげてっ!」
「わふっ」
冬夜は後ろから少女の腕を上げさせて服を上から着せる。
少女は最初に見た時と同じ状態になった。違っているのは体温くらいだ。
「さて……」
冬夜は腕を組み、難しい顔をしながら考え込む。
この子をどうするべきなのかを。
まぁ、することは一つなのだけど。
「一応聞くけど、名前は?」
「わふぅ?」
尻尾を両方にぱたぱた、と振るわせながら、少女は不思議そうに首をかしげた。
少し可愛いなと思ったのは秘密だ。
「やっぱり駄目か」
分かってはいたのだが、冬夜はがっかりした。今度はどうするべきかなと考えていると、
ぐー、という二つの音がグッドタイミングで部屋の中に虚しく響く。
冬夜、そして少女の腹の音であった。
少女と顔を見合わせる冬夜だが、彼女にはあまり変化はない。
時計を見てみると、もう十二時を回っていた。
朝飯も食べてなかったこともあり、冬夜はとてもお腹が減っていた。
「何か作るかな。そこで待ってて」
「にゃー」
さっきから、『わふぅ』と犬の鳴き声(擬音)や『にゃー』と猫の泣き声(やっぱり擬音)の二つを発しているが、この少女はどっちなんだろうか?
冬夜は真剣に悩んだ。
「さて、何か無いかな?」
台所を漁ってみているが、食品庫はすかすか。おまけに冷蔵庫は調味料ぐらいしかない。もはや食品と名の付くものは限りなく無かった。
有るのは正月用に母が一応買っておいたものなのか、もちときな粉があった。
ちなみに正月の定番であるおせち料理。その用意の欠片もないのは、母が父の行動を先読みしてのことである。おそるべし。
「まぁいいか」
そうして、袋から出した餅をそのまま持って少女に近づく。
「もち。食べれる?」
「にゅ?」
答えてくれるかは不安だったが、少女は差し出した餅を興味深そうに見てにおいを嗅ぐ。
すると、にこっ、という擬音が聞こえてきそうな笑顔でこちらを向いた。
――どうやら、食べられるようだ。
「じゃ、焼いてくるから待ってて。暇だろうからテレビでもつけておくね」
そうして、スイッチを押したテレビには、昨日誰かが最後に見た番組のチャンネルが映し出される。お昼ということもあり内容はバラエティのようだ。
冬夜は少女とテレビに背を向けて台所に歩きはじめる。
「にゃーーー!?」
すると、少女の興奮した声が聞こえてきた。
振り返ると、少女はテレビに釘付けになっている。
(本当に子どもみたいだ)
冬夜はそんな彼女の様子に顔をほころばせながら、再度足を台所に向けて歩き始めた。
五分後。
オーブントースターで焼き終わった餅は香ばしい香りを漂わせていて、食欲を誘うには十分だった。
それをさらに乗せると、味付け用に用意したきな粉も持っていく。
皿をテーブルに置いた次の瞬間、冬夜は驚いた。
「はい、どうぞ」
「あり、が、と……う?」
しゃべり方はさっきと同じような、言葉を覚えたての子供のような話し方だが、少女は確かに僕にそう言ったのだ。
――さっきまで喋れなかったのに。
そしてテレビを見ると、バラエティは終わりドラマが放送されていた。
そういえばさっき、ドラマの中で子供が大人からものをもらった後に「ありがとう」って言っていたような気が。
「まさか、この短時間で言葉を覚えたの?」
「わふ?」
空腹をよそに、興味本位で試しに実験してみることにした。
「僕の名前は柴咲冬夜。ト・ウ・ヤ」
自分の方に指をさして彼女に己の名前を教える。
「とう……や?」
「そう、冬夜」
「とうや!」
少女は冬夜の名前を元気よく発音する。先生に呼ばれた小学生のように。
どうやら、彼女は学習能力が常人より遥かに高いようだ。
すると少女は楽しそうに冬夜の名前を連呼する。
「とうや♪ とうや♪」
「すごいな、もっと試して……」
みよう。と言おうとした時、腹が「早く飯」と急かしているかのように大きな音が鳴った。
「そういえば、おなか減ってたっけ」
少女があまりにもすごいことに、すっかり忘れていた。
――と言うことで、食事を挟んでの第二実験。
「これは、お餅」
「おも……ち?」
「そうそう。そしてこれがきな粉」
「き……な?」
「うんうん……きな?」
うまく発音できなかったのか、『粉』が抜けていた。
でも特に問題はないので、冬夜はすぐさま食事にとりかかるために両手を合わせる。
「じゃあ手を合わせて、いただきます」
冬夜は少女の手を取り、彼女に覚えさせるように両手を合わせる。その後、少女の小さい口が開く。
「いただき……ます」
「そう。いただきます」
