第二幕:雪は街を白く染め上げて(1)
1
まだ朝靄の消えない早朝の六時、冬夜はもう目を覚ましていた。
正確に言えば、昨夜は一睡もしてないと言ったほうが正しい。
ベッドの上で体を横に倒してはいたものの、風呂の中であれだけ襲ってきた眠気は見事に霧散していた。
言うまでもなく、原因は昨夜に起きたあの出来事だった。
忘れてしまえばどれほど楽かと分かりながらも、忘れようとすればするほど考えてしまう。
それが紛れもない現実だということを、他ならぬこの傷痕が物語っているのだから。
「……」
冬夜はその手に木刀を構えていた。
今いる場所は、神社の離れに構えられた剣道場だった。
叔父の巽はもう間もなく五十歳を迎える初老ではあるが、ああ見えて剣道の腕前は日本国内でも十本の指に入るほどのものだ。
幼い頃に引き取られた冬夜も、自然と剣道を身につけていくことになった。
階級で言えば、冬夜は三段ほどの腕前になるだろうか。
しかし、彼の通う高校にはあいにく剣道部というものが存在しない。
なので、現在冬夜は帰宅部ということになる。
体力にはそれなりに自信もあるし、体を動かす運動も好き嫌いで言えば好きだろう。
だが、その反面として社交性に対してほとんど興味関心を示さない。
かといって無愛想というわけでもなく、話しかけられれば答える程度のことはする。
ようするに、自分から進んで他人と必要以上の関わりを持とうとはしないということだ。
そういう理由があって、結局他のどの運動部にも所属しないままでいる。
体育の授業などの実技で、運動部所属のクラスメートから部に加入しないかと誘われたことも何回かあったが、全て断った。
興味がないというのは嘘にはならないだろう。
実際、運動そのものは好きであっても興味を引かれるものはなかった。
だがそれ以上に興味がないのは、他人との関わりだ。
冬夜は自分におかしな力が宿っていることを知っている。
それは日常的な生活から見れば明らかに不必要な力であり、同時に異常な力でもある。
さらに、その力は冬夜自身の意思でどうこうできる範囲の問題ではなく、先天性のものだった。
だから、別に冬夜自身はその力を使うつもりがなくても、その力は常に発動し続けていることになる。
ようするにつけっぱなしの電気と同じ原理なわけだが、この力の操作にスイッチのような動力源などは存在しない。
つまり、常にスイッチが入りっぱなしであるにもかかわらず、電力が永久機関の照明のようなものなのだ。
仮にこのスイッチを強制的に切ることができるとしたら、それは照明そのものを破壊するしかないだろう。
だが、この場合の照明とはイコール冬夜自身のことを示す。
それを壊すということは、すなわち肉体の破壊……死である。
それこそが、絶対にして唯一の方法なのだ。
ではだからといって、簡単に死を選ぶことができるだろうか?
できるわけがない。
少なくとも冬夜はその選択を選ぶことはできなかった。
そこにはもちろん、死を恐れるという気持ちも少なからず含まれているだろう。
一般的に考えれば、ほとんどの割合は死に対する恐怖が第一だと思う。
だがそれ以上に冬夜は思い留めているのは、彼の家族の死だ。
当時三歳だった冬夜に記憶はほとんど残っていないが、事故現場で発見された生存者は冬夜を含めて数人だけだったという。
そして冬夜は、家族三人の死体に抱きかかえられ、守られるようにして発見されたという。
つまり、三人もの家族の屍の上に、今こうして冬夜は生きている。
そうして助かった命を簡単に投げ捨てることなど、できるはずがなかった。
幼すぎたため、両親の顔も兄の顔もろくに憶えてはいない。
どんな人だったのかと、今でもふと想うときがある。
そのたびに、記憶の中では家族の顔に靄がかかる。
何も覚えていないのだ。
彼らの顔も、声も、共に過ごした短すぎる時間も。
写真の一枚さえも残ってはいなかった。
ただ一つ、いつも記憶の片隅でくすぶっているイメージがある。
それはまるで、轟々と燃え盛る炎のほんの一部の欠片、燃えカスのように小さな映像。
灰燼の黒、焔の赫、煙の白、そして……。
「……っ!」
冬夜は構えを崩して頭を片手で押さえた。
頭の内側から突き刺すような痛みに、表情はわずかに苦痛に歪む。
このことを考え出すといつもこうだ。
決まって同じ場面で鋭い頭痛が始まる。
まるで記憶そのものが、甦ることを拒絶しているかのように……。
「どうして、思い出せないんだ……」
もう何年も同じ言葉を繰り返しただろうか。
言っても無駄だと分かっていても、口に出さずにはいられない。
この閉ざされた記憶の向こう側に、何があるというのだろう?
