その127
シアさんが先頭に立ち、入り口のドアの片方を開ける。ドアベルが付いていたのか、チリンチリンと澄んだ綺麗な金属音が聞こえた。
私とフランさんは手を繋いでいるので一緒に、最後にキャロルさんの順でギルドの中へと入る。
心臓がドキドキと言っている。初めての場所はどうしても緊張しちゃうんだよね。
しかし、今のは凄くいい音だったなー。金属製の風鈴のような……。ちょっと談話室の窓に一つ欲しいなこれ。もしどこかで買った物ならどこで売っていたか聞いてみよう。
おっと、ドアベルの事ははもう置いておこう。ついつい興味を引かれたらその事だけ考えちゃうのは私の悪い癖だね。
くるりとギルド内を見回……、す?
!?
「んー……。レンの言ってた通りただのお店だねここ。調薬ギルドって言うくらいだからもっと、何て言うか……」
私と同じ様に中を見回したフランさんが感想を述べる。
感想と言っても言葉にならない感じかな? 私も違う意味で言葉にならないんだけど……
ギルド内はあまりにも普通すぎた。
外観からすると少し狭めな部屋に、商品らしき小瓶や箱が綺麗に並べられている棚がいくつも並んでいる。フランさんも言っていたけどただのお店、雑貨屋さんにしか見えない。
恐らくはこちらはただの売店のような物で、奥の方へ入ると薬品の調合などをする部屋があるんだろうね。今工場直売って言う言葉が頭をよぎったよ……
部屋の右隅にはカウンターが見える、あそこでお金を払うんだろうね。そこだけは他のお店と違ってるかな? カウンターの中にいるのは茶色の髪の女の人、あの耳、エルフの人だ。よかった、まずは一安心。
この世界は防犯システムなんていうものは無いからね。大抵のお店は入り口に清算する所があって、そこで来客の確認や、窃盗の防止の為の監視も兼ねているんだろうと思う。
ま、まあ、そんな事より私は……
「言いたい事は分かりますよ。らしくないでしょう? 今は私たちの他に誰もいないようですが、こちらは一般の方もそれなりに買い物に見えますからね、ただの雑貨屋という認識で問題はありませんよ。傷薬や包帯、薬草類などなど。魔法薬も店員、と、ギルド員でした、失礼。ギルド員に頼めば用意してもらえますね。それなりの値段がする物なのと、体に負担の掛かる薬なので安全のために棚には置いていないようですね。まあ、一般の方が魔法薬を使う事など早々無いのですが……。あるとすれば精々痛み止めくらいですね。それも棚に置かない理由なのかもしれません。ああ、以前にお話した冒険者の必需品もここで取り扱っていますね。後は保存食と、フランのお目当ての……、姫様? 姫様!? どうされました!?」
フランさんと私に説明をしてくれていたシアさんが、私の異変に気付いて駆け寄って来た。
異変って言うほどの大袈裟な事じゃないんだけどね。ちょっとこれは……
「え? あ! どうしたのシラユキ!?」
「シラユキ様!? い、いったい何が……」
フランさんとキャロルさんもシアさんの言葉で気付き、どちらも心配そうに、下を向いて黙っている私の顔を覗き込んでくる。
いけない、これ以上変な心配を掛けるわけには……。別に体に何か異常が起きた訳じゃない。
ここ、ここってさ……
「ううううう、しゅごいにおいだよ……」
手で鼻と口を押さえているので、ちょっとくぐもった鼻声になってしまった。恥ずかしい。
凄い匂いなのよここ! つ、辛い! 強い匂いで頭がくらくら、気分が悪くなってしまう。
薬品の匂いなんかじゃなくて、ええと……、あ、あれだ、化粧品売り場や生活雑貨売り場に近いかもしれない。石鹸やシャンプーの売り場だね。
そこにさらに食品の匂いが混ざった感じか……。ううう、なんで三人とも平然としてられるのよう……
「ああ、そういう事。びっくりさせないでよ、もう……。確かにちょっと匂いがキツイかな。はい、ハンカチ。でも、そんなに辛い? キャロルはどう?」
「私は全然。色々な匂いがするなーくらいにしか感じないんだけど。っと、いけない。シラユキ様、大丈夫ですか? お辛いなら無理をせず、外で待ちませんか?」
ふ、二人とも全然平気なんだ……、凄いな……。とりあえずフランさんから受け取ったハンカチで口と鼻を押さえよう。これだけでも全然違う、随分と楽になった。
むう、これはどうしたものかな。どんな商品が置いてあるかは凄く興味がある、見て回りたい。でも、この匂いの中動き回るのは正直言って辛い……!!
「どうひよう……。ちょっと辛いけど頑張るよ! ……やっぱりくひゃーい!」
一瞬ハンカチを外してみたのだが……、やはり無理だった!!
