その208
「あ、クレアさんだ」
「? はい、確かに」
シアさんと二人、家で働いているメイドさんみんなにもふもふシリーズ最新作の『もふもふクレアさん』を自慢して回っていたところ、思いがけず本人に遭遇してしまった。
クレアさんはいつもは母様の執務室にいるのだけれど、今は特に何かしているという訳でもなく、ただ廊下に佇んでこちらへ顔を向けている。目が合うと軽くお辞儀を一つ、それ以降なんのアクションも見せない。
うう、私ってクレアさんは何となく苦手なのよね……。超が付くくらいの美人さんが無表情でこっちをじーっと見てくるのは、なんでか分からないけど緊張しちゃう。
クレアさんは母様のお付のメイドさんズの一人、怖い人じゃないっていうのは分かっている。ただ私が勝手に、多分一方的に苦手に思っているだけだ。失礼な話だけどね。
なんとかして仲良くなりたい、色々とお話してみたいとは常々思っているのだが、一度根付いてしまった苦手意識は中々吹っ切る事ができない。
よし、丁度いい機会なのでこちらから接近してみよう。もふもふシリーズの最新作にクレアさんが選ばれたのもきっと何かの縁だと思うからね。
少し早足でクレアさんに近付いて、勇気を振り絞って話しかけてみる。
「く、クレアさん」
「はい」
私の呼び声に簡潔な一言のみで答えるクレアさん。表情は全く変わらず、視線は私の目に完全にロックされている。
ひい! なんでそんなにじっと見つめてくるの!? 相手の目を見て話すのは礼儀正しいとは思うけど……。
おっといけない、早く続きを喋らなくては。このままではいつもの二の舞だ。
「え……っとね、こ、これ、シアさんに貰ったの。もふもふクレアさんだよ」
クレアさんはかなりの高身長なので、掲げ上げる様にして見せる。狙った事ではないが、おかげでクレアさんの視線から隠れる事ができた。
「はい。……よく、出来ていると思います」
返ってきたのはまたしても簡潔な感想のみ。暫く待ってみたものの、続く言葉は無い様だった。
ううう、会話が続かない……、何て言えばいいの? もうちょっと何か、こう、他のメイドさんみたいに可愛いですねー、とか、私も欲しいですー、とか、ぬいぐるみまで無表情なんですね……、とか無いの!? この沈黙には耐えられない……!!
このまま待ってもこれ以上の反応は無さそうなのと、上げたままの腕が辛いので、もふもふクレアさんを下げて胸に抱く。
これでクレアさんの視線を遮る物は何も無くなり、またじっと見つめる事を再開されてしまった。目線が痛い……。
「えっと、……ええと、それでね?」
「はい」
私の言葉にはしっかりと返事を返してくれるんだよね……。むむむ? そうか、私が上手く話題を振れればもっと話が続くんだよ、これはいい事に気付いたぞ……。
まあ、問題は……
「うんとね? あのね?」
「はい」
その話題を、
「えっと、その……」
「はい」
全く思いつけない!!
それからも理由の分からない緊張のせいか話題を何も出せず、クレアさんと見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。
「……ふえ」
「姫様!?」「姫様!!」
おおっと、ここで時間切れだ。涙が出て来てしまった……。
「姫様……。クレア、後の事は私に任せてください」
「……ああ。姫様、申し訳ありませんでした」
クスンクスンとぐずり始めた私を、正面に屈んで抱き締めるようにして撫でてくれるシアさん。
クレアさんは謝罪の言葉を残し、どこかへ、恐らく母様に謝りに行ってしまった。
ああもうまったく、情けないな私は! また何も悪くないクレアさんを謝らせちゃったよ……。
私の体は今みたいに、精神が不安定になると暴走してしまうのだ。
暴走と言っても別に魔力が外に溢れ出したりとかそういう類の物じゃない。ただ、泣いたり笑ったり喜んだり、感情が暴走してしまうだけ。
原因は多分、私の体と精神年齢のズレからくる物なんだろうと思う。今後改善される事はあっても悪化する事はまずありえないと思うのと、原因については解明される事はないだろうから割とどうでもいいかなと考えている。お気楽思考かもしれない。
この暴走は悪い事ばかりじゃなく、むしろいい物だと私は思っている。わざとらしく大袈裟に喜んで見せたりするよりも、普通に子供らしくはしゃいだ方がいいに決まっている。
まあ、今回の様にクレアさんに悪い思いをさせなければ、の話だけれどね。
「姫様はそんな風にクレアによく泣かされていたの。まったく、ひどい子でしょう?」
「まあ、その度にここに遊びに来られてな、そう悪い事ばかりでもなかったんだが……。はは」
「やめて!!」
「あー、クレア様怖いですよねー。お嬢様もお小さい頃に何度か……」
「ほほう? そのお話、詳しくお聞かせ願いたいですね」
「やめて!! レンさんも聞かないで!!」
ぐぬぬ……、昔話はやめてください!
