その319
アーアー聞こえなーい状態のノエルさんはとりあえず放置しておき、母様のお話は続く。シアさんも逃げたそうにしていたが、私のお世話から離れる訳にはいかないと、もう覚悟を決めたみたいだった。
ちなみにメアさんは特に何か気にした風でもなくにこやかに見守ってくれている。ここがやっぱり森の中と外での生まれ育ちの違いなんだろうか? ノエルさんは仕方がないとしても、シアさんはもう五十年近くも一緒に暮らしているのに。
「話を戻すわね。ええと、どこまで話したかしら? ……そうそう、シラユキの年とこれからの小さな目標の話だったわね」
ここで母様はいったん言葉を止める。見上げてみると少し考え事をしているのか、どこでもない中空に視線を置いている様に見えた。言葉を捜しているといった様子。……それでも私を撫でる手は止まらないが。ふふ。
「メア、ノエル」
「は、はい! な、何か御用っすか!?」
「……え? 私も?」
いきなり名前を呼ばれた二人は、いや、ノエルさんは大慌て。メアさんは反応が少し遅れただけで普通に落ち着いている。今この状況で自分たちに何を? と不思議に思っているだけなんだろう。
ふうむ、母様の言いたい事も二人を読んだ理由も私にはさっぱり分からない。なのでまずは聞きに徹して食事を続けていようではないか。なんだか難しいお話になりそうな予感! と言うかノエルさんは耳を塞ぎながらもしっかり聞いていたのね……。和むわ。
「少し聞きたいのだけれど、二人がこの子くらいの頃、五十くらいね、その頃も両親に甘えていたかしら? ……と、違うわ。甘えたい、甘やかしてもらいたいと思っていたかしら?」
メアさんとノエルさんの子供の頃……? 何それ超気になるんですけど!
メアさんは料理とか、家事のお手伝いをしてそうだよね。ノエルさんは……、男の子と喧嘩してたり? ふふふ。……うん? 甘えたい?
「私が姫くらいの頃? うーん、どうだったかなあ……。はっきりと覚えてる訳じゃないですけど、そんなに甘えたりはしてなかったと思います」
「あ、アタシは……。すんません、アタシも全然覚えてないっすね。でもまあ、シラユキ様みたいに、こう……、甘えん坊じゃなかった事は確かっすね。はい」
二人とも何とか思い出そうとしているみたいだが、軽く百年以上経っていて、更に子供の頃となるとそれも中々に難しいみたいだった。
興味津々だっただけに少し残念だけどそれも仕方の無いことだね。それよりも母様はどんな意図があってこんな質問を投げかけたんだろうか?
五十歳、今の私くらいの年齢当時、両親に甘えたいと思っていたかどうか? エルフの五十歳と言えば、子供でも大人でもないそんな微妙なお年頃。人間種族で言うと十四、五歳といったところか。中二病真っ盛り。
そう考えるとさすがにもう甘えまくりなんて事は無いと思う。姉様だって五十歳になるより前に兄様と……、こほん。まあそれは今は忘れておこう。
「ありがとう二人とも。シラユキは……」
「……ん!? あ、私?」
おっといけない、聞きに徹しすぎて油断してた。メインは私に関係するお話だったよね。
「シラユキは私に、私だけじゃなくて家族皆にまだまだ甘えたいのよね? 子供っぽさを抜くとかそんな考えは横に置いて、正直に言ってみて?」
私の目を真っ直ぐに見つめながら、優しく微笑みながらそう聞いてくる母様。これはもう正直に包み隠さず答えるしか道は無いと思う。
