その291
長旅の疲れを癒やすために、ウルリカさんには暫くの間私の家でゆったりと過ごしてもらう事になった。まあ、それだけが理由ではないのだけれど。
そもそもの理由であり原因は、ウルリカさんがどうして態々スイの砂漠を越えてまで故郷に戻っていたか、というところにある。それは主に私やメイドさんズのせいであったり、父様と兄様のせいであったりもする。
事の発端、あれはいつだったか……? 忘れてしまったがとにかくウルリカさんの故郷の食べ物についてのお話をみんなで聞いていたとき、味噌や醤油などのあまりにも懐かしすぎる名前がいくつも上がったのが始まりだろう。
まずはその懐かしい名前に私が興味を示し、さらに料理担当のフランさんが一度食してみたいと言い出し、何度かそんなやり取りを繰り返したある日にウルリカさんが、では取ってくるかの、と軽く帰郷を決めてしまったのだった。
ウルリカさんは尻尾に物を収納する事ができるのでみんな軽くお願いをしてしまっていたが、蓋を開ければ往復で約二年という長旅になってしまったのはさすがに想定の外。お礼とお詫びも兼ねてお客様待遇でのんびりとしてもらおう、と決まったのがつい昨日の出来事だ。
父様と兄様も米酒を大量に買って来てもらって超ご機嫌、昨夜も森のお酒好きを集めて夜通し飲んでいたらしい。そんなペースで飲んでいたらすぐに無くなってしまうんじゃないだろうか……。
さて、話を戻すとしよう。今は朝食の時間である。
今朝の朝食には何やら見慣れない、いや、これはなんと言えばいいのやら。とにかくこちらの世界で生まれてからは初めて見る一品が置かれている。
「えーっと、これってお味噌汁、だよね?」
製作者であるウルリカさんに確かめてみる。
ご丁寧に木で作られたお椀と箸まで用意されているとは……。さすがに漆塗りだったりはしなかったが。
見た目は普通に白味噌のお味噌汁そのもの。いつぞやのバームクーヘンのように、名前と形が同じだけの別物かもしれないとも思っていたがそれも杞憂だったようだ。
「うむ、味噌を使った汁物じゃから味噌汁という訳じゃな、シラユキにはちと塩っ辛いかもしれんがの。こう、上澄みと底に沈んでおる味噌とを箸で混ぜてからすするんじゃよ。ああ、熱いからそれも気を付けてな」
すぐ隣の席で実演して見せてくれるウルリカさん。なんて箸が似合うお人なんだろうか。
「うん。箸はちょっと苦手なんだけどね……」
苦手どころか練習も一切してませんから! いい機会だから箸使いもまた覚え直すとしようかな。
「すするってそんな、ウルリカの紅茶の飲み方みたいな感じで? あ、スプーンじゃなくてその容れ物そのまま持って飲むんだ? そういえば姫ももっと小さな頃は紅茶をすすって飲んでたっけ」
「ああ、うん、あったあった、懐かしいねそれ。お姫様のしていい事じゃないから注意したらすぐ治ったけど、結構可愛かったよね」
なんですと? 私も昔はそんなお下品な事をしてしまっていたのか……!! 元日本人だから仕方がなかったんです、はい。実際熱々の紅茶なんて誰も出さないからすするなんて必要のない事なんだけどね。
「茶も汁も熱い物を熱いと言いながらすすって飲むのがいいんじゃがのう……。温い味噌汁はとてもじゃないが飲めたもんではないんじゃぞ?」
「まあ、お客様の前とは言えウルリカさんですので今日くらいはいいのでは? さ、折角作って頂いたのですから冷めてしまう前に私たちも頂きましょう」
「はーい。いただきまーす!」
「あ、うん。ごめんごめん」
「それじゃ私もっと。んー……、香りが独特よね味噌って」
言い忘れていたが、味噌汁のお椀はしっかり人数分用意されている。フランさんが朝食にお味噌を使った料理を是非一品、とウルリカさんにリクエストした結果だ。お客様に料理を作らせるとはなんという事を……。
はしたないけれど今日だけ特別、軽くズズズと音を立ててお味噌汁をすすらせてもらう。
な、な、懐かしい味と香り……。懐かしいけど塩っぱいわこれ。あっれー? お味噌汁ってこんなに塩っ辛いものだったっけ? でも美味しいね。
具材はワカメ? 海藻だけとシンプルながら出汁がきいていてとても美味しかった。この塩っぱさと何とも言えない旨味は癖になりそうだ。
ちなみにメイドさんズの反応は……。
「熱っ! 塩っぱ! 火傷、火傷したっ!」
「んー、確かに少し塩味が強いかな? でも凄いわねこれ、風味と言うか香りがホントに……、あ、あのドロッとした味噌を溶かしただけじゃないんでしょ? 何か粉みたいなのも入れてたし」
「あれは小魚を乾燥させて粉末状にした物ですね。はしたない、下品だと言われればそこまでですが、すする事によって鼻に香りが抜けていくのですよ」
メアさんは熱い塩っぱいと大騒ぎ、フランさんは早速調理法を問い詰め、シアさんは実際に砂漠向こうで勉強済みなのか解説を始めてしまった。
なにこれおもしろい。ウルリカさんも笑顔だし、朝から色々と楽しませてもらえて大満足だね。
しかしこれだけは言っておかねば……。こほん、パンにお味噌汁は合わないわ! お米を、白いご飯をください!!