クレアさんの実家、ドミニクさんカルディナさん夫妻の家に到着した私たち一行。私とマリーさんを待っていたのは恥ずかしい昔話だった。どうしてこうなった……。
カルディナさんは私を視界に捉えると満面の笑顔で歩み寄り、すぐに私を抱き上げて、そのまま椅子に座る。それをドミニクさんがにこやかに眺めている。ここまでがいつもの流れ。
一階建ての大きくも小さくもない、コテージ風の素敵な家。その軒下部分のあるテーブルと椅子。ここでこの体勢で、季節の野菜や果物をお供にお茶をしながらお話をするのがドミニクさん宅での決まり事のようになっている。
マリーさんとキャンキャンさんとの挨拶は軽く済ませ、私を可愛がる事に集中し始めるカルディナさん。ドミニクさんも同じ様に、私のことは完全に娘か孫扱い。クレアさんに子供が出来るまでこの扱いは変わらないだろうと思う。
しかし、本当にマリーさんは私に似てるというか、親近感を覚えさせまくられるね。これは是が非にでも友達に、あ、もう既にお友達か。ふむ、敬語抜きで話せるお友達になってもらいたいね!
「マリーももう少し小さかったら膝に乗せて可愛がるつもりだったのだけど……。ふう、大きくなってしまったわね。ふふ、それでも姫様を優先するのだけれど、ね?」
私を撫で繰り回しながら言うカルディナさん。声色がとても嬉し楽しそうだ。
大好きな私と、可愛い姪が遊びに来てくれたのがきっと嬉しいんだろうと思う。自分で言って恥ずかしいねこれは……。
「もう、叔母様ったら……。私ももう百歳、成人しているんですのよ? むしろ私がシラユキ様を膝に乗せて差し上げたいですわ!」
ちょっと怒った風に言うマリーさん。子供が大人ぶって喋ってるように、可愛く見えてしまう。
「あら? それもいいわね、見てみたいわ。でもいけないわ、私から姫様を奪ろうと言うの? それはいくら可愛い貴女でも許されない事なの、分かってね」
「たまには私の膝にも乗ってほしいものですな、姫様。しかし、まあ、カルディナが幸せそうなのでこれはこれで、なのですが」
うふふ、ははは、と笑う二人。おしどり夫婦という言葉がよく似合う。
クレアさんから聞いた話だと、万年新婚夫婦の様なラブラブっぷりで見ていて恥ずかしくなるとか。私の前では抑えているのかもしれない。
逆に二人の話だと、クレアさんも恋人とラブラブすぎて、どうして結婚に踏み切らないのか理解できないらしい。似た者親子だね……。
クレアさんは相変わらず隠してるつもりなんだけど……、広場で仲睦まじくお弁当をつついてるところを出不精の私ですら何度も目撃している。本当に隠す気はあるんだろうか……。
「カルディナ様もドミニク様もシラユキ様にメッロメロなんですねー。お嬢様が甘えて頂くにはもっとお胸がないと無理なんじゃないですか? カルディナ様みたいにこう、ポフッと埋もれる感がないと……」
マリーさんの胸をツンツンと突付きながら言うキャンキャンさん。
「くう、どうせ私はぺったんこよ……。キャンキャンだって言うほど無いじゃないの!」
お返しとばかりに胸を鷲掴みにしながら反論するマリーさん。
「う……、私は普通くらいはありますよ! フランさんとメアリーさんが大きすぎるだけです! エネフェア様もカルディナ様も、あ、バレンシアさんも……、あれ? 森の皆さんってやけにおっぱい大きいですよね? お嬢様!? これはもう住まわせて頂くしか! チャンスですよ!!」
そこに気付くとは……、やはり天才……。じゃなくて、そんな事ある訳無いよまったくもう……。
私を筆頭に、小さめから普通な人の割合の方が……、少ない気がしてきた……!! いやいやまさかそんな。駄目だ、落ち着くんだ。久々に素数を数えて落ち着くんだ……。
「そ、そうね、胸が大きくなればシラユキ様に甘えて頂けるのかしら……? え、ええと……、レンさん?」
