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千年の冬  作者: やくも
32/34

第三十二幕:同一存在理由


 1


 そして夜が明け、朝を迎えた。

 本当の意味で、最後の夜を迎えるであろうその日の朝。

 驚くほどに目はすっきりと覚めていた。

 まだ朝靄の残る、早朝だというにもかかわらず。

「…………」

 冬夜はそんないつもと変わらない、しかし確実に何かが終わろうとしているであろう風景を眺める。

 世界は今日も無色だった。

 誰かが眠る、誰のものでもない世界。

 しかしそれも、今夜を迎えるまでに一つの区切りを迎えることになる。

 すなわちそれは、このまま無色の世界が続くのか。

 それとも、闇色一色に染まり返ってしまうのか。

 カチャリと、鞘の上から握り締めた刀が微かな音を立てた。

 その強く硬く握り締めた手の中に、全ての思いが詰まっている。

 遠い昔にいなくなった両親の想いと、近すぎて気付けなかった兄の想い。

 もう誰一人として、言葉を交わすことは叶わないけれど。

 あの日あの時あの場所で、最後まで感じられた温もりと優しさだけは、今もずっと、確かにここにある。

 だから……。

「……終わりにしよう」

 朝靄の向こう側に、冬夜は呟く。

「終わりのない物語は、今夜を迎えることはない」

 そう、誓って。

 冷たい廊下の上を、静かに歩き出した。


 私服に身を包み、刀を握って境内へと出る。

 朝靄は少しだけ晴れ、目を凝らせば景色は見渡せるようになっていた。

 砂利を踏みしめる靴音が、まだ早い朝の中にこだました。

 階段へと続くその石畳の、ちょうど真ん中辺り。

 そこに、彼と彼女は待ち受けるように立っていた。

「……おはよう」

 冬夜は二人に声をかける。

 神楽は声には出さず、ただ一度頷くだけでそれに応え、カルマは無言のまま、わずかばかりに視線を向けただけだった。

「調子はどうだ?」

 と、カルマが聞いた。

 言うまでもなく、それは昨夜に負った傷の具合のことだろう。

「……正直、本調子には程遠いな。けど、だからって泣き言を言う余裕なんてもうないからな。しがみついてでもやってやるさ」

 冬夜の返答を受けて、カルマはそのまま視線を神楽へと移す。

 対する神楽も、静かに一つ頷く。

「私は平気。準備も覚悟も、とっくにできてるから」

 そう返す神楽も、普段着に身を包んでその手に刀を握り締めていた。

「終わらせよう、今日を。今日が終わる前に、私達の今日を終わらせよう」

 冬夜は無言で頷く。

 当たり前だ。

 そのために、こうしてこの場所に立っているのだから。

「……では、行くぞ」

 先頭を切って、カルマがまず歩き出した。

 静謐ささえ覚える境内の真ん中を、一際背の高い真っ黒な男が歩き出す。

 その背中が少しずつ、下る階段に隠れて見えなくなっていく。

 立ち上がり、神楽がそれに続いた。

 二人分の足音が、一足先に遠ざかっていく。

 一度だけ、冬夜はその場で静かに目を閉じた。

 ……父さん、母さん……それに、兄貴……。

 胸の奥で呟く。

 ……行ってくるよ。

 力を貸してほしいなんて、そんなわがままは言わない。

 だから、もう届かないだろうけど、その場所で……。

「……行ってくるよ」

 誰に告げた言葉だったのだろうか。

 それはきっと、冬夜本人も分かりはしないのだろう。

 二人分の足音を追いかける。

 早朝の冷たい風が一つ、不安げに頬を撫でた。


 異変はすでに始まっていた。

 いくら早朝だとはいっても、この様子は明らかにおかしい。

 歩き出して数分で、冬夜達は否が応でもその異変に気付かされた。

 人が、誰一人としていなかった。

 会社員も学生も、駅員もジョギングをする人も、誰一人としてすれ違うことはおろか、視界に捉えることさえできなかった。

 当然、自転車や車も道路を走ることはなく、犬を連れて散歩する人影さえも見つけることはできない。

