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千年の冬  作者: やくも
24/34

第二十四幕:あの日見た、雪の白さ(3)

 1


 分かりきっていたことだった。

 いつだって、そうじゃなければいいなと思いながら、心のどこかではそう思ってしまっていた。


 ――母さんはもう、死んでしまったのではないだろうか。


 ただ、それが考えすぎだと、悪い夢なのだと。

 繰り返し自分に言い聞かせるたびに、不安は色を濃くし、深みにはまっていった。

 あの日。

 いつもとどこか違った雰囲気を感じ取った、その瞬間から。

 きっと、自分でも気付かないようにしていたんだろう。

 胸の内にある不安を無理矢理にでも押し殺して、平静を保っていたんだろう。

 強がっていれば、弱さは隠せる。

 だけどそれは逆に、強がれなくなったらそこで弱さが溢れ出ると言うことだ。

 ……なのに、どうしてだろう。

 こんなにも心は悲しいのに、辛くて仕方がないというのに。

 どうして、こんな……。


 ――涙の一つも、流れてこないんだろう?


 母さんは死んだ。

 あまりにも短すぎるその言葉は、確かに神楽の心をえぐり取った。

 でも、不思議と痛みは感じない。

 ただ、ぽっかりと穴が開いてしまっただけ。

 ……ああ、やっぱりそうだったんだ。

 そんな言葉だけが、頭の中で何度も繰り返されている。

 やっぱり母さんは、もうこの世界のどこにもいなくなっていたんだ。

 最後に背中を見た、あの日。

 あの日が、母さんと共に過ごせた私の中の一番新しい記憶。

 去り行く背中。

 声をかければ振り返る距離なのに、なぜか遠く感じた。

 もう二度と、そのあまりにも聞き慣れた声を聞けなくなるような気がした。

 それでも体は、声は、動こうとしなかった。

 簡単なことなのに。

 ただ立ち上がって、その腕を掴んで叫べばいい。

「行かないで」

 そう、たったそれだけのことで運命は変わっていたのかもしれない。

 大切なものを何一つ失わず、今も同じ時間を過ごすことができていたかもしれない。

 それは本当に、何物にも変えがたいほどの幸せで。

 どこにでもあるような、些細な願いで。

 望みなんてものとしては、叶えるまでもないもの。

 ただそこにあるだけで、当たり前だった景色。

 それだけに、奪われた後は無残だったのだろう。

 殺風景もいいところ。

 ただでさえ二人だけで過ごすには広い家。

 そこも今は、一人ぼっち。

 何にもない。

 壁も天井も床も、何もかもが灰色。

 かろうじて見える生活観だけが、そこを誰かの居場所にしている。

 母さんと共に過ごした時間は、一人で過ごした時間よりもずっと長かった。

 けれど、今はもう。

 この先も、この暗闇が未来永劫に続くんじゃないかと思えてしまう。


 時間にすれば三年。

 それこそ、いくらでも数えられるほどの時間。

 振り返るには近すぎる過去。

 それでも、一人で歩き続けることはどうしようもなく辛い。

 眠れない夜がほとんど。

 それでも目を閉じれば、大体は母さんの夢を見る。

 それはまだ、二人だった頃。

 二人が当たり前だった世界の、日常の風景。

 だけど今は、何もない。

 いつからこうなってしまったんだろう。

 きっかけは何だったんだろう。

 時間を遡れるのなら、あの日あの時のあの場所に戻りたい。

 そして、ただ一言叫べばいい。

「行かないで」

 それだけできっと、母さんは振り返ってくれる。

 だから……。

 時間を巻き戻してください。

 誰でもいいから。

 お願いだから……。

「……なんて、そんなこと言えるわけないじゃない……」

 俯いたまま、神楽はぽつりと言葉を漏らす。

 顔を上げ、閉じていた目を開ける。

 一人残された、時任の私室。

 いや、残されたと言うのは表現がおかしい。

 一人にしてくれと頼んだのは、神楽自身だったのだから。

 神楽のその言葉に、時任もカルマも無言のまま従ってくれた。

 足音も立てずに二人は部屋を去り、神楽は薄明かりの部屋の中に一人座っていた。


