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千年の冬  作者: やくも
25/34

第二十五幕:決別は暗黙模様

 1


 夕暮れが迫っていた。

 淡い光が差し込む部屋の中、冬夜は無言で磨き上げられた刀身に見入っていた。

 見れば見るほどに気が狂いそうになってくる。

 鏡よりも美しく、月よりも鋭く放たれる銀の光。

 真の芸術には余計な説明はいらないというが、これもその一種なのかもしれない。

 とはいえ、そこにある美しさは確実に人を狂気へと誘うものだ。

 過去に一度、冬夜はその銀の光の向こう側に内なるもう一人の自分を見た。

 とめどなく押し寄せる破壊への衝動。

 殺戮に駆られる本能。

 光る刃の向こうに、口元をゆがめて愉しそうに哂うもう一人の自分が確かにいた。


 『お前さえ、いなければ……俺は、俺は……』


 いつかのあの言葉が甦る。

 憎しみと悲しみに満ち溢れたその目を、冬夜は今もしっかりと覚えている。

 もう一人の自分。

 一度はしっかりと、別々の存在としてこの世に生を受けたのに。

 同じ人達から同じ愛を受け取っていたというのに。

 片方は生き残り、片方は半分だけ死んだ。

 残された半分は、生き残りの中で第二の人格を形成することで生き延びた。

 しかしそれは、決して陽の当たる場所には出てこれない。

 暗くて深い底なしの奈落。

 今も堕ち続けている。

 光なんてどこにもなくて、いつしか自分も闇に溶かされて消えていく。

 それは一体、どれほどの苦痛なのだろうか。

 どれだけ叫んでも返る言葉はなく。

 どれだけ願っても形にはならず。

 ただ、堕ちていく。

 それはまさに地獄だ。

 苦しみよりも痛みよりも、際限なく広がる孤独が何よりも恐怖。

 そんな場所に、もう一人の自分は閉じ込められていた。

 少なくとも、この十年。

 冬夜はそんなことを思ったことは一度もなかった。

 まさか自分の中にもう一人の自分がいるだなんて、それこそ夢物語もいいところ。

 だけど今となっては、嫌と言うほどにそれを実感してしまっている。

 実際にもう一人の自分と対面したのだから、それも当たり前だ。


 そしてどうやら、もう一人の自分は自分に対して強い殺意を抱いているようだ。

 実際に顔を合わせたわけではない。

 だが、耳の奥に今でも残るその言葉の一つ一つが、例外なく否定していた。

 思い出せ。

 最後の記憶の中。

 炎が揺れる中、死を目前に控えた母さんが呟いた言葉……その、二人分の名前を。

「……」

 カチン。

 刃を鞘の中に納める。

 張り詰めた空気が崩れるように、ふっと体の力が抜けていく。

 やらなくちゃいけないことが、一つ増えた。

 だけどこれは、いつか通り抜けなくちゃいけない道。

 遠からず、気付く日はやってきたことなのだろう。

 正直に言えば、悩みも迷いもある。

 本当にそれでいいのか。

 それは今になっても分からない。

 そして、戦いの中で答えが見つかるとも思っていない。

 けれども。

 それでもこの戦いだけは、絶対に避けることはできそうにない。

「殺さなければ、殺される、か……」

 弱肉強食。

 それはもはや自然の摂理だ。

 そうだとしても、できるなら素直に従いたくはないものだ。

 殺し合えば、どちらかが死ぬ。

 戦うということは、それは相手の命を奪うと言うことだ。

 そして戦いの世界において、最後に立っているのは常に強者である。

 恐らくそれは、創世暦の頃から決して変わることのない理。

 規模の大小なんかじゃないんだ。

 相反する二つ以上の勢力がぶつかり合うだけで、それは戦争になる。

 ゆえに、これは戦争である。

 第三者の介入は一切認められない。

 増援もなければ援軍もなく、裏切りもなければ撤退もない。

 どちらか一方の死をもってでしか、終わらせることはできない。

 この戦争に、利益はない。

 あるのは一つ。

 互いの存在意義を求めることだけである。

「……ごめん、母さん」

 虚空に向けて呟く。

「多分俺は、勝っても負けても、親不孝な子供になると思う……」

 こんな戦いを、一体誰が望んだと言うのか。

 いいや、きっと誰も望んではいないのだろう。

 ただ、あえてこんな言葉で取り繕うとするならば……。


 ――結局、誰しもが気付かないうちに、運命という名の掌の上で弄ばれているだけなのだろう。


 それは。

 決して交わらないはずの二本の平行線だった。

 だが、忘れないで欲しい。

 平行線は交わらないが故に、すぐ傍にあるということを。

 伸ばせば届く距離なんだ。

 触れることなんて、簡単なことだろう?


 2


 当然のことながら、今日も学校は休校となった。

 結局昨日の事件が自殺なのか他殺なのか、その他にも被害者が誰なのか、なぜ死んだのか、などなど。

 考えるだけでも疑問はいくつも浮かび上がる。

 がしかし、それに反して新聞やニュース、いわゆるマスコミやメディア関係の間では事件については何も騒がれていないようだ。

 今朝のニュースにも新聞にも、機能のことに関する情報は一切報道されている様子はなかった。

 それはなぜか?

