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千年の冬  作者: やくも
27/34

第二十七幕:戸惑い鏡写し


 1


 一つの言葉がこだまする。

 叫んだのは、一度として呼んだことのない兄の名前。

 薄闇の中で対峙する二人は、しかし微動だにしないまま立ち尽くしていた。

 それが互いの隙を窺っているのか、それともただ動かずにいるだけなのか、誰にも分からない。

「……兄? じゃあ、二人は実の兄弟ってことなの?」

 枯れた声を絞り出して、神楽は呟く。

 その声に答える者はいない。

 ただ、横目に見た巽の表情だけがどこか曇りを隠せないでいた。

 さほど驚いている様子はない。

 でもどこか、その表情が苦しげだった。

 そうでなければいいと願っていたにもかかわらず、そうであってしまったかのような……。

 声をかけられない場の空気に、神楽はカルマへと視線を移す。

 しかし、カルマも無言で戦況を見つめているだけ。

 興味も関心もないと言わんばかりに、ただ傍観している。

 いくつかの疑問を抱いたまま、神楽も結局は視線を元に戻す。

 相変わらず動かない二人。

 にらみ合いをしているわけでもないのに、場の空気が休息に冷え込んでいくかのよう。


「……その名前で、俺を呼ぶな……」

 雪那の姿勢がわずかに低くなる。

 わずかに引き抜かれた刃が、一転の光となって妖しい光を放つ。

「……怖いんだろ?」

「……何だと?」

 確かな苛立ちが含まれた声色。

 冬夜の言葉に、雪那は眼光を鋭くした。

「捨てたことを認めるのが、怖いんだろ。取り返しのつかないほどの時間の中で、どうして自分だけが不幸な目に遭わなくちゃいけないのか。けれど、どうやっても捨て切れなかったものがあるんじゃないのか?」

