029:第15章「新たな明日を、あなたと共に」②
「――――シルフィ」
ふと気がつくと、女神への宣誓を終えたクレムウェルが手を差し出している。
促されるままその手に導かれて立ち上がると、クレムウェルがなにやら口を動かしていた。
(え? なに? チカイノ……コトバ……?)
唇の動きを読み取って復唱したシルフィーナは、ハッと婚礼の儀の最中だったことを思い出す。
そうだ。次は自分が女神に宣誓する番だ。考えごとをしていたせいで、すっかり頭から儀式の進行が抜け落ちてしまった。
(えっと、出だしは……なんだっけ?)
頭が真っ白になって何も思い出せない。
(うぅ、あれほどエリーナ様に教えてもらって、しっかり覚えたはずなのに~~!)
妃教育の時に学んだことを思い返す。
確か、エリーナ様はご自分の時はすっごく緊張されたって話をしていて。それで、それで……。
(ああ、そうだ。宣誓をするには、まず女神様に)
大切に、丁寧に、自己紹介する気持ちで。
「――――わたくし、シルフィーナ・エメリスはエルダイヤ王国第一王子クレムウェル・ロイド・エルダイヤを夫として慕い、共に先人の知識を学び、伝統を引き継ぎ、民のための更なる改革に努めることを…………」
口上を始めることさえできれば、あとはすらすらと覚えていた言葉が繋がっていく。
澱みなく響く宣誓に、隣に立つクレムウェルも少し安堵したようだ。
(この誓いの言葉で女神様に王家の一員になることを認めてもらうのよね)
言い回しは仰々しいが、要は民のために尽くす決意を試されている。
「……炎のように民の暮らしに知恵と勇気を、水の清らかさによって人々に癒しを……」
とくにこの辺りの節はまるで魔法の詠唱だ。
詠唱は一言一句が決まっているわけではない。自分の魔力と自然とを繋げ、魔法として練り上げて具現化しやすいよう唱えているだけ。
自然を慈しみ、民を導く決意の句。これは、きっと……長年受け継がれてきた王家の魔法なのだ。
(私も、今、この魔法を――――)
「シルフィ……!」
集中していたシルフィーナの意識を小声でクレムウェルが引き戻す。
なにごとかと思って宣誓を続けながらも周囲に気配を巡らすと、大聖堂内がざわざわしていた。皆なにかに困惑しているようだ。
(え? 私が誓いの言葉でも間違えた???)
不思議に思っていると「あれを見ろ」とばかりにクレムウェルが視線で示す。
そこには、大聖堂中央の天井付近に、色とりどりの光が集まってきていた。
春の野花が風に飛ばす綿毛のような、柔らかな淡い光たち。
(あれは、魔力の光?)
火を表す赤、水を彷彿とさせる青に、風に溶けそうな緑、大地に染み入る黄みがかった橙。
自然四大元素が魔力によって導かれ、魔法へと生まれ変わる、その寸前の光たち。
それが虹色の雲のように大聖堂の天井へと広がっていく。
(…………あっ!)
そうして、ようやく思い当たった。先ほどの誓いの言葉を詠唱のように唱えてしまったことを。
あの時、無意識に魔力を込めてしまっていたのだ。
まさか、こんな形で発動するなんて思ってもいなかったけれど。
「シルフィ! 早く発動を取り消せ!」
声を抑えながらもクレムウェルが慌てているのが伝わってくる。
けれど、一度集まってしまった魔法の種を発芽させずに取り消すのは非常に困難だ。
それに、せっかく自然が力を分け与えてくれたのだ。霧散させるなんてもったいなさすぎる。
どうしようかとシルフィーナも悩んだが、
(いいや。誤魔化しちゃえ!)