 考える限りであり得るのは、警察関係から報道関係へと事件の概要が一切伝わっていないということだ。

 いや、たとえそうだとしてもあれだけの騒ぎになったのなら、メディアがそれを放っておくはずはないはずなのだが……。

 だがそれも、所詮は浅はかな考えに過ぎない。

 もしも昨日の事件が世間一般に騒がれるようになれば、そもそもこれまで毎年の冬に失踪していた連続事件を嫌でも掘り返すことになってしまうのだ。

 何十年もの間、毎年のように冬になると失踪者が出るという怪奇現象。

 何年経っても手がかりの一つも掴めず、警察側としてももうお手上げの事件。

 メディア側としても、それはすでに周知のことだろう。

 ようするに、この事件はもうどうやっても止めることはできず、必ず起こってしまうものだと認知されているのだ。

 端から聞いていればそれはひどい話だろう。

 早い話が、警察関係者は毎年被害者が出ると知りながら、それを見て見ぬフリをしているのだから。

 だが、仮に警察が面子にかけて一斉捜査を開始したところで、きっと事件の断片すら捉えることはできないだろう。

 くどいようだが、ここはそういう土地なのだ。


 境と言う土地は本来、現世と冥界とを繋ぎとめておくための門と称される場所だった。

 それはもう、大昔の話だ。

 昔話に出てくるような、鬼や妖怪、呪いや祟りといったものが今よりもずっと信仰、崇拝され、常識の一部にすらなっていた頃。

 この土地は門であるがゆえに、周囲には強力な結界が張り巡らされていた。

 その結界の影響で、人々はそこに何かがあるとは分かりつつも、何があるかまでは分からなかった。

 ただ、選ばれし者しか立ち入ることのできない聖域であると、いつしか囁かれるようになった。

 その発想は、ある意味で確かに的を射ていた。

 ただ一つ違っていたのは、そこは聖域などではなかったということだ。

 そこは、禁忌の領域だった。

 常闇だけが支配する、それ以外は完全に無の世界。

 光さえ差し込まないその場所には、ゆえに混沌さえも訪れることはない。

 闇は無と交わり、さらに闇を濃くしていった。

 渦を巻くように、螺旋を描くように、ずるずる、ずるずると。

 全てを飲み込む、まるで宇宙のブラックホールにも酷似している。

 だが、それは一点において性質が異なっていた。

 ブラックホールは、周囲のものを何でも構わずに吸い込むとされている。

 しかし。

 この土地は、吸い込むものを、呼び寄せるものを自ら選ぶ。

 この場所に、空気に、土地に、闇に、無に、全てに相応しく、適したものだけを呼び込むのだ。

 さながらそれは、撒き餌を地面に放り投げておくようなもの。

 選ばれたものだけが分かる匂い、香り、気配。

 そういったものをそこらじゅうにばら撒いておく。

 気が遠くなるような時間をかけて、土地は何かを呼び込むつもりだった。

 だが。

 思った以上に早く、その逸材は姿を現すことになる。

 ひたひたと、闇の中に誰何の足音が響く。

 その顔は、闇の中でさらに浮き上がるほどに口元を三日月のように歪め、それはそれは愉しそうに哂っていた。

 これだと、闇は思った。

 底の知れない狂気を放つ者。

 どれだけ壊しても飽き足らず、どれだけ殺しても飽き足らず、どらだけ堕ちても飽き足らず。どれだけ死んでも飽き足りない。

 その狂気。


 ――我が器を満たすのに、十分すぎる業の深さ也。


 闇が言った。

 ぐにゃり、と。

 蠢いて、その世界だけが不気味に変容を遂げた。

 全てを呑み込め。

 全てを取り込め。

 全てを食らい尽くせ。

 やがて、全てを闇に帰せよ。

 答える代わりに、彼はまたいっそう愉しそうに哂った。


