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千年の冬  作者: やくも
20/34

第二十幕:舞台裏のささやかな抵抗(3)

 1


 その瞬間だけ、彼の顔からはいつものいかにも愉しそうな笑みは消えていた。

「…………」

 彼の視界の中では、幾人もの警察関係者がせわしないように動き回っている。

 事件現場となったのは、高校の体育館だ。

 そう、それに間違いはない。

 なぜならその被害者を犠牲者にしたのは、他ならぬ彼自身だったのだから。

「……妙、だね……」

 高くも低くもない、男のものか女のものかも区別がつきにくいそんな声で、彼は呟いた。

 しかしその声に気付く人間など、その場には誰一人として居合わせてはいない。

 また、彼の目の前を何人かの警察関係者が横切った。

 だが彼らも、自分達が通り過ぎたその場所に彼が佇むように立っていることに、全く気がついていない。

 この奇妙ともいえる現象はしかし、当然のことだった。

 彼はそもそも、そこに存在していると同時に存在しないものなのだから。

 それは彼が、少なくとも人間とか生物という言葉で言いくるめることのできない存在だからだ。

 では、彼は一体何なのか?


 名も無き影。

 性別、素性、存在理由さえもがあまりにも不安定。

 もともと彼は、そこにあってそこにないもの。

 そしていつしか、彼は一つの噂になった。

 人々の間で囁かれ、伝言され、知らず知らずのうちに広まり。

 やがてそこに、自身を都市伝説という形で存在させ、定着させた。

 これは比較的、どこにでもある話だ。

 トイレの花子さんしかり、十三階段しかり、合わせ鏡しかり。

 そういった、いわゆる怪談話。

 そしてそれらは、一度噂が流れると、それこそ止まることを知らずに流れ続ける。

 人から人へ。

 親から子、子から孫へ。

 幾年もの年月を経てなお、それらは根強く人々の記憶の中に残り、時代を超えて語り継がれるのだ。

 それこそ、気の遠くなるような昔から。


 彼も、その一種だ。

 しかし、亜種でもある。

 噂話にしろ、怪談話にしろ、どちらも内容の真偽のほどを確かめる方法は皆無といっていいだろう。

 なぜなら、その噂の出所がもはや誰にも判別できるものではないからだ。

 例えば。

 小学校などでおなじみの、こんな怪談話を例に挙げてみよう。


 ――屋上へと続くその階段は、昼間は十二段なのに夜に数えると十三段になっており、十三段目を踏むとあの世に連れ去られてしまう。


 学校の怪談としては、こういう話はメジャーの一つだと思う。

 そして誰が意識せずとも、この手の噂話はいつでもひっきりなしに流れているものだ。

 だからある日、他愛ない会話の中で誰かがこんなことを言うのだ。

「なぁ、知ってるか? 十三階段の話」

 話を振られた別の誰かは、こう答える。

「ああ、知ってる知ってる。昼は十二段なのに、夜に十三段になるってあれだろ?」

 もちろん、この時点ではこれは真偽のほどを確かめられてない噂話である。

 そしてまた、別の誰かがこう言う。

「でもさ、それってどうせ作り話だろ?」

「そうそう。今時そんなので怖がるやつなんかいないって」

 最初から信じていないのか、ただの強がりなのかは別として、大半は反発の言葉だ。

 そして恐らく、作り話というのはあながち間違いではないのだろう。

 そもそも落ち着いて考えてみれば、全国の学校に必ずそういう怪談話が揃っているというわけでもない。

 そういった噂話が全く流れない学校も、決して少なくはないだろう。

 だがこのようの怪談話というのは、大抵は学校の生徒達をそんな風に少しだけ賑わせるだけで、結局は記憶から薄れていくものだ。

 そうなる理由はいくつがあるが、簡単に説明がつくものを挙げてみよう。


 一つ、実際にその怪奇現象の現場に遭遇した人物が身近にいないこと。

 一つ、仮に遭遇したと実証を語る声があっても、それも作り話だと聞き流してしまうこと。


 おおまかに言ってしまえばこの二つで間違いないだろう。

 そもそも今回の例にのっとって話を続けるのならば、仮に夜中に階段を数え、結果としてそれが十三段だったとしても、それは何の証拠能力も持つことは無いのだ。

 数え間違えたんじゃないのか?

