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千年の冬  作者: やくも
34/34

第三十四幕:残された時間


 1


 勝負は一瞬だった。

 切り裂くとも引く裂くとも表現し難いその斬撃は、しかし確かに影の存在を両断した。

 灰色に染まる真昼の空の下、濁るような黒い大鎌を携えた死神は、間違いなく今一つの命を絶った。

「……なる、ほど。どうやら本当に……君と僕は同じ線の上に立っていたみたいだ……」

 今までとは違う、嘲笑うような口調ではなく、確かな苦痛が混じってくぐもったような声でそれは言った。

「同じ? 違うな。俺とお前、その存在の意義は同価値のものかもしれないが、お前と俺では違いすぎる」

「ふふ……そのよう、だね。しかし予定外だったよ。こうなるのだったら、何よりも真っ先に君を消してしまうべきだった」

「……お前の言う物語とやらをなぞることに、目を奪われすぎたな」

「仕方、ないさ。そうでもしなければ、僕そのものが先に消えてしまうのだから」

「……やはりお前は、確立できない幻想に過ぎなかったのだな」

「……ふん、死神の君に同情される言われはないよ」

「奇遇だな。俺も同情する気など毛頭ない」

「……言いたいことを言ってくれる……」

 影の膝が崩れ落ちる。

 その体がゆっくりと傾ぎ、アスファルトの地面に向けて倒れていく。

 しかし、それさえも叶わない。

 徐々に倒れていく影の肉体は、しだいに風化するかのように溶けて消えていく。

「……勘違いしないことだ。まだ、全てが終わったわけじゃない。今日が終わるまでに僕の組み上げた物語を壊せなければ、僕の物語はまだ終わりはしない。断言しよう。君達に、僕が用意した結末は壊せやしない。絶対にね……」

「…………」

「愉しみだ。最後に君達は、どんな叫びを聞かせてくれるのか。それを間近で見下ろせないのが、残念で仕方がないよ……ははは、あははははは…………」

「……消えろ」

 そして更に一閃、黒い大鎌が轟と薙いだ。

 砂粒ほども残らずに、影の残滓は風に吹かれて跡形もなく消え去った。


 これで全てが終わったわけではない。

 むしろ、最大の問題はたった今より始まることになる。

「……終わった、のか?」

 遠目でその光景を眺めていた冬夜は、絞り出すような声で呟く。

 今確かに、目の前であの影は跡形もなく消え去った。

 自分では絶対に叶わないであろう、触れることも許されなかった次元の違う敵が、確かに消え去った。

「終わったの? 本当に……」

 隣の神楽も同じような言葉を口にする。

 無理もない話だった。

 絶望的ともいえる状況に陥っていたのに、カルマはその現状をあっさりと打破してしまったのだから。

 そのあまりの呆気なさに、達成感も充実感も何一つ浮かんではこない。

 目の前の現実を素直に受け入れることさえ、今の心境では難しいことだった。

 そんな二人の元に、カルマは静かに歩み寄ってくる。

「……なぁ、これで全部、終わったのか?」

 冬夜はカルマに問う。

「……ヤツは消えた。この次元にも他のどの次元にも、もう存在しない」

「死んだ、ってこと……?」

「死とはまた少し違う。もとよりあれは生きていない。生きていないものが死ぬことなどできないだろう。とはいえ、死んだという表現が間違っているわけではないか。兎にも角にも、ヤツはもういない」