 3


 夕方と夜の狭間。

 神社の境内には、すでにうっすらと夕闇が迫っている。

 普段から決して参拝客は多いわけではないが、今はそれとは別の意味合いで境内は静まり返っていた。

 地面の上に立つのは、その手に白銀の刃を握る冬夜の姿。

 それをわずかに見下ろすように、社の中から巽と神楽、そしてカルマが顔を覗かせていた。

「……いいんだな、亜城冬夜?」

 確認のため、もう一度カルマは口を開く。

「……ああ。頼む」

 その一拍の間は迷いか、もしくは躊躇いか。

 意中は分からずとしても、決してカルマも乗り気というわけではなかった。

 しかし、頼まれた以上は本人の意向を汲み取ってやるのが役目だ。

「……往くぞ」

 小さく呟き、カルマはそれを発動させる。

 瞬間、風が止み、雲が固まり、空気が凍りついた。

 目には見えない時の流れだけが、目の前に佇むように広がっていた。


 ――結界。


 点と点は結べば線となる。

 これが二次元の定理である。

 線と線を繋ぐと面になり、面が組み合わさることにより立体となる。

 これが三次元の定理である。

 神社の境内は、すっぽりとドーム状の結界に包まれていた。

 内部と外部の境目は目で見ることはできないが、歩いて端に向かえば見えない壁に突き当たる。

 今発動したこの結界は、規模や段階としてランクをつけるとしたら低ランクのものだ。

 単純に内部と外部の接触を消し、内部に何かを閉じ込めるという基礎的なものである。

 もっと高ランクなものになれば、そもそもその場に結界を展開させたことを他者に気付かせずにすることも可能だ。

 だが、今回の発動理由に関してだけ言えば規模など最小で事が足りる。

 それはつまり、前述したとおりに、中に人を閉じ込めることが目的だからだ。

 その人物とは、カルマと神楽、そして巽を除いたある二人の人物である。

 一人は、地面に立つ冬夜。

 そして、もう一人は……。

「……いるんだろ? 出てこいよ……」

 促すように冬夜が呟く。

 何もかもが凍りついた世界の中で、その声は誰に向けたものだというのだろうか。

 だが、考えるよりも早く。

 ぐにゃり、と。

 止まった世界で何かが動いた。

 集束する影。

 蠢きながら、やがて一つの形を持った。

 それは……。

「……やれやれ」

 本当にくだらないことに愛想をつかしたように、そう呟きながら。

「まさか、お前に呼び出されることになるとはな……」

 だけどどこか、愉悦を隠しきれずにいるような。

「分かっているんだろうな? 俺がお前と対峙するという、その意味が……」

 やはり隠し切れずに、口元を三日月に歪めて愉しそうに哂う。

 その手に、向き合う冬夜と同じ白銀の刃を握って。

 彼は刃の切っ先をゆっくりと持ち上げ、冬夜に向けた。

「終わりだ。お前を殺して、俺は自分を手に入れてやる」

 遠まわしでも何でもない。

 何の感情もこもってない、無機質な音の塊。

 ただ、単純に。

 お前を殺す、と。

 生まれた影は、光に向けて死の宣告を告げた。


 その対峙する図式に、三人は揃って言葉を失っていた。

 何から何までが瓜二つ……いや、本当に鏡の中を覗き込んでいるかのような二人。

 それほどまでに、全てが同じ。

 オリジナルとコピーという表現じゃ、これは通じないだろう。

 目の前にいる二人は、どちらも正しく亜城冬夜という人間に間違いないのだ。

「こんな、ことが……」

 巽は思わず、呻くように声を絞り出した。

 あっていいのかと、続く言葉がしかし出てこない。

 いいも悪いも、目の前で起こっていることは紛れもない現実。

 否定できるわけがない。