食前のあいさつも済んだので、お餅を持って冬夜は食べ始める。
その様子を、少女はまじまじと観察していた。
観察しているだけで食べる様子がなかったので、餅を少女の顔の前に近づける。
「食べられそう?」
「にゃ」
少女は近づけられた餅を手に取ると不思議そうに眺めた。形を覚えるように様々な角度から見ながら。
そんな行動を数秒した後、冬夜が食べた素振りをそのまま真似して餅を口に運んだ。そのまま黙ってもぐもぐと咀嚼していく。
「どう?」
「……にゃあ」
お餅を食べ終わった少女は嬉しそうな顔をこちらに向けた。笑顔からするに、どうやらおいしかったようだ。
「さて、名前のない君をなんて呼ぼうか」
「……?」
少女は冬夜の言葉を理解していないのか、頭にはてなを浮かべながら首を傾げる。
冬夜はそんな彼女を見ながら、どんな名前がいいか思考する。
今までのことで、何か可愛らしい、この子に似合う名前はないだろうか、と。
――き……な?
さっき教えた『きな粉』と言う単語を『きな』と言った少女の姿を思い出す。
『きな』――これでいいか。
そうして、嬉しそうに頬張る少女に目を向けると冬夜は口を開いた。
「君は――――きな」
そうして、少女に向かって指をさして(いささか失礼な気はするが)そう覚えさせてみる。名前の選択権は彼女にあるのだから。
「きな?」
「そう、君の名前はきな」
「……きな!」
嬉しそうに少女は言葉を返す。いや、もう少女という呼び方はやめよう。彼女にはもう名前があるのだから。
きなは自分の名前を嬉しそうに言い表す。
「僕は?」
「とうや! ……にゃふ!」
ちゃんと、僕の名前も覚えているようだった。
「よくできました」
ぽふっ、と頭をなでてからお餅を手渡す。もちろんきな粉をつけるのは忘れずに。
「わふぅ~♪」
きなは嬉しそうにお餅を頬張るのであった。
「きな、これは?」
「これは、みかん?」
「そうだよ。冬に食べる定番中の定番の食べ物だよ」
食事を食べ終えた僕は、あれから家の中を回りながら二時間程度きなに言葉を教えていた。
きなの学習能力は恐ろしく、この短時間で普通の人間のように喋れるくらいに言葉を理解していた。只者ではない。
でも本当にすごいのは、
「とうや! これはなんていうの?」
自分から聞こうとする『興味』とその不思議を解こうとする『好奇心』であった。
それが彼女の高い学習能力を表す一つでもある。
「これ? これはこたつ。このスイッチをつければ暖かくなるから、もしも僕がいないときに寒かったら、あのストーブかこのこたつを使うんだよ」
冬夜はあれから二時間してきなをこの後どうするかと言うことも考えた結果……、こんないたいけな少女をこんな寒い季節にワンピース一枚で外に追い出すようなことはできなかったので、もう少し言葉を覚えさせてからいろいろ聞こうと言う結論に至った。
幸い、両親+弟が帰ってくるまであと十日もあるのだ。それまでなら彼女を家においていても誰にも文句は言われないだろう。
まぁ、文句を言う人間は現在旅行中なのだが。
「とうや? とうや?」
「ん? どうかした、きな……!?」
考えをまとめるのに夢中になっていた僕は、服の裾を引っ張っていたきなに気づいてあげられなかった。
僕より小さいきなは、なぜか分からないが半泣きで見つめてきた。
「とうや、わたしから、いにゃくなるの?」
「それはほら、買い物とかきなのために買ってこなきゃいけない物もいっぱいあるからさ」
でもね、と一拍おいて答える。
「大丈夫。僕はきなが一緒にいて欲しいと思ってくれている間は、ずっと傍に居てあげるから」
「ほんと?」
「……嘘をつく必要があるかい?」
できるかぎりの精一杯の笑顔できなに答える。彼女を心から安心させるために。
そして、きなの目に浮かぶ涙を指先で丁寧にふき取る。
「わかった?」
「にゃっ!」
うん、と答えず『にゃっ!』と答えるのは、きならしいと冬夜は思った。
返事をした後、彼女は嬉しそうに耳と尻尾を震わせていた。
「どうする? もっとお勉強する?」
「うん! もっといろいろしって、とうやといっぱいおはなしする!!」
「そっか。じゃあ次は何を聞こうかな……」
こうして、僕は夕食になるまできなの好奇心に付き合うのであった。
そろそろ夕食の時間だ。きながおなかを減らさないようにとっとと作らなければならない。
さっきは簡単なお餅にしたが、今度は時間にも余裕があるので冷蔵庫の中の食材を使って本気を出そうと思う。
だが、子供に食べさせるのに何が良いだろう?
