その121
「失礼します!! ああ、良かった! 姫様こちらにいらっしゃったんですね。クレア、姫様に説明して差し上げて。私はユーネ様をお呼びして来るから」
「なっ!? 私に説明させる気か!? はあ……、分かった、急いでくれ。あの方の指に跡でも残ろうものなら私たちの命を使っても償い切れん」
「大袈裟な……。でも、それくらい大事よね。姫様、慌しくしてしまって申し訳ありません。では、失礼します」
ほんの数秒の出来事だった。
シアさんをお相手にいつものように本を読んでいたら、突然カイナさんとクレアさんが談話室へ駆け込んで来た。カイナさんの口振りからすると私を探していたのかな?
二人とも少し慌てているみたいで、部屋の中にいる私たちの反応を見る余裕も無い様だ。珍しい事もあるもんだね。
カイナさんはクレアさんに私に説明するよう言い、すぐにまたパタパタと小走りに部屋から出て行ってしまった。
何の説明だろう? 指に跡? 傷跡? 誰か怪我でもしたのかな?
ん? カイナさんは姉様を呼びに行ったんだっけ? ……え?
姉様が怪我!!!?
「クレアさん案内して!! うわぅ!!! な、何!? あ、シアさん?」
椅子から飛び降り駆け出そうとしたところ、シアさんにひょいっと後から持ち上げられてしまった。
駆け出そうとした助走の勢いが急に止められて変な声が出ちゃったよ!
「シアさん! 何で止めるの!! ユー姉様が怪我しちゃったんだよ!? そうなんだよね? クレアさん」
シアさんに軽く持ち上げられブラブラとした状態だが、細かい事は気にしていられない。まずは確認だ!
「え? あ、はい! ? 私はまだ何も説明していないのですが……。まさか、先ほどの私とカイナとのあのやりとりだけでお気づきになられたのですか? さ、さすがは姫様、なんという聡明な方だ……」
また変な所で褒められた!! クレアさんは私を褒めすぎだよ! もう! でも嬉しいです……、じゃない!!
「シアさん放して! 降ろして!! ユー姉様の所に行かせてー!!」
何で止めるの? 姉様が怪我したんだよ? 早く、早く行かないと!!
「落ち着いてください姫様。カイナが今呼びに向かっているところですよ? それに、二人の反応からするとそこまで程度の酷い傷でもないのでしょう。そうでしょう? クレア。貴女ももう少し落ち着いて、まずは姫様にきちんと説明をしなさい」
慌てる私を優しく諭し、説明不足だったクレアさんを窘めるシアさん。
まあ、まだなんの説明も受けて無いんだけどね……
落ち着いた私は何故かシアさんの膝の上に降ろされ、クレアさんの説明を待つ。
「くう、羨ましい……。は、また失礼を致しました、申し訳ありません。では説明を。今日はエネフェア様が執務をお休みになられて、ウルギス様とお二人で出掛けられているというのはお聞きですね? そこで私たちの手が空いたのですが、ああ、護衛の私ですが今回は特に必要ないとのことです。ウルギス様お一人居さえすれば例え千だろうが万だろうが、と、話が逸れました。手の空いてしまった私とカイナに、ユーフェネリア様が料理を教えてほしいとお頼みに参られまして。それで、その……、少し深めに指先を傷付けてしまわれまして……。申し訳ありません!! 謝ったところで償いきれるものではありませんが、本当に申し訳ありません……」
説明を終え、悲痛な表情で頭を下げるクレアさん。
そういえば今日は父様と母様デートしてるんだっけ、いつまでも若い二人だねまったく。今頃どこか人目の付かないところでラブラブな空気を醸し出していることだろう。
姉様の怪我はちょっと深めなのかな? 心配だね。しかし、姉様はちょっとお願いしたら簡単に料理を教えてもらえるのか……。うーん、羨ましいな。私も早くフランさんに教えてもらいたいのになー。怪我は抜け駆けした天罰とでも思ってもらおうか。ふふふ。