「う、うん、家族みんな、父様母様、ルー兄様とユー姉様にも、それとメイドさんズや森のみんなにもまだまだ甘えたいし、遊んでほしいな。でも私ももう五十歳だからうにゅっ!」
そろそろ甘えん坊も卒業しないとねー、と続けようとしたのだが、母様に両頬を挟まれて止められてしまった。
「もう五十歳だからじゃないの。お願いだからそんな寂しい事を言わないで頂戴。ね?」
そう言う母様の表情は、言葉通り寂しそうな、少し困っている様にも見えた。
もしかして怒られちゃったかな? まあ、手を放してくれないとこれ以上何も言えないんですがねえ……。うにうに。
「メアとノエルはずっと両親に育てられたのよね? 大体成人するまでは。メアの場合は森の皆もかしら?」
「あー、はい、そんな感じかな? 広場周りの皆が育ての親みたいな」
「アタシの場合は完全に親だけっすね、周りに他のエルフは全然住んでなかったっすから」
おや? またメアさんとノエルさんに話が振られた。私はー? 怒られてたんじゃないのー? むう。
「自然とそうなっていくものをあえて言葉にするのはどうにも難しいわね……。ねえシラユキ? 大人にはなろうと思ってなれるものじゃなくて、いつのまにか、自然とそうなっていくものだって皆に言われていたでしょ?」
「うん。話した人ほとんど全員からそう言われちゃったかな」
成人したから今日から大人! なんて決まりは無いもんね。大人になる、なったなんて自分で決められるものじゃないのは私にだって分かるよ。
「シラユキから見てメアとノエル、それとバレンシアは大人? それとも子供? 聞くまでもない事だけど……」
「三人とも大人にしか見えないよ? キャロルさんだって背は低めだけど中身はしっかり大人だよねー」
本当に聞くまでもない、私の周りはみんな大人ばっかりだよ。
でもマリーさんとタチアナさんはまだ子供って言ってもいいかもしれないね。それでも私から見たら……、ん? 私から見たら?
「ふふ。それじゃバレンシア? キャロルは貴女から見るとどうかしら?」
「は、その……、子供にしか見えませんね」
言葉短く一言で済ませてしまうシアさん。どうにも口を挟み辛い空気で居心地が悪そうだ。シアさんは真面目に不真面目な行動を取ることが大好きだからね。イミフ。
何となく、本当に何となくだけど母様の言いたい事が分かってきたような気がしてきたぞ……。多分それは……!!
「お、いたいた。エネフェアー」
「う?」「あら?」
唐突に母様を呼ぶ声が、何故か窓の方から聞こえてきた。
全員の視線が集中するそこにいたのは……、グリニョンさんその人。まあ、窓からいきなり入って来るのはグリニョンさんくらいしかいないんだけど。
「お、おいグリフィルデ、今はエネフェア様が大事な話を」
「あん? 話なんてそんなんいつでもできるっしょ」
真っ直ぐこちらに歩いて来るグリニョンさんを止めようとしたノエルさんだったが……。まあ、グリニョンさんが父様とリリアナさん以外の言うことを聞く訳がないのは確定的に明らか、一切歩みを止めずに私たちのすぐ前までやって来た。
「グリニョンさんおはよー」
「はいはいおはよう。いや早くない、シラユキ起きるのおっそいわ、どうでもいいけど。ほいエネフェア、これあげる」
そう言うとグリニョンさんは母様に、結構小さめの、片手に乗る程度の布袋を手渡した。
「あらありがとう、何かしら……? あ! 懐かしいわねこれ、嬉しいわ……。ありがとうグリー」
袋の中身を確認し、顔をほころばせて喜ぶ母様。一体何が入っていたんだろう?
