【講師】と【生徒】
塾は、俺にとってのオアシスだ。何も感動もない現実の中で、唯一夢をみることができる場所。普通、塾なんて、『行きたくはないが学力向上のために頑張る』という理由だろう。俺も、中3の夏まではそうだった。勉強だって、塾でできるようになっているのか分からない。
「ミィさん、ちょっち来て」
俺の通う『AEI』では、学力に応じて、団体授業、個人授業に分かれる。頭が悪いと団体、良ければ個人。なんともまぁ差別の激しい塾だ。そして、うちの塾長は言った。『うちは塾だから。学校とは違う』……うん、その通りなんだけど。ようするに、『辞めたければ辞めればいい』ってことだ、と思う。
「はいはい」
俺が呼んでしばらくが経って、ミィさんは来る。因みに、俺は個人授業だ。中3の頃は団体だったんだけど、高1になって個人授業になった。そして、出会った。
下河辺 実李南(しもこうべ みいな)、通称『ミィさん』。これは俺がつけた仇名だ。今は大学2年生。俺は高校1年生。4歳、か……。
つーか、もう分かったっしょ? 俺は、ミィさんに恋してます。教師と【生徒】だと不味いかもしれないけど、【講師】と【生徒】なら、多分ダメだけど大丈夫だと思う。
「で、どこ分かんないの?」
体を俺に向けて、話を聞く姿勢のミィさん。自然と、俺は照れて体をミィさんから見て横に見えるようにする。やっべぇ。弁当食ってから、ガムでも噛んでくるんだったぁぁ!
「えっと……これ」
まだ4月も始まったばかりの今日この頃。学校の方もまだ『初期指導週間』と題して授業は始まっていない。よって、塾での勉強は中3の復習になる。
「√2+√18、ね。……? あれ、これ、前に解いたよね? ってか、これくらいできないでどうするの?」
だって、ミィさんと喋りたかっただけだから、なんて、言ったら殺される。少なくとも、本気にはされない。
「……」
何も言い訳できずにいると、優しい優しいミィさんからヒントが出る。
「まずは、√18の18を因数分解してみよう!」
知ってますよ。
「分かった! ちょっち待ってて」
そういうことで、俺の横にいてもらう。
「うん」
ミィさんは、ボードと呼ばれる生徒の授業態度等を書く紙にまとめている。これはもちろんだけど、ミィさんの担当は俺1人じゃない。俺を含めて3人はいる。この他の2人に負けないくらいミィさんと話すのが俺の目的でもある。
「18……9……3……! 答え! 4√2!」
「オーケー! 花丸です」
そう言って、ただの○を付けるミィさん。もちろん、ここで触れることは、少しでも親近感を出す秘儀だ。
「って、ただの丸じゃん!」
「へへっ」
白い歯を見せて笑うミィさん。……やっべぇ、鼻血でそう……。
俺は、何を考えているんだ? 健全なる高校生だから、まぁ、そこは仕方がないとしても。好きな人の歯を見ただけで興奮するって、変態じゃね?
「ミィさん、わかんな~い」
……イラッ!
今ミィさんを呼んだのは、俺のライバル? つーか、ただの女垂らしの野郎、菅谷 満(すがや みつる)、高校2年。所在的には俺の先輩に当たる……のだが、俺は、コイツが大っ嫌いだ。なんか、ミィさんの時だけ目がエロいし……! ミィさんも満更じゃないっていうか……。
「どれどれぇ?」
……なんだよ、今のねこなで声は? 俺の時は、仕方なしって感じなのによ。
「……っ」
「なぁんだよ、そんな見るからに不機嫌そうな顔してよぉ?」
俺の前の席から身を乗り出してきたのは、中森 純(なかもり じゅん)、俺と同じ高校1年。因みに、俺と純と菅谷の馬鹿は同じ高校の生徒。
「……んでもねー」
そう言ってシャーペンをクルクル回す。
「んでもなくねぇだろ? 俺とお前の仲じゃねぇか」
正直、今の俺には純はウゼー。
「見ろよ、あれ」
俺は顔だけで俺にとって2つ斜め前、純にとって1つ斜め前を指した。
「あ、いいのかよ、あれぇ」
純は、俺がミィさんを好きなことを知ってる。前に教えた。もちろん、純の好きな人も調査済み。
「良かねーよ。あいつ、女垂らしだろ? 別に誰が好きになっても構わねーけど、垂らしだけは嫌だ」
「垂らしは、初心なお前よりも、女の人を知ってるしな」
「余計なお世話だ」
そう、俺にとって、人を好きになるってことは、随分珍しいことだ。そもそも、好きって感情が良くわからないんだ。
「どうすんだよ? まっ、俺はどっちでもいいけどなぁ」
他人事だと思いやがって……!
「どうするもなにも、」
「そこ、少し五月蠅いよ」
急な声に、俺は自分でも驚くくらいに体を震わせた。声の主は、ミィさん。俺と純と菅谷の馬鹿を担当してるから、注意もミィさんからってこと。
「はぁい」
「……」
「そっちは?」
何も返答をしない俺に、ミィさんが言う。その間も、菅谷の馬鹿はシャーペンを動かしている。
「……ん」
間違いなく嫉妬だ。焼きもちやきの男はすかれない。しかも、それに加えて俺は素直じゃない。どう考えても、菅谷の馬鹿に負ける。
「よろしい」
笑うミィさん。それを面白くなさそうに菅谷の馬鹿が睨んだ。どうだ、俺にミィさんは言ったんだぞ?
塾の1つのコマの時間は90分。実に、1時間30分……! 自分で言うのもなんだけど、集中力に関しちゃ、長い方だと思う。
「は~い。みんな、宿題出すよ」
ミィさんが、俺たちに声をかける。すると、俺たちは机の中から宿題ノートを取り出して、ミィさんを待つ。3人の内、何番目に宿題を出されるか。それが重要。1番目なら、残りの時間、5分に全員の宿題を終わらせようって焦るから、時間はあまりない。2番目も一緒。でも、3番目は、時間を気にせずに宿題を出せるから、時間をかけられる。イコール、たくさん話せるってこと。
「純くん、出すよ」
「ほぉい」
純は、何も喋ることもなく、俺の方を見てニヤニヤしていた。
「はい、次は……っと」
来た……! 運命の宿題、2番目だ……!
「菅谷くん」
……。
「シャッ!」
「? 何?」
「いや、何でもないよ」
俺は、苦笑いをして言った。
「ちっ……」
菅谷の馬鹿は、俺を睨んだ。ふん、ミィさんが選んだんだからな?
「ミィさんって、どこの大学いってんの?」
菅谷の馬鹿は、少ない時間で話をしようと必死だ。
そんで、最後は。
「はい、最後は」
「俺!」
俺も、満面の笑みで答える。
恋愛ってのは、受験なんかよりも難しい、『入試』なのかもね。