「あ、気にしないでクレアさん、頭上げてほしいな。指を切っちゃった姉様が悪いんだし、ね? そんなの本人の不注意のせいに決まってるよ、もう! ユー姉様だって怒って無いんだよね? 大丈夫、もし跡が残っちゃっても私が消しちゃえば……、あ、私が今治しちゃえばいいんだった。そのつもりで私の所に来たんだよねきっと」
「は、はい。姫様の癒しの魔法にお縋りしようかと……。お願いしてもよろしいですか?」
「うん、勿論だよ。でも、うーん……、シアさん?」
勿論そんな事は許可を得るまでもない、お願いされるまでもない当たり前の事だ。
でも、でもね……
「姫様、制御できる自信はおありですか? また全力で発動し意識を失う事にでもなってしまわれでもしたら……、クレアは自殺ものですよ? あれ以来一度も使われていらっしゃらないですよね? ユーフェネリア様のお怪我は確かに心配なのですが……、できましたらおやめになって頂きたいです」
やっぱりそうだよね……
実はあれから一度も癒しの魔法は試していない。試す機会が無かったとも言うが、例え誰かが怪我をしても私に黙ってる事の方が多いからね……
フランさんのたまに付けてしまう包丁傷や、他のメイドさんたちの日常の家事仕事でできた手荒れを治そうにも、本人達がこれくらいどうでもいいって断っちゃうんだよね。多分私が三日も寝込んだ事がみんなが遠慮しちゃう原因なんだろうと思うけど。
そんな訳で、制御できる自信は全く無い。
部分的に小さく癒す感じでイメージすると上手くできると思うんだけどなー……
「やはりいきなりは難しいですか……。ユーフェネリア様には私の使っている包丁をお使い頂いていたので、少し深く切ってしまわれているのです。見ていてとても痛々しく……。魔法薬は体に負担を掛けてしまいますし、我慢して頂く外ありませんか……」
「それを先に言いなさい。そうなるとさすがに心配ですね……。指を落とすような事が無く良かったと言いますか」
え? クレアさんの包丁?
シアさんの反応が変わったところを見ると、何か特別な包丁なのかな?
「クレアさんの包丁ってどんなのなの? 指を落とすとか、ちょっと私も心配になってきちゃったんだけど……」
「あ、はい。私専用に特別にあしらえてもらった業物で、錬金ギルドの技術の結晶とでも言いましょうか。折れず、曲がらず、凍りついた食材を切ろうとも欠けもせず。力加減を間違うとまな板どころか調理台ごと真っ二つにしてしまうという、実に素晴らしい、最高の一品です」
ああ、いつものクレアさんだ。刃物の説明をするときは本当に楽しそうに話すねこの人は……。うん? 調理台ごと真っ二つ?
「なんでそんな凄い包丁を貸しちゃうの!? それもう包丁じゃなくて武器だよ!! ああ! だからクレアさんが責任を感じてるんだね……。ホントに少し深めに切っちゃっただけでよかったよ」
でもどんな包丁か一度見てみたいね。投げるとカンストするくらいのダメージが出るんじゃないだろうか?
少し経って、カイナさんが姉様を連れて部屋へと戻って来た。姉様の人差し指には包帯が巻かれている。
無事な方の手で傷ついた指を庇う様に押さえ、表情も少し痛々しそうだ……
ああ、これは駄目だ。実際怪我をしている姉様を見てしまったら、癒しの魔法を使うのをやめるなんて考えはどこかへ吹き飛んでしまった。
よし治そう。すぐに治そう。今すぐ治そう。
「あ、シア、シラユキを抑えててね。この子絶対止めても治しに来ちゃうから」
「はい、既に。お優しい姫様のことです。私が何を言ったところで使用を控えて頂けるとは思いませんでしたので……。座ったままの姿勢で話す失礼、お許しください」
なぬ? ……あ。
いつの間にかしっかりとシアさんに捕まってしまっていた。
まさかこれを見据えて自分の膝の上に私を乗せたのか!? 私はそんなに分かり易い性格なのか……!!