 夜だし暗かったから、そう見えただけじゃないのか?

 気のせいだろ?

 そんな言葉であっさりと返され、言われてみればと実証した本人までもが考え直してしまう。

 つまり、だ。

 この例の怪談話が実際に起こったという証明をするには、もはや手段はたった一つしか残されていないのだ。

 それは。


 ――実際にその十三段目を自ら踏み、あの世に連れ去られてしまわなければならない。


 何の屁理屈もこねていない、実に簡単な方法だ。

 しかし、だ。

 仮に頭の中ではそんなことはありえないと笑い飛ばしている話でも、実際に数えた結果が十三段になっていたその階段の十三段目を踏むことができる人間が、そうそう多いとは思えない。

 信じていない人間の認識の中では、それは絶対に十二段で終わる階段なのだ。

 しかし実際に夜中に数えてみたら、そこにないはずの十三段目がある。

 それは、ありえない。

 あってはならないことだ。

 何度も数えなおすだろう。

 階段を下り、もう一度一段目から順々に……。

 ……十、十一、十二。

 十二段目を足で踏む。

 その先には、踊り場が広がるはず……。

 なのに、なぜか。

 そこにはやはり、十三段目が存在するのだ。

 そこで初めて、その誰かさんは心底から恐怖するだろう。

 足元を照らす唯一の光源である懐中電灯は、手の中から冷や汗と共にするりと抜け落ちる。

 ガタンゴトンと音を立てて転がり落ち、電池が外れて光が消える。

 そして包まれる、常闇。

 そこにいる誰かさんは、もう次の朝陽を見ることはないだろう。


 こうして仮に、誰かが噂として流れていた怪談話になぞらえるように行方をくらますこと。

 ここまで事態が進行して初めて、その怪談話は周囲から認識されるのだ。

 とはいえ、まだ不明な点は残る。

 いなくなった誰かさんは、本当にあの世に連れて行かれたんだろうか?

