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千年の冬  作者: やくも
12/34

第十二幕:希望という解の数式

 1


 それは。

「…………」

「…………」

 まるで、夢を見ているかのようだった。

 互いに無言のまま立ち尽くす対馬と佐野は、目の前に広がる光景が理解できない。

 夜の黒。

 光の白。

 混ざり合って、灰色。

 そこに。

 ぽつりと佇むように咲いた、赤い花。

 咲き誇る花弁は、風に乗って舞うように散った。

 ピチャン。

 滴り落ちる雫。

 それは黒になれない赤。

 出来損ない。

 一つ、また一つ。

 地面の上に落ちていく。

 広がる水溜りは、夜の中でも目立つほどにどこまでも深い朱色。

 夜風に混じる、むせ返る鉄の匂い。

 それは紛れもなく、間違いなく。

 血の香り。


 ゆらり、と。

 その影が動いた。

 半身を月明かりの白さに晒しながら、彼女は二人を見ていた。

 彼女の白い服は、すでにどこもかしこも血まみれだった。

 袖口、胸元、頬に至るまでに赤く染まっている。

 だが、何よりも目だって仕方がないのは。

 その手に握る、白銀の刃。

 鈍くも妖しい光を放す刃は、もはや刀身のほぼ全体が血の赤で染まっている。

 だらしなく下ろされた彼女の手に握られた刃の切っ先から、今も一粒の赤い雫が滴り落ちる。

 落ちた雫は、波紋を広げて血溜まりの中に混ざる。

 黒い波紋はどこまでも続くかのように、ゆっくりと広がっていく。

 その、向こう側に。

 それは、倒れていた。

 いや、転がっていると表現した方が正しいかもしれない。

 壁に背を預け、だらりと四肢を地面の上に投げ出し、俯くように首が下がっている。

 まるで部屋の片隅に飾られた人形のよう。

 ピクリとも動かず、徐々に夜の暗さの中に溶け込んでいくかのようだ。

 だが、それは。

「……とう、や……?」

 震える唇で、佐野は言った。

 あの見慣れたジーパンと、紺色のコート。

 それは彼がいつも、普段着として好んで着ているものだった。

 その、紺色のコートも今は。

 他の色と混ざり合って、もう黒にしか見えなかった。

 彼が背を預けた壁、そして座り込んだ地面の上に。

 彼女の足元に広がるのと同じ、血溜まりが広がっていた。

 それは今も、少しずつ広がっているように見える。

「……嘘……嘘でしょ……」

 佐野の声がさらに震え、上ずる。

 隣に立つ対馬は、生唾を何度も飲み込むだけで声が出てこなかった。

 力なく開いていたその手に、怒りだか悲しみだかなんだかわからない力が宿る。

 掌の筋肉がちぎれそうなほどの力で拳を握り、同時に奥歯がぎりぎりと音を立てた。

「あぁぁぁぁぁっ!」

 がむしゃらに地面を蹴って、刃を持つ彼女に向かって駆け出した。

 佐野はそれを止めることができない。

 わずか数歩で、対馬は十メートル近かった彼女との距離をほぼゼロに縮めた。

 握り締めた拳に渾身の力を込め、振りかぶる。

 容赦なく空を切るその拳が、彼女の頬まであと数センチの距離まで差し迫ったところで。


 ふと、目の前にいたはずの彼女が忽然と姿を消した。


「な……」

 そのありえないはずの出来事に、対馬の拳は空振りどころかぴたりと空中で静止してしまった。

 一言で表現するならば、それは消失だった。

 確かに今の今まで目の前にいたはずの彼女が、すでにもうそこにはいない。

 だが、そんなわけはない。

 一瞬で目の前からいなくなるなんてことはありえない。