「次から次へと、くだらないことばかりよく並べ立てやがって……」

「……俺とお前は違う。だけど、俺はお前だ。だから俺には、お前の気持ちが分かる」

「……っ! 知った風な口を……っ!」

 瞬間、地を蹴る音だけがわずかに響いた。

 だが、冬夜の視線の先にもう雪那の姿はない。

 一瞬にして距離をゼロにする体技、縮地。

 その前では、十メートル程度の距離などないに等しい。

「叩くなぁっ!」

 背後からの声。

 抜き身の刃が横一線に振りぬかれる。

 斬撃の描く軌道は、冬夜の首筋を真横に切り捨てるもの。

 完全に背後を取った。

 このタイミングで攻撃の軌道を変える、もしくは避けきる術など皆無。

 必中にして必殺。

 殺すための一撃は、容赦なく激情と共に放たれた。

 肌に触れ、皮膚を突き破り、肉を裂き、骨までも断とうかという一撃が、冬夜に襲い掛かる。

 その距離、接触までわずか十数センチ。

 捉えた。

 雪那は確信していた。

 減らず口を叩く余裕さえも、これで全て奪い去ることができる。

 正真正銘、これ終わりだ。

 そう。

 終わるはずだった。


 ――少なくとも、その場所に冬夜が立ったままでいる限りは。


「な……」

 誰よりも早く驚いたのは雪那だった。

 それに次いで、神楽、巽、カルマの三人が同時に声を上げる。

 しかし、雪那はそんなことを気にしている暇はない。

 絶対に回避も受けも不可能な速度と間合いから攻撃したのだ。

 それにもかかわらず、この一撃は確実に空振りする。

 なぜなら。


 ――横一線の斬撃の軌道上に、すでに冬夜の姿はないのだから。


 そしてこの状況で思い当たるこんな芸当は、もはや一つしかありはしない。

「……いい加減に」

 空を切る雪那の刃の、さらに背後から。

 確かな怒りを覚えた声が聞こえる。

「目を覚ませよ! バカ兄貴!」

 振りぬかれたのは、バカ正直なくらいに真っ直ぐ向かってくる右拳。

 必殺でもなんでもない、ただ真っ直ぐに向かってくるだけの拳。

 少し体をひねれば、いくらでも避けることなんてできただろう。

 だけど、その拳は。

 必殺でないがゆえに、必中だった。

「がっ……」

 冬夜の右拳が雪那の腹部にめり込む。

 雪那の体を支える足は、すでに宙に浮いたままだ。

 踏ん張りなどきくはずもなく、衝撃のままに体は横飛びに吹き飛ばされた。

 一瞬後に、背中から地面に向かって勢いよく叩きつけられる。

 石畳の上を背中から滑り、砂煙を撒き散らしながら体は止まった。

「チィッ……」

 雪那は舌打ちする。

 ダメージこそ大したものではないが、明らかに今の反応は予定外のことだった。

 まさか、冬夜まで縮地を使えるなどとは、完全に予測の範囲を超えていることだったのだから。

「……兄貴が俺を殺すことでしか答えを出せないっていうなら、それでもいい。だったら俺も、全力であんたを迎え撃つ」

 刃の切っ先を向ける。

「……母さんも父さんも、こんなこと、望んじゃいないだろうけど……俺には、やり遂げなくちゃいけないことがある。だから……」

 一瞬のためらい。

 しかし、それもすぐに振り切れる。


 「――俺は、あんたを倒す」


 遅すぎる宣戦布告。

 満身創痍の弟は、五体満足の兄にあまりにも不利な戦いを挑む。

 買っても負けても、間違った答えしか導き出せないと知りながら……。


 2


「笑わせるな……」

 唾を吐き捨て、雪那は立ち上がる。

 腹部のダメージも微々たるもののようで、こと戦闘の継続においては何一つの支障もない。

「死ぬのはお前だ。忘れるな、お前はすでに二度死にかけているんだ」

「……っ」

 その言葉には冬夜も言い返す言葉がない。

 紛れもなく、その言葉は事実だったからだ。

 こうして立っている今だって、そもそも立つことが奇跡的とも言える。

 全身の擦り傷と殴打で、もはや感覚が麻痺しかけている。

 攻撃に転じるどころか、守りに回っても押し切られるのは時間の問題だろう。


 そんな様子を見て、神楽は思わず手に刀を握って立ち上がろうとしていた。

 戦況はあまりにも不利。

 いくらこれが自分が無関係な私闘とはいえ、目の前で誰かを見殺しにすることなんてできるはずがない。

 だが、神楽のその思いとは裏腹に、隣に立つカルマはその体を手で制した。

「っ、カルマ、どうして……」

「最初に言われただろう。これはあいつの……他ならぬ自分自身との決別の戦いだ。部外者が手を出すなど、言語道断だ」

「それは! ……分かってるけど、だけど……」

 納得できないと言わんばかりに、神楽の握り締めた拳に力がこもる。

 その様子を見て、カルマは一つ嘆息する。

「気持ちは分からないでもない。確かに、このままだと亜城冬夜は確実に敗北するだろうな」

 敗北。

 この戦いに置いて、敗北とは死を意味する。

 情けも容赦も、慈悲も何もない。

 これは、存在をかけた戦いなのだから。

「だったら……」

「だからこそ、手出し無用なんだよ。それに、まだ決着がついたわけじゃない。勝負の行方は誰にも分からないままだ」

「でも、このままじゃ……」

 冬夜は確実に殺されてしまう。

 そう続く言葉を、神楽はどうにか呑み込んだ。

「……ああ、勝つことは極めて難しいだろうな」

 しかしあっさりと、カルマは言い放った。

「加えて、亜城冬夜はまだ迷いが晴れていない。今だって、腹を殴るんじゃなくて背中から心臓を一刺しにすることだってできたはずだ。それができれば、それだけで相手は絶命している。それができなかったということは、まだどこかで迷いが生じているんだろうな」