 自分でもおかしな話だが、動揺は大きくなかったと思う。

 それはやはり、心のどこかでは母さんの死をとっくに受け入れてしまっていたからなのかもしれない。

 だけどそう思うと、それはすごく悲しいことだ。

 あの日から今まで、ずっと母さんはどこかで生きていると信じてきた。

 信じてきたからこそ、今まで前に進んでこれたのだ。

 だけどそれも、今日で大きく変わるかもしれない。

 進展はあった。

 決して望んだ形とは言えないけど、一つの事実は完結した。

 母さんは死んでしまった。

 それはとても悲しいことだけど、今更目の前の事実を否定しようとは思わない。

 悔しいし、悲しいし、どうしようもなく寂しくもなる。

 けどここで現実から目を背けてしまったら、ここにもういない母さんはきっと悲しむと思うから。

 だから、なのだろうか。

 さっきから涙の一つの流れないのは、それが理由なのだろうか。

 きっと、まだ何も終わっていないからだろう。

 母さんの死すら一つの終わりではなく、そこから今に続くもう一つの始まり。

 だから神楽にはまだ、やるべきことがある。

 そうでなくては、今までの自分さえも否定しなくてはいけなくなってしまうから。

 こんなところで俯いている時間なんてない。

 今はただ、もっと前へ。

 終わりを待つんじゃない。

 終わらせに行くんだ。

「……行かないと。まだ、聞かなきゃいけないことがあるものね」

 腰を上げる。

 立ち止まる暇なんてない。

 だから、次は……。

 目の前にある問題の全てが無事に解決できた、そのときに。

「……母さん、百合の花が好きだったよね」


 ――貴方の好きだった花を、墓前に捧げます。


 部屋を出る。

 ただでさえ薄暗い通路が、空模様も重なっていっそう薄暗く染まっていた。

 吹き抜けの中庭。

 その中心に聳え立つ大木。

 終焉の大樹は、まるで巨大な傘のように枝葉を広げている。

 そのわずかな隙間を縫うようにして、白いものが降る。

 ゆらゆらと揺れて、何かに触れては消えていく。

「……神楽、平気か?」

 と、壁によりかかるカルマが声をかけてくる。

「……ん、大丈夫。ここまできて、逃げ出したりなんかしないから」

「いや、そうではなく……」

「……分かってる」

 カルマの言葉を遮る。

 そこに続く言葉は、もう分かっているから。

「そういうのも全部ひっくるめて、大丈夫だから」

「……そうか。なら、いい……」

「うん」

 頷いて、神楽は歩き出す。

 時任は聖堂にいるのだろう。

 彼にはまだ、聞きたいことがある。

 そしてそれはきっと、知るべきことなんだろうと思う。

 通路を歩く。

「……俺は、必ず誓いを果たして見せる。だから、もう少しだけ時間を……」

 その独り言を、神楽は知らない。


 2


 聖堂へ続く扉を押し開ける。

 ギィィという音。

 時任は壇上、ステンドグラスを見上げながら宙に十字を切っていた。

 それが祈りか、それとも懺悔なのか、神楽とカルマには知る術はない。

「どうですか? 気分は落ち着きましたか?」

 二人の姿を捉え、時任は歩み寄ってくる。

「はい。少しは」

 答えて、神楽も同様に歩み寄る。

 互いに近づきながら、二人は一定の距離を置いて向かい合った。

 時任はその顔に小さな作り笑いを浮かべ、神楽はどこか決意の色を見せている。

 その神楽の背後で、カルマはどこか不安定な感覚を無理矢理に押し殺していた。

「時任さん」

 神楽が呼ぶ。

 その声の具合で、すでに時任には分かったのだろう。

 その目に宿る光は、一欠片の濁りや澱みすら感じさせない。

「……何でしょう?」

 と、時任は一応、会話の礼儀に従って聞き返す。

 それがほとんど無意味なものだとしても、その先に続く言葉は神楽の口から聞かなくてはいけない。

「あなたは……母さんの最後を看取ったんですね?」

 わずかに沈黙が流れる。

 冷えた空気が混濁し、二人の間を緩やかに、しかし凍てつきながら流れた。

「……ええ、そうです。看取ったと言うほどのことではありませんが、鈴菜さんと最後に会話を交わしたのは私でしょう」

 その声はどこか優しく、しかしやはり言い様のない悲しみを帯びていた。

