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千年の冬  作者: やくも
13/34

第十三幕:弾かれた二分の一

 1


 誰もが希望を手に入れていた。

 だが、誰もまだ知らない。

 希望を手に入れる存在がいれば、絶望を手に入れる存在もあるということ。


 シンと静まり返る室内。

 空気こそまだ重苦しさを含んでいるものの、誰の目からも負の感情は消えかけていた。

 それはまるで、夢のような話。

 実際、おとぎ話の世界の中やゲームの世界の中でしか起こり得ないと思っていた話だった。


 冬夜は死から逃れることができる。


 その定義を一通り示し終えたカルマに、一同の視線は今も集中している。

 そして誰もが同じことを胸中に思う中、最初に口を開いたのは佐野だった。

「……どうすれば……どうすればいいんですか、具体的には?」

 それはもちろん、冬夜を死なせないためにはという意味での問いだ。

 投げられた問いの先にあるカルマに、再び一同の視線が釘付けになる。

 しかし、カルマもすぐには口を開こうとはしなかった。

 何か思うことがあるかのように、ジッと何かを考え込んでいるような様子だ。

 時間にすればわずか二十秒ほどの空白だったが、この場にいる全員にはそれが何時間のようにも感じられる。

 そしてようやく何かの区切りをつけたかのように、カルマはその口を開いた。

「一言で言ってしまえば、これは俺達が関与できる問題じゃない」

 それは聞いての通り、この場にいる誰にもどうすることもできないという意味の言葉だった。

「じゃあ、どうすれば冬夜は……」

 そう言いかける佐野の言葉も、語尾に近づくに連れて不安の色が濃くなっていく。

 自分達には何もできないという無力さと、どうにもならないんじゃないかという不安。

 その両方に、佐野の胸は握りつぶされるくらいに締め付けられる。

「これは文字通り、コイツ自身の問題だ」

 言い放ち、カルマは横たわる冬夜に視線を落とす。

「……コイツの中の存在する二つの精神。そのどちらか一方、つまりは強弱で言えば強い方が生き残れるわけだが……」

 一度言葉を区切り、カルマは佐野を見返す。

「その生き残った精神が、お前達の望むコイツの精神であるかは分からない」

「……俺達の望む……? おい、それってどういうことだよ? 望むも何も、冬夜は一人しかいないじゃ……」

 そこまで言いかけた対馬の言葉を、カルマは一蹴した。

「違うな。コイツの中には、間違いなくもう一人のコイツが存在してる。言ってみれば、多重人格ってやつだ」

「な……」

 その返答に、対馬は二の句を失う。

 隣の佐野もそれは同じで、二人は揃って冬夜に視線を移した。


 そんな中、巽だけが苦虫を噛み潰したような表情で下を俯いていた。

「……あんた、知ってたんだな?」

 カルマの鋭い言葉が、巽の胸の奥を抉る。

「…………」

 巽はそれに対して答えられない。

 返す言葉は持ち合わせてはいる。

 だが、それは何もできないのと同じだ。

 無言は即ち、肯定ということだった。

「叔父さん、本当なんですか……?」

 対馬は救いを求めるような声で呼びかけた。

 頼むから、そんなことはないと答えてほしい。

 そう願う対馬の中でも、やはり導き出された答えはそれとは裏腹のものだった。

「……ああ、その通りだ……」

 聞き間違えようのない言葉。

 巽は目を閉じたまま、低い声でそう呟いた。


 真実を告げられた対馬と佐野は、互いの胸の内で何かが壊れるような音を確かに聞いた。

「そん、な……」

 掠れた声で、対馬は呟く。

 ゆっくりと視線を動かす。

 今もなお、死に向かって眠り続ける冬夜の姿。

 その目が再び開くというのに。

 しかしそのとき、そこにいる冬夜は対馬達の知っている冬夜ではなく、全く別のもう一人の冬夜かもしれない。

 それは単純に考えて、五分の可能性ではある。

