常識違いです。
転載、翻訳禁止です。
侯爵令嬢であるノルティー・メナディールが前世の記憶を思い出したのは、八歳の時だった。
普段と変わらずの生活を過ごしていた。
それは突然の事だった。
そしてこう思った。
(いや、思い出さない方がよかったんですけど!?)
なぜなら、この世界はノルティーが前世の日本にいた場所とは、あまりにも常識が違っていたからだ。
例えば――。
左手で物を渡したり握手すること。
これは前世だと、利き手が左手の人はするだろう。
そうでなくてもすることはある。
だがこの世界では、無礼に当たる。
他にもある。
婚約者や配偶者がいる相手に、ダンス以外でみだりに触れることも無礼とされる。
王族の色である、深紅を身に着けるのは不敬罪となる。
他国の薬は、この国では禁止されている成分が多く、所持しているだけで処刑される。
相手が話している最中に割り込むことは無礼となる。
と数えきれない程ある。
そして無礼が重罪になることもある。
ノルティーは幼いころから家庭教師から学んでいる。
だから不思議には思わなかった。
前世の余計な記憶があると、その行動をしかねない。
だから、前世の記憶はない方がよかった。
ノルティーは瑠璃色の髪と目をしている美しい少女だ。
十歳になったノルティーはタリーク公爵家の嫡男、シセール・タリークと婚約した。
シセールは紫紺色の髪と目をしていて、優しく誠実な少年だ。
二人の仲は良好で、周囲からも仲睦まじいと言われるほどだ。
十五歳になったノルティーは王立学園に入学した。
この学園には問題児と言われる令嬢がいた。
入学から半年が過ぎた頃だった。
庭園での茶会でノルティーは友人達と会話を楽しんでいた。
「ノルティー様、王都で新しいお菓子のお店ができまして、それがとても美味でした」
「まぁ、私も食べてみようかしら」
そんな穏やかな会話をしていると、大きな声が割り込んできた。
「わぁ~、皆さんでお茶会ですかぁ。私も混ぜてほしいです!」
そう言って近づいてきたのは、薄茶でふわふわの巻き髪をしているバティカ・アジェマ子爵令嬢。
彼女は庶子だったが、実母を亡くし子爵家の養女となった。
彼女の行動は、入学早々から問題視されていた。
バティカは勝手に椅子に座り、テーブルの上にあるお菓子を許可もなく食べた。
場の空気が凍りついた。
ノルティーは、なるべく穏やかに言った。
「アジェマ様。許可なく座ったり、お菓子を食べたりするのは、マナー違反になります」
「え~、そんな堅苦しいですよぉ。少しくらい、いいじゃないですかぁ。平民の時もよく言われてましたけど、みんな気にしすぎなんですってぇ」
ノルティーは、普段の彼女の行動から察した。
平民でも当たり前に守られていることを守れていない。
だから、前の人格を失った自己中な転生者ではないのかと。
「いえ、ルールがある以上は守って頂かないと困ります。常識を覚えてください。これは貴方のためでもあります。あなたの行動は相手に無礼をはたらいているものばかりです。今の内に直さないと、貴方自身が困りますよ」
「私、常識にとらわれない主義なんですよねぇ。そういうのは気にしませんし、困りませんよぉ」
「貴方がされていることは罪になります」
「大げさですってぇ。前世でも実際、逮捕なんてされなかったしぃ」
「えっ?」
「あっ! なんでもないです~」
(やっぱり、転生者ね……)
それからバティカは、次々に菓子を食べていった。
そんな様子を見ていた令嬢達は全員、顔が引きつっていた。
時は遡り、バティカが学園に入学する前のことである。
バティカの母親は、アジェマ子爵の愛人だった。
正妻がいながら、子爵は街外れの家で愛人とその娘を大切にしていた。
そんな夫を夫人は快く思っていなかった。
そんなこともあり夫婦の仲は冷え切っていた。
バティカが十三歳の頃。
実母が病で亡くなった。
行き場を失ったバティカは、子爵家で引き取ることを決めた。
「あなた! 正気ですか?! あんな娘をこの家にいれるなんて!」
「あの子は母親を亡くしたんだぞ。父親である私が面倒を見るのは当たり前だ。あの子を不幸になどできない」
「孤児院にでも入れればよろしいでしょう! 支援をするだけで十分だわ!」