そして、それは知るべきことなのか、知ってはならないことなのか?
十年という月日を経てなお、冬夜は自分のことを根本的な部分で何一つ知らないままだ。
それは普通に生活する上ではさほど不自由に感じることはなかった。
少なくとも、今まではそうだ。
行き場のなかった自分を引き取って育ててくれた叔父には感謝している。
だからなおのこと、聞きづらいこともある。
何よりもまず、叔父は当時の事故に関しては何も知らない。
人づてに聞いた程度のことは、聞けば渋々でも話してくれるかもしれない。
でもそれでは解決にならない。
あくまでも、冬夜が知るべきは全ての真実だ。
そしてそのためには、まず冬夜自身が知ることを望まなくてはならない。
その、見えない境界線の上で、冬夜は揺れていた。
過去の記憶は知りたい。
だが、知ってなお今の自分を保っていられるかどうかに不安を抱く。
そのたった一歩の差は、なんでもないように見えて恐ろしく深く遠い。
自分が自分である理由を知らないということは、それだけの恐怖があるのだ。
冬夜は覚えている。
自分がなんなのか知らず、怯えながら生きた時間を知っている。
だからいつも不安定なのだ。
今にも崩れ落ちそうな橋の上で、どうにか均衡を保っている。
そこに誰かが入り込んでしまうと、保っていた均衡は呆気なく崩れ去ってしまうだろう。
冬夜が人との関わりを持とうとしないのは、もしかしたらこれが原因なのかもしれない。
しかし、本人でさえもそれは分からない。
だから結局、知ることを望まない。
記憶という一点に不自由はあるものの、それは今の生活には影響を及ぼすようなものではないのだ。
ならば、叔父の言うとおりに過去を忘れて生きるというのも、確かに一つの道なのだろう。
少なくとも、今はそれが正しいように思えた。
今の冬夜に、記憶を取り戻さなくてはならない理由やきっかけはないのだから。
「どうした? 今朝は早いな」
振り返ると、そこに巽が立っていた。
いつもと同じ神主の衣装に身を包んだ姿だ。
「……なんか、目が冴えちゃって」
「……寝ていないのだろう? 目の下に隈ができている」
言われて、冬夜は目元に手を当ててしまった。
その様子を見て、巽は小さく苦笑いした。
「朝食はできている。まずは腹に何か入れてくることだ。昨夜も食事に手をつけていないだろう」
「……分かった。そうするよ」
冬夜は木刀を壁にかけ、道場をあとにする。
「冬夜」
去り際に呼ばれ、振り返る。
「あまり深く考えるな。記憶のことも、その力のことも。いいな?」
「うん……大丈夫」
冬夜は小さく笑って返した。
そして昨夜の出来事が少しずつ朝靄と共に消えながら、今日も日常という一日が始まりを迎えた。
2
始業のチャイムが校舎内に鳴り響き、朝の喧騒に包まれた教室や廊下にも静けさが訪れた。
冬夜は投稿してから始業までの時間を、いつもと同じように教室の中で過ごしていた。
クラスメートの多くはいくつかのグループに分かれて談笑などに華を咲かせていたようだったが、冬夜にはそういうことはあまりない。
早い話が、親しい友人が少ないということなのだが、だからといって孤立しているわけでもない。
だからこんな風に、始業のチャイムがなってから教科担当の教師が教室にやってくるまでのわずかな時間を利用して、声をかけてくる物好きな奴もいる。
「相変わらず何考えてるのか分かんねー顔してんな」
振り返らずとも、その声には聞き覚えがあった。
「対馬……」
首から上だけで振り返ると、そこには対馬圭一が小さく笑いながら立っていた。
茶に染めた肩ほどまでの長髪、耳にはピアス、身長は冬夜よりもいくらか高い。
寒いからだろうか、学校指定の大して見栄えもよくないブレザーの下には紺色のだぶだぶしたパーカーを着用している。