あまり甘い物という気分ではない。かと言って辛い物だったらきなが泣いてしまうかもしれない。
冬夜は考えるあまり、苦しさを紛らわすためにうめき声を出す。
「うー☆」
「どうしたのとうや?」
冬夜が料理をしている間に勉強するために借りた絵本を持ちながら、きなは自分より背の高い冬夜の顔を見上げていていた。
その顔には心配の色が浮かんでいる。
「夕食は何にしようかな、ってね。」
「じゃあ、わたし卵焼きたべてみたい!」
きなが笑顔で開いた絵本の中には、きれいな卵焼きが描かれていた。
どうやら、絵本に影響されたらしい。
「分かった。あとは僕が考えるよ。きなは危ないからあっちのテーブルに座っていて」
「にゃっ!」
とてて、という擬音が合う走り方でテレビをつけたきなは、ソファに腰かけると楽しそうにテレビを眺めていた。
「卵焼きと、何がいいかな?」
寒い雪の日に食べるもので、卵焼きと合うもの。
考えると、一つあった。
「冬にあう汁ものと言えば、シチューが定番だよね」
冷蔵庫の中に奇跡的に残っていた材料を用意した冬夜は、さっそく作業に取り組むのであった。
「きなー、ごはん出来たよ! 準備手伝って!」
「はーい!」
本を読みながらテレビを見ていたきなは、冬夜の声を聞いて素直にキッチンまで走ってきた。
そして冬夜の裾を軽く引っ張ると、不安そうに冬夜を見ながら口を開いた。
「とうや、卵焼きできた?」
「うん。ちゃんとできたから、きなはテーブルにこれを持って行ってね」
そうして、きなの両手にお箸とスプーンを持たせる。
「これ、何?」
「これは、こっちがお箸、そしてこのさきが丸いのはスプーンだよ。ご飯を食べるときはこれを使って食事をするんだ」
「そっかー!」
「あと、お箸とスプーンには向きがあって、この向きで置くんだよ」
「うん。きな、きちんとした向きで置いてくる」
素直に聞いてくれるきなには、本当に助かる。
これが――――本当の赤ちゃんの子どもだったらもっと大変なんだろう。
今になって親のありがたみがわかる気がした冬夜であった。
「いただきます!」
「いただきます」
今日の食卓に並んだのは、ごはん、卵焼き、シチューと至ってシンプルなメニューであるが、
「わー!」
初めて見るせいか、きなはというとやはり驚いていた。
「ところでだけど、きな」
「なに? とうや」
「ご飯を食べるために、少しお勉強しようか」
「わかった」
こくん、ときながうなずいた後、僕は左手に箸をとる。もちろん、きなにお箸の持ち方を教えるためだ。
僕も特に自信があったわけではないが、がんばってきなに教える。すると、
「こう?」
冬夜の持ち方を真似したのか、きなは右手にお箸を持つ。
左に持たなかったのは、おそらく僕が左で持ったからだろう。鏡と同じ原理だ。
「むずかしいね」
「でも今の日本人はこうしてご飯を食べるんだよ」
「この白いのがごはん。それでこの白いのはシチュー。で黄色いのがたまごやき」
一つ一つ、覚えるように言った後、きなはお箸でごはんと卵焼きを口に含む。
「おいしいよ、とうや」
特に料理に自信があったわけではないが、それでも喜んでもらえるのはとてもうれしいことだ。
「そっか。おかわりあるから、いっぱい食べていいよ」
「うん。あしたもいっぱいとうやといろいろするから、いっぱい食べる!」
こうして、二人楽しく食事を楽しむ二人だった。
「きなー。風呂に入るよ」
「はーい」
現在時刻は九時。食事を終えた冬夜達はリビングでくつろいでいたが、風呂が沸いたのでこれから入りに行く準備をする。
しかし一つだけ問題があった。それは――。
「わたし、とうやといっしょにはいる!」
「だめだよ。僕は男できなは女の子なんだから」
難しい問題に直面していた。
きなが冬夜と一緒にお風呂に入りたいと言うのだ。いくら獣の耳と尻尾が付いているからと言ってもきなは女の子だ。その辺の区別はするべきだろう。
しかし、きなはその辺を勉強していないので恥じらいも無く言うのだった。
「むー!」
しかしどうしても入りたいのかきなは上目づかいで「一緒に入ろ!」と言わんばかりの無言の言葉を投げかけてくる。
何とかできないものか?