「そんな可哀相なことはできない。それに他に子がいなかったのだから、どの道あの子を迎え入れるしかなかったのだ」
アジェマ夫人は猛反対したが、子爵の決意は固かった。
バティカはアジェマ家の養女として迎えられた。
バティカがアジェマ家に入った後もアジェマ夫人は冷ややかな態度だった。
それでも夫の指示でバティカの貴族教育が各教師によって施された。
だがバティカは、まったくその教育を身につけようとしなかった。
「左手で受け渡しをしてはいけないですかぁ? そんなの気にする必要ないですよぉ」
「え~、王族の色を纏うのが禁止ですかぁ? 別にちょっとくらいよくないですかぁ」
「話に割り込んじゃいけない? でも大事な事なら早く伝えたいじゃないですかぁ」
教師達は頭を抱えてた。
それからも教育は続いたが、バティカは一つも覚えようとしなかった。
やがてアジェマ夫人にはバティカの教育に対しての教師達の訴えも続き、夫人の怒りは爆発した。
「どれだけ教えようにもマナーの一つも覚えられないなんて、ありえないでしょう! これでは社交界に出せるわけないわ!」
「そんなことないですよぉ。これでも大丈夫ですってぇ」
「語尾を伸ばさない!」
バティカは度々、子爵に現状はどうだと聞かれるが、ばっちりですと嘘をつく。
それを聞いた子爵は夫人に「もう大丈夫なのではないか?」と聞く。
「どこが大丈夫なのですか! まったくなっていません! 平民が守っている事さえ出来ていないのですよ! こんな者を外に出せるわけないでしょう! むしろこれで平民の時になにも起こらなったなんて不思議なくらいです!」
「そんな大げさだろう」
「あなたは、たまたまその場面を見ていないから言えるんです!」
今、ここでそのマナーとやらを見てもらえばとバティカにやらせようとしたが、バティカは逃げた。
「待ちなさい!」
夫人は大激怒だ。
それから子爵はバティカに確認したが、本人が大丈夫と言っていたので王立学園の手続きを進めてしまった。
バティカが最低限の事もできていなかったのだが、子爵はそんなことは知る由もない。
「もう私は知りません! 何が起きようとも私は関係ありませんからね!」
アジェマ夫人はそう言い放ち、バティカへの教育を放棄した。
この時、夫人は子爵にもほとほと愛想をつかし離縁しようと決めていた。
こうしてバティカは、そのまま学園に入学した。
バティカの学園での問題行動は続いていた。
婚約者のいる男子生徒に腕を組んで歩こうとした。
男性は眉間に皺をよせて、すぐにバティカを自分から引きはがした。
それを見ていた令嬢はバティカに注意をした。
「ちょっとくらい、いいじゃないですかぁ。あっ、もしかして嫉妬ですかぁ」
と相手を馬鹿にするような場面もあった。
別の日には、髪に深紅のリボンを付けていた。
それを驚愕の目で見た教師が、すぐさま取り上げた。
「ちょっ?! 珍しい生地だったから手作りした物なのに~。ひどいです!」
「この色を身につけることは王族への不敬にあたります。今後は絶対にしてはいけません!」
更には、伯爵令息が話している最中。
「私も話に入れてください~」
と割り込み、周囲に冷たい目で見られていた。
その度、令嬢達は何度も注意をした。
だがバティカは、その注意をイジメと受け取った。
「それって、イジメですよね!」
「違います! あなたのためを思って言っているのです!」
「いやいや、そうやって正論っぽく言って、イジメてるんですってぇ。ひっど~い」
ひどいのはお前の頭だと周囲は思った。
それから何度もバティカはイジメだと言い、しまいには令息達に助けを求めていた。
「聞いて下さい~。私、女性にイジメられるんです~」
涙目で令息達に訴えるバティカ。
だが――。
「……アジェマ嬢。彼女達は君のためを思って言ってくれているんだよ。聞いていると全部正論じゃないか」
「どこがですか! あんなのはイジメですよ! 寄ってたかって皆、同じこと言うなんて!」
「注意とイジメは違うだろう。君、毎回マナー守らなすぎじゃないか」
「ちょっと、崩しているだけじゃないですか!」
「……いや、ちょっとどころじゃないんだよ。本当にマナーは覚えた方がいいよ、君……」