基本的に誰にでも人当たりはよく、勉強よりも運動が得意な、どの学校にも一人はいそうな例の人といった感じだろうか。
「朝っぱらからそんな顔すんなよ。世界中の不幸をお前一人で抱え込んでるように見えるぜ?」
「……朝っぱらからひどい言われようだな」
冬夜がそう返すと、対馬はにやりと笑った。
「……別に考え事とかしてたわけじゃない。ただ、ちょっと寝不足なだけだ」
「寝不足ってお前、あの規則正しい叔父さんと一緒に暮らしててか?」
「叔父さんはそうだけど、別に俺までそれに合わせてるわけじゃない。大体、今時夜十一時に寝ろって言われて素直に寝れる高校生が日本中探してどれだけいると思ってるんだ」
「ま、それもそうだ」
呆れて嘆息する冬夜を尻目に、対馬は笑う。
「だったら、この時間寝ちまえよ。どうせ歴史の大村、寝てても何も言わねーじゃん」
「そりゃそうだけど……目をつけられると困るだろ?」
「平気平気。あの爺さん、すでに寝ながら授業してるようなもんだろ」
「まぁ、そうだけどさ……」
冬夜は頬杖をつきながら、視線を窓の外に向けた。
登校途中からちらちらと降り出した粉雪は、勢いこそ強くも弱くもならないまま今も振り続けている。
茶色のグラウンドの数箇所が、すでに積もった雪でうっすらと雪化粧されていた。
この土地、境市という場所は市の周りを大きな山々で囲まれている。
そのため、一年を通してみれば冬の季節が他の地方に比べて長いのだ。
当然ながら、その年によっては積雪もかなりのものになることもある。
しかも回りは山で囲まれているので、雪崩の危険も大きい。
はっきり言ってしまえば人が住むのにあまり適した環境であるとは言えないが、悪いことばかりでもない。
得の冬のこの季節は、境の市全体が真っ白な雪に包まれる。
その街並みは、観光客などを引き寄せる『銀世界』の通り名を持つのに相応しい美しさを持っている。
元々は未開拓の地だったこの場所を、百年以上も前に新しく都市開発する計画が持たれ、それが現在に至るということらしい。
物心付く前にはすでに叔父に引き取られていた冬夜にとって、この境の土地が生まれ故郷のようなものだ。
これまでに十回の冬を過ごしてきたが、この土地は冬に始まり冬に終わるといった感じを覚える。
今年の初雪は二週間ほど前だったので、そろそろ本格的に降り積もる時期になってきたのだろう。
窓越しに見たベランダの手すりにも、うっすらと粉雪がまとわりついていた。
「なにたそがれてんだよ」
「……たそがれてない。ちょっと外の景色を見てただけ…………」
冬夜は振り返り、ややむっとした表情で対馬を見上げかけ……。
「!?」
ものすごい勢いで、途中まで回りかけた首を無理矢理戻し、再び窓の外に目を向けた。
「お、おい。どうした?」
その様子に対馬が声をかけてくるが、冬夜の耳にはそんなものは入らない。
食い入るように、窓ガラスを突き破るくらいの強い視線で目下の外の景色を見る。
グラウンド、木立ち、塀、道路、住宅。
およそ異変のないその景色のどこかに、冬夜は確かにそれを見た。
対馬の声に振り返るその一瞬、視界の端にそれは捉えられた。
それは一言で言うなら、影だった。
まるで凝縮した闇の塊みたいに、夜の暗さの中でもそれだとはっきり見て分かるくらいの。
そしてあの一瞬、まさしく刹那の拍子とも言うべきのその時間の隙間で。
――その影は、確かに口元を三日月形に歪めて愉しそうに哂っていた。
「おい、大丈夫か冬夜? 顔蒼ざめてんぞ?」
「……あれは、確かに昨日……」
「は? 何言ってんだ? マジ大丈夫か?」
「え……ああ、ごめん。……なんでもない」
「なんでもないってお前……」
なんでもないわけないだろうがと、対馬は言いたかったのだろう。
だから冬夜はその言葉よりも早く、先に口を開いた。