「…………」

 言われて、神楽は冬夜を見る。

 どうにか二本の足で地面の上に立ってはいるけれど、それだけだ。

 不安定な積み木細工と同じで、そよ風程度でも吹けば脆くも崩れ去ってしまいそう。

「……このまま見捨てるなんて、私にはできない」

「はやるな、神楽。確かに状況は絶望的だが、それでもまだ希望がないわけじゃないんだ」

「……それって、どういう……」

「分からん」

「……」

「そんな目で見るな。そうとしか言いようがないんだ、仕方ないだろう」

 言って、カルマも向かい合う両者に視線を移す。

「確かに、あいつの言うとおりだ。今までのわずかな攻防の間で、亜城冬夜は二度死んでいる。いや、死んでもおかしくはなかったと言うべきだろうな」

 一度目は胸部に狙いを定めた一撃。

 そして二度目は、回避こそされたが首筋を両断する軌跡を描いた一撃。

「にもかかわらず、亜城冬夜はどうにか生きている。果たしてそれは、本当に幸運が重なっただけのことなのか」

「……それって、つまり」

「……ああ」

 カルマは一度言葉を閉じ、一拍の間を置いて続ける。


 「――もしもそれが、無意識のうちの手加減だとしたら、まだ活路はあるかもしれない」


 それは確かに、希望という言葉に相応しいほどの薄い望みだった。

 けれども、今だけはそうであってほしいと願わずにはいられない。

 どういう理由があろうと、目の前で誰かが傷付き死んでいく姿なんて、もう見たくはない。

 それだけが、神楽の小さな望みだった。


 3


 頭上に迫る一撃。

 直撃すれば死は免れず、かすり傷でさえ余命を縮める致命傷に繋がる。

「くっ……」

 ガキン。

 鉄と鉄とが打ち合う音。

 刃の腹で一撃を受け、押し上げるようにして冬夜は刃を跳ね返す。

 しかしそれで攻撃の手が終わるわけではない。

「あぁっ!」

 叫びにも似た咆哮。

 弾かれた刃を握りなおし、二撃目が迫る。

 切り上げの要領で迫る軌跡。

 数歩ほど後ろに跳べば避けきれるだろうが、今の冬夜の体にはそれさえ成す体力の余裕もない。

 避ける暇がない、受けるしかない。

 刃を縦に構え、迫り来る切り上げを迎え撃つ。

 が、しかし。

「……ふん」

 嘲笑うかのような言葉。

 下から上に向けて上昇した刃を、雪那は力任せに無理矢理静止させた。

「……え」

 来るはずの衝撃がこない。

 ぶつかりあう寸前というところで、刃はピタリと静止していた。

 直後、がら空きになった反対側の体に迫る蹴りがかろうじて冬夜の視界に入る。

 斬撃はおとりで、蹴りが本命だったということか。

 しかし体勢が悪く、ガードは間に合わない。

「くそっ……」

 かろうじて自由が利いたのは、立っているだけがやっとの足だった。

 半歩ほど飛び退く感覚で足の裏を突き出し、向かってくる爪先と直撃し、冬夜の体はわずかに宙を舞う。

 グラリと、体が崩れ落ちる。

 このままでは背中から地面に落下するが、どうやら受身は間に合いそうもない。

 仕方ない、地面を転がるようにして再び間合いを離すしかないか。

 と、思った次の瞬間。


 ――目の前に刃の切っ先が迫っていた。


 ズブリ。

 鉄の塊が体内に進入する。

 焼けるような痛み。

 叫び出したくなる悲鳴を、しかし奥歯を噛み締めて冬夜は堪えていた。

 刺されたのは左の肩口。

 貫通こそしていないものの、迸るような熱さが傷口に集中する。

 そのまま押し出されるように、冬夜の体は後方へと飛ぶ。

 当然受身など取れるわけもなく、背中から地面に直撃した。

「が、はっ!」

 肺の酸素が全て奪われてしまったかのよう。

 しかし酸素を求めて呼吸するたびに、酸素を運ぶ血液が左の肩口から血と共に流れ出て行く。

 さながらに、穴の開いた風船にいつまでも空気を吹き込んでいるかのよう。

