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千年の冬  作者: やくも
1/34

第一幕:満月によく似た銀色の

 1


 とりあえず、現時点で俺にできることはたった一つだけだった。

 それは即ち、逃げる、ということだ。


 夜は徐々に深まってきていた。

 時刻はすでに夜の十時を回り、ただでさえ人気の少ない街外れはめっきり人影も見えなくなっている。

 数年前から建設の計画があったはずの工場は、倉庫だけが見事に完成して肝心の工場本体は現在工事停止中になっている。

 なんでも、この不景気の影響で建設が延期になったとか取りやめになったとか。


 と、そんなどうでもいいことに考えを巡らせながらも、彼は必死で走り続けていた。

 市街地へと続く大通りを引き返し、この迷路のような倉庫区画を走り続けてもう十五分ほど経っただろうか。

 振り返る余裕もないが、背後からはまだ足音が聞こえている。

「ちっく、しょ……なんだってんだ一体……!」

 喋ったせいで余計に体力を消耗する。

 彼――亜城冬夜あしろ とうやは、肺の中に空気の塊を丸ごと呑み込んでしまい、二三度咳き込む。

 しかしそれでも、走ることをやめるわけにはいかない。


 全く持って理由に見当はつかないのだが、冬夜はどういうわけか今追われる立場にいる。

 しかも、どうやらこの相手には話し合いで解決という手段は到底難しい、というか無理な予感がした。

 それはもちろん、誰だって追われれば逃げたくもなると思う。

 しかしそれでも、理由を聞くくらいの余裕はありそうなものだ。

 だが、今回ばかりは相手が悪かった。

 別に相手が言葉の通じない……動物とか、そういうわけじゃない。

 大体街中で犬や猫くらいでここまで必死に逃げ回ることもないだろう。

 かといって、街中に熊や狼なんかがいるわけでもなく、つまるところ追ってくる相手も人間なわけだ。

 なのだが、これまた理由が分からない。

 一体全体、どうしてこの追跡者は……。


 ――その手に銀光りする刃物なんかを持ち合わせているのだろう?