「本当になんでもない。ちょっと眠気がきてくらっとなっただけだ」
「……なら、いいけどよ……」
対馬はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、冬夜の言葉にその場は大人しく引き下がった。
その後すぐに歴史の大村がやってきて、対馬も自分の席へと戻っていた。
対馬は授業中も、時々冬夜の様子を伺っていたようだが、冬夜はそれに気付いていなかった。
いくつもの音が静まった教室に響く。
黒板をチョークが叩く音、時計が秒針を刻んで進む音、ペンが走る音。
それらを全部無視して、ただ窓の外をずっと見ていた。
眠気などというものは、とうに吹き飛んでいた。
目の前を通り過ぎていくのは舞い降る雪だけだと知っていても、目を逸らさずにはいられなかった。
のどの奥が急激に渇きを訴える。
見てはならない、見たくもない、必要とすら感じたことのないその目に映った景色を、ずっと探し続けた。
結局そのまま時間だけが虚空へと流れ去り、冬夜の意識は再び鳴り響いた授業終了のチャイムまで外の景色に奪われたままだった。
変わったのは、わずかに雪化粧の増えた茶色いグラウンドだけだった。
3
時と場合によって、時間の流れを感じる感覚というのは異なるものだ。
だから冬夜は、一体いつの間に午前中の時間が過ぎ去っていったのかをほとんど覚えていなかった。
ただはっきりしてるのは、教室の壁掛け時計は十二時半を示しているということだ。
冬夜は両手で頭を抱え込んだ。
体が鉛の塊のように重苦しい。
気のせいではなく現実に、めまいや微かな息苦しささえも感じる。
「冬夜、平気か?」
そんな対馬の声に、冬夜はゆっくりと顔を上げた。
対馬は冬夜の隣に立ち、顔を覗き込むように視線を下げていた。
「……ああ、多分な」
「多分って、お前……」
「やっぱり保健室行ってきたほうがいいんじゃないの?」
対馬の声ではないもう一人の声。
その女子の声にも、冬夜はもちろん聞き覚えがあった。
もうすぐ腰まで届くのではないかという長く黒い髪の毛、見た目も口調もややボーイッシュな態度、そして性格。
すぐ正面に、声の主の女生徒――佐野有紀は立っていた。
「……佐野か。いいよ、別にそんなに大したことじゃない」
言いながら、冬夜は横目で対馬を見上げた。
そして視線だけで告げる。
余計なことを……と。
気付いてか、対馬は小さく苦笑いをして見せた。
案の定、冬夜の様子がちょっとおかしいことを佐野に告げたのは対馬だった。
対馬同様、佐野もこのクラスにおける冬夜の数少ない友人の一人にして、幼い頃からの腐れ縁でもある。
小中高と一貫して付き合いが続いている友人はこの二人くらいではないだろうか。
その三人が特に示し合わせたわけでもなく、こうして同じ高校の同じクラスになったのはまさに腐れ縁と言えるだろう。
だからこそ、冬夜はもちろん対馬も十分知っている。
佐野有紀という人間が、見た目には似合わずに世話好きのお節介だということを。
「おい……」
冬夜は椅子に座ったまま後ずさろうとしたが、背中は壁なのでそれはすぐに止まる。
どうして後ずさろうとしたのかというと、佐野が無造作にその手を伸ばして冬夜の額に触れたからだ。
「バカ、やめろ……」
「はいはい黙って。…………あんた、やっぱ保健室行ってきなさいよ。熱出てるんじゃない?」
佐野は片方の手を冬夜の額に、もう片方の手を自分の額に当てて熱を比べている。
「いいから、手をどけろ」
冬夜は佐野の手を乱暴に跳ね除ける。
余計なお世話半分と、恥ずかしさ半分といったところだろうか。
「なんでそういう態度かなー。まったく、昔っからそういうやせガマンなところは何一つ変わらないんだから」
「……そういう問題じゃない」