 対馬はそこをちゃんと理解できていた。

 しかし、理解できていたからこそ……。


 次の行動に、わずかな時間差が生じた。


 硬直の始まった体を無理に動かそうとして、神経系が混乱する。

 時間にすればわずか二秒にも満たないものだったが、それは命取りには余りある時間だった。

 彼女はいなくなってなどいない。

 だから、今もこうしてそこにいる。

「圭一っ!」

 佐野が叫んだ。

 すでに対馬の体は自分の背後を振り返り始めている。

 しかし、間に合わないと本能が告げる。

 視界だけが、体よりわずかに早く背後を見た。

 そこに。


 ――血塗れた刃を構えた、色のない瞳の彼女はいた。


 その瞳も、口元も。

 何一つ感情を感じさせなかった。

 それが逆に、恐怖を増長させる。

 振りかざされた刃。

 その勢いはもう、止まらない。

 死の瞬間。

 もう一つ、赤い花を咲かせよう。

 真っ赤な真っ赤な花を。

 そして対馬は、目を閉じた。

 ちくしょうと、何度も何度も心中で叫びながら。


 「――そこまでだ、神楽」


 しかし、次に聞こえたのは若い男のそんな声だった。

 対馬は両腕で覆うようにしていた視界を開け、おそるおそる目を開いた。

 すると、いつの間にか目の前に身長百八十センチ以上もある長身の男の背中があった。

 彼はその手で、彼女の刃を握っている方の手の手首をがっしりと掴んでいた。

 そしてなぜか、もう片方の手には自分の身の丈よりももっと大きな黒い大鎌を担いでいた。

「もういい、休め」

 彼が囁くようにそう言うと、ふっと彼女の目が閉じて、次にその手からするりと刃が抜け落ちた。

 カシャンと音を立て、血まみれの刃は地面に転がった。

 続いて前のめりに倒れる彼女の体を、彼はそっとその腕で抱きとめた。

「バカやろうが。あれほど力を使いすぎるなと言ったろうに……」

 彼は舌打ちしながら、それでもどこか安心したような口調で、今はもう聞こえない彼女に向かって呟いた。


 そんな光景を、対馬の佐野もぽかんと口を半開きにしたまま眺めていることしかできなかった。

 何から何までが、もはや頭の中で整理できることではなくなっていた。

 恐らく、目の前の彼と彼女に対する質問だけで一夜を明かせてしまうだろう。

 しかし、そんな二人の心境などは知らず、彼は腕に抱えた彼女を一度地面に座らせ、壁に背を預けさせた。

 意識を失っているのだろうか、膝を折って座る彼女からはさきほどのような恐怖は微塵も感じられない。

 対馬はようやく、自分の握っていた拳が汗だらけになっていることに気付いた。

 ゆっくりと開くと、まるで手そのものが血塗れているかのようなべとついた感触が伝わってくる。

「さて、と……」

 彼は彼女を地面に座らせると、対馬と佐野を交互に見た。

「連れが騒がせて悪かったな。二人とも、怪我はないか?」

 その声はとても大人びているようだったが、恐怖や不安は感じられない。

 そのせいか、どこか張り詰めていた糸がぷつりと切れるように、二人はようやく竦んだ肩が元に戻った。

「あ、ああ……別になんともない」

 それでもやはり、まだ内心では不可解な点がいくつもある。

 最小限の注意だけ払いながら、対馬は答えた。

「そうか、ならよかった。ってことは、被害らしい被害はゼロってことか……」

 その言葉を聞いて、対馬ははっとなって口調を荒げた。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 冬夜が……俺達の友達が、あそこに……」

