第三十一幕:明日に繋げる夜
1
「明日の昼間?」
冬夜はそう聞き返した。
目の前にいる、カルマに向かって。
「そうだ。先ほどまでのやり取りも含めて分かったことだが、あの闇は夜の時間帯にしか行動を起こさないようだ。確証はないが、恐らく間違いないだろう。逆に言えば、昼間は動けない、あるいは動かないでいるための何らかの理由があるはずだ。この場合、それはあの闇にとって不都合に働くものだと考えていいだろう」
なるほどと、冬夜は妙に納得した。
しかしそうなると、明日は学校を休まなくてはいけなくなってしまう。
……いや、そうでなくても学校は休校になるだろう。
今さっき見たニュースの中で、冬夜の高校が紹介されていた。
しかしそれは、決していい意味合いのものではなかった。
生徒の死体が発見されたという、あまりにも悪いニュースだったのだから。
だがこれは今の冬夜にとっては好都合だ。
ニュースの内容を見ていた限り、学校も数日間は休校になるらしい。
できるならその間に、つけるべき決着をつけておきたい。
「分かった。それで構わない。だけど、当てはあるのか?」
「なくはない。五分五分といったところか。しかし一ヶ所しか当てがないので、外れたらまたやり直しだがな」
「ないよりはいいさ。それで、その場所ってのは?」
「街外れに教会があるのは知っているか?」
「ああ、一応は。でも、あの教会は今ではほとんど人の出入りがなくて、一時期は取り壊しの話も出たって聞いてるぞ?」
「なおさらだ。隠れみのには持って来いだろう」
確かに、言われてみればその通りだ。
「亜城冬夜、お前に少し聞きたいことがある」
「な、何だよ、改まって……それと、フルネームで呼ぶなよ。なんか変な感じだ」
「そう気にするな。それよりも、今は俺の話をちゃんと聞け」
カルマの表情はいつもと変わらない無愛想なものだが、どこか真剣さが感じられる。
なので、冬夜も真っ直ぐに向き合って耳を傾けた。
「お前の持つその刀。それは以前にあの闇から受け取ったものだと聞いたが……本当か?」
「え? あ、ああ、そうだよ。何日か前の夜、初めてあいつに会ったときに。まぁもらったっていうよりも、置いていかれたのを持ち帰ったって言った方が正しいかもしれないけどさ」
「……まぁ、それはいい。そのとき、あの闇は何か言っていなかったか? その刀を託す際に、何か気になるような言葉は?」
「……いや、特には……って、そういえば確か……」
「何だ? 何でもいい、思い出したのなら話せ」
「……楔、とか言ってたな。楔を贈ろうとか、そんな風に言ってた」
「楔、か。なるほどな。それでお前とお前の兄は、楔である刀同士を持つがゆえに引き合わされたということか……」
「そういえば、兄貴も言ってたな。あいつは、俺と兄貴を殺し合わせるためにそれぞれに対となる刀を託したんだって」
「……お前とお前の兄は、存在理由が特別だっただからだろう。一つの肉体に二つの魂。どう考えても過剰だ。ようするに、一リットルしか液体の入らないボトルの中に二リットルの液体が詰め込まれていたようなものなのだからな。普通ならボトルは水圧に押しつぶされるところだが、お前の場合は二リットルの液体を一リットルでしかないようにボトルに見せかけることによって、それを維持していた」
「……自分のことだけど、何だか途方もない話だな。魂とかそんなの、おとぎ話の中だけのことだと思ってた」
「まぁ、それが普通なのだろう。大半の人間はそんなものには興味関心を示さないものだ。示した一部の人間も、結局はそれらを現実的かつ科学的に証明できず、超常現象という言葉一つでくくってしまうのだからな」
「だけど、今の俺はそういうものを信じる側の人間になりつつあるんだと思う」
「それはそうだろう。お前と今こうして会話をしているのは、正真正銘の死神なのだからな」
「ああ、そういうことだ」
不思議と冬夜の口から笑いが漏れた。
こんなことで和んでいる場合などではないというのに。
「……なぁ、俺からも一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「……お前はどうして、死神になったんだ? そういうのってやっぱり、自分の意思とかでどうこうなるものじゃなく、運命的なものなのか?」
「……どうだったかな」
「はぐらかすなよ。こっちはふざけて聞いてるわけじゃ……」
「ふざけてなどはいない」
言い切るその言葉に、冬夜は押し黙る。
「そもそも死神とは、元は人間だった存在だ。それが肉体が滅び死を迎え、魂を浄化する過程で輪廻転生をするか死神となるかが決まる」
「じゃあ、お前は……」
「……自ら望んだのだろうな、恐らくは」
「恐らく?」
「……亜城冬夜、お前は今亜城冬夜という一人の人間として存在はしているが、その魂は元が誰のものだったかなど、知るわけはないだろう?」
「そりゃ、まぁ……」
「それと同じだ。この世の人間だけでなく動物も含めた全ての生物は、皆同じ輪廻の輪をくぐって転生を繰り返して存在し続けている。それは俺とて例外ではない。だからな、俺も何も分からないままなのだ。前世の記憶など、早々都合よく持ち越せるものではないのだから」
輪廻の輪。
誰であろうと、生まれたからには必ず死がやってくる。