 もう説明は十分だろう。

 たとえここが街中ではなく山の中だろうと海岸だろうと、時間帯が夜であろうと真昼であろうと。

 いきなり刃物を持った人間に追いかけられたら、そりゃこっちも人としての本能から逃げ出すに決まっている。


 これは命がけの鬼ごっこだ。

 もちろん、冬夜はそんな危険な遊びをする約束した記憶なんてあるわけがない。

 大体、そんな約束持ちかけられてもするはずがない。

 だからこうして、冬夜は全力で逃げることしかできない。

 相手が男なのか女なのか、同じ日本人なのかそうでないのか。

 それすらも確認する猶予なく、いきなりこの相手は剣を構えて向かってきたのだ。

 その手に握られた刃物は、恐らく形から見て日本刀の類だろうか。

 真っ暗闇に包まれる街外れ、上空から照らし出された満月に映えて、それは妖しくも美しい光を纏っていた。


 だが、そんなことはどうでもいい。

 冬夜にも分かったことは、その手に握られたものは確実に人の命を奪い去ることができるものだということ。

 そしてそれを持って向かってくるということは、どういう理由か知らなくても逃げるしかないということだ。


 かくして冬夜は、望みもしない持久走をすることになった。

 体力には人並み以上の自信は持ち合わせているが、それでもやはり体力は無限じゃない。

 息はもう上がってるし、足も時々もつれるようになってきた。

 冬夜としては振り切るつもりで全力で走っていたのに、追ってくる足音はまるでペースが落ちていない。

 まるで、冬夜の速さに合わせて追ってきているかのようだ。


「しま……」

 角を曲がった直後、冬夜は舌打ちした。

 目の前には壁、左右にも壁、背後には足音。

 冬夜は袋小路に追い詰められていた。

 もともとこの辺の関して地理感も持ち合わせていないのだ、ここまで逃げられただけでも奇跡的と言える。

 しかし、この次の瞬間には奇跡なんて期待できそうにもなかった。


「……っ!」

 冬夜は今来た道を振り返る。

 横幅三メートル程度のその道の先に、それは立っていた。

 建物の陰に隠れて顔は見えないが、背丈だけ見ればシルエットは小柄だった。

 その人影は、右手にしっかりとあの銀色の刃を握り、静かに歩み出している。

 数歩ほど歩いて、その影が止まる。


 互いの距離は約五メートル。

 手にした剣と踏み出す一歩の長さを考えて、剣の間合いは三メートル前後といったところか。

 それはつまり、もう逃げ切ることはできないということでもあった。

 冬夜はわずかに姿勢を低く構える。

 全身を嫌な汗が流れ出すが、逃げ道はどう考えても正面にしか残されていない。

 最初の一撃をかわすことができれば、もしかしたら逃げ道はあるかもしれない。

 狙うは、上か下。


 跳躍で飛び越えるのは……恐らく無理だろう。

 ほとんど助走のないこの足場で、相手の体格がどれだけ小柄であっても飛び越えることはほぼ不可能だ。

 とすると、あとは下しかない。

 助走できないのは同じだが、飛び越えるよりは十分実現できる可能性がある。

 冬夜は、あえてこの場に及んで話し合いに持ち込もうとはしない。

 それは相手の目を一度見ただけで、不可能だと判断できたからだ。

 うまく表現はできないが、あの目は揺るがない。