 それを確かめる方法もある。

 ただし、自分が次の犠牲者に志願するというのならばの話だが。


 さて。

 論点が少しずれてしまったが、要するに怪談話の類が力を持つということは、上記の例のように誰かを犠牲にしてその事実性を周囲に

強制的に理解させる必要があるということだ。

 どれだけ頑なに信じないと言い続けても、現実としてそうした事実が過去にあるのならば。

 ほんのわずかな切れ目から、認識は介入する。

 もしかしたら、ひょっとしたら、まさか。

 そんな風に思った時点で、すでに認識の介入を許してしまっていることになるのだ。

 最初は小さな傷でも、時間をかければこじ開けることも不可能ではない。

 もしもその傷が完全にこじ開けられてしまったのならば、そのときは貴方が何番目かの誰かさんになっていることだろう。


 こうしてここに立つ彼は、そういったものの中でも特に質が違うものだ。

 彼とて、こうなる以前……つまりは都市伝説として今のような存在になる前は、れっきとした人間の一人だった。

 生前の彼が一体どのような人間だったのかを知る者はいない。

 だが、これだけは言っておく。

 あるとき彼は、こう思ったそうだ。


 ――自ら物語の一部となることで、自分の存在を知らしめてみたい、と。


 それは、どこか狂った願望だったのかもしれない。

 しかし当時の彼にとっては、それは神の一歩手前の領域に踏み込むことに等しかったのかもしれない。

 だが彼は、気づくはずもなかった。

 その思考はすでに、神の領域そのものを大きく踏み越えてしまっているものだということに。

 それでも彼は、望んだ。

 そして、今から千年も前のある冬の日。

 誰もいない、山奥の土地で。

 辺り一面を、その年最初の雪が白く覆い尽くす頃。

 彼はその場所で、自らの命を絶ち、雪原の中心に紅く奇麗な花を咲かせた。


 ――そして彼は、都市伝説になった。


 だが、まだ肝心のものが足りない。

 この方法で彼が都市伝説になったところで、それを語り部として後の世まで伝える存在がいないからだ。

 ゆえに。


 ――彼には、双子の弟がいた。


 そして兄である彼は、弟をこの世に残し、語り部にした。

 弟は語り部としての役目を果たしながらも、その一生を経たという。

 ただし、その最期を看取った者は、誰一人としていない。


「……まぁ、いい」

 彼はどうでもいいように呟いた。

 事実、本当にどうでもいいことなのだろう。

 いかにもつまらなそうな彼の表情が、それを如実に物語っている。

「もうじきだ。ここまできて、誰にも邪魔はさせるものか……」

 呟き、そして哂う。

 彼独特の、見るものに寒気さえ与えるような笑み。

 口元を三日月形に歪め、とても愉しそうに。

 そして、音もなく空気に溶ける。

 そこにいてそこにいない存在。

 消えるも現れるも、大差はない。


 彼が立っていたその側を、警察関係者が通る。

 二人がかりで担架を運んでいる。

 今回の被害者の遺体を運んでいるのだ。

 遺体には黒いシートがかけられて、顔までを見ることはできない。

 ただ、やはり被害者はこの学校の生徒であり、二年生の女子であることは間違いないようだ。

 被害者の彼女の制服の胸ポケットからは、生徒手帳が見つかった。


 二年二組――伊原香織。


 それが、被害者の名前だった。


 2


 二人は帰路の途中にいたが、その足がそのまま各々の自宅へと向かうことはなかった。

 長い石段を上り終え、対馬と佐野は天瀬家の敷居をまたいだ。

 インターフォンを鳴らしてすぐに、引き戸の向こうから巽が顔を覗かせた。

 その表情は少なからず、驚きの色に染まっている。

「二人とも、学校はどうしたんだ?」

 開口一番、巽は言った。

 時刻はまだ午前十時を少し回ったばかり。

 平日である今日は、普段どおりに学校があるはずだ。

 朝に二人を見送った巽は、そのままいつものように学校に向かったものとばかり思っていた。

 だからこうして、こんな時間帯に自分の目の前にいるということは、二人が学校をサボってしまったのではないかと思った。

「……今日は、休校になりました」

 おずおずと佐野が口を開く。

「休校?」

 巽はオウム返しに聞き返す。

 それに続けて、対馬が口を開く。

「……学校で、生徒の死体が見つかったんだそうです。自殺とか他殺とか、そういうのは全然分かんないですけど、それで今日は、臨時休校ってことになって……」

 その言葉に、巽は一瞬返す言葉を見失う。

 学校で死体が発見された。

 言葉にすればたったこれだけのこと。

 だが、そこに。

 巽は決してあってはならない事実を見つけてしまう。

 それはさもすれば、何事もなかったかのように流されてしまう言葉。

 その死体が誰のものなのか、事件性の有無はどうなのかなど、この際そんなことはもはやどうでもいいことだった。

 問題なのはたった一つ。


 ――死体が見つかったという、その一点だけである。


 ありえない。

 それは絶対に、ありえてはいけないことなのだ。

 巽は空気の塊をごくりと呑み込む。

 背筋を走る寒気が全身に向かい、顔色までもがやや蒼ざめる。

 何度も頭の中で否定を繰り返すが、その否定さえも別の何かに否定されて消えていく。

 一種の混乱状態である。

 どういうことだ?

 これは一体、どういうことなのだ?