「話して、くれますね?」

 今一度、神楽は問う。

「……あなたが、それを望むなら、お話します」

 答えず、神楽は頷く。

 その返答に満足したのか、それとも感情を押し殺したのか。

 どちらともとれるような一拍の間を置いて、時任は静かに目を閉じた。

「……分かりました。お話しましょう」

 そして、背を向ける。

「私が立ち会った、三年前のあの日のことを……」


「その日は、その年最初の雪が降り出した寒い日でした」

 そんなくだりから、時任の話は始まった。

 長くなると言うことで、神楽は今聖堂にある長椅子に腰を下ろしている。

 かたやカルマは、聖堂の隅にある柱に背中を預け、耳だけをこちらに傾けていた。

「鈴菜さんがこの場所を訪れる少し前に、ある一人の青年がやってきました。彼は顔面蒼白で、それこそ冬の寒さだけが原因でないことは一目瞭然でした。彼は寒さに震えていたのではなく、恐怖に対して震えていました。そしてしきりにこう言い続けます。助けてくれ。自分は呪われてしまった。このままだと、自分が今年の失踪者になってしまう」

「……!」

 その言葉に、神楽は驚きを隠せなかった。

 やってきた青年が誰であるかはこの際どうでもいい。

 問題は、青年が口にしたその言葉だ。

 青年の言い分は、まるで……。

「……当時の私も、この境と言う土地が極めて不可解な事件の発祥の地だと言うことは知っていました。とはいえ、あくまで噂で耳にした程度のことです。真偽のほどは分かりませんでしたし、眉唾な噂とばかり思っていました。ですが……」

 一度区切り、空気を吸い込んで時任は続ける。

「あれは……あれはすでに、手遅れでした。やってきた青年は半狂乱、体も考えられないほどに衰弱していた。素人目で見ても、すぐに分かりましたよ。間もなくこの青年は死んでしまうと」

 時任は直立することも苦痛に思えるように、ゆっくりと一歩を踏み出す。

「少なくともあれは、すでに人間ではなくなっていました。見た目は人間の形をしていましたが、中身は全くの別物です。今も昔も、私はそれを何と表現していいのか分からない。ですので、一般的な言葉で言わせていただきます。あれは、バケモノでした」

 時任は言い切った。

 おそらくは、今でも認めたくない部分がいくつもあるのだろう。

 それを踏まえてなお、バケモノという言葉でしかその青年の存在を表現できないのだ。


 人が自分ではない別の人間を視覚で認識し、不快感などを覚えることはさして珍しいことではない。

 悲しいことだが、人にはそれぞれの感覚があり、それは食べ物の好き嫌いと同じで様々だ。

 ゆえに、視覚的に他人に嫌悪感を抱いてしまうことはしばしばある。

 実際に話してみればそうでもなかったということも多々あるが、この場合はそういう過程は無視しよう。

 それと同じで、視覚だけでも相当の情報を取り入れることができる。

 例えば、道端ですれ違った人が芸能人にそっくりだった。

 その芸能人が本人にとって好感の持てる人物かそうでないかで、そのそっくりな人に対する印象も代わってくるだろう。

 誰しも好きでもない人を好きになりたくはないし、嫌いじゃない人を嫌いにはなりたくない。

 そういったいわゆる第一印象。

 それを時任の会話に当てはめると、実にとんでもないことになる。

 時任と青年はその日が初対面であり、出会ったことも偶然に過ぎない。

 その初対面同士の人間である時任が。

 仮にも、教会と言う神聖な場所で生活を送っている時任がだ。

 初対面の人物の第一印象をバケモノと受けてしまう時点で、その青年は間違いなく人ではないのだ。

 表向きの形がどれだけ人の形をしていても、その中身はもはや人間どころか生物であるかすら怪しい。

 文字通り、人の形と書いて人形なのだ。

 そして人形には、全く別の中身があった。

 それが時任の言う、バケモノである。

「正直、バケモノと表現してもまだ自分では納得ができません。それほどまでにあの青年は常軌を逸していた。少なくともあれは、同じ現実世界に存在しうる一生命体として認識することはできませんでした。彼の自我はとうに崩壊し、肉体が壊れずに留まっていたのが不思議なくらいです」

 想像できるだろうか?