極端に言ってしまえば、生まれたその瞬間から死はいつも隣り合わせに存在していることになる。
それが早いか遅いかの違いだけで、来るべき時が来れば命は尽きる。
永遠などは存在しないのだ。
しかしそれでも、消えた命はまた新しく別の形で生まれ変わる。
全ての記憶をリセットし、完全に別の生命となって。
「俺は、今でも分からない。なぜ死神になったのか。俺がそう望んだのか、あるいは運命が俺を選んだのか。どちらにしても、あまりいい気分ではないな」
「……もしも今からでも、全ての記憶と引き換えに新しい命として生まれ変われるなら、死神なんてやめてしまいたいか?」
「……どう、だろうな。しかし、今は困る。死神になってからいくつか交わした約束があってな。その全てをまっとうするまでは、俺は死神のままでいなくては意味がない」
「……そっか。まぁ、お前がそれでいいなら俺はいいんだけど」
「意外だな。人の心配か?」
「バカ言うな。死神の心配だ」
その言葉に、カルマは微かに笑った。
「……死神だろうと人間だろうと、少なくとも俺はこれ以上の犠牲なんて望まない。だから、明日で全てを終わらせる。父さんと母さんの仇も討つ。それに、兄貴の無念を晴らしてやらないとな……」
「ならば、今夜はもう休め。戦いの後で、今のお前はかなり体力を消耗している、そんな体では明日が持たない。何かあっても、俺は助力などせんぞ」
「でも、一緒に戦ってくれるんだろ?」
「神楽のためにな。それと、鈴菜のためでもある」
「鈴菜?」
「……何でもない。早く休め」
それだけ言い残すと、カルマは廊下の奥へとその姿を消した。
何だろうと思いながらも、とりあえずはこの体を休めるのが先決ということは正しい。
傷の大半はカルマのおかげで塞がったが、痛みと失った体力はどうにもならない。
十分な睡眠をとって、明日という日に望む必要がありそうだ。
2
「まだ起きていたのか?」
背後からの声に、神楽は振り返った。
「カルマ……うん、何か眠れなくって……」
「無理にでも眠っておいた方がいい。横になっているだけでも、気分は変わるものだ」
「うん、そうだね……」
そう返事を返す神楽の声は、まるで病人のそれだった。
「……迷っているのか?」
「え?」
神楽の隣へと足を進め、カルマは言う。
「どう転んでも、明日が最後になるだろう。この土地の都市伝説が初めて成功を成さなかった今、あの闇の物語は大きく予定調和を狂い始めている。奇しくもそれは、千年目の今年に重なった」
「…………」
「迷うな、神楽。鈴菜の仇を討つのだろう。そのためにここまで来たのだろう?」
「……うん、分かってる」
「なら、なおのこと早く休むことだ。そんな体では、舞い落ちる木の葉さえも避けれんぞ」
「…………」
「……俺も少し休ませてもらう。何かあったら声をかけてくれ」
「……あ、カルマ」
呼び止めるようなその声に、カルマは振り返る。
「何だ?」
「あの、ね……本当に……本当に明日で、全部が終わるんだよね?」
「こちらが勝利すれば、そうなるな。負ければ、それは別の意味で終わりを迎えることになる。手始めのこの境の土地から始まり、時間をかけていけばやがては世界そのものを呑み込むだろう。それだけは防がなくてはならない」
「そう、だよね……。じゃあさ、カルマは……どうなるの? お母さんとの約束通り私を守って、約束が守られたその後は、カルマはどうなるの……?」
「…………」
しばしの沈黙。
二人の距離はほんのわずかなのに、互いの声は遠く聞こえて仕方がなかった。
「……どうもこうもない」
沈黙を破って、カルマは言う。
「――前にも後にも、俺は死神だ。また誰かの魂を刈り取り、それを運ぶ。その繰り返しだ。それ以上でも、それ以下でもない」
カルマは言い切った。
何も変わりはしない。
何一つ、変わるものなどないのだと。
それは本当に当たり前すぎることであって、しかし同時にどこか少しだけ悲しいことなのかもしれない。
神楽は死神というものをよく知らない。
こんなにも近くにいる存在なのに、そのことを何一つとして知らないのだ。
知っていることは、全部カルマが教えてくれたことだけ。
死神とは、誰かの命を奪うものではない。
死神とは、誰かの魂を運ぶもののことだ。
そこに善悪の頓着はなく。
死ねば皆平等に、魂を刈り取られて運ばれていく。
それが死神。
本当の意味で、それ以上でも、それ以下でもない。
「……くだらんことを考える暇があったら、さっさと休め。時間はこうしている間にも浪費されているのだからな」
最後にそれだけ告げると、カルマはもと来た道を去っていった。
その背中はいつ見ても大きく、そして今も大きかった。
そしてその背中は同時に。
――いつ見ても悲しげで、決して救われないことを知っているものだった。
「……くだらなくなんか、ないよ……」
そう呟いた神楽の声も、きっとカルマには届いていない。
届いていても、あの死神はきっとこう言うだろう。
くだらん、と。
そんなそれぞれの思いをよそに、夜だけが静かに深まっていく。
正真正銘、明日が最後の戦いになるだろう。
そんな夜だというのに、空には雲ひとつ流れていなかった。
散りばめられた星屑が、儚くも美しく光っている。
三日月に欠けた月が、まるで愉しそうに哂う歪んだ口元のようだった。