「もうっ! いいです!!」
と言われては逆切れをして帰っていく。
そんなやり取りが何度も続いた。
しまいには、ノルティーの婚約者であるシセールにも言ってきたそうだ。
「あの令嬢、俺にもメナディール様にイジメられてるって訴えてきたよ」
「……それで、あなたは?」
「君は常識を学んでくれと言っておいた。それにノルティーがイジメをするなんてするわけないからね。なんで彼女は、ああもイジメととらえてしまうのが不思議だよ。このままいくと彼女そのうち、捕まるだろうね」
「ええ、アジェマ様はまったく常識を学ぼうとしませんからね……なぜ子爵家はあの状態の彼女を学園に入れようと思ったのか理解に苦しみます」
「ああ、そういえばアジェマ子爵は夫人に離縁を切り出されて、離縁したそうだよ」
「まぁ……。もしかすると彼女が原因かも知れませんね」
「ありえるね」
時が経つにつれ、バティカを注意する令嬢は少しずつ減っていった。
彼女達は諦めてしまったのだ。
注意する度にイジメだとして周囲に吹聴し、まったく人の話を聞こうとしないのだから。
「もう、注意するのはやめましょう」
「そうですわね。あれだけ言っても本人に変える意思がないんですものね」
事件が起きたのは、王家主催の夜会だった。
一年に一度、学園の生徒達が将来の社交界を担う者として招かれるものだった。
令嬢や令息達は優雅に語らい合っている。
ノルティーとシセールは王太子に挨拶をしていた。
「殿下、お久しぶりでございます」
「ああ。君達は相変わらず、仲がいいね。今日の衣装はお揃いなんだね」
王太子フェルビエン・フォッシャジールは爽やかな笑みを浮かべながら、二人と会話を楽しんでいた。
その頃、バティカは一人でそわそわしていた。
(王子様に近づけるチャンスだわ!)
バティカは前世の記憶がある。
十二歳の頃、高熱を出し前世の記憶が鮮明に頭の中に映し出された。
だがそのかわり、いままでバティカとして過ごした記憶が全部消えてしまっていた。
それからは、前世と同じような振る舞いをするようになった。
実母や周囲に色々注意されたが、直そうと思わなかった。
自分らしくありたかったから。
今、会場にいるバティカの頭の中では、乙女ゲームの記憶がちらついていた。
身分違いの恋、ヒロインと王子様の物語といったものだ。
残念ながら、この世界はそういう物語の舞台ではなかった。
バティカは、この会場にあろうことか、この国の禁止物を所持していた。
それはアジェマ子爵が密かに入手していた他国製の薬だった。
この国では輸入禁止されているものだった。
子爵は裏の取引先の商人から、内密にこの薬を手に入れていた。
子爵は誰にも知られないように細心の注意を払っていた。
だが、バティカは子爵と商人との密談を立ち聞きしてしまった。
「へぇ、そんな珍しいんだぁ。高揚感と幸福感を得られるかぁ。これって、王子様に上げたら、喜ばれるかも?」
彼女は子爵が隠していた場所から、こっそり薬を持ち出し、この夜会に持ち込んでいた。
王太子フェルビエンが、別の男子生徒と歓談している最中だった。
「君の領地の新しい事業についてだけど――」
「王太子様~。聞いて下さい~」
王太子の話を遮ったのは、明るい声とともに現れたバティカだった。
周りの空気は凍りついた。
王太子を相手していた男子生徒は、口が半開きになり固まっていた。
周囲は青褪めている。
王太子のそばにいる近衛騎士達の目つきは厳しい。
騎士の一人が前に出て、王太子に近づけないようにした。
「お待ちください。王太子殿下は現在歓談中です。それを遮るとは無礼です!」
「これ! 王太子様に渡したいんです!」
バティカは騎士の制止も聞かず、懐から取り出した薬を左手で王太子に向けて差し出そうとした。
周囲はさらに顔色が悪くなっている。
「なっ! 殿下、お下がりください。これは禁止薬です!」
「なんだと?!」
フェルビエンの表情は厳しいものに変わった。
騎士達はバティカを取り囲み、薬を取り上げた。
会場は騒然となっている。
「禁止薬を持ち込むなど……バティカ・アジェマ。どういうつもりだ」
フェルビエンは怖ろしいほどに冷たかった。