 巽の隣で、神楽も同じく息を呑んでいた。

 言いたくはないが、これは悪夢にしか見えない。

 神楽は冬夜という人間を、正直言ってよく知らない。

 一度その手で生死の境を彷徨わせておいてそんな物言いもおかしいが、それは事実だ。

 ただ、カルマの話で分かったことは、彼が多重人格であるということだけ。

 ということはつまり、今こうして冬夜の目の前にいるもう一人の彼こそが、その人格の持ち主ということなのだろう。

 同じ人間なのに、どうして、こんなに……。

 ぞくりと、神楽は寒気を覚えた。

 唇が、指先が、肩が。

 あちこちががたがたと震え始める。

 それが恐怖かどうなのか、自分でもさっぱり分からない。

 ただ、はっきりと言える。

 向かい合うあの二人は、全く同じ。

 にもかかわらず、二人は絶対に一つにはなれない。

 全然違う。

 それはまさに、光と闇の構図。

 この二人だけは、どうあっても混ざり合って混沌になることも叶わない。

 つまり。


 ――どちらか一方は、確実に存在を失う。


 そして神楽の目から見て、勝敗の傾きは明らかに一方に傾いていた。

「……まずいな」

 カルマが囁くように言った。

 その言葉に、神楽は首から上だけで振り返る。

「力が違いすぎる。このままじゃ、結果は火を見るよりも明らかだな……」

 あっさりとそう言い切る。

 それは、神楽と全く同じ意見だった。

 うまく……言えないのだけど。

 交錯する以前のこの状態で、すでに勝敗が決していると言っても過言ではないだろう。

 二人がそれぞれに持つポテンシャルは、その強弱関係が露骨に表れていた。

 つまり、これから始まるのは、すでに戦いですらなく。

「……」

 二人を振り返る。

 哂う闇と、佇む光。

 このままでは、確実に……。


 ――光は、闇に食われる。


 もう一度言おう。

 これから始まるのは戦いではない。

 それは。


 ――絶対的強者による、弱者の除去である。


「さて……」

 闇が言う。

「始めようか。せっかくこんな、舞台まで用意してくれたんだ。期待には応えないとなぁ……」

「……」

 互いに刃を構える。

 間合いは十メートル弱。

 同時に踏み込めば、互いの二歩目で互いの間合い。

 かきん。

 鞘と柄の間から、白銀の刃が覗く。

 互いにわずかに、体が沈む。

 その仕草も、鏡写し。

 そして。


 ――凍りついた空気が、轟と弾けた。



拝読ありがとうございます。

やくもです、こんにちは。

物語りも終盤です。

だからというわけではありませんが、少し血の流れる戦いが始まりました。

この主人公同士の決別の戦いというのは、初期の設定の頃から必ず書こうと決めていたシーンです。

逆に言えば、物語はここに終結するように綴られてきたわけでもあります。

この戦いが終わっても物語はまだ少し続くわけですが、どういう形でも戦う以上は決着はつきます。

ありきたりなものか、意外なものか、それは分かりませんが、きっと何かを残せるかと思って書いています。

では、今回はこの辺で。

と、ついでにちょっとだけ宣伝を。

連載小説のほうに新しく「気がつけばいつもそこに君が」というものを投稿してみました。

ずいぶん昔の作品にアレンジを加えて投稿してみたものですが、暇つぶしでよければご覧になってみてください。

現在は十二部分まで投稿してますが、もともと書き上げてあったものだけに投稿はすぐに完了します。

内容もそれほど長いものではないので、すぐに読み終わると思います。

それではまた、次回で。


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