 何かこう、決意にも似た意思を秘めたような、そんな目だった。


 軸足の左足に体重を乗せる。

 一瞬の助走で駆け出し、一撃目をかわしつつ滑り込む。

 この状況を切り抜けるにはそれしかない。

 無傷で済む保証はどこにもないが、何の抵抗もしないよりはましだ。

 息を呑む。

 わずかに高鳴る心臓の鼓動を無理矢理に押さえ込み、小さく深呼吸をし、全体重を乗せた左足で地を蹴って――。


「……な……」

 次の瞬間、首筋にこの世のものとは思えないほどの冷たい感覚が走っていた。

 冬夜はわずかに身を屈めたその姿勢のまま、数秒間硬直していた。

 その数秒間が、永遠にも感じられるほどだった。

 ようやく我に返り、正面を見返すと、そこにはもう誰の姿も影もなくなっていた。

 ただ、その首筋に感じる刃の冷たさだけは現実だった。


「…………」

「…………」

 二人は互いに沈黙を続けていた。

 冬夜はどちらかというと、沈黙せざるをなかった。

 恐らく、口を開いたり体を動かしたりすれば、この刃は容赦なく皮を裂き肉を切り、鮮血の赤に染まり行くだろう。

 恐怖に対する震えすら、今は死に直結する。

 声を殺し、鼓動を殺し、気配すら殺した。

 伝わる感覚は唯一、死に等しい冷たさだけ。

 永遠にも思える時間はまだ動かない。

 時計の針が凍りついたかのように、確かに動いてる世界の中で二人だけが静止していた。

 しかし、時間は唐突に動き出した。


 ――彼女の声によって。


「……違う。貴方はまだ魅入られてない……?」

 あまりに突然に耳に入ってきた声は、驚くことにまだ幼ささえ感じさせる女性の声だった。

 その言葉は、彼女自身に対する自問なのか、それとも冬夜に対する質問なのか。

 どちらにせよ、こんな状況では思考はまともに働くとは思えない。

 ただでさえその声に驚きを隠せないというのだから。

「……早まった。らしくないことをしている……」


 彼女の独り言は続く。

 どういう展開なのかは知らないが、どうやらその言葉の内容から察するに、冬夜は殺されるようなことはないようだ。

 直後に、首筋から銀の刃が外れた。

 まるで薄すぎる皮一枚をぬるりと剥がされたようで、冬夜は背筋に悪寒が走った。

 同時に、途端に全身から力が抜けてその場に方膝を折って崩れてしまう。

 それを合図にするように全身の緊張が解け、どっと疲れが押し寄せてきた。

 だが、それ以上に冬夜を刺激したのは好奇心だった。

 ゆっくりと、後ろを振り返る。

 そして、目を丸くした。


 月明かりの下に照らされ、彼女は凛と立っていた。

 白い月に相反するような肩ほどまでの漆黒の髪は、風もないのに微かに揺れていた。

 瞳も髪と同じ黒色で、どこまでも深く澄んでいるような輝きを見せる。

 普段どこにでもいるような女の子と変わらない、変哲のない服装。

 小柄な体格に似合わない銀の長刀が妖しく光る。

 冬夜はまるで蛇に睨まれたように、声を出すことができなかった。

 彼女と目が合っている。

 それだけで世界が止まっているかのようだった。


 呼吸するのも忘れて、冬夜はそのあまりに幻想的な光景から目を離せなかった。

 忘れた頃に小さく息を吸うと、渇いたのどがいやいやながらもそれを受け入れた。

 そして無意識のうちに、言葉は出ようとしていた。

 君は、何だ?