「確かに姫様の甘えの強さと当事者の胸の大きさは正比例するのではないか、と推測が立てられています。しかし、そうなるとコーラスさんが最も甘えられるという事になってしまいますよね? ですが、あながち的外れな推測ではないと思いますよ? エネフェア様は姫様のお母様でいらっしゃいますから一番に甘えられるのも当然の事として。私たち三人のお側付きの中では」
「ああもう! それはいいから!! シアさんもノリノリで変な解説始めないの!」
ペラペラと、本当にその問いを予め予想して、答えを用意していたんじゃないかと思われるくらい流暢に解説するシアさんを止める。
「ふふ、申し訳ありません」
にっこり笑顔で綺麗なお辞儀で謝るシアさん。
機嫌がいいシアさんは叱れない! 叱りにくい!! あ、コーラスさんには明日会いに行こうそうしよう。
「はー、バレンシアさんは色々と参考になる方ですよねー。私もお嬢様をもっと上手くからかえるようになりたいです」
「ならなくていいから……」
「暫く森に滞在されていかれるのでしょう? その間くらいでしたらご自由にどうぞ」
「いかれるのでしょう? ってレンさんが勝手に決めたんじゃない……。あと私が聞きたかったのは森に住む事と胸の成長の関係で……」
「ありがとうございます! お嬢様、私頑張りますから楽しみにしていてくださいね!」
「何を!? 何を頑張って何を楽しみにしろって言うの!? ただでさえ御し難いメイドなのにこれ以上おかしな方向に進まないで頂戴!!」
「あはは……。マリーさん頑張ってー」
「姫様? 私も日々精進して参っていますので……」
「ひい! 人事じゃなかった!! でもシアさんを止めるのは私には無理……」
ドミニクさんとカルディナさんに笑われてしまった!! まあ、周りのみんなが笑顔なのはいい事だけどね。
「あんなに小さかったマリーがもう百なのね……。それにしても、アリアがよく旅行なんて許したわね」
隣に座るマリーさんを優しく撫でながら、感慨深そうに言うカルディナさん。
マリーさんはくすぐったそうに、でも嬉しそうに、さらに恥ずかしそうにしている。
「お嬢様の我侭は結構受け入れられちゃうんですよ? お嬢様かっわいいですからね!」
「やめなさい! はぁ……。でも、流石に今回ばかりは説得するのに苦労しましたわ」
信頼できるエルフの冒険者を数名護衛に雇うのと、キャンキャンさんの側を離れない、絶対に一人にならないこと。他種族の人との会話はキャンキャンさんに任せるか必要最低限にとどめること。食べる物に関しても必ずキャンキャンさんが安全を確認した物のみにすること。などなど、色々な制限と言うか、約束事を守れるなら、という事でなんとかお許しが貰えたらしい。キャンキャンさんはかなり信頼されてるみたいだね。
成人していると言ってもまだ百になったばかり、親から見るとまだまだ子供に見えるんだろう。送り出すアリアさんもかなり心配だった筈なんじゃないかな。
私の場合は二十歳くらいで護衛はたった二人プラスシアさん、父様母様の心配はどれ程のものだったか……。まあ、シアさん一人いれば大丈夫っていう考えもあったと思うけど。
「後、実は……、ハイエルフの方は拝見させて頂くだけで、お話しに行っちゃいけないっていうお約束もあったんですよ」
「ちょっ、こら、人が敢えて隠してた事をなんで言っちゃうのよ! あ……、お、叔父様叔母様、こ、これはですね……」
キャンキャンさんのいきなりの発言にうろたえ始めるマリーさん。
ほうほう? そこのところちょっと詳しく……。
「あらあら……、そうなの? マリーは約束を破るいけない子だったのね……。これはちょっとお仕置きが必要かしら? ねえあなた」
「ん? まあ、言い訳を聞いてからにしようじゃないか。私にはこの子が進んで約束事を守らず行動に出るとは思えないんだが」
カルディナさんからのお仕置き……? 普段は温和すぎるくらいの人だから何をするのか全く予想できないよ。
弁解のチャンスは貰えたんだから頑張って! シアさんは人がお仕置きされると聞いて嬉しそうにしないの!