「分かった」
「ほんとに!?」
冬夜の頭に一つのアイデアが浮かぶ。
とっても如何わしい気がするが、きながどうしてもというのならこれでいいだろうと、彼は自己納得する。
「ただし、お風呂の中では体にタオルを巻いて。いい?」
「わかった!」
「準備できたよ!」
タオルの装備は完璧のきなであった。
だが、
「こっちも準備完了!」
「とうや!? 服脱いでないよ!?」
冬夜は服を脱いでいなかった。
なぜなら、
「僕がきなの頭を洗ってあげればそれでいいでしょ?」
「えぇー」
非難の声をあげるきなだが、これもきなのためだと冬夜はきなをなだめた。
「お風呂の使い方は覚えた?」
「うん」
「それじゃ、頭洗おっか?」
冬夜は手にシャンプーをつける。
水をつけて泡立てるさまは、きなにとってはまるでイリュージョンのようだったのか、僕の手を見たときのきなはすごく嬉しいようだ。
「じゃあ、洗うよ?」
泡立てた手で、きなの頭を洗っていく。
きなの髪は、最初に触った通りとても柔らかく、綺麗だった。
洗われているきなの方はと言うと、
「ー♪」
鼻歌を歌いながら、楽しそうに冬夜に頭を預けていた。
――嬉しそうで何よりだ。冬夜は心の中でほっとする。
「とうやはお風呂いつ入るの?」
髪を洗っている時きなは冬夜に問いかける。泡が入らないように目を瞑りながらも、冬夜がいる方向に。
「あぁ、僕はきなが出てから入るよ」
「……」
普通の答えをしたつもりだが、なぜかきなの表情は曇っていた。
一拍おいた後きなは言った。
「いまからでも、とうやといっしょにはいりたい」
「なにをいって……」
言葉はさえぎられた。
「わからないけど、大切だとおもうんだ、いっしょにはいること」
「……」
「タオル巻いているから、やらしくにゃいよ?」
どこで覚えたのか、少し恥じらいながらきなは言った。
「……はぁ。わかったよ。頭洗い終わったらはいるから」
「わふっ!」
教育上よい物なのか、冬夜は少し不安だった。
「じゃ、入るよ」
数分後、冬夜は腰にタオルを巻いて風呂に入るのだった。考慮したつもりだが、これでいいのだろうか。冬夜の心の中に戸惑いが渦を巻いている。
どうでも良いが、彼にとっては本日二度目の風呂であった。
「ふぅ」
そうして僕は風呂に浸かる。体と頭を洗ったきなは既にお湯の中に浸かっていた。
冬夜の家の風呂はそんなに大きな訳ではないので、二人は体育座りで一緒にお風呂に入る。
「そういえばさ、今日僕がお風呂に入れた後どうして出てきたの?」
隣で顔もお湯に浸からせているきなに冬夜は聞いた。
「えぇっと……目がさめたら誰もいなかったから」
確かに。いきなり知らない場所に居て、誰もいなかったら誰かを探したくなるだろう。
「それで、体を拭くなんてとうやに教えてもらうまでわかんなかったから、拭かないで歩いていたら、とうやがストーブの前で眠っていたから、起こそうと思ったの」
「そっか」
きなの顔を見ながら冬夜はそっけなく頷く。
なんだろう、のぼせているのかきなの顔がほんのり赤い気がする。
「きなは出た方がいいんじゃないの? 熱くない?」
「うん、あつくないから大丈夫だよ」
きなは目をそらしながら答える。
大丈夫ならいいのだが。
そうして、彼は浴槽から出て適当に体を洗い始めた。
「ねぇ、とうや」
「なに?」
「とうやはどうしてわたしと会えたの?」
なんか意外な質問だった。
