003:第2章「銀髪少年との出逢い」
「あの、シルフィーナお嬢様。たいへん申し上げにくいのですが……」
日課の図書館に馬車で到着した途端、従者の青年が図書館の臨時閉館を報せてきた。
なんでも、今日はどこかの貴族が図書館を丸ごと貸し切っているらしい。
「……誰なのかしら? わたしの楽しい楽しい読書時間をじゃまする御方は」
微笑んだ表情のままピキリと青筋を立てたシルフィーナは、馬車を飛び出すと隣接している公園へと駆けだした。
慌てて従者たちが後を追うが、茂みに潜り込んで姿を消した小さな少女を見つけることができなかった。
(ごめんね、みんな。でも、ここで引き下がるなんてできないわ!)
枝葉をかき分け、壊れた柵の穴から図書館の敷地に忍び込む。
王都の共有財産である図書館を個人で貸し切るだなんて羨ましい贅沢……いや、愚行を許すわけにはいかない!
(わたしだって一応公爵令嬢なのに、毎日地道に一般客に混じって通ってるのよ!)
それなのに、たった一人の貴族のわがままで日課の図書館通いを駄目にされるなんて酷すぎる。
今日は新たな魔道書を借りて次の魔法を習得をするはずだった。その予定を崩したどこかの馬鹿貴族につきあってなどいられないのだ。
早く前世で使っていた幾多の魔法をこの身に取り戻したい。
だから、一日たりとも魔法の研鑽を欠かしたくはないのだ。
「ふふっ、迷宮探索に比べたら幼い身でも楽勝だわ」
忍び込んだ図書館は一般客がいないためにがらんとしていた。
モンスターがいるわけでもないし、貸し切っているという貴族と側近の気配にだけ注意を払えばいいのだから何も難しいことはない。
というか、これはいい機会では?
館内に人は少ない。きっと司書や職員の数も僅かだろう。
しかも、自分は小さな五歳児で物陰に潜みやすい。
「もしかしたら、禁書庫にも行けちゃう?」
二階の最奥。いつもは見張りがいる封じられた部屋。
なんでも貴重な書物が保管されているらしく、入室には王族の許可が必要だとか。
何度も公爵である父に懇願したのだが「子どもには難しい本だよ」と一笑に付されてしまった。
「あの扉だわ」
物陰からこっそり覗くと二階の廊下の奥に重たそうな扉が佇んでいた。
いつもは廊下の手前にロープが張られて見張りもいるのだが、今はどちらも見当たらない。
「これは女神様のお導きね! もちろん、喜んで入らせていただきますとも!」
るんるん、と軽やかな足取りで最奥まで辿り着き、悪びれもなく扉を開けた。
「わぁ……」
封じられた書庫だというから、もっとおどろおどろしい雰囲気を予想していた。
だが、扉を開けたそこはまるで貴賓室だった。
上品な白壁に蒼の絨毯、硬い樫の木でできた背の高い本棚が並び、どの棚にも一目で高価な本だと分かる背表紙が装飾されている。
何十年、何百年、年代を重ねて修繕と写本をくり返し、大切に保管されてきたのだろう。
「すごい! すごいっ! これって上級、いえ、もっと高度な風の魔道書だわ! こっちには水の魔道書!」
踏み台を使っても背が低い自分では棚の最上段は無理だったが、それでも手の届く範囲の書物を目についた順から漁りまくる。
「あ、これ……わたしたちの冒険記」
手に取ったのは、かつての自分たち、勇者ウィルと仲間たちによる魔王討伐の記録だった。
パラパラとめくりながら、長く、つらい、でも楽しくもあった冒険の日々を昨日のことのように思い返す。
そして、最後のページで視線がぴたりと止まった。
(やっぱり、あの土砂崩れで……)
そこには自分たちが山津波の土砂に飲み込まれて亡くなったと記されていた。
もちろん覚えてはいたが、改めてこうして客観的な文字として見ると胸が痛む。
けれど、救いもあった。
「……よかった」
辺り一帯を呑み込む勢いだった山津波。
だが、村は助かったらしい。土砂の流れがわずかに逸れたからだ。
それが自分たちの功績だったかまでは定かではないが、その村では勇者ウィルたちのお陰だと信じられたらしい。
本当に自分たちが村を守れたのであれば命を賭けたかいがあったというものだ。
「もう昔の話だしね」
パタンと本を閉じて棚へと戻す。
昔話はおしまいだ。今は貴族シルフィーナとして生きているのだから、この本はもう自分たちには必要がない。
それよりも、探すべきは魔法について書かれた書物たちだ。
「こっちは火、土、光……あれ? 一冊だけない」
ぽっかりと空いた一冊分のスペース。
貸し出し中なのか、いや貸し出し禁止のはずだと思い出し、もしや他の棚に? と台に乗ったままキョロキョロと探していると、視界の下から声をかけられた。
「――――おまえは誰だ?」
「え?」
そこにいたのは幼い少年だっった。
静寂な夜に降りそそぐ月光のような、サラサラの銀髪を肩上で切り揃えた利発そうな子だ。
年は同じ頃だろうか。肌は白く、ほぼ無表情。まるで貴族の令嬢が大切に愛でる高貴な人形のような印象を受ける。
シルフィーナへ向かって見上げられた瞳は、氷のような冷たい蒼が輝き、宝石のようで美しかった。
幼いのに尊大な物言い。身なりからしても上位の貴族であることが一目で分かる。
高貴さが服を纏ったかのようなこの少年は、シルフィーナにとって――――いや、エメリス兄妹にとって『運命の少年』になるのだった。