 誰の目から見ても人間にしか見えない存在が、しかし決してすでに人間として機能しておらず、あまつさえ間もなく自分は死んでしまう

から、助けてくれと叫ぶ。

 そんな何がなんだか分からない、人智で理解できる限界を超えたバケモノの存在を、受け入れることなどできるわけがない。


「そんなときでした。教会の扉がゆっくりと開き、一人の女性がやってきたのは……」

「……母さんが……」

 頷いて、時任は続ける。

「私の彼女に対する第一印象は、まさに女神でした。一目見て、圧倒されました。この人もまた、普通の人間では決して登りきることのできない高みに達しているのだと」

 それはきっと、母さんの生まれ持ってのあの異能の力のことだろう。

 確かにそれは、現代の科学力をもってしても未だに解き明かすことのできない神秘の力。

 それだけに世界は、それを神がかった力として、同時に呪われた力として認識する。

 善悪の区別さえつかないこれらの力は、結局のところ備わった人間が使い方一つでどうにでもできるものだ。

「彼女は一目見て、彼の異変に気づきました。そしてどういうわけか、症状を治せると言い出しました」

 そう、きっと母さんならそうするだろう。

 あの人はそういう人だ。

 赤の他人だろうと何だろうと、秤にかければいつも自分より他の身を案じてしまう。

 優しさの反面、それはひどく危険な選択だと知ってなお。

「情けない話ですが、私では彼をどうすることもできなかった。そうしてその場に彼女がやってきたのも、しかし偶然とは思えなかった。私は彼女に言われるがまま、青年を任せました。そして、まさに奇跡が起きたのです」

 半歩ほど翻り、時任は続ける。

「原理は全く不明です。ですが、彼女が青年の体に手をかざすと、見る見るうちに彼の狂乱状態はなくなっていきました。薬で言うのなら、即効性の鎮痛剤と麻酔を混ぜたものを投与したようでした。次の瞬間には、私はあれほど恐怖を抱いていた彼を普通の人間として見てい

ました。明らかに雰囲気が変わっていたんです。狂気も苦しみも、彼から感じ取ることはありませんでした……」

 時任の口調はわずかばかり興奮の色を帯びている。

 あまりに奇跡じみたことを思い出したせいで、感情の起伏が激しくなっているのかもしれない。

「彼は一命を取り留めました。といっても、もとより肉体的外傷は何もなかったので、興奮状態が終わればそれだけで問題解決でした。ただ、そのせいで彼女はずいぶんと疲労していました。詳しくは分かりませんが、相当の体力と精神力を消耗していたのだと思います。そしてその機会を、あれは見逃さなかった。より優秀な肉体を求め、あれは彼女に対して侵食を始めました」

「……あれ? あれって、一体何なんですか?」

「それは私にも分かりません。ただ、あれを一言で言い表すとすれば……」

 一拍の間。

 神楽が息を呑み、時任はやや悩み、カルマはただ無言で目を閉じた。


 「――あれは、影……いや、具現化した闇そのものと言えばいいでしょうか……」


「な……」

 その言葉に、神楽は否が応でも心当たりがある。

 なぜならそれは、現在進行形で自分達が追い求めている存在。

 そう。

 この境と言う土地そのものに根付いた、覆すことのできない古の伝承。

 都市伝説の根源。

「そん、な……母さんも、あれに……」

「……私は、何もすることができなかった。目の前で起きていることを理解することさえもできなかった。金縛りにでもあったように体が動かなく、目の前の光景をただ眺めていることしかできませんでした……」

「…………」

 心が過去の現実を否定しようとする。

 しかしそれはできない。

 全てを受け入れると決めたんだ。

 たとえどれだけ凄惨な過去の記憶でも、背負って今を進むと。

 その誓いを、こんな簡単に曲げることはできない。

「……そしてあれは、彼女を取り込みました。私はそのとき、直感的に分かってしまった。あれに取り込まれると言うことは、それだけでその冬の失踪者になるということだと。そして失踪者は、誰一人として戻ることはない。そう、ただ一つの例外もなく。なぜならそれは、あれそのものが生きた都市伝説だから……」

