004:第3章「運命の庭園茶会」①
自由に飛び交う小鳥たちが嬉しそうにさえずる青空の下。
王城の庭園には品よく着飾った数十名の少年少女たちが集まっていた。
木々の深き緑、芝生の新緑、花壇からは淡い色の花たちが溢れ、いくつも置かれた円形の卓には清潔な白布がかけられる。
弦楽器を手にした楽団員が美しい旋律を奏で始めると、湯気立つ紅茶に焼き上がったばかりの菓子たちが香ばしい匂いで幼い少年少女たちを手招いた。
今日は、王族主催による貴族子息令嬢たちのための庭園茶会だ。
実際の社交界デビューは数年後だが、王子王女たちがまだ幼く、今から同じ年代の貴族たちとの交流を促す目的のものだ。
このお茶会に、当然ながら公爵家であるエメリス家の双子も招待されていた。
「もしかして、あちらがエメリス家のご兄妹でしょうか? なんて素敵な翠玉色の髪」
「ウィルフレッドさまは剣術がお得意なのですって。きっとすぐに国一番の使い手になられるのでしょうね」
「わたくし、今日はぜったいにウィルフレッドさまとお話しするわ!」
「お噂どおり、シルフィーナさまもなんて淑やかで愛らしい」
「お二人は仲睦まじいとの話だが、一人になられた隙にどうにか話を……」
ウィルフレッドにエスコートされて庭園に足を踏み入れた途端、シルフィーナはあまりにも強い視線の数々に内心「うわっ」と気圧された。
集まっているのは五歳から十歳未満の子息令嬢たちだ。
まだ大人のように内面を隠す技術を会得していない彼らの表情はとても豊かでとても正直だった。
(まぁ、注目されるわよね。この髪色では)
輝く翠玉のようだと讃えられるエメリス家の遺伝。
前世の時、当時のエメリス公爵夫妻に一度だけ謁見したことがあるが、その時も公爵の美しい翠の髪に一目で惹かれてしまったことを覚えている。
公爵夫妻は財を費やして勇者一行の支援をしてくれた恩人だ。
まさか、その公爵家の子どもになって同じ色の髪を受け継ぐことになるとは思わなかったが、かつて目にしたからこそ、この外見が注目されてしまうのはとても理解できる。
(とくに兄様狙いの女の子が多いみたい)
うっとりとこちらを眺めている令嬢たちはみんな夢見心地な瞳をしている。
ふと目に留まった紅く艶やかな髪の令嬢もウィルフレッドを見つめていたようだったが、本人はその視線には気づかず、代わりに隣にたシルフィーナと目が合ってしまった。
少々気まずくて愛想笑いで返したものの、紅髪の令嬢は気に食わなかったのか、ついと顔を背けてしまった。
(兄様目当ての女の子にとっては、わたしって邪魔者なんだろうな)
理屈は分からないでもないから気分を損なうことはなかったけれど、こういうのを目の当たりににすると兄妹でべったりという状況は非常にまずいと思えてきた。
「ん? どうした、シルフィ」
この機会に他の令嬢たちと交流をしてもらえないだろうかと考えてはみるが、隣にいるウィルフレッドは相変わらず妹である自分しか瞳に映していないようだ。
だが、とにかく、今日は普段の奇行だけでも止めなくては。
「ウィル兄様、今日は『兄らしく』振る舞ってくださいね?」
必要以上にひっつかないで、と暗に示したものの、
「ああ、もちろんだ。『兄らしく』おまえを他の男たちから守ってやるからな!」
……うん、なんか無理そうだな。と、シルフィーナは半ば諦めた。
だが、シルフィーナには交流以外にもやらなくてはいけない秘密のクエストがある。
それにはタイミングを間違えないようにしなくては。
下手したら……庭園が更地になるかもしれないのだ。
◇◇◇
「ウィルフレッドさま、あちらのテーブルで語らいませんこと? みなさま、ぜひお話をうかがいたいと」
「いや、おれはシルフィのそばに……」
「ウィル兄様~? お誘いを無下に断ってはいけませんよ?」
案の定、妹から離れようとしないウィルフレッドのせいでシルフィーナは大変だった。結局、兄妹ともに連れだってテーブルを移動する。