 その一言を搾り出すよりも早く、彼女の唇がゆっくりと動いた。

「此処に居てはいけない」

 凛と、詠うような音色の声で。

「取り込まれれば、貴方は――死ぬ」

 死ぬ。

 その言葉でさえ、可憐に聞こえた。

「早く立ち去って。真に暗き時間になれば、何が起きてもおかしくない」

 彼女は握っていた銀の刃を鞘に収めた。

 刃の擦れ合う音、鍔元が収まる音。

 その音で、ようやく冬夜の世界は動き出す。


 そして彼女は、音もなく静かに歩き出した。

 冬夜は彼女の背中が角を曲がり見えなくなると、力なく地面に腰を下ろした。

 金縛りがようやく解けたような、そんな感覚を覚える。

 彼女から目が離せなかった。

 それは、恐怖なんていう感情を簡単に上塗りしてしまうほどの、彼女の幻想的な美しさからなのかもしれない。


 その後しばらく、冬夜は彼女がとうにいなくなった路地裏をじっと見つめていた。

 頭上には満月。

 白銀にも見える月だけが、一足早く寝静まろうとしている街外れを煌々と照らし出していた。

 その月下に、彼女の姿はもう、ない……。


 2


 どこをどう歩いたのかは記憶にない。

 だが、気付けば冬夜は自宅の前に棒のように立ち尽くしていた。

 時刻はすでに日付が変わろうかという夜中の十二時少し前。

 善良な一般市民を自負するつもりはないが、それでも夜遊びするにはやや限度を超えている。

 全身を切り裂くように吹き付ける夜風に意識を戻されたのは、どれだけの時間そうして立ち尽くした頃だろうか。


 改めて見渡せば、そこは飽きるほどに見慣れた自宅の敷地だった。

「……俺、いつの間に……」

 自問しかけて、冬夜はあまりの寒さに身を縮めた。

 肌は信じられないほどに体温を失っており、まるで生きた心地がしない。

 これではまるで死人のようだと思えるくらいだ。


 と、冬夜は自分で思ってはっとなる。

 そして慌てながらも、自分の体のあちこちを確認する。

 一通り終えて、ようやく安堵の息をついた。

 どうやら生きているようだ。

 真っ白な息はわずかに舞い上がり、すぐに夜の空気の中に溶けて消えた。

 そして冬夜は、地面にくっついたままの足を剥がして歩き出した。

 とにかくこんな寒い中でいつまでも外にいるのは体に毒だ。


 寒さに体を震わせながら、玄関へと向かう。

 家の中からはまだ明かりが見えた。

 どうやら誰か起きている人がいるらしい。

 珍しいこともあるんだなと思いながら、冬夜は玄関の引き戸を開けた。

 ガラガラと音を立て、古風な日本家屋の玄関が姿を現す。


「ただいま……」

 一応小声で呟いては見たが、家の中はシンと静まり返っていた。

 廊下の奥の居間へと続く道だけに明かりが続き、他の部屋はもう真っ暗だった。

 玄関の施錠をして、冬夜は家の中に上がった。

 木造の床からは靴下を通り越して冷たさが伝わり、そう長くない廊下でも駆け足で走り抜けたくなるような衝動に駆られる。

 もう今日は夜遅いので、なるべく足音を殺して静かに歩く。

 それでも時折、キィという軋むような音がして、静か過ぎる家の中では怖いくらいに響いた。


 冬夜は居間のふすまを開ける。

 すると、そこには神主の衣装に身を包んだ一人の男が座っていた。

 男は手に持っていた湯飲みで茶を一杯口に含むと、冬夜を見て言った。

「……遅かったな。何かあったのか?」

 その言葉に怒りのようなものは込められてはいなかった。

 だが、不思議と冬夜は体に緊張が走ってしまう。

「……いや、ちょっと遠出してただけ。連絡し忘れてごめん」

「……」

 冬夜は答えて男の正面に座る。

 こたつの中に冷え切った手足を入れると、温度差で火傷してしまったかのような感覚を受けた。


 その後しばらく、二人は向かい合ったまま無言だった。

 冬夜はこたつのなかで手足をこすり合わせ、少しでも失った体温を取り戻そうとささやかな努力を試みる。

 一方の男――名を天瀬巽あませ たつみと言う。

 冬夜とは遠縁の親戚に当たる人物であり、ここ、天瀬神社の神主を勤める人物だ。

 幼い頃に旅客機の墜落事故により、冬夜は両親と兄の家族三人を失った。

 その後親戚中をたらいまわしにされたが、どこに行っても邪魔者以上の扱いを受けることはなかった。


 そんな冬夜が六歳を向かえた時に、転機は訪れた。

 当時、たまたま冬夜が世話になっていた親族の家の祖父に当たる人物が永眠を迎えた。

 その通夜の席に、巽も参列していたのだ。

 そして巽は、自分は一人身だから、よかったら冬夜を自分に引き取らせてはくれないかと買って出た。

 当然、邪魔者を厄介払いできるのだからこんな好機はないとばかりに、その親戚は冬夜を手放した。

 それからもうすでに十年、巽と冬夜はこの神社で二人で暮らしてきた。

 ちょうどこの冬が終われば、十一年目を迎えるというところだ。


「冬夜」

「ん……?」

 名前を呼ばれ、冬夜は顔を上げた。

 叔父である巽の表情からは、これといった感情は読み取ることができない。

 だが、なんとなく嫌な予感はしていた。

 こんな風にある程度の間を置いてから名前を呼ばれるのは、いつもの展開だった。

「……また、何か視えたのか?」

「…………」

 あまりに直球なその問いもいつものことだが、毎度毎度この人の勘の鋭さには驚かされる。

 それとも、自分が分かりやすい人間なのだろうか?

 そう考えながらも、冬夜の視線はだんだんと巽の目線からずれ、下へと俯いていく。

「そうか……」

 と、巽は自分で勝手に納得した。

 再び湯呑みの茶を一口含み、そして小さく嘆息した。


「……ねぇ、叔父さん」

「む?」

 冬夜は俯いたままで静かに言う。

「俺のこのおかしな『力』は、何のためにあるんだろ? 俺、いらないよこんなの……物心付いたときからずっとそうだ。……母さんや父さん、兄貴が死んだ時だって……」

「冬夜」

 巽の口調がわずかに強まる。

 冬夜は小さく肩を竦ませ、その後に続く言葉を胸の奥に押し戻した。

「そのことは忘れろ。当時お前はまだ三歳の子供だ。いくら思い返したところで、何もできなかったことは変わらんし、ましてや何ができたというのだ」

「……それは……そうだけど……」

「……家族との想い出や記憶を全て忘れろとは言わん。だが、あの事故のことだけは忘れろ。お前がそれを引きずる必要はない。いずれ心が体の成長に伴えば、受け入れられるときがくる」