「おおおお仕置き!? あ、あの! 私もそんな、最初は遠くから拝見させて頂くだけにするつもりでしたのよ! でもでも、町の方からシラユキ様について色々と聞いて回っていると、ルーディン様とユーフェネ、ユーネ様もご一緒だって言うじゃないですの! もう完全に舞い上がってしまって、隠れる事も忘れてはしたなく冒険者ギルドの中へ駆け込んでしまいましたの……。後はもう、お誘いの流れのまま、お断りするなんて失礼な真似ができる筈もなく……。ごめんなさい、叔父様、叔母様……」
後半は元気なく小さな声で、最後は泣きそうになって謝るマリーさん。
出会っちゃったのはしょうがないとして……、ここまで連れて来ちゃったのは私でした!!
どどどどうしよう!? このままだと私のせいでマリーさんがお仕置きされちゃう!
弁解を黙って最後まで聞き終わったカルディナさんは、マリーさんの頭に手を伸ばし……
「っ!!」
ビクッと体を竦ませるマリーさん、だが、カルディナさんは優しく頭を撫でるだけだった。
「ごめんなさいね、ちょっと意地悪な言い方だったかしら……。私もこの人も怒ってはいないから安心して? ……でもね? それでも約束を破ってしまった事には変わりはないの、帰ったらしっかりと、アリアに許してもらえるまで謝らないといけないわよ? いい?」
「叔母様……。うん……、あ、はい!」
「森に入ってしまったのは不可抗力の様なものだ、羨ましがられる事はあっても叱られるような事にはならんだろうな……。いっそ黙っているのも一つの手ではあるんじゃないか?」
「そうですよねー。でも私が間違いなく口を滑らしちゃうと思いますよ?」
「自信満々に言う事じゃないと思うよ……」
何と言うか、キャンキャンさんはブレない人だなあ……。さすがはメイドさん、ちょっと羨ましく感じちゃうよ。
「さすがにそれは……、でもお母様は怒ると凄く怖いし……、でもキャンキャンが内緒にしていられるなんて思えないし……、ううう」
ドミニクさんの提案をどうにか上手く通せないかと悩み始めるマリーさん、だったが。
「あ、いえ、フェアフィールド家の方には昨晩既にエネフェア様より精霊通信で連絡を入れられているのですが……。一時的とは言え大切なご息女を預かるのですし、当然の事でしょう?」
「は……、あ?」
シアさんのしれっとした物言いに、考えが追いつかないのかポカーンとした表情で呆けてしまうマリーさん。
「あら? アリアはなんて?」
「すみません、そこまでは私にも。エネフェア様は少々疲れていらっしゃった様なので……」
「ああ、エネフェア様からの通信で年甲斐もなくはしゃいでいたのか。まったく、まだまだ若いなアリアは」
「ふふ、エネフェア様は素敵な方なのですからしょうがありませんよ」
私からするとカルディナの方が……、あらやだわあなたったらうふふ……。と、こちらも年甲斐もなくいちゃつき始めた二人は放置して、カルディナさんの膝から降りて未だ再起動が掛からないマリーさんに近付く。すぐ隣だけど。
「マリーさん大丈夫?」
「あ、シラユキ様。お嬢様は今アリア様にどう言い訳をしようか悩んでいるだけですからご安心くださいな」
「あ、そうなんだ?」
「違いま……! せん……。うう、そうですわよね、考えてみたら当たり前の事ですわよね……」
「どうせ黙っているという道はなかったのでしょう? 先の苦しみなど今は忘れてしまえばいいんです。姫様の前でそれ以上暗い表情を続けると、失礼ポイントがどんどんと加算されてしまいますよ? していってますよ?」
「こっちはこっちでお仕置き!?」
「大丈夫ですよお嬢様、それも少しだけ先の苦しみです。今は忘れてしまいましょう!」
「アンタは人事だと思って……!! 分かったわ! 忘れればいいんでしょう! さ、し、シラユキ様、楽しくお話を続けましょう!」
「なんという空元気……。なんか色々とごめんねマリーさん、でも楽しいかも。もっとごめんね!」
「シラユキ様さえ笑顔でいらしたらそれでいいんですの! ふふふ、もう開き直りますわ……」
もっと会話をさせたいんですけど、どうしても長くなっちゃいますね。
中身もほぼ無い会話ばかりですし自重しているのですが、それでもこの長さ。うーむ……