むう、気になるお話の最中にさらに気になる物がやって来てしまったではないか! お話は中断っぽいし、まずはこの新たな気になる物の正体を解明しておくとするかな。折角答えが分かりかけてきたところなのにい。
「母様母様、なあにそれ」
「ふふ、気になる? これはね……、これよ」
袋に手を入れて中身を取り出す母様。そのまま私に見えるように目の前へと差し出してくれた。
その手に乗っていたのは、ほんの1cm程度の大きさの……、木苺? 赤くてブツブツとした表面の丸い木の実だった。
「むむ、木苺?」
「ええ、多分ね。これは名前も付いていない珍しい木苺でね、グリーしか生っている所を知らないの。危ないからって私にもその場所を教えてくれないのよ? 子供の頃私はこれが大好きで大好きで、グリーにたまに採ってきてもらっていたの」
母様は笑顔でそう説明してくれると、持っていたそれを口元へ運んで食べてしまった。
「この味この味! ふふふ、本当に懐かしいわ……。ありがとうねグリー。……グリー? あら?」
「あれ? グリニョンさん? ……もういなくなっちゃった?」
キョロキョロと辺りを見回す母様、と私。しかしグリニョンさんの姿は影も形も見当たらない。
「いや、あの、その袋を手渡したらそのまま廊下の方へ……。と、止めた方がよかったっすかね?」
「グリーは止めたところで素直に止まる様な性格はしてないから……。そのうちまた姫にちょっかい掛けに来ると思うけど」
さ、さすがは野生メイドさんのグリニョンさん、気配がなさ過ぎて移動に全く気づかなかったわ……。一言くらい言葉を残して行ってくれてもいいのになー。
まあいい、それよりもだ。私の興味は何よりも誰よりも、母様の手に収まっている小さな袋へと向いてしまっているのだ! 木苺は私の好きな苺とは違うのだがそれとこれとは別問題。
「ねえ母様ー」
「なあにシラユキ? シラユキも一つ欲しいの?」
うんうんはいはい是非是非と頷いて答える。ちょっと必死すぎたかもしれない。
「可愛いわ……。でもどうしようかしら? これはシラユキには……、まあ、いいかしらね。はい、あーんしなさい」
「あーん……。んっ」
数が少なすぎるのか、少し悩んだあとに一つだけ食べさせてもらえた。幸せ。
口に入れてまずはひと噛み。そして口に広がるほのかな甘みと……、強烈な酸味と青臭さ!!!
「ひゅっぱい!! んー! んんんー!!」
「姫!?」「姫様!?」「し、シラユキ様!!」
何これ何これ酸っぱいし臭い!! 美味しくない! 美味しくなさ過ぎる!!! 母様はなんでこんなのが大好きなんだ……。ぐぬぬ。
「え、ちょ、シラユキ様大丈夫っすか?」
「そんなに酸っぱいの? それ。吐き出しちゃう?」
「んんー!」
お姫様としてそんなはしたない真似はできませーん!
早く飲み込めば助かるのだけどこれ以上噛み潰したくない。しかしそのまま口の中に入れておいてもこの酸味と青臭さからは逃れられない! 逃れにくい!! という最悪の事態に陥ってしまった。このままでは私の冒険はここで終わってしまう……!!
「ふふふ。かわいそうだけど可愛いわ……」
「姫様、どうぞ。……ふふっ」
物凄く嬉し楽しそうに紅茶を差し出してくるシアさん。
人の不幸を見て楽しむとは不届き千万! しかし大助かりなので不問としようではないか。母様も笑っているけれどもちろん最初から無罪です。
「ふはあ……。うう、酸っぱかったー。シアさんありがとねー」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
なんでそこでお礼が出るんですかねえ……。そんなに私の苦しむ様が面白かったのか! あとでグリニョンさんにお願いしてシアさんの分も採ってきてもらっちゃおう。うん。
「グリーは本当に丁度いいところに来てくれたわね。ねえシラユキ? 大人か子供かなんて決めるのは全部他人からの目なのよ? グリーから見たら私だって手の掛かる妹にしか見えてないんだから」
「うん。忘れてたけどグリニョンさんは母様より年上なんだったね」
そしてその母様から見ると私はもちろん、兄様も姉様もまだまだ子供、と。
もしかしたらシアさんだって子供に見えているのかもしれない。まあ、グリニョンさんは自由人過ぎて大人なのか子供っぽいのかよく分からないところがあるけれど。
「シラユキがどうしても大人になりたいって言うのなら私たちだって応援してあげたいと思うの、寂しいけれどね。でもシラユキはまだ皆に甘えたいでしょう? 子供のままでいたいんでしょう? だから私たちはそんな考えは捨てなさいって言うの。分かるかしら?」
「あう……。ご、ごめんなさい母様……」
お話が再開されたと思ったらいきなり結論が出て叱られてしまった。
簡単に言えば、無理して背伸びしないで自然と大人な立ち振る舞いができるまでは子供でいろ、っていう事かな? 私なりのまとめなのでちょっとズレてしまっているかもしれないが。
ションボリとしてしまった私を母様は優しく抱きしめ、頭を撫でてくれる。
「いいのいいの。あのねシラユキ、私は怒っている訳でも叱っている訳でもないのよ。その反対、あなたに謝りたいの。あまり寂しいことばかり言っていると怒ってしまうかもしれないけれどね。ふふ」
「う? 謝る? 母様が?」
どういう意味だろう? 子供は子供らしく甘えて遊んでろー、って注意するのがメインのお話じゃなかったっていう事? それなら一体……。
「長くなってしまったわね、ここで最初の話に戻るのよ。私は子育てが下手以前の問題だって言っていたでしょう? そのお話よ」
そういえばそんな事を言っていたような……。母様は女王様で忙しいんだからそんなの気にしなくてもいいのに。
「シラユキが皆に甘えたいと思うのは、甘え足りていないのよ。ルーもユーネも私に甘えたいなんてもう思ってもいないんじゃないかしら? ユーネの場合はルーに甘えているのだけれど……、それはいいわ。私が毎日ちゃんと母親としてシラユキを育てていればね、この年になる頃にはもう大人、とまではいかないにしても、甘えん坊の子供は卒業している筈だったのよ。ごめんなさいね」
私が母様に甘えたいのは、甘え足りていないから?