 自問は続く。

 しかし、自答はない。

 あるとすれば、それはやはりたった一言。


 それは、絶対にありえない。


 事件が起こる。

 それは何でもいい。

 誘拐、強盗、傷害、数えればきりがないだろう。

 そしてそもそも、事件が起きるということは、起因となること……つまり原因があるということだ。

 殺人事件に関して言うのならば、この原因というのは犯人とその動機に該当するものだ。

 殺す側がいるから、殺される側がいる。

 残酷な例え方かもしれないが、これはもはや摂理だ。

 誰かが殺されるということは、その殺された誰かを殺した誰かがいるということだ。

 要約してしまえば、加害者と被害者。

 組織やグループ単位で行われる場合も決して少なくはないが、根本的に被害者と加害者はそれぞれ一人であると言っていいだろう。

 そして原理的にも、まず最初に発見されるのは被害者側だ。

 予告殺人や爆破予告などは例外なのかもしれないが、常識的に考えて、いつ、誰が、どこで、どのように、誰を殺すか。

 などということは、実際に事件が起きてからでなければ誰にも分かることはない。

 もしそれができるというのならば、この世界からたちまち犯罪という単語は消えてなくなることだろう。

 そんな平和世界も願って叶うならいくらでも願うが、所詮は夢物語もいいところである。

 話を戻そう。

 ようするに、事件というものは次のような流れで認識される。


 一、被害者が発見される。

 二、被害者の生死に関わらず、それが自発的なものかそうでないかを確認する。

 三、自発的なものの場合、最悪の結果としてこれは自殺という形で処理される。

 四、そうでない場合、つまり加害者がいる場合、これは傷害事件や殺人事件として認識される。

 五、事件の内容に問わず、動機やそうなったまでの経緯が調べられる。

 六、加害者がいる場合は犯人という形で捕縛され、法の下で裁かれる。


 かなり大雑把な見解だが、大きく的を外れている部分はないと思う。

 ここで注目してほしいのは、まさに一の部分である。

 この、被害者の発見。

 まさにこれは、殺人事件という物語の中では起承転結の起の部分に該当するものだ。

 事件が起きなければ警察も捜査を始めることができない。

 ゆえに、被害者がいつまでも発見されなければ、それは事件にすらなりえない。

 そう、なりえないはずなのだ。

 他の国や県ではどうなのかは知らないが、とにもかくにも。


 ――この境という土地に関してだけ言えば、事件が起きることさえもあってはならないことなのだ。


 それはこの土地に古くから伝わる伝承で、誰もが知っていること。


 ――毎年のように、冬になるとこの街から誰かが消える。


 そう。

 消えるのだ。

 決して、見つかることはない。

 見つかることがないのだから、それはつまり……。


 ――事件として世界に認識されることさえもありえない。


 気が遠くなるような過去から繰り返されてきた伝承。

 今まで決して覆ることはなかった。

 誰一人として、戻ってこれた人間などいなかった。

 境という土地と冬という季節が折り重なったとき、そこは日常ではなくなる。

 歴史の裏。

 陽の当たる世界に出ることを許されない、歪んだ記憶。

 それでも、一度として狂うことなく受け継がれてきた物語。

 それが。

 たった一言で、狂い始めていた。


 ――死体が見つかった。


 この事実が、吉と出るか凶と出るか。

 ……いや、それさえもどうでもいいことなのかもしれない。

 吉も凶も、大して差などないのだから。

 ただ一つ、思うことは……。


 この小さなほころびが、全てを切り開くきっかけになるのではないだろうか。


 という、そんな希望じみた予感。


 開かずの扉。

 ドアノブは回せるだろう?

 鍵はもう、送っているんだから……。


どうもお久しぶりです。

作者のやくもです、こんにちは。

小説家になろう秘密基地のほうで書き込ませていただいたとおり、どうにも仕事の関係が忙しくなってしまい、ずいぶんと更新が遅れてしまいました。

この場を借りてお詫びいたします。

まだもうしばらくは不安定な更新が続くとは思いますが、それでも読んでくださっている方々にはとても感謝しています。

どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。

それでは、また次回で。


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