そんな騒がしくも楽しい朝食後、今日はお手紙仕事もお休みしてウルリカさんと一緒に行動する事にした。私お付の三人はそれぞれのお仕事に向かい、残されたのは私とウルリカさんと、
「お土産は? お餅とかいうお菓子は?」
いきなりやって来て図々しくもお土産を催促するエレナさんの三人だ。
エレナさんにはまた住み込みメイドさんに戻ってもらっている。ウルリカさんが我が家に滞在する間だけの話なのがとても残念だが。
「一応つきたてをいくつか持って来ておるが、実のところ餅は菓子ではないんじゃがの。まあ、薄く伸ばして焼けば菓子の様にもなるし間違っているという程の事でもないか。しかしつきたての餅を焼いてしまうのはちと勿体無いのう」
「へー。まあ何でもいいや、後でちょーだい」
「ほいほい、後での」
ああ、お餅って焼くとお煎餅になるんだっけ? でもつきたての柔らかいお餅をお煎餅にしちゃうのは確かに勿体無い気がするわ。お醤油とかきな粉とかあんことかでそのまま食べた方がいいと思うなー。
しかし、スイの砂漠の向こうのウルリカさんの故郷ってなんでそんなに日本の料理というか、和風な食材が多いんだろう? まさか女神様の仕業なのか……!?
「今はお腹いっぱいだからお餅はお祭りの日にみんなで食べようねー。それじゃ何しよっか? 私はウルリカさんの膝の上で尻尾をモフらせてもらえればもう何でもいいくらいなんだけど」
「ほほ、シラユキは本当に儂の尻尾が好きじゃのう。嬉しい事じゃ。儂もこうしてシラユキを可愛がれればどこでも何でも構わんよ」
後ろからギュッと抱きしめて頬ずりされてしまった。幸せすぎる!
前からはフサフサモフモフ尻尾三本にくすぐられ、そして後ろからはフランさん並の巨大サイズの柔らかおっぱいを押し付けられるというまさに幸せ夢心地。例え会話がなくても何時間だってこのままでいられる自信がある。
「はあ、姫は甘えんぼだねまったく。そういやまだ一人で寝られないみたいだしさ。あー、今日はあたしとお昼寝しとく?」
「うん! それは嬉しいかも。でも今日はウルリカさんとがいいなー。あ、三人でがいい!」
さすがにもう一人で寝られないなんて事はないと思うけど、多分物足りなくて中々寝付けないのは確かだと思う。なので反論はしないでおこうじゃないか。
「可愛いのう……。子供は甘えん坊すぎるくらいででいいんじゃよ。ほれ」
私の体を横に向け、自分の胸に顔を埋めるように押し付けてくるウルリカさん。
「わぷ。わーい、ふふふ」
早速スリスリと頬擦りをさせてもらおうかな! この本当に頭が全部埋まってしまうんじゃないかと思うような抱擁感と埋没感、フランさん以外ではあまり感じられないからね。コーラスさんの場合は錯覚ではなく本当に埋まってしまいます。
「このおっぱい好きめ。ま、可愛いからいいけどね……。自分で言うのもなんだけどさ、なんであたしなんかに甘えたがるんだろね姫は。あたしっておっぱいもそんなにないのにさー」
「エレナはエレナでいい姉じゃと儂は思うがの。胸はついでじゃろ」
「いやいや、タチアナと、あ、ソフィーの妹なんだけどさその子、そのタチアナともう二人巨乳のお仲間が最近新しく友達になったみたいなんだけど、会ったその日からもう甘えまくりだったらしいのよこれが。んで三人がメイド服着たら絶対連れて帰るんだって我侭言い出したんだって。やっぱメイド服が原因?」
「っほ! ふふ、なるほどのう……。ぬ? ああ、町で見かけたメイドはその三人の内の誰かかもしれんの」
「我侭なんて言ってませんー! 連れて帰ろうとはしたけどね……。エレナさんがメイドさんを辞めても私は大好きだよー」
「なっ、恥ずかしい奴! ほーれほれ、お仕置きしてやるわー」
「きゃー! やめ! ひはいひはい!!」
「これこれ。まったく、二人とも変わらず可愛らしいままじゃの。ほほ」
「ドミニクさんカルディナさんこんにちわー。ウルリカさん連れて来たよー」