 しかし、秤にかけるにはあまりにも重過ぎるものだ。

 五分の確率で、今までの冬夜が消える。

 消滅する。

 それはつまり、この十年間を共に過ごしたその記憶や思い出も何もかもが。

 嵐が過ぎ去ったあとの波打ち際のように、何一つ残らない。

 全てを粉々に。

 打ち砕き、攫っていく。

 それは、あってはならない。

 とてもじゃないが、一か八かなどの博打のような気分でこの五分の可能性に頼ることはできない。

 少なくとも、対馬と佐野の二人が望むものは、今までと何一つ変わらない亜城冬夜という、かけがえのないたった一人の友人だけだ。

「……何か、何かいい方法はないのか?」

「最初に言ったはずだ。こればかりは俺達では何も関与できないと」

 与えられた非現実的な希望の前でも、現実はあまりに残酷だった。

 結局のところ、部外者である面々にできることはただ一つ。

 それこそ、神にでも祈ることくらいだった。

「……だが」

 しかしそこに、カルマは更なる可能性を提示する。

「関与はできないが、関与せざるをえない状況にすることなら可能だ」

 その言葉に、誰もが言葉を失った。

 ただ一人、神楽だけがその言葉の意味を理解できていた。


 希望はある。

 ただし、真の希望は五分の確率。

 その五割を、限りなく十に近づける方法がある。

 それは。

 かつて、神楽も通った道。

 三年前の、あの日。

 この、死神を名乗る男と最初に出会ったあの日のこと。


 2


 弾かれたのは、一枚のコイン。

 表か裏か。

 宙を舞ううちは、誰も答えを知ることはない。


「契約……?」

 対馬はその言葉を繰り返すように聞き返した。

「そうだ」

 そしてカルマは、小さく頷きながらそう答えた。

「俺がコイツと契約を結ぶ。そうすれば、間接的とはいえ俺もコイツの肉体と精神の両方に関与することができる」

 それは本当の意味で、マンガやゲームの中の世界の単語だった。

 確かに、時代や場所をずいぶん昔に遡れば、世界中のどこかしらでは魔術やら錬金術やらというものが存在し、その中の定義に置ける部分としてはそういった言葉も用いられていたのかもしれない。

 だけどやはり、今の時代の中にそんな言葉はなかなかイメージを浮かばせてはくれない。

 ただでさえ科学万能なこの世の中に、いかにもいわくつきの迷信じみた言葉。

 言い換えればそれは約束でもあり、そこからはまるで神秘さや幻想を感じさせない。

 それでも今は、頼るしかない。

 たとえそれがどんなに愚かな行為だとしても、このまま指を咥えて黙っていることなどできはしなかった。

「……どうするんだ? その、契約ってのは」

 まだ半信半疑の域を脱しないままではあったが、今は藁にでもすがるときだ。

 対馬は問いを投げた。

 しかし、カルマは意外な表情を浮かべるだけだった。

 その表情はどこか、苦肉の策を選んだようなものにも見える。

 一度ゆっくりと目を閉じ、そしてゆっくりと開く。

 やはりそこには、言い表せない色の瞳があった。

「……その前に、一つ言っておくことがある」

 全員が顔を上げ、カルマに視線が集まる。

 それを確認して、カルマは続けた。

「……恐らく、この方法ならかなり高い確率でコイツの死を遮り、なおかつ人格も壊さずに事なきを得ることはできるだろう」

 その言葉に、対馬と佐野は微かだが安堵の色を見せた。

 過程はどうであれ、冬夜が無事に助かり、なおかつそれが自分達の友人である冬夜ならばもはや何も言うことはない。

 しかし。

 カルマはそんな束の間の安心感を、次の一言で粉々に砕いた。


 「――悪いが、俺はコイツを救うことには賛成できないな」


 場の空気が凍りつく。

 誰もが返す言葉さえ失い、点になった目でただカルマを見やる。

 カルマの口から出た、その言葉の意味が理解できない。

 これだけ救われる可能性と、その道筋をさらけ出しておきながら……。

 当の本人に、それを助ける気がない?