翻って参列者の方へ向かい合ったシルフィーナは、宣誓を終えると同時に仕上げの魔力を天井の彩雲へと放った。
「この誓いの言葉を女神に捧げ、そして……集まってくださった皆様に祝福を!」
パァン、と彩雲の一部が弾け、柔らかな雨のように色とりどりの光の粒が大聖堂内に降り注ぐ。
その一粒一粒が参列者に吸い込まれると、ぽわっと体内があたたかくなり、一時的に魔力や回復が増したようだった。
「なんと、あたたかい祝福だ」
「膨大な魔力をお持ちだとは聞いていたが」
「さすが、勇者の称号を得られたエメリス家のシルフィーナ様」
次々と祝福の光が降り注ぐ中、シルフィーナがちらりと最前列を探し見ると、驚いている参列者の中で唯一、ウィルフレッドだけが肩を震わせて笑っていた。
さすがに双子の兄。シルフィーナがうっかり魔法を発動させたことを察したらしい。
ひとしきり笑い終わったウィルフレッドが笑顔でシルフィーナへ目配せする。
「――――我、光の勇者、ウィルフレッド・エメリスからも最愛の妹へ祝福を!」
そうして、まだまだ上空に残っている魔力の彩雲に、自らの光の魔力を放り投げる。
彩雲に光の金色が加わって、大聖堂内いっぱいに広がる祝福の光はより目映く輝いた。
「ウィル兄様ったら」
やらかしを誤魔化しただけなのに、すぐさま加担してくれるのがウィルフレッドらしい。
でも、その祝福が心からのものだというのも分かったから、シルフィーナは兄へ重ねて感謝した。
「わ、わたくし、ローズ・ルヴィリアもお二人に祝福を贈りますわ!」
「クレル兄様! シルフィ義姉様! これからもお幸せに!」
友人のローズからは火の魔力、リリムウェル王女からは水の魔力が加わって光の雨へと変わっていく。
「わしも!」
「あら、わたくしだって!」
「おめでとうございます! クレムウェル王子! シルフィーナ様!」
ウィルフレッドの祝福を皮切りに次々と参列者から祝福の光が贈られていく。
魔法が使えない者は拍手で讃え、数百名からの祝福は更なる光となって大聖堂内に次々と満ちていった。
「な、なんか、すごいことになってきちゃったね」
「まったくだ。仕方ないな」
どう収集すべきかと悩んでいたシルフィーナだったが、その役目はクレムウェルが引き受けた。
「――――皆の者! 我らへの祝福、感謝する!」
最後の締めに、とクレムウェルが自らの闇の魔力を彩雲へと放つ。
すると、四大元素と光、そして闇の魔力が加わったことで、彩雲は白銀の聖なる貴色へと変化し、目映く白銀の雨となった光が惜しみなくすべての参列者へ降り注いだ。
「キュイイイイーーーー!」
更に、聖なる力に引き寄せられたのか、控えていたはずの聖獣ザヴィが聖堂内を嬉しそうに飛び回り、その背に括りつけられていた花篭から色とりどりの花びらが、はらはらと散りばめられて舞っていく。
「あれが今代の聖獣? 愛らしいわね」
「まだ小さいとはいえ竜とは重畳。いずれ、この国の守護竜となるにちがいない」
「銀色の炎を吐いてるわ。聖属性の炎だなんて珍しいこと」
「キュイ?」
人々に祝われているのが分かるのか、ザヴィは上機嫌で人々の上空を飛んで回る。
正式な聖獣のお披露目は儀式の後だったのだが、ちょうどよかったかもしれない。
「で、では、指輪の交換と誓いの口づけを――――」
厳かだった婚礼の儀の変わりように戸惑いを隠せない大神官が、それでも律儀に進行を進めてくれる。
騒がしくしてしまって申し訳ないと思ったが、こういう祝いの言葉にあふれた雰囲気の方がシルフィーナが理想とする『結婚式』に近い。
せっかくの一生に一度の晴れ舞台だ。できるだけ楽しい方がいい。
「本当に、お前といると退屈しないな」
「でしょう? これからも退屈になんかさせないから」
「……覚悟しておこう」
互いの左手の薬指に銀の指輪をはめていく。
守護と幸運の魔法文字を文様にして刻み、シルフィーナには蒼い石、クレムウェルには翠の石がはめこまれた結婚指輪。
これからの明日を共に歩んでいく証がこの手にあることが、シルフィーナにはとても嬉しくてたまらない。
誰かと一緒にいられるって、なんて素敵なことだろう。
同じ明日を見て、
でも違う視点で。
歩みは揃えて、
考えをぶつけながら。
互いに手伸ばして、
互いの手を引き寄せる。
「クレル……。あなたが好きです、心から」
「我も同じだ。お前を心から……愛している」
初めて重ねた彼のくちびるは少しつめたくて。
だけど、すぐに分け合った熱が伝わっていくのが愛おしくてたまらなかった。