「え? どういう事です? 姫様に治して頂く為に探されていたのでは? あれ?」
姉様の言葉にカイナさんが困惑している。
カイナさんとクレアさんじゃなくて、姉様が私を探していたんだね。でも、癒しの魔法目当てじゃないとなると、なんで態々私を探してたんだろう?
「ねえシラユキ、癒しの魔法なんて使わなくてもいいのよ? これくらいの傷どうってことないわ。ふふ、私はお姉ちゃんなのよ。でもね、シラユキ、お姉ちゃんでも痛いものは痛いのよ……。それでね? シラユキに癒して貰いに来たの」
「う? だから傷を癒して治すんだよね? あれ?」
魔法を使わずにどうやって癒せと……? それより本当に痛そうで見てられないんだけど、シアさんをどうにか振り切って無理矢理にでも治しに行かなければ!!
!? 私を抑える力が強まった!? はっ! 心を読み取られたのか!! くそう! シアさんめー!!
どうにか私を拘束しようとするシアさんの両手を外そうともがいてみたのだが、ビクともしない。シアさんの顔を見ると、今何かしましたか? と涼しげだ。なにそれこわい。
「ば、バレンシア、放して差し上げたらどうだ。姫様、落ち着いてください。姫様のお力ではバレンシアの腕を外す事はできません。まずはユーフェネリア様のお言葉を頂きましょう」
駄目だ! クレアさんの言うとおり外せる気がしない! 軽く手を私のお腹に当ててるだけに見えるのに……!!
「お言葉って、そんな難しいことでもないのよ? ただシラユキの可愛らしさに癒されに来ただけよ。もういいでしょう、シア、代わって」
そう言うと姉様は椅子に座り、私をシアさんから受け取り膝の上に乗せる。なんという物扱い。
目の前に姉様の怪我をした指が見える。包帯に血は滲んではいないみたいだけど、やっぱり痛そうだ。
あれ? 今がチャンスじゃね? 今なら誰にも邪魔されずに……、はっ! シアさんがにこにことしている。あの笑顔はまずい! 今魔法を使おうものなら後でお仕置きですよ、とでも言いたげな笑顔だ!
「ううう、ユー姉様大丈夫? 痛そうだよ……。やっぱり魔法で治しちゃおうよ。ユー姉様が怪我してるのなんて自分が怪我するよりずっと辛いよ……」
「くうううう、優しい子ねシラユキは。うーん、可愛い! 可愛すぎる!! ふふふ、さっきも言ったでしょ? シラユキの可愛さにもう充分癒されちゃってるのよ? 痛みなんてもうどこかへ行っちゃったんだから。それに、お母様の言葉、忘れた訳じゃないでしょう? これくらいの傷で魔法に頼っちゃ駄目よ」
それはそうなんだけど、実際怪我してる家族を見ると……。ううううう……
「包帯なんてあるから痛そうに見えるだけよ? もう……。こんなの外しちゃおうかしら……」
「え? ユー姉様?」
「ユーネ様!? 駄目です!!」
カイナさんの静止は間に合わず、姉様は包帯を外してしまった。
どうやらガーゼも一緒に外れてしまったみたいで傷口がはっきりと……
「あ、あら? わ! ちょっ! シラユキ降りて! 血が付いちゃう!!」
は? え? 血? あ、姉様の指から血が……? え? 何あの傷口痛そ、ちょ、血が垂れ、え、あ、う?
……えい。
「ししししシラユキ!? 何してるの!? ちょっと、は、放しなさい。何この子可愛すぎる……。うう、しみるわ、でも幸せ……」
口の中に血の味が広がる。うーむ、この後一体どうしたらいいんだろう?