「有紀、今のは冬夜相手じゃなくてもみんな同じリアクションだと思う」
「え、何で?」
全く気付かない佐野をよそに、冬夜は再び頭を抱える。
この性格が生まれついてのいわゆる天然なのか、それとも確信犯のわざとなのか。
十年の付き合いを経た今でも冬夜には分からない。
もっとも、本人には悪気はないので邪険に扱うこともできない。
そういう意味合いでは確信犯よりも何倍も性質が悪いといえるだろう。
「まぁ、よくわかんないけど。とりあえず冬夜は保健室行ってきなって。多分、風邪だと思うよ」
「いいよ、別に。そこまで大げさなもんでもないだろ」
「確かに風邪は大げさなもんじゃないけど、こじらせたら大げさなもんにもなるわよ」
「時期的にインフルエンザってのも考えられるしな。念のために診てもらってこいって。何もなければすぐ戻れるだろうよ」
二方向から畳み掛けられ、まるでこれでは冬夜が言うことを聞かない子供のような構図だった。
事実、三人の関係は時々そんな風になることもあったけど、子供扱いされる冬夜としてはたまったもんじゃない。
「……分かったよ。行けばいいんだろ行けば……」
そう言って立ち上がろうとするが、日本の足で立った瞬間にふらりと体が前のめりになる。
どうにか片手を机に掴ませて転倒を避けるが、目の先にある地面もどこか揺らいで見えた。
「おいおい」
「ちょ、冬夜、平気?」
それまでのんびりと構えていた二人が慌てて口を開く。
一方の冬夜は、まだうまく焦点が合わない。
目の前に幾重にも連なった蜃気楼の層があるみたいで、ひどく虚ろな景色に見える。
一度静かに目を閉じて、数秒後にゆっくりと開く。
ぼやけた感覚は奇麗に消え去ったが、相変わらず体は重いし頭はふらつく。
どうにか体を立ち上がらせると、目の前には表情を変えた対馬と佐野の二人がこちらを覗っていた。
「お前、やっぱ風邪なんじゃねーのか?」
「……半分は冗談のつもりだったんだけど、まさか本当に風邪だったなんて……」
佐野はどこか罰の悪そうな顔をしてる。
嘘から出た誠というやつなのだろうか。
「……関係ねーよ。とりあえず、行ってくる」
冬夜はまだおぼつかない足取りで歩き始める。
だが、さすがにそんな様子を二人は放ってはおかなかった。
どちらからともなく肩を貸そうと、手を伸ばして冬夜の肩に触れようとして。
「――やめろ!」
瞬間、怒声でも罵声でもない、叫びにも似た冬夜の声が響いた。
昼休みの喧騒に包まれた教室の中でも、その声はクラスメートの視線を集めるには十分な大きさだった。
自然と生徒の目は、冬夜とその近くにいる対馬や佐野にも向けられていた。
背中越しに叫んだ冬夜は、我に返って後ろを振り返った。
そこには、何がなんだか分からない表情をした対馬と、わずかに怯えたような目をした佐野が立ち尽くしていた。
冬夜はクラスメートの視線などよりもまず、自分の行動に歯噛みした。
どういう理由であれ、少なくともこの二人は自分の身を案じて手を伸ばしてくれたというのに。
奥歯がぎりと軋む。
謝りたい言葉を吐き出さずに呑み込んで、代わりに別の一言を告げる。
「……一人で平気だから。悪い……」
「あ、ああ……」
「……うん」
そんな会話が始まった頃には、教室の中の視線も散り散りになっていた。
冬夜は二人に背中を見せながら、静かに教室をあとにした。
二人はただ、そんな冬夜の背中を立ち尽くして見送るしかできなかった。
「……まだ、だめなのかな……」
佐野はどこか消え入りそうな声で呟いた。
その意味を汲み取って、対馬が答える。
「わかんねー……。わかんねーよ、俺はあいつじゃないからな」
「……そう、だよね……」
たったそれだけで会話は終わった。
二人の視線の先に、もう彼の背中はない。
窓の外の雪は、わずかに降る勢いを増していた。
小説全体の改行の修正。