第1話 幽霊、いるなら出てこい
大学の食堂は、昼になると戦場みたいにうるさい。
トレーを持ったまま席を探していると、奥のテーブルで手を振るやつがいた。
「おーい、こっち!」
近づくと、もう一人もスマホを覗き込んでいる。
「見ろよこれ」
差し出された画面には、ぼやけた写真。
部屋の隅。カーテンの横。
黒い“何か”が立っているように見えなくもない。
俺は一口も食べていないカレーをテーブルに置いた。
「……で?」
「いや、“出る”らしいんだよ、このアパート」
「どこが?」
「ここ」
スマホの地図を指で拡大する。
徒歩10分。大学の裏手。築30年くらいの、よくあるワンルーム。
「昨日もさ、誰もいないのに足音したって」
「ふーん」
俺は写真をもう一度見る。
そして、ため息をついた。
「なんで隅なんだよ」
「は?」
「いや、幽霊ってさ」
俺は画面を指でつついた。
「なんで毎回、隅とか、影とか、半分だけなんだよ」
「それは……怖がらせるためとか?」
「だったら真ん中に来いよ」
一瞬、間が空いたあと、二人が吹き出した。
「確かに」
「堂々としろよな」
俺はスプーンを手に取る。
「いるなら、ちゃんと出てこいって話」
—
その日の夜。
俺はその“出るアパート”の前に立っていた。
「ほんとに来たのかよ……」
隣で、さっきの友達が小声で言う。
「来るって言ったろ」
俺はスマホを取り出して、動画を起動した。
「何する気だよ」
「撮るに決まってるだろ」
「いやいやいや」
「証拠だよ、証拠」
俺はレンズをアパートに向ける。
「いるなら映るはずだ」
「映ったらどうすんだよ」
「バズる」
「そっちかよ」
軽く笑って、俺は入口のドアを押した。
軋む音。
古い建物特有の、湿った空気。
廊下の蛍光灯が、チカチカと点滅している。
「……雰囲気あるな」
「帰ろうぜ」
「なんでだよ」
俺は階段を上る。
二階。問題の部屋は、一番奥。
「ここ」
ドアの前で立ち止まる。
「鍵、借りてる」
友達がポケットから鍵を出す。
カチャ。
ドアが開く。
—
部屋は、普通だった。
六畳のワンルーム。
古いけど、特別おかしなところはない。
「……何もないじゃん」
「昨日はここで音がしたんだって」
「何時?」
「夜中の二時くらい」
俺は時計を見る。まだ九時。
「じゃあ待つか」
「マジで?」
「せっかく来たんだし」
俺は部屋の中央に三脚を立てて、スマホを固定した。
「定点カメラ」
「本格的だな」
「あとこれ」
ポケットから小さなメモ帳を出す。
「何それ」
「記録。何時に何が起きたか」
「いやガチじゃん」
「当たり前だろ」
俺はペンを走らせる。
21:14 入室。異常なし。
—
時間はゆっくり過ぎた。
何も起きない。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえる。
「なあ……」
「ん?」
「もう帰ってよくない?」
「まだ早い」
21:52 異常なし。
22:17 異常なし。
「やっぱさ、ただの思い込みだって」
「だろうな」
俺はあくびをした。
「音なんて、上の階か配管だろ」
「だよなぁ」
そのときだった。
コツ。
小さな音。
「……今の」
「足音?」
コツ。コツ。
確かに、床を歩くような音。
でも——
「上だな」
俺は天井を指さす。
「この時間なら普通に人いるだろ」
「でも、この部屋“上も空き部屋”って」
「……は?」
もう一度、音が鳴る。
コツ。コツ。
今度は、はっきりと。
「……録れてるよな?」
友達がカメラを見る。
「録れてる」
俺は立ち上がる。
「ちょっと確認する」
「え、どこ行くの」
「上」
「やめとけって!」
「原因潰さないと気持ち悪いだろ」
俺はドアを開けて、廊下に出た。
階段を上る。
三階。
確かに、電気は消えている。
全部のドアに「空室」の札。
「……誰もいないじゃん」
後ろからついてきた友達が震えた声で言う。
「だから言っただろ……」
「いや待て」
俺は床に耳を当てた。
音は——
下から聞こえる。
コツ。コツ。
「……下?」
急いで二階に戻る。
ドアを開ける。
音は止んでいた。
—
「……な?」
「いや、でもさっき……」
「錯覚だろ」
俺はカメラに近づく。
「あとで確認すれば分かる」
再生ボタンを押す。
映像には、俺たちが映っている。
無言で座っているだけの映像。
そして——
コツ。コツ。
はっきりと、音が入っている。
「ほら」
「マジじゃん……」
「だから配管だって」
その瞬間。
画面の端。
カーテンの影が、ゆっくりと——
動いた。
「……今、見たか?」
「え?」
「いや……」
巻き戻す。
もう一度。
コツ。コツ。
そして——
何もない。
「……気のせいか」
「何が?」
「いや、なんでもない」
俺はスマホを止める。
「今日はこんなもんだな」
「帰ろうぜ……」
—
アパートを出ると、外の空気がやけに軽かった。
「結局なんだったんだろうな」
「配管だろ」
「でも上、誰もいなかったぞ?」
「構造の問題だよ」
俺はスマホをポケットに入れる。
「説明つく」
「……そっか」
「幽霊なんて——」
そこまで言って、俺は一瞬だけ言葉を止めた。
頭の中に、さっきの映像が浮かぶ。
カーテンの影。
ゆっくりと、確かに——
「……いや、ないな」
俺は首を振る。
「いるなら、ちゃんと出てこい」
—
その夜。
家に帰って、もう一度動画を確認した。
コツ。コツ。
音は完璧に入っている。
問題はそこじゃない。
問題は——
カーテン。
コマ送り。
一秒ごとに確認する。
動いていない。
風もない。
窓は閉まっている。
それでも——
一瞬だけ。
ほんの一フレームだけ。
カーテンの隙間に、
「誰か」が立っていた。
—
俺は動画を止めた。
そして、もう一度再生しようとして——
やめた。
「……バグだな」
そう呟いて、スマホを伏せた。
—
翌朝。
動画のその部分は、なぜか消えていた。




