026:第14章「想いはこれからも廻りゆく」①
「あ……ねぇ、あそこ見て、兄様。ほら、フェルガの背でザヴィが遊んでる」
城のバルコニーから外を眺めていたシルフィーナは、ふたたび美しい花々が咲き乱れるようになった庭園を視線で示した。
そこでは銀狼のフェルガが柔らかい芝生の上でゆったりと寝そべっていたが、その広い背中が気持ちいいのか、ザヴィと名付けられた子竜がころころと寝転んでみたり、銀の毛を引っ張ってみたりして興味深げに遊んでいた。
一見、フェルガの方はなすがままの状態で関心が薄いように見えたが、よく見るとザヴィが転がり落ちそうになると体勢を変えて支えてやっている。
聖獣としての先輩と後輩というよりは、まるで兄弟のような微笑ましい光景だ。
抱えていた荷物を部屋に置いたウィルフレッドも、シルフィーナの隣から庭園の様子を眺めては思わず笑みが浮かんでいた。
「ははっ、あの二匹、仲良くなったみたいでよかったな」
「うん……。ほんとうに、夢みたい」
こんなに晴れやかな蒼い空と吹き抜けていく涼やかな風。花壇に芽吹く花々の小さな命に、ゆったりくつろぐ聖獣たち。そして、行き交う人々に溢れていく笑顔。
穏やかな光景を取り戻した今では、半年前に在ったあの戦いの方が夢だったのではないかと思うほどだった。
西の荒れ地での戦いは、魔竜王ザヴィグリアが聖獣ザヴィとして生まれ変わったことで終結した。
凱旋した兵士たちの姿に、民たちは大いに喜び、待っていた家族たちは無事であることに涙して彼らの帰りを受け入れた。
その日は、どの家でも暖かな光が夜遅くまで灯っていたそうだ。
そして数日後、王城の広間では王から全兵士への功労勲章の授与が行われた。
各隊を率いた隊長たちの昇進はもちろんのこと、魔竜王にとどめを刺したウィルフレッドと新たな聖卵石を生み出すことで怨嗟を断ち切ったシルフィーナには『勇者』の称号が贈られた。
総指揮官だったクレムウェルも同じ称号を得るはずだったが、王家の者としての役目の一つにすぎないという理由で固辞した。
城に運びこまれていた城下町の怪我人たちも、王妃や医療者、回復術が使える神官たちの懸命の働きにより、ほとんどの者が回復することができた。
だが、今回のことで治療する施設と人員の乏しさが浮き彫りとなったため、今後は各地域に多くの治療院を増設することが決定した。
水の魔力を持っていた王女リリムウェルは今回のことで強力な回復魔法に目覚め、寝る間も惜しんで怪我をした民たちに尽くしたそうだ。
今後は王位継承権を返上し、治療院を取り纏める組織に属することで民のために尽くすのだと、お茶会の時に話してくれた。
彼女は改めて何度もシルフィーナに謝罪し、そして感謝を伝えてくれた。
民を守ってくれたこと。そして、兄であるクレムウェルを無事に帰らせてくれたことに。心から。
当初予定していた婚礼の儀は被害を受けた地域の復興を優先して見送られ、クレムウェルとウィルフレッドも何度も各地へ遠征し、人々が元の暮らしを取り戻せるよう尽力した。
少しずつ。少しずつ。
人々の手によって家が建ち、魔法の英知で干上がった河川を整え、瘴気によって根腐れしてしまった畑に、また種を蒔いて小さな芽吹きから生活を始めていく。
そうして半年が経ち、王国の人々の生活もようやく落ち着いてきた。
そろそろ、新たな『明日』を民に示さなければならない。
「ところで、家から持ってくる荷物はこれで最後か?」
「うん、大丈夫。ありがとう、ウィル兄様」
ウィルフレッドが運び込んでくれたのはシルフィーナの私物。
ほとんどの家具はこの部屋に用意されたもので事足りるが、長年愛用しているブラシや髪飾り。気に入っていた服。そして、なによりも集めまくった大切な魔道書たち。
城の書庫の方が高度な魔道書が多いが、幼い頃から読み込んできた書物も何度だって読み返したい。
「明日からは王都の図書館にある禁書庫にも自由に出入りできるのよね。あそこにはまだまだ習得していない魔道書もあるから、すっごく楽しみ!」
るんるん、と明らかに喜んでいたシルフィーナだが、その隣で珍しくウィルフレッドの方が呆れた表情を見せていた。
「……お前、結婚式より書庫の方が楽しみって、花嫁としてどうなんだ?」
ウィルフレッドの指摘のとおり、明日は婚礼の儀が執り行われる。
無論、延期になっていた第一王子クレムウェルと公爵令嬢シルフィーナの結婚式だ。
それに伴い、明日からはこの部屋が正式にシルフィーナ用の個室となる。
壁にある扉から続きの間は二人のための寝室になっており、その更に向こう側の続き部屋はクレムウェルの書斎。
シルフィーナも今後は外交などの仕事があるから書斎という名目で部屋を整えてもらい、寝室と反対側の壁には既に一面の書棚が用意されている。魔道書を収めるための棚だ。
それに加え、隣室には書庫用の小部屋も準備中である。今後も増えていくだろう魔道書の量を見越してのクレムウェルの配慮だ。
そんな魔道書収集を完璧に許された環境を贈られたものだから、シルフィーナとしては、ちょぴり気が緩んでしまっただけなのだ。
「も、もちろん、婚礼の儀も楽しみにしてるのよ? 女神様の像には王家に伝わる魔法文字が刻まれているらしいし! 花嫁のヴェールにも真珠と刺繍で古の魔法陣が模様として描かれているらしくて!」
と力説してみたものの、ウィルフレッドは余計にため息を深くして、それから破顔した。
「ははっ、そういうとこ昔から変わらないのな」
くしゃり、と大きな手のひらで頭を撫でられて、胸の奥がどきりと高鳴る。
明日からは兄妹であっても公式の場では身分の線引きがされてしまう。
こんな風に触れ合えることは滅多にできなくなるだろう。
あの夜以降、西の地で再会してからも、ウィルフレッドは兄として振る舞ってくれている。
何度も謝ってくれたし、クレムウェルからは一発だけ殴られて、残りは免除してもらえたようだが、その分だけ無茶な仕事振りが増したらしい。
だから、今更あの時のことを蒸し返すのは無粋だと分かってる。
でも、ただの兄妹でいられるのは今日が最後かもしれないと思うと、ついウィルフレッドの服の端をギュッと握りしめていた。