「あはは……。何この子可愛い……。うーん、無理しちゃ駄目だよ? シラユキ。すぐに、とは言えないけど急いで選んで買ってくるから、外で待ってなさいって」
「それがいいね。シラユキ様、お楽しみにしていたところ残念ですが、やっぱり無理はいけませんよ。あまり慣れない強い匂いにさらされ続けると、鼻の感覚が狂ってしまうかもしれませんからね。フランの事はシア姉様に任せて、シラユキ様は私と……、? シア姉様はどこに?」
「ふぇ? ひあさんいない?」
言われてみれば、いつの間にかシアさんがいない。本当にいつの間に離れたんだろう。
何も言わずに私の側を離れるなんて珍しいね。それだけキャロルさんの事を信頼してるっていう事かな。ふふふ。
「あ、いた。ほら、二人とも、あそこあそこ」
フランさんの指差す方へ目を向けると、シアさんを確認できた。カウンターの人、店員さんと何かお話してるみたいだね。あ、ギルド員さんだったっけ? まあ、いいや、似たようなものだろう。
……うん? まさか、シアさんギルドの人に文句をつけに言ったのか!?
うわ! ありえる! と言うかそれしか思い浮かばない。と、止めに行かなきゃ!
「あ、ちょっと! 勝手に行っちゃ駄目だってば! ああ、もう……。キャロル、私たちも行こう」
「あー、うん。シラユキ様大丈夫かな……。知らない場所でシア姉様とは離れたくないのかな? 可愛いなあ……」
奥へと進むと少し匂いが強くなった気がする。でも、そんな事で歩みを止める訳には行かない!! ギルド員さんが殺されちゃう!!
「あ、姫様。今、換気の許可をもらいましたから、もう少しだけ我慢してくださいね。完全に匂いが消える訳ではありませんが、幾分かは薄くなるかと思いますので」
!?
「ご、ごめんねシアさん!」
「いえいえ、お気になさらずに。姫様は強い香りのする物は苦手でしたか? シナモンはあの香り自体が受け付けられないのでしたよね」
あれ? 何か勘違いしてるなシアさん。私が謝ったのはシアさんが文句を言いに行ったって勘違いしちゃった事であって……。い、いや、このまま勘違いさせておこう! 態々訂正する事も無いね、うんうん。
「ううん? 強い匂いが苦手っていう訳でもないよ。でも、ここはいろんな匂いが混ざり合ってて気持ち悪くなってきちゃって……」
「ええ!? だ、大丈夫なんですかシラユキ様……?」
「換気が終わるまでハンカチを当てていてください。無理をしてはいけませんよ? キャロ、あなたはそのまま姫様とフランの側にいてください。特に姫様からは目を放さないように。ロレーナさん、加減はしますが、商品が落ちてしまったらすみません。その時は弁償しますのでご安心ください」
ロレーナ、さん? あれ? シアさんのお友達なのかなこの人。え? シアさんお友達いたんだ!? ちょっと酷い事を考えてしまった。本気で反省。
「ああ、気にしないでいい。風で落ちるような商品は軽いから……、棚の高さから床に落ちたくらいでどうにかなったりはしない。拾って元の場所に戻してくれればいいよ」
お、おお? 何今の平坦な喋り方。表情もまったく変わって無いし……。もしかして、ちょっと怖い人? って風? 今日はそんなに風は強くないよね? どういう事だろう……
「分かりました。では、落ちてしまったものを見てから決める事にしましょう。フラン、姫様の髪をお願いしますね」
「髪? ああ、なるほどそういう事。うん、了解」
そう言うとシアさんは窓に向かって歩いていく。言われたフランさんは私の髪を、後ろから抱き締めるように押さえてくれる。なんだろう?
店内、じゃない、ギルド内の左右にある大きめの窓を開け放ち、その後入り口のドアも両方開き、開いたままになるように固定する。開いた時にまたドアベルの綺麗な音が鳴った。やはりアレは欲しい。
その後シアさんは、入り口から真っ直ぐ奥の壁際に立ち、軽く左腕を横に払う。風を起こす魔法を発動したみたいだ。フランさんに私の髪を押さえさせたのはそういう事か。
なるほどね。入り口に向かって風を流して、左右の窓から外の空気を取り入れるわけか。いいね、この魔法の使い方。さすがシアさんだカッコいい。あんな事を言っていたが、商品が棚から落ちるような事も無かった。加減もばっちりだね。
しかし、一連の動作の間中ずっと、ロレーナさんが私の事を無表情で見つめてきていたのが少し気になったね。
無表情と言うか、なんだろう? 完全に気が抜けてしまっている表情かな。腑抜けた顔、というのはちょっと言い過ぎか。
「如何ですか? 姫様。多少は薄まったと思うのですが……」
シアさんの言葉にハンカチを外してみる。ついでに風が収まっても私にくっ付いたまま離れようとしないフランさんからも離れておく。動きにくいのよ!