ウルリカさんの膝の上で全力で甘えながらの昼食後、食材に続くもう一つの依頼品を届けにドミニクさんの家までやって来た。
「おお姫様、ようこそお出でくださいましたな」
「姫様! 本当にようこそお越しに……、あ、あの……」
私に気付くとドミニクさんは朗らかに歓迎してくれて、カルディナさんは駆け寄って来て私を抱き上げようとしたのだが、残念ながら私は既にウルリカさんに抱き上げられている状態。さすがにほかのメイドさんズの場合と違って奪い取る事はできないみたいだった。
「ほ? お、おお、これはスマン事を……。ほれ、どうぞどうぞ」
「ありがとう! さあ姫様、難しいお話はあの人にお任せしていつもの席へ参りましょう。ふふふ、可愛らしいわ……」
もう完全に慣れきった物扱いで手渡され、本当に嬉しそうにしながら頬擦りを繰り返してくるカルディナさんにいつものテラス席へと連行される。
着いた早々攫われてしまったが、ここへ来るまでの間ウルリカさんに抱き上げられていたので今度はカルディナさんに甘えるとしよう。続きはまた帰ってからね!
「カルディナさん姫大好きすぎっしょ。まあ、クレアでっかいもんね」
「どういう意味だ。と、ウルリカ、母様がすまない」
ちなみにエレナさんとクレアさんもお供としてついて来てくれています。
「いやいや、いいんじゃよ。それでは儂らは畑の方へと行くとしますかの。シラユキ、また後での」
「それは助かる。正直今日という日を楽しみにしていたものでな。では、姫様はカルディナに甘えてお待ちください」
「うん! 二人ともまた後でねー」
私も新しい畑を見に行きたかったんだけどなー。でもカルディナさんが残念がるからまあいいや、と手を振って見送る。
「ああ、可愛らしすぎるわ……。ほらクレア見なさい、この姫様の愛らしい仕草!」
「失礼すぎますよ母様。しかし本当に可愛らしい……」
恥ずかしいからやめてくださいませんかねえ……。
「梨食べたい梨! カルディナさんナイフ貸してナイフ」
自由すぎるのも控えてもらえませんかねえ……。梨は私も食べたいです!
瑞々しく甘い、ほんの僅かに酸味がある程度の絶品梨をシャリシャリと食しながら、いや、食させてもらいながら例の新しい畑のお話を聞いてみた。
実は私も事前に少しは聞いていたのだが、まさかドミニクさんが管理している畑で作られるとは思ってもいなかったのだ。
ウルリカさんが頼まれたもう一つの依頼品は、なんと種もみだった。これはリーフエンドの森で稲の栽培を始めようという新しい試みのためだ。
さすがにいきなり大々的に田園を広げ、その年すぐに上手に出来ました、となるとは誰も思っていないので、まずは個人でできる範囲でちょっと試してみようか程度の軽い考えなんだろうと思う。
種もみの他にもウルリカさんの故郷の果物や野菜の種を色々と持ち帰って来てもらっている。栽培方法の書かれた本やメモを頼りに後は手探りで実践していくらしい。旅に二年も掛かってしまったのはこのメモ集めが一番の原因なんじゃないだろうか……。
「なるほどねー。それでリューエさんをお手伝いに引っ張って来ちゃったんだ?」
リューエさんの名前にクレアさんがピクリと反応を見せたが、まあ、突っ込まないでおいてあげよう。ふふふ。
「ええ。将来のために、ですね。ふふふ」
「なっ!? 誰のですか!」
「あら? 誰のとも何のとも言ってないでしょう? おかしな子ね」
「くっ……」
「梨にブドウにイチジクーっと。秋はいいねえ」
エレナさんは花より団子であるか……。そんなだからライスさんとの仲が全然進展しないんだよ!
あと何年かしたら、リーフエンドの森でも日常的にお米が食べられるようになるかもしれないね。あ、もしかしたら米酒も作られたりするんじゃないだろうか? 父様と兄様はそれが真の狙いだったんじゃないだろうな……。
まあ、そんな難しいとかいうレベルですらない物はさらに何十年も先の話になると思うけどね。のんびり気長に頑張ってもらいたい。
シラユキの場合は、花に団子を食べさせてもらう、ですね。