 場に沈黙が下りる。

 誰一人として口を開かず、肌寒さの中で時間だけが過ぎていった。

 その沈黙が十秒か一分か、もっと長かったのかは分からない。

「……それで、母さんは消えてしまったんですね……?」

 それは問いなのか、それとも確認なのか。

 誰に投げかけたかすら分からないその言葉に、時任は静かに答える。

「……ええ。私の目の前で、彼女はあれと共に消えました。まるで、最初からどこにもいなかったように……」

「……そう、ですか」


「……私は」

 時任が神楽に一歩近づく。

「あなたに殺されても、私は文句は言えません。あの場にいながらにして、私はあまりにも無力だった。無力であることは罪ではないかもしれない。しかし、私の無力は確かにあなたの母親を不幸にした。だから私は、あなたに恨まれても、殺されても、何一つ返す言葉はありません。ですが……」

 そう言うと、時任は服の懐からそれを取り出した。

 銀のチェーンの先端に楕円形のものがついたロケットペンダント。

 それは、神楽の記憶の中にも確かに残されたもの。

「それは、母さんの……」

「はい。彼女が消えたあと、唯一残されていたものです。返す人もいなく、今日まで私が預かっていたものでした。これを、あなたにお返しします。きっと、彼女もそれを望んでる……」

 差し出されたペンダントを受け取る。

 楕円形の部分を、指で開く。

 そこに。

「……」

 在りし日の、自分と母さんの姿があった。

 その顔は自分でも驚くくらいの笑顔で、傍らの母さんも幸せそうに笑っていた。

 握り締める。

 さっきは流れなかった涙が、今はあと少しでこぼれ落ちそうになってしまう。

 それを堪える。

 まだ早いと、言い聞かせた。

 写真の中にある日々は、もう戻ってはこない。

 けれど、まだできることがある。

 やれることがある。

 昔を懐かしむことも、悲しむことも、全部先延ばしでいいんだ。

 今はもういないあの人も。

 全てが終われば、きっと笑ってくれると思うから。

 今はまだ、立ち止まれない。


 神楽は立ち上がる。

「……ありがとうございます。これで私も、どうにか前に進んでいけそうです」

「……やはり、同じ道を行くのですか?」

「はい。それに、母さんの敵も取らないといけない」

「彼女は、あなたが危険な目に遭うことを望んではいないと思います。それでも、自ら底なしの沼に足を踏み入れると?」

「ここまできて、今更後戻りなんてできない。せめて、自分の手で結末を飾ってみせます」

 時任に背を向け、神楽は歩き出す。

 その背中を、時任はただ黙って見送った。

 その背中は、こんなにも小さい。

 本当に、触れば簡単に壊れてしまいそうなほどに。

「……やはりあなたは、彼女の子ですね……」

 そう、聞こえないように呟いた。

 神楽はそのまま教会の扉を押し開ける。

 外は雪が降っていた。

 灰色のアスファルトを染めるように、街はうっすらと化粧をされていた。

 その神楽の背中を、カルマも無言で追いかける。

 教会を出て、カルマは一度だけ振り返った。

 閉じかけの扉の向こうに立ち尽くす、時任と目が合う。

「…………」

「…………」

 互いに無言。

 やがて扉が閉じる寸前、時任が何事かを呟いて頭を下げた。

 カルマはそれを一瞥する。

 バタンと。

 扉が閉じる。

「言われなくても、分かっている……」

 扉の向こうの時任に吐き捨てる。


 「――彼女を、お願いします」


 最後の瞬間、時任は確かにそう呟いていた。

 カルマは振り返る。

 少し遠く。

 守るべき小さな背中が、少しだけ遠ざかっていた。

 その足元には、真っ直ぐに足跡が残っている。

「……ああ。後戻りなんて、今更できないな」

 誰かにそう告げて、カルマは歩き出す。

 その、小さな足跡を追いかけて。



更新遅れてすいません。

そして拝読ありがとうございます。

やくもです、こんにちは。

一時期落ち着いた仕事がまた少しピークを迎え、そのため更新が遅れてしまいました、すいません。

もう少しで完結できるところだけに、ここでの執筆遅延は自分でも悔しい部分があります。

まぁ、何にせよもう少しです。

この話が終わる頃には、また新しい話を考えておきたいかなと思っています。

それと追記ですが、同時連載している「無条件幸福」を一度削除しようと思ってます。

これはちょっと身勝手な理由もあるのですが、もし先を楽しみにしてくれている方がいたら、それは本当に申し訳ありません。

また別の形で似た物語を書きたいと思いますので、どうぞご理解ください。

ではまた、次回にて。


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