「じゃあ、本当に本当に、これで全部終わったんだ……」

 安心したような、しかしどこかで胸の中の取っ掛かりを感じながら神楽は呟く。

 終わった。

 何もかも。

 だけど何だろう、この胸のうちに残るもやもやした感覚は。


 そんな思いを抱える神楽をよそに、冬夜は口を開く。

「……まだだろ? まだ、終わってないんだろ?」

 その言葉に、神楽は伏せかけた顔を上げる。

「最後にまだやるべきことが、残ってるんじゃないのか?」

 そう、カルマに向けて聞き返す。

 カルマは向けられたその視線を真正面から受け、しかし一度だけ静かに目を閉じると、すぐにまた目を開いた。

「……ああ、そうだ。やるべきことがまだ残されている。そしてそれを成すのは亜城冬夜、そして神楽。お前たち二人の役目だ」

 その言葉の直後、三人の間を冷たい風が吹きぬけた。

 そのまましばしの沈黙が流れる。

 誰も進んで口を開こうとはしない。

 時間だけが無意味に流れていく。

 やがて、冬夜は静かに口を開く。

 成すべきことを成すために、何をすればいいのか。

「……どうすればいい?」

「……ついてこい。向こうで全て話す」

 そう言い残して、カルマは一足先に教会へと続くその道を歩き始める。

 その背中に、冬夜は無言で続いた。

 そのさらに後ろを、不安の色を隠しきれないままの神楽が早足でついてきた。


 2


 ギィと音を鳴らし、教会の扉が押し開けられる。

 教会の内部に灯りはついておらず、三人は薄暗いままの通路を歩くことになった。

 更に奥の扉を押し開け、カルマは先に進む。

 中庭が一望できる通路に出た。

 そこには巨大な一本の大木が聳え立ち、曇天の空をその枝葉で覆いつくしていた。

「こっちだ」

 と、カルマはそのまま通路を進むことはせず、開け放たれたままの中庭の上を進んでいく。

 草地を踏みしめて進むと、道はちょうど大木の根がむき出しになっている部分へと続いていた。

 間近で見ると恐ろしく大きい。

 幹の太さはゆうに一メートル近くあるのではないだろうか。

 冬夜と神楽は、しばらくの間その大木の存在感に目を奪われていた。

 神秘的とも、幻想的とも違う。

 けれど、ここは確かにそれに近い謎めいた雰囲気を持っていた。

 不思議と、こうしてただ眺めているだけで気持ちが落ち着いてさえくる。

 懐かしさにも似た感覚さえこみ上げるほどだ。

 この木を見るのは、生まれて初めてのはずなのに……。

「終焉の大樹」

 ふいにカルマが呟いた。

「え?」

「この木はそう呼ばれている。その名の由来は知らんが、皮肉にもその名はこれから起こることを考えれば相応しいとも思える」

「どういう、意味だ?」

「…………」

 カルマは答えない。

 代わりに、いつの間にかやってきていた一人分の足音の主が言う。


「……辿り着きましたか、この場所に」

 冬夜と神楽は揃って振り返る。

 そこに、見たまま教会の神父と覗える服装の時任が立っていた。

「アンタは……」

「時任さん……」

「知ってるのか?」

「この教会の、神父さんだけど……」

 どうしてこの人がこの場に……いや、ここは教会なのだから神父がいておかしいことは何一つないのだが……。

「……あなた達二人がこうしてこの場に来たということは、決心はついたということですね?」

「決心? 何のことだ?」

「時任さん、それって一体……」

「時任、まだ二人には話していない。これから話すところだ。それに、お前も立ち会うべきだろうと思ったからな」

「そう、ですね。確かに私も、最後まで見届ける義務がありますから」

「……いい加減に話してくれ。ここが一体何だっていうんだ? 俺達がやらなくちゃいけないことって、何なんだよ?」

「…………」

 神楽も無言で先を促す。

 カルマは相変わらずの表情だったが、対する時任はどこか悲しそうな顔をしていた。

「では、話そう」

 一瞬だけ緊張が張り詰める。

 そしてカルマは口を開いた。


「あの影の物語の根源となっているのが、この大樹だ。言い換えれば、物語を養分として育ったのが、この大樹なのだ」

「何……?」

「この木が、物語?」

「養分となったのは物語に沿って消失した人の命と記憶。それらを糧として、この木は育っているのです」

 時任がカルマの言葉を補足する。

「つまりだ。この木さえ切り倒してしまえば、もうこれ以上育つことはなくなる。それは即ち、今後ヤツのような存在が再び現れることもなくなるということだ」

「……ようするに、俺達にこの木を切り倒せって、そういうことなのか?」

「そうだ」

 カルマは即答した。

「何だよ。そんなの簡単じゃないか。どいてろよ、こんなの一撃で……」

 わずかに身構え、抜刀を試みかけた冬夜の背中に、更なる言葉が突き刺さる。

「できるのか?」

「……確かに頑丈そうな幹だけど、やってやれないことは」

「そうではない」

 と、カルマが言葉を遮る。


 「――もう一度聞くぞ。できるのか、お前に? お前の両親の命と記憶も一緒に吸い取ったこの木を、お前に切ることができるのか?」


「……っ!」

 その言葉に、冬夜は全身が凍りつく感覚を覚えた。

「この木を切れば全てが終わる。真の意味でな。だが、それは同時にこの木の糧となった人々の記憶も全て消し去ることを意味する。当然、亜城冬夜。お前の中にある限られた両親の記憶も全て消え去ることになる。それでも、お前は切るか? 切れるのか?」

「…………それ、は……っ」

「……神楽、お前にも教えなくてはならないことがある」

「な、何?」

「お前の母……鈴菜は、まだ生きている」

「……お、母さん……が?」

 呼吸することも忘れ、神楽は呟いた。

「……どこに、どこにいるの?」

 恐る恐る訊ねる。

 そして答える代わりに、カルマはそっと指差した。

 その、聳え立つ大樹を。

「……嘘……」

「嘘ではない。鈴菜は今もこの木の中で生きている。お前の前から姿を消したあの日から、ずっとこの場所で消え入りそうな命を繋ぎ止めている」

「…………」

 その言葉を半信半疑のまま受けて、神楽はそっと木の幹に手を触れた。

 そうすることで何が分かるわけでもない。

 ただ、触れたかった。

 けれど、現実は残酷だ。

 カルマのその言葉が真実だとすれば、それは……。


「……じゃあ、もしもこの木を切ったら、お母さんは……」

「……死ぬことになる」

「……っ!」

「だったらっ……!」

 耐えかねて、冬夜は叫んだ。

「どうしろっていうんだよ! 俺達が木を切れば、コイツの母親が死ぬ。けど、切らなかったらまた物語が繰り返す。どうすればいいんだよ? どうしたらいいんだよ!」

「甘えるな」

 と、カルマはその悲痛な叫びすら一蹴した。

「それを俺が決められるとでも思ったか? 決めるのはお前達だ。だから話した。何も告げず、俺がこの木を切り倒すことは容易なことだった。しかし、それでは何も変わらない。変わりはしないんだ」

「…………っ!」

「…………」

 返す言葉が見つからない。

 終わったはずなのに、何も終わっていなかった。

 ここが始まり。

 最初で最後、想いを断ち切るための決断。

「……今日が終わるまで、ちょうどあと半日ある。それまでにこの木を切らなければ、今日の終わりと同時に今年の物語が完成する。そうなれば、もう止めることはできなくなる」

 短すぎるタイムリミット。

 悩む時間など、もはやないに等しい。

「……お前達に十二時間の時間をやる。それで答えを出せ」

 それだけ言うと、カルマは静かにその場から立ち去った。

「……向こうに休憩用の部屋があります。少し、そこで気持ちを落ち着けてください」

 時任もそれだけ告げると、静かにその場を後にした。

 二人だけが取り残される。

 払いきれない迷いを、各々の胸の中に抱えて……。



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