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千年の冬  作者: やくも
28/34

第二十八幕:積み木崩し


 1


 殺し殺される以外に、決着のつけ方は無いのだろうか?

 そう願わずにはいられなかった自分が、誰よりも理解している。

 やはり、自分達は……。


 ――どちらか一方の死をもってでしか、それぞれの思いを貫くことはできそうにない、と。


 使い物にならない左腕は、ただ邪魔なだけでしかなかった。

 かといって切り落とすわけにもいかず、今もこうしてだらしなく宙に揺れている。

「あぁっ!」

 右腕だけの渾身の一撃。

 しかしそれは、虚しくも宙を空振るだけ。

 当たりさえすれば必殺の威力を誇る一撃も、結果として当たらなければ意味はない。

 幾度目かの空振り。

 振り下ろす刃が空を切るたびに、傷口の左腕から血の雫がポタポタと流れ落ち、石畳の上に黒い斑点をいくつも打ちつけた。

 何度切りかかっても、冬夜の一撃は雪那にかすりもしない。

 だが、それも無理のないことだった。

 ほぼ五体満足の状態で戦える雪那と、すでに全身を引き裂かれつつある冬夜。

 負ったダメージと消耗した体力の総量は、冬夜が著しく多い。

 極端な話、雪那はこのまま逃げ回っているだけでも負けることはないだろう。

 冬夜の傷は決して浅くはない。

 特に、先刻の左肩に対する刺し傷は、もはや致命的な一撃ともいえるだろう。

 何もせずとも、じきに冬夜は出血と冬の気温の冷え込みで五感すら失っていく。

 そうすれば決着は付く。

 だから、何もしなくてもいい。

 眺めてればいいのだ。

 蟻を踏み潰すことなんて、力さえ必要としないのだから。

 だが。


 ――それでも雪那は、冬夜へと切りかかる。


「はっ!」

 一足飛びで懐へと飛び込み、一撃を見舞う。

 ギィンと、刃同士がぶつかりあって共鳴する。

 しかし、両手持ちの雪那と片手持ちの冬夜では、当然威力にも大きな差が生じる。

「ぐ……」

 案の定、受けはしたが冬夜の刃はわずかに押し上げられ、体全体も衝撃の勢いで傾いてしまう。

 続けざまの二撃目が迫る。

 冬夜は刃を逆手に持ち替え、かろうじて剣先で迎え撃った。

 しかしそれは、防御というにはあまりにもお粗末なものだった。

 刃を握った右腕ごと、威力に押し切られて上に弾かれる。

 この瞬間、体全体ががら空きになる。

 雪那の視界に映るのは、あまりにも無防備な冬夜の上半身。

 腹、胸、首筋。

 そのどこにも、この刃の切っ先を妨げるものは何一つない。

 確実に殺せる瞬間は、これで四度目だ。

 振り抜きかけた刃を引き戻す。

 あとはこのままもう一度、斬りでも突きでも何でもいい。

 最後の一撃を見舞ってしまえば、それで全てが終わる。

 積年の想いは叶う。

 なのに、それなのに……。

「…………っ!」

 その、最後の一撃が、どうしても繰り出せない。

 何を迷う必要があるというのだろう?

 自分を求めて、ずっと闇の中を彷徨い続けていたというのに。

 ここから最後の一撃を見舞うことができれば、それだけで願いは叶う。

 分かっている。

 頭では嫌というほどに理解している。

 だけど、それは本当に……。


 ――本当にそれは、心の底から望んだ結末だったのか?


 湧き上がる自問。

 答えを出せずに、時間だけがただ過ぎていく。

 思い返すのは、今はもう遠い日々の記憶。

 ろくに言葉も喋れずに、ようやく二本の足で地面を歩けるようになった頃。

 なぜだろう。

 どうして今頃になって、こんな記憶が甦るんだろう。

 憎んだはずだ。

 呪ったはずだ。

 どうして自分だけがこんな運命を背負わされなくてはならないのだろうと。

 煮えたぎるほどの怒りを覚え、永遠のような暗闇の中で、ただ、ずっと独りで。

 ……それでも。

 ずっと、陽の当たる場所を探し求めていた。

 あの頃に戻りたいと、心のどこかで願ってた。

 四人でいることが当たり前だった頃。

 時間にすればそれは、とてつもなく短いものだったけど。

 あの頃、確かに自分達は……。


 ――幸せという陽だまりの中にいたはずだから。


 父さんがいて、母さんがいて、自分がいて、歳の同じ弟がいた。

 同じ顔、同じ目、同じ命。

 鏡に映したようにそっくりな、もう一人の自分。

 いつか、積み木遊びをしていた。

 カチャカチャと、四角や三角を積み重ねている。

 ガチャリと、音を立て崩れる。

 そうしたら、もう一度。

 崩れ落ちたカケラを拾い集めて、カタチを作っていった。

 笑っていた。

 もう一人の自分も、確かに笑っていた。

 あの頃の日々は、もうどんなことをしたって戻ってはこない。

 あの笑顔は戻ってこない。

 あの温もりは戻ってこない。

 あの優しさは戻ってこない。

 それでもまだ、求めるものはあるのだろうか?