 とっくに痛覚など麻痺していたと思ったが、そうでもなかった。

 熱を持った傷口は疼くように痛み、多いのか少ないのか分からない出血の量に意識が少しずつ遠のいていくようにも思える。

 先ほどの左腕の傷と相伴って、これで左腕は完全に使い物にならない状態になっていた。


 今の攻防、雪那の動きの全てがこの刺し傷に至るまでの布石だったのだろうか。

 最初の切り上げ。

 避けることができない冬夜は、受けの一手に回るしかない。

 ならばその受ける方向とは逆の場所に、二撃目を用意すればいい。

 どれだけ反射神経が鋭敏な生物だろうと、隙を作られたら隠し切ることはできないのだから。

 ましてやこの場合、一撃目は向かって右から。

 二撃目は反対の左から繰り出された。

 時間差による左右の攻撃を避ける、もしくは受けきるには、少なからず移動をしなくてはならない。

 左右が封じられ、残された方位は前後と上下。

 前は問題なく除外、敵がいるのだから当たり前だ。

 そして下も除外。

 一撃目が切り上げという時点で、すでに下方向への回避は含まれない。

 となると、残るは後ろか上の二者択一。

 しかしそれも、二撃目の蹴りで選択の余地が消える。

 爪先蹴りを足の裏で受け、結果として冬夜の体は一瞬だが宙に浮いた。

 つまり、上に押し上げられたのだ。

 空中にいるのだから、そこからさらに上方向に回避行動を取ることは不可能。

 となれば、残された逃げ道は後方の一点のみ。

 だからこそ、雪那は最後にその逃げ道を潰すべく、突きによる三撃目を繰り出したのだ。

 本来なら顔面、もしくは心臓を狙って突き出されたそれは、結果として冬夜の左肩を浅く貫くだけに留まった。

 しかし、これで三度目。

 ただの一度の例外もなく、冬夜はこれで三度目の死を迎えているはずだった。

 そしてどうにか死という最悪の結果を免れたところで、痛手は隠せない。

 四肢のうち、一つは確実に死んだ。

 攻撃に転じるにも、片手だけの一撃は両手持ちの一撃に対してはるかに見劣りする威力しかない。

 どれだけ立ち上がっても、この優劣関係は狂わない。

 立つ強者に跪く弱者。

 それが二人の因果関係なのか。


「……三度目だ。これでもまだ俺を倒すと言い張るつもりか?」

「…………」

 近いのに、どうしてか遠くに聞こえる声。

 横たわる体から流れ出した血が、地面に赤黒い染みを作り始めている。

 どうにか上半身だけを起こすと、冬夜は刃を支えにしてふらふらと立ち上がる。

 だらりと、力なく垂れる左腕。

 指先からは血の雫がいくつも珠になって流れ落ち、地面に斑点を描いていく。

 どれだけ競り合っても力の均衡は崩れない。

 強弱の関係は覆されない。

 そんなことはもう分かっている。

 それでも冬夜は、今の一瞬に小さなほころびを見つけたような気がした。

「……三度目、か……」

「……」

 呟く冬夜に、雪那は訝しげに目を細めた。

「ああ、確かに三度目だな。ただ、その三度っていうのは、俺が死んだ数じゃない……」

 ピクリと、その言葉に雪那が反応を示す。


 「――お前が俺を仕留めそこなった数だよ、それは」


「…………」

 答えないことは肯定か、それとも答える義理がないだけか。

 どちらとも真実であり、同時に偽りでもある。

 しかし、それでも。

 こうして三度の窮地を乗り切り、まだ立っているという事実がここにある。

 それが迷いではなく、他の何だというのだろうか?

 腹立たしいほどに、二人は同じだった。

 結局、もう一人の自分を殺すということに迷いを感じずにはいられない。

 その迷いが、希望に繋がるのか、絶望に繋がるのか。

 結局のところ、それも戦いの中でしか見出すことはできないようだ。



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