てっきりこの家に来てからの記憶があるのなら、会った時の記憶も覚えているのではないかと思っていたからだ。
何も知らないきなに冬夜は今日会ったことを包み隠さず話す。聞いている方のきなは、本当に知らないようで驚きながら聞いていた。
「わたし、寝てたんだ」
「なんか思い出した?」
「ううん。何も覚えてない」
耳をぴこぴこ移動させながらきなは答える。
「そっか。覚えてないんだったらいいんだ。……無理に思い出す必要もないし。もし機会があったらきなもその森に行こうか」
そうして、冬夜はきなの頭を優しくなでる。
喜んでいるのかきなの尻尾と耳は嬉しそうに動いていた。
「さて、体も洗い終わったし出ようか」
「うん!」
そうして、体を拭いてお風呂を後にしようとしたのだが、これが一番大変だった。
なぜならきなには白く長い髪を持っており、さらにはふわふわの耳と尻尾を持っている。
乾かすのが大変なのは、言うまでもなかった。
午後十時。
体を乾かして風呂を後にした二人は眠るための準備をするために冬夜の部屋にいた。
「おやすみ、きな」
「おやすみ。とうや」
ベッドは一つしかないので、きなにはベッドを貸して冬夜は下に布団を引いて眠るのだった。
今日だけでいろいろなことが起きた。
散歩をしていた途中できなを拾い、そしてきなに言葉を覚えさせた。
今日だけで新しいことをしすぎた気がする。
これから……きなをどうしようか。
そのことが頭に一杯だった。
「あにょ……とうや?」
「どうしたのきな、トイレ?」
寝ていた冬夜はきなのほうを見る。
きなは布団を掴みながらどこか恥ずかしそうに僕を呼んでいた。
「違う……」
どうやら、具合が悪いわけではなさそうだ。
「一人じゃ、さむい」
「もしかして、寂しいの?」
「にゅー……!」
きなは怒っているか怒っていないのか分からないような微妙な顔をこちらに向けていた。
彼女が風邪をひいてしまってはいけないので、冬夜は自分の布団を持ってきなの布団に入ることにした。
「これで大丈夫?」
「うん。あったかい」
「でも、狭くない?」
冬夜のベッドは元々一人用だったので、いくら小柄なきなでも広いとは言い難い状態である。
けれど、きなの顔に非難の色は無い。むしろ温かい笑みを浮かべていた。
「とうやだから大丈夫」
「そっか」
一緒に寝ていて分かるがきなの体温はとても暖かい。
それにふかふかの尻尾がある。寒いというのはおそらく嘘であろう。
しかし、きなが寝たいというならその要望に沿うべきだと思う。あまり甘えさせるのもよくないと思うのだけれど。
そんなことを考えていると、
「すぅ」
隣から寝息が聞こえてきた。
今日のことが疲れたのか、きなはすぐに眠ってしまっていた。
きなの頭を撫でた後、彼は目を閉じて眠る準備をする。
狭いせいで顔が近い気もするがしょうがないだろう。
「おやすみ、きな」
こうして始まった一人の少年と謎のけもみみっ娘の物語。
彼らはこれからどのように過ごしていくのだろうか。
少女きなの正体とは?
そして、冬夜はこの十日間でどんな答えを出すのだろうか。
(一日目 終了)
初めまして。ほかの作品で知っていらっしゃる方はお久しぶりです。
僕は大体二次小説しか書いたことがなかったので、今回のような完全オリジナル作品は初めてなので軽い気持ちで見てくれれば幸いです。
ありふれた物語ですが、みなさんの心に少しでも残りますように。