 もう一人の自分を殺してまで、自分を手に入れたいと思うのだろうか?

「……っ、う、あぁぁぁぁぁっ!」

 再び振り抜かれた刃。

 がら空きの冬夜の体に襲い掛かる。

 冬夜にはもう、その一撃を回避するほどの余裕も手段もない。

 銀の軌跡が孤を描く。

 待ち受ける結末は、確実な……死。

 冬夜は何度も心の中で舌打ちを繰り返しながら、ついにはその目を閉じた。

 直後に。


 ――ズブリと、肉を抉る耳障りな音が一つ、静けさをかき消しながら響き渡った。


 2


 その光景に最初に声をあげたのは、冬夜ではなかった。

「……お、前…………どう、して……」

 その苦しげな声に、冬夜はゆっくりと目を開く。

 途端に、冬夜は目を疑うと同時に、状況が全く理解できなくなる。

 死さえ覚悟したはずの体は、なぜか無傷のままだった。

 もうあと少しで胸元を横一線に切り刻んだであろう雪那の刃は、なぜかわずかに震えながら宙を泳いでいる。

 だが、それはこの際どうでもいいことだ。

 問題なのは一つ。

 それは……。


 ――雪那の胸に、全く別の黒いナイフが突き立てられていた。


 おびただしい量の出血が、見る見るうちに雪那の服を真っ赤に染め上げていく。

 背中から突き立てられたであろうその短剣は、確実に胸を貫いている。

 それも、確実に心臓の付近を。

 瞬きさえ忘れて、冬夜はその光景を目に焼き付ける。

 一体、何が起きた?