 それは、一体どういうことなのだ。

 ごちゃ混ぜになりかけた感情の渦の中から、怒りによく似た感情だけがふつふつと沸き上がってくる。

 それが言葉になるまで、大した時間は必要ではなかった。

「……どういうことだよ、それは……!」

 対馬は膝を崩し、おもむろに立ち上がってカルマに食いかかる。

 冬夜の横たわる布団を一足でまたぎ、感情丸出しの形相でカルマの胸倉を掴んだ。

 身長差ではカルマが明らかに勝っているが、当のカルマは畳の上に腰を下ろしたまま動くことはなかった。

 こうして胸倉を掴まれている今も、抵抗さえ見せる素振りはない。

「ふざけんな! ここまで助かる可能性を出しておきながら、救えねーだと?」

「救えないとは言っていない。救うことに賛成できないと言っている」

 そのあまりにも無感動無気力な言葉に、対馬はさらに声を荒げた。

「何でだよ! 冬夜が何したってんだよ! 元を正せば、冬夜をこんなにしたのはソイツじゃねーか!」

 怒りの矛先が神楽に向く。

 その見えない言葉の刃は確実に神楽の胸を貫いていたが、それを否定する言葉は出てこない。

「…………」

 神楽はただ、膝の上でぎゅっと握り拳を作って俯くことしかできなかった。

 しかし対馬の視界に、そんなものはもはや目に入らない。

 分かってはいる。

 こんなことは、どう見てもただの八つ当たりの延長にしかならないこと。

 だけどこうでもしないと、対馬は行き場を失った怒りをどこに納めていいのか分からない。

 結果、矛先は神楽とカルマに向いてしまう。

 そこにどんな罪があって、どんな罰があるかも分からないまま。

「お前は何も分かっていない」

 しかし淡々と、カルマは言う。

「お前に何が分かる? 神楽の背負っている、何が分かる?」

 次第に、その言葉にも微かな怒りが含まれてきた。

 だが、ほとんど逆上同然の対馬にそんな意思は伝わらない。

「……なんだと!」

 掴んだ胸倉を、いっそう激しく吊り上げる。

「だったら、テメーに俺達の何が分かる! 冬夜の何が分かるってんだ!」

「……なら聞くが」

 ふと、カルマの視線が冬夜に向く。


 「――お前達は、コイツの何を理解しているというんだ?」


 その、たった一言に。

 対馬はもう何も言い返すことができなくなっていた。

 胸倉を掴んだままの手から徐々に力が抜け、ついにはその手はだらしなくぶらりと宙を彷徨った。

 カルマはやや伸びた服を手早く整えながら、続けた。

「何も分かってないのはどっちか、それさえも分からないわけじゃないだろう」

 もはや対馬は言葉も出ない。

 どれだけ反論を続け、怒りに任せて仮にカルマを殴りつけたとしても。

 結局のところ、殴られたカルマよりも殴った拳よりも、傷付くのは自分の心だ。

 親友だと思っていた。

 向こうもそう思ってくれていると、そう信じてた。

 だけど、いつもその間には、一本のラインがあった。

 決して乗り越えられない、ボーダーライン。

 それは、他者に対しての壁。

 そんなもの、ぶち壊してしまいたかった。

 けど、できなかった。

 壊せば、今の関係さえも壊れてしまうから。

 だったら、今のままでいい。

 一線置いた、その距離でも。

 たとえ向こうが、自分のことを親友と思ってくれていなくても。

 同じ場所で共に過ごせる時間が、少しでも長く続くのなら。

 ただ、それだけでよかった。


「……お前達の気持ちは、間違ってはいない」

 まるで諭すような言葉で、カルマは言う。

「俺や神楽に対する怒りや恨みの感情も、間違ってない」

 ただ、堪えた。

 沸き上がってくる色んな言葉を、口に出さぬように。

「だが、間違っていないと思うからこそ、間違いは生まれる」

「……そうかもしれんな」

 黙りこんでいた巽が、ふいに口を開いた。

「……冬夜の生い立ちを思えば、もしかしたらこのまま看取ってやるということが、救いになるのかもしれん」

「……叔父さん」

 佐野の声は消え入りそうなほどに低く小さい。

「……この子は、冬夜はな」

 一拍の間。

 巽はその瞳の奥に、何を見たのだろう。

 十年前に引き取り、育ての親として共に暮らしてきた季節。

 血の繋がりは遠縁の親戚というだけあって、もはや皆無に等しい。

 それでも、我が子同然だった。

 日に日に成長していく姿は、親心同然の嬉しさを覚えた。

 この十年の間、とうとう冬夜はたつみのことを父とは一度も呼べずにいたけれど。

 それでも、二人は親子だった。

 かけがえのない。