 それ以上は言葉が続かなかった。

 続けることを心が拒否したと言ってもいい。

 だから対馬は、ただ指先で彼にそれを教えることしかできなかった。

 震える指先が、一点を示す。

 そこに。


 ――冬夜は両の目を閉じ、口元から赤い雫を流して横たわっていた。


「…………」

 それを見つけた彼は、足早に冬夜の元に近づいた。

 対馬はその場でがくんと膝が折れ、そのまま地面に力なくへたり込んだ。

 佐野はただ、一歩も動けずに涙を流していた。

 両手で口を抑えているのは、声にならない悲鳴を必死で堪えているからだろう。

 だがそれでも、静まり返った空間にはすすり泣きのような嗚咽がこだましている。

 対馬も佐野も、医者ではない。

 だが、素人目にだって見れば分かる。

 人間の体は、洗面器いっぱいの血液が流れ出せば死んでしまうこと。

 だから、分かってしまう。

 どう見たって、この流れ出した血液の量はそれを超越しているということが……。


 カルマはそんな二人を背にしながら、すでに事切れた冬夜の体をあちこち触れていた。

 脈を確かめ、瞳孔を見て、肌の冷たさを感じ取る。

 そして、結論に至る。

「……まだだな」

 そのなんでもないような一言が、闇を揺らした。

 対馬はその場に座り込んだまま、微かに聞き取れたその声に首から上だけ振り返る。

 佐野も同様に、涙の伝う頬を拭いもせずに、歪んだ視界の先にカルマの背中を見た。

 その屈んだ背中が、ゆっくりと立ち上がり、そして振り返る。

 三人の間に、わずかな間が流れた。

 そして一拍の間を置いて、カルマは言った。


 「コイツはまだ死んじゃいない」


 その、信じられない言葉に。

 対馬は顔を上げ。

 佐野は涙を止めた。

 カルマはただ、闇の中に佇んで二人を見返した。


 それは。

 希望が始まった瞬間だったのか。

 それとも。

 絶望の繰り返しの瞬間だったのか。

 ただ一つ、言えることは……。


 ――今夜はまだ、始まったばかりだったということだ。


 2


 いつ頃から目が覚めていたのだろうか。

 まるで機械のような規則正しい寝息が止まり、ぼんやりと神楽は目を開けた。

 まず目の中に飛び込んできたのは薄暗い天井で、次に自分の体の上にかけられた茶色の毛布が目に入った。

 毛布を手でどけながら、むくりと上体を起こす。

「……ったぁ……」

 しかしそのとき、後頭部の辺りが鈍い痛みに襲われた。

 頭の内側からガンガンと響くような、まるで偏頭痛だった。

 起き上がったはいいものの、その後しばらく頭痛に悩まされて俯いたままになる。

 数分ほどして、ほどなく痛みは引いていったが、見えない何かがまだまとわりついているような感覚だった。

「ここは……私は、一体……」

 浮かび上がった疑問を、神楽はそのまま小声で呟いた。

 屋内であることは分かるのだが、どうにも見慣れた景色とは言い難い。

 自分の部屋でもなければ、ましてや自分の家でもない。

 神楽の自宅はマンションの一室だ。

 しかし、暗がりの中でもここは一軒家、しかも古風な日本家屋のような印象を受ける造りだ。

 木造で上に広い天井。

 床は畳で、手近なところにいくつかの座布団が重ねられている。


 その向こう側から、わずかに明かりが漏れていた。

 そこにはふすまの引き戸が見え、どうやら明かりはその向こう側の部屋から差し込んでいるものらしい。

 静かに耳を澄ますと、何やら大勢の人の声が聞こえてきた。

 言い争っているような印象は受けないが、何か談義しているような感じだ。

 神楽は重い体を起こして、まだおぼつかない足取りでそのふすまの方へと向かう。

 畳を踏む足がわずかに沈み、それがどうしてか底なしの沼に続くように思えてひどく不気味だった。

 そしてふすまの前に立ち、差し込んでくる一筋の光を体で受けながら、そっとふすまを引いた。

 わずかに開いた隙間からは、布団の上に横たわる誰かの下半身が見えた。

 それを取り囲むようにして、老若男女の数人が畳の上に膝をついている。

 その中に、神楽が顔見知りとしている人物の姿は見受けられない。

 神楽はそれ以上はふすまを開けず、体の位置だけを変えて視界を広げた。

 ちょうど、横たわっている誰かの上半身や顔がしっかりと覗けるような位置から部屋を覗く。

 大腿部から腹部が、そして胸部。

 やがて、顔が見えた。

 瞬間、神楽は背筋の凍る思いをした。

 のどの奥が急激に渇きを訴え、体中を巡る血液が一瞬にして凝固する。

 口がだらしなく半開きになり、その奥から聞き耳を立てても聞き取れないであろうほどの小声が囁かれる。

「……ぁ、ぁぁ……」

 そこに横たわっていた、彼は。


 ――間違いなく、先ほどまで対峙していた彼のものだった。


 その、彼は。

 まるで深い眠りの中にいるかのように、ピクリとも動かなかった。

 硬く閉ざされた瞳、上下しない胸。

 それは、まるで。


 死んでしまっているかのようだった。


 ドクン――。

 ふいに鼓動が高鳴る。

 凍りついた血液が溶け出し、再び勢いよく体中を駆け巡る。

 あ、れ……?

 おかしいな……。

 どうして、彼が眠っているの?

 それも、まるで死んでしまったみたい……。

 誰が、あのときの私と彼を止めたの?

 どうやって止めたの?

 彼はもう、自分の意思では歯止めが利かなくなっていて。

 とても、私には止めることができなかった。

 ……ううん。

 それは嘘だ。

 止める方法はあった。

 たった一つだけ。

 ただ、私がそれを実行できなかっただけ。

 だって……。

 できるわけないよ。

 殺してまで、止めることなんて、私は……。


 ――違うな。


 ……え?