「……うん。分かってる……」

 分かってるけどと、続きそうになる衝動を冬夜は押さえつけた。

 分かってるけど、それじゃ何も分からないのと同じなんだ。

 そう、心の中で呟く。

 握り締めた手に、痛覚とは違った別の痛みが微かに走る。

 その正体を、未だに冬夜は知らない。

 この十年間の間も、ずっと。


「……それで、今度は何が見えた?」

 話を切り替えて、巽は言った。

 冬夜は俯いた顔を少し上げ、それでも目線だけは合わさずに答えた。

「……真っ黒な影。まるで凝縮した闇の塊みたいだった。夜の暗さの中でも、それだとはっきり見て分かるくらいの……」

「……敵意は?」

「分からない。向こうも俺に気付いていたとは思うけど、そのときはそういうのは感じなかった」

「……そうか。とりあえず、今夜はもう休みなさい。もう日付も変わってしまった」

「うん……」

「風呂は沸かせてあるし、台所には食事も用意してある。私は先に休むから、電気と戸締りをしっかりとな」

「おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 そうして巽は部屋をあとにした。


 一人取り残された冬夜は、もう少しだけこたつの暖かさに甘えて、やがて居間を出て風呂場へと向かった。

 食欲は沸かなかった。

 だが、体の冷たさだけは取り払っておきたかった。

 風邪を引かないようにするためというよりは、全身に重くのしかかった正体不明の疲労を洗い流してしまいたかったというのが正しい。

 湯気の立ち上る浴槽に体を漬ける。

 気温差で瞬間的な痛みのようなものを感じるが、それも一瞬ですぐ気にならなくなる。

 巽は熱い風呂が好きなので、風呂はいつも一般家庭に比べれば温度は高くなっているだろう。

 さすがに十年も一緒に暮らしていれば嫌でも慣れるというものだが。


「……」

 湯気ですっかり視界が白く覆われた中で、冬夜は少しずつ抜けていく疲れと共に曖昧な記憶を引っ張り出していた。

 それは先ほどの話の中であった家族を失った事故のことではなく、もっと身近にあった……恐らく、ほんの数時間前の出来事だ。

 今でもあの出来事が現実に起こったこととは思えない。

 原因不明の、しかし命がけの鬼ごっこは、やはり原因不明のまま結末を迎えていた。


 白銀の満月、漆黒の髪の少女、白銀の刃、漆黒の瞳の少女。

 黒と白、光と影、陰と陽。

 決して交じり合うことのない両者、いわば永久にまで続くであろう平行線。

 だがあの少女は、その存在そのものが全てを取り込んでいるような、そんな気がした。

 だからこそ、冬夜は思う。

 あれはやはり、夢だったのではないだろうか、と。


「……なんだったんだろうな、ホントに……」

 一人呟いて、両手に掬ったお湯で顔を洗った。

 目を閉じれば今にも眠気が襲って来そうになる。

 そうだ、このまま眠ってしまえばいい。

 今夜が過ぎれば、何もなかったかのようにまた朝日を迎えるのだから。

 冬夜は自分の中に確かな矛盾を抱えながらも、それをあえて無視することにした。

 今の生活を壊してまで、それは追い求めることじゃない。

 そう自分に言い聞かせて、湯船から体を上げる。

 寝冷えしないように手早く着替えを済ませ、髪をドライヤーで一気に乾かした。

 脱衣場の鏡は湯気で真っ白に曇り、冬夜の姿をほとんど映してはくれない。

 だが――。


「……?」

 それは確かに違和感だった。

 ある程度髪を乾かし終え、冬夜が鏡越しに自分を見ていると……。


 ――その右の首筋に、うっすらと細く赤い線が浮かび上がっていた。


「……!!」

 冬夜は言葉を失った。

 たった今、今夜を全て忘れ去ってしまおうと、そう思った矢先の出来事だった。

 呼吸が止まり、指先が震える。

 震えるその指先で、冬夜はその赤い線に触れた。

 ほんのわずかに走る痛み。

 出血は完全に止まり、それは斬られたというよりも文字通りなぞられたような傷痕だった。

「夢じゃ……なかった……?」


 それは自問か、それともここにはいないどこかの少女に対する質問か。

 どちらにせよ、少なくとも今夜を忘れ去ることなんて、とてもじゃないができそうにもなかった。


およそ十日ぶりの投稿となります。

初めての方は始めまして、前作「きみのてのひら」をご覧になってくださった方はお久しぶりです。

作者のやくもと申します。

今作は私自身も初の挑戦となる怪奇ホラー物となっております。

前作に比べて表現能力や書き方などに少しでも力が加わっていればいいのですが、自分ではあまり期待できないところです。

そんな相変わらずの拙い文章ではありますが、少しでも多くの方々に読んでいただければ幸いです。

では手短ですが、これで失礼いたします。


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