 何物にも変えがたい、存在だ。

 だからこそ、だろうか。

 このあとに続く言葉は、口にしてはならない。

 だが、今となっては。

 口にしなくては、始まらないのかもしれない。

 呑み込みかけた言葉を、吐き出す。


 「――この子は、生まれるべくして生まれた存在ではないのだ。予め、存在意義を決められて生まれた子なのだ……」


 その言葉に。

 誰も反応を示すことができなかった。

 ただ、カルマだけが、どこか辛そうな表情で冬夜の顔を眺めていた。


 3


 夜よりも深い暗闇の中で、意識は突然甦った。

 だが、目を開けることはできない。

 それでもここが暗闇の中であると分かるのは、あくまで感覚からのものだった。

 全身はだらりと力が抜け落ち、まるで宇宙の大海原を漂うかのように、冬夜はそこにたゆたっていた。

「……ここは……?」

 声にはならず、その言葉は胸の奥へと響いて消えた。

 視覚は働いていなくとも、肌周りから感じる不安定な感覚はやけに鮮明だった。

 前後、上下、左右。

 全ての方位が暗黒に包まれている。

 ここがもし本当に宇宙の海だとするならば、そこには星々の瞬きが見えてもおかしくはないはずなのに。

 そこに、射す光はない。

 ただ暗闇だけが、あるがままにどこまでもどこまでも続いている。

 それはまるで、無限に続く常闇の回廊だった。

 考えるだけで意識がかき乱され、気が遠くなるようにさえ思える。

 だけどその声は、しっかりと冬夜の耳に届いた。


 「ようやくお目覚めか。呑気なもんだな……」


 その声はこの暗闇の中でも負けず劣らずに低く暗い声だった。

 そしてやたらとつまらなそうに、フンと鼻で嘲笑うかのような、そんな口調での物言いだった。

「誰、だ……?」

 冬夜は聞いた。

 しかし、声の主がどこにいるのか分からないため、声は明後日の方向へと消えていく。

「……誰、だと?」

 声のトーンが若干変化を見せる。

 少なからず不快を覚えたような声色。

「よく言うぜ。出来損ないの分際で、俺の居場所を奪ったやつがよ」

「出来損ない……? 奪った? 何だ……何を言っているんだ……」

 冬夜にはその言葉の意味を理解することができない。

 だがしかし、声の主が自分に対して何かしらの苛立ちを覚えていることははっきりと分かった。

「……記憶がないってのは、便利なもんだな。最終的には覚えていないの一言で全てが済まされる……」

「なぁ、さっきからお前は何を言って……」

 冬夜がそう言いかけて、しかし彼はそこに続く言葉を遮った。

「いいだろう。だったら、俺が掘り起こしてやるよ」

「な、に……?」

 闇の中、声の主が薄く笑みを浮かべたような気がした。

 それはまるで、狂気の笑み。

 口元を三日月形に歪め、本当に愉しくて仕方がないような。

 無垢で、歪な哂いだった。

「全てを明かしてやるよ。お前のこと、俺のこと、俺達のこと。そして、全ての始まりをな……」

 スゥと、音もなく声の主の気配が薄れていく感じがした。

 闇の中に闇が生まれる。

 混じり合って、黒。


 これより垣間見る追憶は、光の記憶。

 これより垣間見る追憶は、闇の記憶。

 光が生まれ、闇が生まれた。

 光の中には、闇があった。

 闇は闇へと返された。

 ゆえに、片割れの闇は光を知らない。


「お前さえ……」

 わずかに震えた声。

「お前さえ、いなければ……俺は、俺は……」

 闇に、溶ける。


 さぁ、予想をしてみようか。

 弾かれた、一枚のコイン。

 失われた瞬間の中で、静かに落下する。

 確率は五分と五分。

 地に落ちて、転がり、出た面は?

 表?

 それとも。

 裏?

 はたまた……。


拝読ありがとうございます。

作者のやくもです、こんにちは。

結構引っ張った感じはありますが、次回からが主人公冬夜の過去の物語になります。

この部分は物語の主軸として、私なりに大事に扱っていこうという場面ですので、案外長い話になるかもしれません。

実際書き出してみないことにはなんともいえませんが、飽きずにお付き合い願えれば幸いです。

こうして執筆している間にも、実を言うと次作の案だけは頭の中で固まってたりします。

同時進行しようかなとも思ったのですが、更新がおろそかになりそうなのでやめておきました。

まずはこの物語を無事、完結させることを考えて生きたいと思います。

それではまた、次回で。


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