ううむ、そうなのかな? 五十歳まで毎日毎日甘えられていたらもう満足してた? まあ、今の甘えん坊の私には絶対に答えは出せないか。残念。
「ふふ、分からないって顔ね。……とにかく、シラユキはまだまだ子供なの、子供でいいの。甘えたいと思うのならその相手を困らせてしまうくらい甘えに行っていいの。我侭放題でもいいのよ? これは改めて言うことでもないかしらね」
「う……、うん。ホントによく言われる事だもんね……」
「子供でいられる内は子供でいなさい、自然と大人になってしまうまでね。……私はいつまでも甘えん坊で可愛らしい子供のままでいてほしいと思うけれどね。ふふふ」
「は、はーい! なんだかよく分からないけど、いつも通りでいればいいって事だよねそれって」
「そうよ? ここに来る前に言ったでしょう、忘れてしまったの? 私はシラユキとお話がしたいだけだってそう言っていたじゃないの」
「……え?」
つまり、なに? 今までの全部、ただの日常会話の延長だったっていうの!? ちょっとそれは……、ええー? 結構大事なお話をされたと思うんだけどなあ……。
「はい、あーん」
「え!? あ、待って待って、あ、あーん……。んっ、すっぱい!!!」
ひい! 油断してた!! すっぱーい!! 青くさーい!!
「うう、すっぱかったよう」
「ふふ、姫かーわいい。とりあえず今まで通りに甘やかして可愛がってあげてればいいんだよね」
「アタシには全然分かんね。シラユキ様はどっからどう見たって可愛い子供だからそれでいいんじゃね?」
母様は上機嫌で私をメイドさんズに任せ、自分の部屋へ戻って行ってしまった。これ以上甘えたかったら執務室まで甘えに来なさいという事なんだろう。
そして自然と私の近くへと集まる三人。シアさんは最初からずっと隣にいたんだけどね。
「姫様、本日はこの後如何なさいますか? エネフェア様の執務室へ? お散歩へ? それとも私と二人で遠いどこかへ……」
「どうしようかなー。とりあえず遠いどこかへは行かないからね! まったくもう」
「ふふふ、残念です」
何やらシアさんまでもが超上機嫌。理由はまあ、何となく分かるんだけどね。
大人だ子供だなんて気にしない。甘えん坊でもいいじゃないか。おっぱいが大好きでも、……それはちょっと考えた方がいいかも。
心のわだかまりが綺麗さっぱり溶けて流れてしまった気分。私、今そんなにいい笑顔してるのかな?
短めでしたが『五十歳編』はこれでおしまいです。次回からは『五十歳以上編』が始まります。毎度のことですね、はい。
途中投稿が半年に渡って遅れてしまったのは、あまりにも文章に起こしにくい内容だったから、という事にしておいてください。前回と今回のお話は非常に難しかった(?)です。
次回は……、何とか早めに投稿できるよう頑張ります!