 アスファルトの地面だけが際限なくどこまでも続き、道路の信号もその光を失っている。

 街としての機能さえも失っているのではないかと疑ってしまうほどに、今の状況は異質だった。

「……なぁ、これってやっぱり」

「だろうな。そう考えるのが妥当だろう」

 冬夜の問いを最後まで聞かずに、カルマは振り返らずに答えた。

「やつは今日で全てが終わると宣言したんだ。その前兆がすでに始まっていたとしても、別に不思議なことではない」

 口調こそいつもと変わらない淡々としたものだったが、どことなくそんな中に焦りのような感情が含まれているように感じられる。

 だが、それも無理もない話だろう。

 後手にばかり回されている立場としては、目に見えて迫るタイムリミットは圧迫以外の何者でもないのだから。

「すでに侵食が始まっているようだな。その証拠に、残滓だけがそこら中に散らばっている」

「侵食?」

 隣を歩く神楽が聞き返した。

「ああ。言ってみれば、おかしくなっているのは俺達の方だ。俺達が現実である世界から、少しだけ位相のずれた空間に引き込まれている状態にある」

 考え方としては、左右反転のない鏡の中の世界のようなものだと、カルマはそう続けた。

 つまり、冬夜達の目から見たこの世界はいつもと違うものに映ってはいるが、実際はそうではなく。

 街は変わらずにいつもどおり機能し、そこには人も車も当たり前のように行き交っているだの。

 ただ、その現実からわずかにすれた場所にいる三人は、現実の景色を目にすることができない。

 それはまさしく、鏡に映ったような世界に違いない。

 ただ鏡と違うのは、全てが正しく映し出されるわけではないということ。

 実に都合よくできた鏡とでも言うべきだろうか。

「これも、その影響ってことか……」

「恐らくは、な。確証はない。とはいえ、詮索する意味もないだろう。すでにやるべきことはたった一つと決まっている」

「……そうだな」

「うん……」

 冬夜と神楽は各々に、その手に握った刀に視線を落とした。

 それぞれの想いが、その中にある。

 迷うことなんてない。

 ただ、目の前に広がる偽りだらけの物語を、切り裂いてしまえばいい。


 最初は、たった一つの点。

 その点が二つになり、三つになり、十になって、百を数え、千に近づく。

 その頃になってようやく、無数の点は円を描く曲線になろうとしていた。

 ちょうど今、最後の一滴が滴り落ちようとしているところだ。

 それが落ちれば、千の点は一つの線を描く。

 始まって終わる物語。

 それは当たり前なことなのかもしれない。

 始まりがあれば、そこには必ず終わりがある。

 ただそれを終わらせるのは……終わりを決めるのは、他人の意思なんかであってはいけない。

 誰だって自分の中に、自分だけの物語を持っているのだから。

 始まりは皆等しく、産声を上げたその瞬間から。

 けれど、終わりを決めるのは、他でもないその人自身。

 だからこそ。

 こんな誰かの手の上で描かれた物語なんて、面白くも美しくもないに決まっている。

 押し付けられた物語なんかに、終わりなんて必要ないのだから。

 だからその物語を、壊しにいこう。

 跡形もなくなるように、もう誰も操られないで済むように。

 千年かけて積み上げた積み木細工を、崩しにいこう。


 2


「ようこそ。歓迎するよ、僕の物語達」

 廃墟のように聳え立つ教会の前、不釣合いにもほどがあるであろう十字架を背負って、それは微笑んでいた。

 もう見慣れてしまった……というよりは、目立ちすぎて一度見たら嫌でも忘れることができそうにない、黒衣の姿。

 黒い外套、黒いフード、黒い髪、黒い眼。

 しかしそれは黒と呼ぶには、あまりにも畏怖を感じる色合いで。

 ゆえにそれは黒という色ではなく、闇という存在そのものに融合しているかのようだった。

「それにしても、少し気が早いんじゃないのかな? まだ今日が終わるまで、半日以上も猶予があるというのに。クライマックスを迎えるのならば、タイムアップぎりぎりの方がドラマチックだとは思わないかい?」