 そう口にするよりも早く、雪那の胸を貫いた黒のナイフが、ズルリと不気味な音を引きずりながら引き抜かれた。

「が……げほっ!」

 咳き込む雪那。

 そこに混じる血が宙を舞い、冬夜の頬に雫となって付着した。

 そしてそのまま、雪那の体は壊れた人形のように地面へと崩れ落ちた。

 血溜まりがどんどんと広がっていく。

 一体人間の体のどこに、これだけの血液が保管されているのだろうかと、見ているほうが疑問を抱かずにはいられないほどのものだ。

「……あ」

 むせ返る鉄の匂いに、少しずつ意識が現実に引き戻される。

 目の前にある一つの結末は、消して望みはしなかったもの。

 一つの命が、今、この瞬間にも消えていく。


「兄貴っ!」

 思わず冬夜は叫んだ。

 満身創痍のその体を引きずって、手にした刃さえも放り投げて、横たわった雪那の下へと駆け寄る。

 それと同時に、社の上から神楽とカルマが続けざまに駆け出した。

 一人残された巽も、自体の異変に右往左往するのが精一杯だった。

 神楽は素早く刀を抜き、眼前のそれに切っ先を向けて牽制した。

 カルマは冬夜と雪那の下へ急ぐ。

 切っ先を向けたまま、警戒心を全開にして神楽はそれと向かい合った。

 寒気がする。

 気温の低下のせいではない。

 目の前にいるこの存在が、ただこうしているだけで世界そのものを凍りつかせているようだった。

「……お前は、何だ?」

 絞り出すような声で、神楽はそれだけ言った。

 しかし、それは何も応えない。

 その手に血塗れた黒のナイフを握りこみ、俯くように下を向いている。

 いや、それが俯いているのかどうかは定かではなかった。

 なぜなら、それは全身をまるで闇をまとったかのようなほどの黒ずくめの衣に包み、頭部にいたっては真っ黒なフードをかぶっている。

 あえて言うならば、闇をそのまま具現化したような存在だった。

 これだけ近くにいながら、今にも消えてしまいそうなほどにその存在感は希薄。

 にもかかわらず、言い表せないほどの重圧が周囲に滲み出している。

 神楽の背筋を冷や汗が伝う。

 経験と本能が、警告を続ける。

 これは、人間ではない。

 これは、存在してはいけないものだ。

 これに、関わるな。


 ゆらり、と。

 目の前の闇が揺れた。

 神楽は半歩ほど後退し、刃を構えなおす。

 わずかに揺れたフードの奥から、色を失ってなお黒く輝く双眸が覗いた。

 それは本当に、ただの闇の塊。

 生気も覇気も何一つ感じさせない、ただそこにあるだけのもの。

 その目には見えない威圧が、それだけで神楽に吐き気とめまいを覚えさせる。

「う……」

 何をされたわけでもないのに、自我を失いそうになる。

 刃を構えた両手が、ひどく頼りない。

 恐怖とはまた別の感情に狂わされ、指先は震えを隠せない。

 しかしそれは、全くそんなことには興味を示さず、ゆっくりと視線を戻していった。

 見つめる先は、自ら命を奪う一撃を突き刺した雪那。

 血が滴る黒のナイフを目の高さまで持ち上げ、それは一度だけニィと哂った。

 本当に愉快そうに、口の端を三日月形に歪めて哂っていた。

 そんなことには見向きもせず、冬夜はただ横たわる雪那の体を抱き上げている。

 隣にはカルマもいるが、正直言ってこれはも取り返しが付かないほどの致命傷だった。

「……だめだ。どう処置したって、もう間に合わん。かろうじて心臓は無傷のようだが、出血が多すぎる」

 苦々しげにカルマは告げる。

 そうしている今も、地面の上にはまだまだ赤い血溜まりが広がっていく。

「……が、あ…………ごほっ……」

 真っ赤な血を吐きながら、雪那が苦しげに呻く。

 口の端からは血が伝い、唇はすでに青く変色し始めている。

「喋るな。死期が早まるだけだ」

 つとめて冷静に、カルマはそう告げる。

 しかしその言葉も実に虚しい。

 もう助からないことなど、誰の目に見ても明白なのだから。

「兄貴、兄貴! しっかりしろよ! ……くそっ、何がどうなってんだよ……」

「知りたければ、聞いてみろ。そこのそいつにな」

 言われてようやく気付いたのか、冬夜は顔を上げた。

 視線の先、そこに……。

「……お、前は……」


 ――やけに見慣れた、黒に包まれた闇がポツンと佇んでいた。


 その手に、血の滴る黒いナイフを握って立っていた。

「……お前、が……」

 冬夜が立ち上がる。

 雪那の手の中から、その白銀の刃を奪い取って。

「待て、亜城冬夜。そいつは普通の存在では……」

 静止するカルマの声さえも、もはや冬夜の耳には届かない。

 痛みなどは、その一瞬で全て消し飛んでいた。

 使い物にならないはずの左腕も添えて、冬夜は両手で柄を握り締め、ただ感情に流されるままに地面を蹴った。

「お前がぁぁぁぁぁっ!」

 こみ上げたのは怒りの感情だけ。

 構えも隙もクソもない。

 ただ、殺意だけに駆られて冬夜は眼前のその存在に斬りかかる。

 今まで生きてきた中でも覚えたことのないほどの怒り。

 これほどの殺意の衝動に駆り立てられたことなどなかった。

 銀の軌跡が夜の暗さの中を走る。

 そこにはもう、殺意以外の何物もない。

 ただ、殺すだけの剣。

 そして、その振り下ろした一撃は……。


 ――いとも簡単に、目の前の闇を切り裂いた。


「な……」

 声を上げたのは神楽だった。

 目の前で、冬夜の振り下ろした剣が確実にその闇を切り裂いていた。

 だが、それだけだった。

「……」

 切り付けた冬夜本人が、一番理解できていなかった。

 確かにこの刃は目の前の闇を切り裂いたはずだ。

 しかし、何だったんだ今のは?

 この、手ごたえのなさは一体なんだ?

 これはまるで、空気の塊を切った……ただ空振りしただけのような……。

 案の定、刃には一滴の血も付着していなかった。

 何がどうなっている?

 こみ上げるのは混乱。

 だが、それももはや一瞬。

「……避けて!」

 そんな神楽の声が耳に届いたときには、冬夜の視界はすでに暗転を始めていた。

 目の前に、殺せない闇が立っていた。

 その闇は、相変わらずの楽しそうな哂いを口元に浮かべたまま、囁くように言った。


 「――邪魔だよ、出来損ない」


 そして直後に、その手に握られた黒のナイフが冬夜の視界を覆いつくした。



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