 ――お前はいつもそうやって、自分の存在を奇麗に繕っているだけだ。


 だ、れ……?


 ――思い出せ。


 誰なの……。


 ――まだ、その手に残っているはずだろう?


 何を……。


 ――あの刃で、あいつの体を貫いたその感触が、残っているんだろう?


 ……違う。

 嘘、嫌だ……。

「あ、あぁっ……!」

 その声に、ふすまから一番近い距離にいた巽が気付いた。

 わずかに開いた隙間に手をかけ、ゆっくりとふすまを開けた。

 そこに。

「嫌だ……嫌だぁっ!」

 畳の上に膝をついて、両手で頭を抱え込みながら悲鳴を上げる神楽の姿があった。

 ふすまを開けた巽はもちろん、部屋の中にいた対馬や佐野もその様子に目を見開いた。

 そこにいるのは、今から一時間ほど前にあの街外れで血に濡れた刃を握って佇んでいた人物だった。

 だが、今の彼女にそんな面影は微塵も感じられなかった。

 今の彼女は、まるで悪夢に苛まれ続けて泣きだしてしまった幼い少女そのものだった。

「落ち着きなさい。どこか痛むのかね?」

 巽はつとめて冷静に言い、神楽の横に自らも膝をついた。

 しかし、彼女の震えは止まらない。

 口々に囁かれる、嫌だ、嘘だ、違うという言葉。

 それはまるで、否定というよりは許しを乞うている罪人のそれに近かった。

「私は、私は……」

 神楽はその華奢な身をいっそう竦ませて、見えない恐怖から逃れようとしていた。

 そこに、彼はそっと近づいた。

「……神楽」

 それは、彼女にとってこの場で唯一聞き覚えのある声。

 安心とまではいかないが、ある程度の理性を取り戻すことはできるだろう。

「カル、マ……」

 その名を呼んだ神楽は、ようやく顔を上げた。

 すでに目の端には今にも零れ落ちそうなほどの涙を溜め、視線だけがカルマを見据えている。

「カルマ、私、私……」

「いいから、忘れろ。お前は何も悪くない。お前は自分を追い詰めすぎたんだ」

「でも……でも私のせいで、彼は……」

 神楽の言う彼とは、今この場にいて唯一聞くことも喋ることもできない人間だった。

 それこそ、今の今まで巽達が取り囲むようにしていた、布団の上に横たわる人物。

 冬夜は一人、瞳を閉じて眠っていた。


 わずかに騒がしくなった室内だったが、カルマの助力もあって神楽はだいぶ落ち着きを取り戻した。

 しかし、それでもやはり神楽にとってはこの場に居合わせるだけでも精神的に苦痛だろう。

 失いかけた意識の中で、それでも鮮明に思い出せる。

 間違いなく、神楽はその手で冬夜の胸を貫いた。

 その肉をえぐり、筋肉と神経の隙間を縫いながら突き進む刃の感触が、確かにその手に残っている。

 そして、そのあとに咲いた真っ赤な花。

 美しいほどの鮮血を体に、顔に浴びながらも、顔色一つ変えずに地面に横たわるそれを見下ろす自分。

 思いだしたくないと思えば思うほど、記憶は鮮明な映像となって脳裏を掠めていく。

「安心しろ、神楽」

 そんな神楽の耳に言葉が届く。

「コイツはまだ、死んじまったわけじゃない」

 その言葉に、俯いたままの顔を上げる。

「そのことだが……」

 巽がそこに口を挟んだ。

 一部始終を全く知らない巽としては、いくつも聞きたいことはある。

 しかしあえて、この場はこのカルマという男に任せるべきではないのかという感情も働く。

「カルマさんとやら、あんたがどう言おうと、私にはもう冬夜は生物としての機能を停止しているようにしか見えん」

 その言葉に、全員が冬夜の顔を覗く。

 今はまだ肌の色は正常で、体温も完全に失われているわけではない。

 しかし、やはり触れば冷たさを感じるし、何よりも生命活動を表す心臓が完全に停止してしまっている。

 これは素人が見ても医者が見ても、死んでいると判断するのは至極当然のことだ。

「確かに」

 と、カルマは以外にも素直に巽の言葉を呑み込んだ。

 本来ならそこで、対馬はふざけるなと食って掛かりたいところだった。

 だが、それはあくまでも常識の範囲内で話が通じればの話だ。

 まだ完全に信じきれたわけではないが、少なくとも対馬は今現在自分が置かれているこの状況を常識だとは思えない。