「えっ? えっと~。これ、高揚感と幸福感を得られる珍しい薬なんです。だから、喜んでもらえると思って……」
「それは禁止薬だ。所持しているだけでも処刑ものだというのに、あろうことか王太子である私に左手で差し出すとはな。君は何重もの罪を犯していることに理解をしているのか」
バティカは理解できないでいた。
「えっ? いや別にそれくらいで……」
「なるほど、理解できないのか。この者を捕らえよ!」
騎士達はバティカの両腕を取った。
「えっ?! ちょっと待って! 私、捕まるほど悪いことしてないですって!」
バティカの叫びが広間に響いた。
事件から数日後、バティカは王城内の牢獄に囚われたままだ。
ノルティーは最後に彼女に会いに行こうと、面会の許可を取った。
「なぜ、わざわざ会いに行くんだ?」
シセールは心配そうに聞いた。
「最後にね……話しておきたいことがあるの」
牢屋に通じる道に進み、鉄格子の向こうに座り込むバティカの姿を見て、思わず息を呑んだ。
あれほど、元気で自信に溢れていた彼女が見る影もなく、ボロボロだった。
「あ……メナディール様……」
顔を上げたバティカの目には隈があり、頬もこけていた。
「アジェマ様……」
「私……こんなことになるなんて思わなかったんです……」
ノルティーは深く息を吐いた。
「だから、あれほど常識を覚えて下さいと言ったではありませんか。これは、貴方が身につけなかった結果です」
「っ……」
「貴方がしていたことは本来、無礼は重罪になることもあります。禁止薬は所持しているだけで処刑となります」
「そんなっ! あれはお父様が――」
「子爵も死刑でしょうね」
「えっ……あ……」
「学園で皆が大目に見て許していましたが、王族に対しては重罪ですので、あなたの行動だけでも処刑ものです」
「そんなっ! そんなの聞いてない!」
「あなたが聞かなかっただけでしょう」
バティカは何も言い返せなかった。
「正直に言えば、むしろ今までよく無事だったものだと思っていました。それだけのことを貴方はしていたのです」
その言葉にバティカの目から涙が零れ落ちた。
「じゃぁ、本当に皆さんが注意していたことは、私のためだったんですね……」
「ええ……。最近では、もうあなたを注意する者はいなかったでしょう? あれは、あなたを助けることを諦めてしまったのです」
「っ……」
バティカは泣き崩れた。
「あなたと会うのはこれが最後となります。さようなら、アジェマ様」
「そんなっ! 待ってください、メナディール様!」
バティカは鉄格子に縋りつくようにして叫んだ。
「今度は、ちゃんと常識を学びます! だから、お願いです!」
「もう、遅いのです」
ノルティーは牢屋から離れて、地上への道に進んだ。
「待って! お願い、待って! メナディール様ぁぁあぁ!!」
その絶叫は牢屋に響き渡った。
バティカ・アジェマの件は瞬く間に広まった。
彼女が持ち出した禁止薬はアジェマ子爵が商人から秘密裏に入手していたことが判明した。
その他にも王族への度重なる無礼も重罪だった。
禁止薬はこの国では所持していただけで処刑となる。
国王の名のもとにアジェマ子爵とその娘、バティカは処刑となった。
アジェマ子爵家は取り潰しが決定された。
子爵が長年積み重ねてきたものが、一夜にして崩れ去った。
「まさか、こんな馬鹿な娘だと思わなかった! こんな目に遭うくらいなら、娘なんて捨てればよかった!」
娘を不憫にと思い、家に迎え入れたその選択がここまでの破滅をもたらすとは想像していなかったのだろう。
一方の元アジェマ夫人は、予想される事態が起こる前に、子爵と正式に離縁を終えていた。
調査時には禁止薬に関わっていなかったこともあり、一連の騒動からは外された。
「まったく、巻き添えは御免ですわ! 離縁してよかったわ!」
離縁後に実家の伯爵家に戻っていた元夫人は、アジェマ家の取り潰しを聞くと、そう言ったそうだ。
尚、この事件をきっかけに王立学園では新入生向けに、基礎マナー講座の中にバティカ・アジェマ式反面教師講座と呼ばれるものが新たに追加されたとか――。
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