咄嗟に姉様の指を口に咥えてみたのだけど、この先どうしたらいいかさっぱり分からない。姉様の指も血も別に汚いなんて全く思わないし、シアさんたちが何か手段を講じるまではこのままでもいいか。
「ユーフェネリア様、なんて羨ましい……!! 姫様、私にも後でお願いします! 指なら切りますから!!」
何言ってるのシアさん!? 自分を傷つけるなんて事したら絶対許さないって言ったよね?
「きゃあ! シラユキ、くすぐったいわよ! うう、ちょっと痛いけどやっぱり幸せ……」
「う……。取り乱しました、申し訳ありません……」
「バレンシアはどうして今ので分かるんだ? 私にはモゴモゴとしか……。カイナ、新しいガーゼと包帯を」
「あ、そうね。私もちょっと羨ましくて見つめちゃってたわ……。姫様、ユーネ様、しばらくそのままでお待ちくださいね。あ、姫様、血を飲んではいけませんよ? お辛いでしょうがそのまま口に含んだままでお願いしますね。では、失礼します」
カイナさんはまた小走りに部屋から出て行ってしまった。
今日は忙しそうだね。折角のお休みの日なのに逆に忙しくさせちゃって悪い気がするよ。
しかし、血は飲んじゃ駄目だったのか。もう既に少し飲んじゃってるんだけど……、大丈夫なのかなこれ。
姉様は幸せそう、怪我してるのに……。シアさんとクレアさんはとても羨ましそうにしている。後でしてあげるか……? いや、駄目だよ! 怪我してるわけでも無いのに指先を口に入れるとか……、いやらしい!! いやらしいよそれは!! でもちょっと二人の反応は見てみたいな……
うーん……、うん? 口の中に血が溜まって……、あれ? 出血酷いんじゃないかこれ!? ちょっ! カイナさん早く、早くー!! 血は飲んじゃってもいいけど姉様が貧血起こしちゃうよ!! どどどどうしよう。これってもしかして、思ったより傷が深いんじゃないのか!? 姉様平気な顔してるけど、これ本当は凄く痛いと思うよ? うううう、姉様が痛い思いをしているのは嫌だな……、絶対に嫌だなそれは……!!
「姫様!!」
「わ! どうしたのシア? 大声出して……、あら? 痛みが消えた? まさか、シラユキ!?」
「ぷはっ。うう、全部飲んじゃった……。どう? ユー姉様?」
「どうって? ……うわ、あれだけの切り傷が影も形も無いんだけど……。シーラーユーキー? 使っちゃ駄目だって言ったでしょ! もう!!」
「ごめんなさーい。ふふふ、上手くいったみたいだね。口の中だけに限定してイメージしてみたの。これなら指先の傷だけ治せるよ!!」
「怒られてるのに嬉しそうにしないの! まったくこの子は……。ふふ、ありがとねシラユキ。でも、もう少し自分の体の事も考えるのよ? 魔力疲れは起こしてない? 優しくて良い子過ぎるのも考えものね……」
「うん、大丈夫だよ。ふふふ、治ってよかった! 嬉しいなー」
「お待たせしまし……、あら? クレア、まさか姫様が……?」
「ああ、そのまさかだ。すまん、止める間も無かった……」
「バレンシア、姫様を責めないであげてくださいね。ああ、姫様、嬉しそう……」
「分かっていますよ。しかし、一瞬であれ程の傷を治療してしまうのですか、凄まじい効果ですね……。魔力もそれなり以上に消費しているのでは……? 姫様」
「うん? なあに? シアさん」
「明日から、いえ、今日からまた暫く薬草茶をお飲みくださいね」
「なんで!? あの苦いのはイヤー!!」
「後、ウルギス様エネフェア様にもご報告を入れさせて頂きますよ。楽しみにお二人のお帰りをお待ちくださいね」
「あうあうあう。うう、自業自得だししょうがないかー……。でも、ユー姉様の怪我が治ったし、いいや!!」
怪我は舐めて治す!
私が書くと何故かいやらしい表現に見えてしまう気がします……