 明らかに非常識な世界だが、それで冬夜が助かるのならば何も文句はない。

 隣に座る佐野も、口には出さないが対馬と全く同じ気持ちだった。

「確かにコイツは、一生命体としての生命活動は完全に停止している。死んでいるという表現は間違っていない」

 淡々と述べられた言葉に、誰もが失意を覚え始める。


「だが……」

 と、カルマはすぐに言葉を続けた。

「それはあくまでも、肉体という定義の上での話だ」

 一同が呆然と、その言葉の意味さえも分からないままでカルマを見返した。

「あの、それって、どういう……」

 おずおずと、佐野が口を開いた。

 それを聞いて、カルマは続ける。

「つまり、肉体は滅びに向かっていても精神は滅んでないということだ」

 再び、一同を静寂が包む。

 今度は誰かの返しの言葉が続くよりも早く、カルマがその先を口にした。

「肉体というものは、常に精神と繋がっている。この精神というのは、分かりやすく言えば魂とかそんなもんだと考えてもらっていい。通常、どんな生命体であろうと必ず肉体と精神の両方が存在し、それらが共に滅びて初めて死というものを迎える。ここまではいいか?」

 科学的には理解できないことなのだろうが、理屈は分かった。

 なので、全員が小さく首を縦に振った。

 確認して、カルマは続ける。

「そして元来より、どんな生命にも肉体一つに対して精神一つが割り当てられる。そもそも死というものは、まず最初に肉体が滅び、そのあとに肉体をこの世に繋ぎとめておいた精神が滅びる。そうして初めて、死という理念は完成する」

 死は一瞬のことではなく、段階を踏んでいくものだという定義。

「だが、コイツは例外だった」

 誰もが知らず知らずのうちに、視線をカルマから冬夜へと向けた。

 そしてカルマは、口調だけはそのままでとんでもないことを告げた。


 「――コイツはな、肉体一つに対して二つの精神を持ってるんだよ」


「な……」

 声が出たのは対馬だけだった。

 だが、他の面々も口には出さないが表情は驚きを隠せない。

 一つの肉体に対して、二つの精神が存在する。

 それは、つまり。

「コイツがこのまま肉体の死を迎えると、次には精神が滅びるわけだ。だが、この場合滅びる精神が二つある。つまり、候補が二つ存在するんだ。なら当然、どちらか一方の精神は残ることになるよな?」

 それはあまりにも単純な引き算だった。

 死とはつまり、一引く一でゼロにならなくてはならない数式だ。

 しかしその片方の、精神が二つ存在するとなると。

 数式は自然と二引く一となり、そこに残る精神が存在することになる。

「じゃあ、残された一つの精神はどうなるか。もう分かるよな?」

 確認を促すように、カルマは一拍の間を空ける。

「さっきも言ったが、精神とは肉体をこの世に引き止めておくためのものだ。つまり、精神が残っているということはつまり、そこには精神が繋がる肉体も残されていなくちゃならない。だがこの場合、唯一の肉体はすでに滅びを迎えている。すると、どうなるか……」

 そして、誰もが思い立って口にできなかった言葉を、告げる。


 「――精神と肉体は共に引き合う。だが、引き合うものがない場合に限って、精神は創造という行動をとる。つまり、この場合のそれは……肉体の再生。もしくは、転生」


 誰もが言葉を失った。

 それはまだ、ほんのわずかだったけれど。

 見え始めた、一縷の希望の欠片。


こんにちは、拝読ありがとうございます。

作者のやくもと申します。

物語りも少しずつわき道から本線へと近づきつつあります。

主人公の死という形は、様々なストーリーで使用されてると思いますが、本作ではその死という定義を作者なりの思考も踏まえて色々と書き上げていこうと思っています。

言葉で並べるのは簡単ですが、やはり死という概念は様々な考え方が存在しますね。

この物語のそれが概念そのものを壊さぬようにできればいいのですが……いやはや、ちょっと自信ないですね。

とまぁ、今回はこの辺で。

今月でとりあえず冬も終わりです。

滑って転んでケガなどないようにお過ごしください。

それではまた、次回で。


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