 おどけるようにそれは言う。

 まるで余興の一つでも始めるかのように、お喋りなピエロのように。

「……悪いが」

 と、カルマは答えながら目の前の何もない空間へと手を伸ばす。

 次の瞬間、その空間だけがぐにゃりと渦を巻くようにうねり、その中から漆黒の大鎌がその姿を覗かせた。

 全長はゆうに二メートル近くあるという、カルマの長身よりもさらに長いその大鎌は、重さも相当のものだろう。

 しかしそれさえも感じさせずに、カルマは片手で軽々と大鎌を持ち上げ、面倒くさそうに肩に乗せた。

「お前の用意した舞台に上がるつもりはない。主役一人しか出演しない台本じゃ、反響はたかが知れている」

「……なるほど、それは確かに」

 カルマの言葉を受けて、しかしそれは相変わらずの笑みを見せ続けた。

 その、見方によってはあどけない純粋な子供を思わせる笑みが、もう邪悪な微笑にしか見えない。

 対峙するだけで体中を悪寒が駆け巡り、息苦しさを覚えそうになるほどだ。

「でもその割には、君達は舞台を見にやってきたわけだね? つまらない舞台なら、興味も失せるはずなのに」

「……何か」

 言い終えないうちに、カルマは大鎌の切っ先をそれに向けた。

「勘違いしているようだな」

「……へぇ?」

 しかしそれを受けてなお、それは笑みを絶やすことはない。

「身勝手な脚本家を野放しにしておくのに、些か飽きたまでだ。引退しろ」

「……断る、と、そう言ったら……?」

 笑みが歪む。

 不気味さ以外の全てが消し飛んだ。

「書き直しの要求は通らないか。通ったところで、見逃すつもりは毛頭ないがな。ならば、仕方ない」

 瞬間、カルマは地を蹴って跳んだ。

 その漆黒の大鎌の刃を、勢いよく振り上げて。


 「――無理矢理にでも、舞台から引きずりおろす」


 同時に、冬夜と神楽も鞘を鳴らして地を蹴った。

 鈴の音のように共鳴する、抜刀の鞘走り。

 空を裂く黒い鎌。

 まるで合奏のように、耳鳴りを覚えるほどの三つの音が朝靄を切り裂いた。

 対して、それは……。


 ――本当に愉しくて仕方がないと言わんばかりに、三日月に歪めた口元で佇んでいた。


「っ!」

 声を押し殺し、カルマは大鎌を振り払う。

 目には見えない、しかし確かにそこに存在する真空の刃が放たれた。

 直撃すれば、いかなるものであろうと有無を言わさずに両断することが可能なそれは、驚異的な速度を以ってそれに接近する。

 直後、轟音が響き渡った。

 教会の正面の壁が、まるで爆弾でも爆発したかのように大穴を空けられていた。

 厚さ十センチ以上はあろうかという外壁はもろくも崩れ去り、そこからは灰色の煙が立ち昇る。

 それだけではなく、あの真空の刃が走ったその下にある地面も、削り取られたように抉り取られていた。

 見ただけでその威力のすさまじさは理解することができるだろう。

 あんな一撃を受けようものなら、ダイヤモンドさえも真っ二つに両断することだろう。

 こと人間を始めとする生物の体など、それこそ跡形もなく吹き飛んでしまうに違いない。

 だが、それでも。

「……へぇ」

 立ち上る灰色の煙の中から、そんな声は聞こえてきた。

「すごい威力だね。多分、壊せないものなんて何一つないんじゃないのかな?」

 そう言いながらも、相変わらずその表情は不気味な笑みに包んだまま、それは何事もなかったかのようにその場に立ち尽くしていた。

 断言しよう。

 それは間違いなく、回避という行動を行わなかった。

 すなわち、カルマの一撃は間違いなく直撃していた。

 にもかかわらず、無傷。

 信じられない光景だった。

 灰色の煙の中で何事もなかったかのように立ち尽くすそれを見て、冬夜も神楽もその足を思わず止めてしまう。

「だけど……うん、確かにすごいんだけれどね。そうするとますます、妙なんだよね……」

 と、そんなことなど意にも介さず、それは何やら呟き始める。

「一つ、聞いてもいいかな?」

 それはカルマに向けられた問いだった。

 しかし、カルマは答えることはない。

 それを肯定と受け取ったのだろうか、それはわずかに目を細めて、言った。


 「――君、本当に死神なのかな?」


「な……」

「え……?」

 その問いに、冬夜と神楽は思わず口を揃えてそう聞き返してしまう。

 二人揃って視線をカルマに移す。

 大鎌を携えたままそれと向き合うカルマは、しかしその問いに対して口を開こうとはしなかった。

「おかしいんだよねぇ。ただの死神が、ここまで強大な力を持てるはずがない……はずなんだけど」

 おかしいとは言いながらも、それの表情は疑問というには不釣合いなほどに愉快そうな笑みを浮かべている。

 面白おかしくて仕方がないという、そういう意味合いのものなのだろうか?

「君の……その力はどちらかというと、死神という存在でくくるには余りにも大きすぎる。何かこう、もっと別物の、イレギュラーのような……」

 独り言のように呟き、それは口元に手を添える。

 そして一瞬だけ考えるようなそんな素振りを見せた直後に、言った。

「……そう、例えば……」

 添えた手を、そっと外して。


 「――僕と同じ、存在し得ないはずの存在、とかね……?」


 場の空気が凍りついた。

 冬夜と神楽は、カルマから視線を外すことができない。

「…………」

 そしてカルマもまた、その言葉に対して反論をしなかった。

 無言は肯定か、それとも否定なのか。

 また一つ風が吹いて、黒い二人を静かに揺らしていた。



更新が大変遅延してしまい、どうも申し訳ありませんでした。

別作「LinkRing」の執筆に力を入れてしまい、こちらの更新がずいぶんと放置されていたことをこの場を借りてお詫びいたします。

正直、スランプ状態に近い時期もあったので連載を中断しようかとも考えたのですが、更新が止まっても呼んでくださる方々がいること、中には続きを書いてくれと声を添えてくれる方がいてくれたので、遅くはなりましたが更新のメドがついた次第です。

元々もうすぐ簡潔を迎えるはずの話でしたので、やはりここまで書いて放っておくのは自分としても不本意ですので、どうにかこうにかして完結までこじつけたいと思っています。

それでは、長文ですがこれにて失礼します。

今後ともよろしくお願いいたします。


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