おお、凄い。かなり匂いが薄まったね。まだ少し気になるけど、我慢できないほどじゃない。
「うん! ありがとシアさん! ふふふ、シアさんすごーい!!」
「ふふ、どういたしまして。窓はこのまま開けたままにしておきましょうか。構いませんよね? 入り口はさすがに閉めておきますか」
「うん、構わないよ……。入り口も開けたままででいい。んー……、可愛いなこの子。お菓子、食べる?」
シアさんに答え、カウンターの引き出しから綺麗に包装された紙の袋を取り出し、私に差し出すロレーナさん。さっきと変わらず平坦な、気力の無い喋り方だ。
何の脈絡も無く、いきなりの事だったのでつい受け取ってしまった。
「え? あ、う? ありがとう……?」
この包みは見たことがあるね。確かミランさんがよく買ってくるお店の包装だ。この重さは多分クッキーだね。
っと、そっちじゃないよ! 何故かいきなりお菓子を貰ってしまった。この人はいい人かもしれない。……お菓子に釣られる私、子供か!! 子供だよ!! 知らない人からお菓子を貰って、ホイホイついて行きそうな子供だ……
「こーら、シラユキ。もっとちゃんとお礼を言う!」
「あ、ごめんなさい! ありがとうございます!」
フランさんに怒られてしまった。
ぺこりと頭を下げて、しっかりとお礼を言う。
「バレンシアー、この子、撫でてもいい?」
「私ではなく姫様に許可を得てくださいね。それよりまずは……、そろそろお互い自己紹介をしてみては如何です?」
「んー……、別に必要無いと思うけど……。シラユキ様のことは知ってるし、私はただのギルドの手伝いだし、もう会う事も無いよ、多分」
ああ! 無気力な声でそう言われるとちょっとショックだ!
この人は今まで私の周りにいなかったタイプの人だな……。私に対して興味を持ってくれてはいるみたいだけどね。
クレアさんとはまた違った意味で顔に表情が出ない人なのか。それともただ単純に元気が無い人なのか? シアさんの話す感じからすると悪い人じゃないというのは間違いない。お菓子もくれたしいい人だよね。
うーん……、お友達になってほしいな。でも、確かに今日はたまたま会えただけなんだよね。次にここに来る日は一体いつになるか、っていうレベルの話しだし。
いいや! 細かい事は気にしない、後で考えよう。結局後で考えちゃうのか私は……
「そんな事言わないで、ええと、お友達になってもらえると……。あ、自己紹介しましょう? その、してほしいです。ええと、私は、シラユキ・リーフエンドです。よろしくお願いしますね!」
またぺこりと軽くお辞儀をして、名前だけの簡単な自己紹介。
「うん、知ってる」
ああ、そっけない! くう、負けないもん!!
「あ、あの」
「私はロレーナ、ロレーナ・アコスタ。調薬ギルドの手伝い。あー、正式なギルド員じゃないよ。んー……、よろしく。それじゃ、友達になった事だし、撫でてもいい?」
「ふぇ? あ、うん! じゃない、はい! どうぞ」
「何で敬語? まあ、いいか。お、さらさらだ、私とは大違い。さすがお姫様」
どうやらそっけなく思えただけで、そういう話し方の人なんだね、きっと。
ロレーナさんは優しい手つきで私の頭を撫でてくれている。
確かにロレーナさんの髪って、少しボサボサと言うか、全く手入れをしていない感じだね。前髪も目に掛かっちゃってるし。長さは背中くらいまでで、首の辺りで纏めて縛ってるだけかな?
折角長い髪なんだからもう少しお手入れした方がいいと思うんだけどなー。メイドさんに全部任せちゃってる私が言っていいことではないから言わないけど、勿体無いよね。
多分こういう人ほど、身だしなみを整えたら凄い美人に変身するんだよ。……胸も大きめだし……。
「わ、私も数えるほどしか撫でた事無いのに、初対面で……。ぐぬぬぬ……」
「ふふふ。キャロルさんも許可なんて取らなくていいからね。いつでも撫でていいんだよ?」
「キャロルは身長差もそこまでないからね、難しいんじゃない? 膝の上に座らせてあげるのだってちょっと危なっかしそうだもんねえ」
「見習いにそんな権利は与えられません。まあ、撫でるくらいはたまにして差し上げるといいですよ。姫様は撫でられるのがお好きですからね」
「ああ、このちっこいメイドさんって前に来たことあるね。いつだっけ……? まあ、いいや。元気してた?」
「ちっこい言うな! 撫でるな!! シア姉様の友人じゃなかったらこの腕へし折ってやるのに……」
「また怖い事言ってる! ろ、ロレーナさん、キャロルさんはこう見えても大人の人だから……」
「うん、知ってる」
「知っててやってるんだ!? す、凄い人だ……」
思わぬ所でお友達が増えた、嬉しいね! でもここはちょっとくさーい!!
調薬ギルドの内部情報はあまり書かないかもしれません。
それにしても今回登場の新キャラのロレーナ、動かし辛いです。動いてくれない……
無気力系のキャラは難しいですね。