彼女たちが兄だけを呼んだつもりなのは分かっているが、離れてくれないのだから仕方がない。どうか自分というおまけを気にせずに語らってくれることを祈るしかないだろう。
(ウィル兄様ってば、本当に貴族としての自覚がないのだから困るわ)
こういう場での交流はとても大切だ。しかも、この場にいるのは同年代の子息令嬢。これから先、おそらく一生続く人脈の要となる存在だ。
できる限り一人でも多くと挨拶をして人柄を把握せねばならないというのに、ウィルフレッドは貴族としての役目よりも自分の意思ばかりを優先させる。
(この兄様の状況では……やっぱり危険だよね)
そうシルフィーナが密かに意を決していると、庭園の前方では警備の大人たちがざわざわと騒ぎ始め、そしてピタリと静寂を敷いた。
おそらく主催である王族の登場だ。
王家には双子と同じ五歳になる第一王子と二つ年下の第一王女がいるらしいから、そのお披露目なのだろう
「あ、あの、ウィル兄様」
庭園にいる全員が前方に注視する中、シルフィーナは兄の袖をちょこっと引っ張った。
「わたし、その……兄様とふたりきりで話がしたいのだけれど……」
そう耳元でこっそり囁けば、ウィルフレッドには大喜びで首を縦に振るしか選択肢はなかった。
◇◇◇
こっそりとお茶会を抜け出した二人は庭園から少し離れたベンチ裏にある茂みの木陰に隠れた。
王城内を子どもだけでうろついているのを見つかれば確実に叱られるからだ。
「で、話って? もしかして、このまま駆け落ちでもしようって話か!? おれはもちろんいいぞ!」
「ちがうわよ!」
ずっと素っ気なくしていた反動か、久しぶりに二人きりになったことが嬉しいウィルフレッドはいつにも増して愛が重かった。
真っ直ぐに見つめ、ぎゅっと両手で手をにぎってくる様子は子どもとはいえ本気すぎて怖い。
「そうではなくて、その……気になるご令嬢はいましたか?」
もちろんわたし以外で、と付け足してみたものの、ウィルフレッドにとってそれは愚問だったようだ。
「いるわけないだろう。おまえがいるのに」
わかってた。わかっていたけれど少しは他にも目を向けてもらいたいものだ。
「兄様。何度も言っているように、わたしは兄様とは結婚できません。今のうちから他の女の子たちにもちゃんと目を向けて……」
何度も何度も言い続けていた説得をもう一度だけ試みる。
まだ子どもだから周囲も微笑ましく見守ってくれているが、このまま大人になったら取り返しがつかないことになる。
だが、そんなこと、きっと彼も心のどこかでは理解はしているのだろう。
その言葉が正論だからこそ、ウィルフレッドの眼差しが『ウィル』に戻った。
「でも、おれは……っ! おまえだけが好きなんだ! ずっと、ずっと、昔から!」
「……ウィル」
幼いウィルフレッドの姿に勇者ウィルの姿が浮かび上がって見える。
いつもひたむきに前だけを向いて突き進んでいたかつての彼。
裏表のない彼の真っ直ぐさがシルフィも好きだった。
「あの長い旅を乗り越えられたのも! 魔王クレヅェクルを討てたのも! シルフィ、おまえがいてくれたから!」
「――――魔王……?」
茂みの向こう側、ベンチがある方から聞こえた声に二人はハッと息を潜める。
王城兵に見つかっては公爵家にお咎めがあるかもしれないのに、つい声が大きくなってしまった。
だが、その声は兵ではない。子ども。少年の声だ。
「煩わしい催しから逃れてきてみれば先客がいたとはな。しかも…………」
少年が茂みに近づく。ゆっくりと、だが、躊躇いがない足取りで。
「――――まさか、われを滅した勇者とはな」
そこにいたのは、銀髪に氷の瞳を持つ少年。
初めて会ったはずだがウィルフレッドには一目で分かる。
「……っ、魔王! 魔王クレヅェクル!」
かつて王国を震撼させた魔王の魂が、双子の目の前で人の形となっていた。




