016:第9章「友情には届かなくても」②
「ローズ、ありがとう。私のことを好ましく思っていないのは知っているけれど、だからこそ、ここまでしてくれたことに感謝しているの」
とても助かったと改めて礼を伝えると、ローズの顔が若干の険しさを覗かせた。おそらく、本音の感情が。
「……そうね。わたくし、あなたのことが子どもの頃から大っ嫌いだったわ! 妹というだけの理由で、いつもいつもウィルフレッド様の隣にいたあなたを、どうしても好きになんてなれなかった!」
エメリス家の双子に初めて出逢ったのは五歳の庭園茶会。
最初は単純な一目惚れ。
けれど、他の子どもたちに押されて転びそうになった自分をウィルフレッドが助けてくれた時、本物の恋に変わった。
「大丈夫か?」「足は痛くないか?」そう尋ねてくれた時の彼は裏表がない、心から心配してくれる真っ直ぐな眼差しだった。
自分が公爵家の令嬢だからではなく、おそらく誰が転んでも彼は同じように助けたのだろう。
そんな彼に近づきたくて。
だけど、茶会の途中で彼は姿を消してしまった。双子の妹と一緒に。
その後も何度か遭遇したが、彼の目には妹しか映っていないのだと幼いながらにも気づいてしまった。
その妹が王子と婚約したと聞いて、これで少しは自分にも機会が巡ってくるかと期待したというのに、あろうことか王子から守るために彼はことさら妹に執着するようになってしまった。
「あなたがいなければ……と、何度も何度も思ったわ」
シルフィーナがいる限り、ウィルフレッドは妹から目を離すことはない。
ウィルフレッドを慕う者にとって、シルフィーナはとても邪魔な存在だったのは確かだった。
「でも、ローズは私に意地悪したりはしなかったわよね」
睨まれたり、素っ気ない態度はとられたけれど、直接的に彼女がなにかをしてきたことはなかった。
「当たり前でしょう! わたくしは誇りあるルヴィリア公爵家の者なのよ! そのような真似をするわけが……。もしかして、何かされていたの?」
「あ、でも、そんなに大したことではなかったから……」
学生時代、ウィルフレッドとクレムウェルを密かに慕っていた者たちから多少の嫌がらせをされたことはある。
だが、基本的に貴族令嬢たちが考える程度の嫌がらせなど可愛いもので、ほとんどはシルフィーナの巧みな魔法でなんなくすり抜けていたのだ。
「とにかく、わたくしがあなたのことが嫌いであることは事実よ。きっと、これからも変わらないわ。あなたが結婚したとしても、ウィルフレッド様はきっと……っ」
愛する妹を瞳に映し続けるに違いない。
そして、ローズもそんな彼を慕う心を失うことはないだろう。
「それに、あなた。ウィルフレッド様と喧嘩でもしているのではなくて?」
「えっ」
どうしてそれを、と途中まで口走ってしまい、ローズから「やはり」と眉を寄せられた。
「あのウィルフレッド様があなたの傍から離れて遠征だなんて、普通なら考えられませんもの」
シルフィーナが赴く社交の場には今まで必ずウィルフレッドも参加していたのだから、彼を慕う貴族令嬢からすればとても分かりやすい状況だった。
今夜もきっと会場のあちらこちらで、その噂がささやかれていることだろう。
「ウィルフレッド様のお心を煩わせるなんて最低だわ! さっさと仲直りなさい!」
「うっ、はい…………あれ?」
思わず気迫に呑まれて返事をしてしまった後、彼女の言葉に違和感を覚えた。
「ねぇ、ローズ。私と兄様が仲直りして本当にいいの?」
おそらくローズにとっては、自分とウィルフレッドが仲違いしたままの方が都合がいいはずだ。
彼女が自分を「邪魔者」だと思っているのなら、仲直りを促すのはおかしい。
だから、素直に疑問を抱いただけなのだが、指摘されたローズは慌てて手にしていた扇で口元を隠した。が、赤くなった頬は扇からはみ出ている。
「し、仕方ないでしょ! ウィルフレッド様が元気をなくされるのは……嫌だもの」
視線を逸らして黙り込んでしまった彼女は、普段の気高く大人っぽい表情とは一転して少女らしい愛らしさがあった。
彼女の中にいろんな葛藤が垣間見えた気がする。
「……ローズ。私、やっぱりあなたとお友達になりたいのだけれど」
思わず、ぽつりと呟いてしまった申し出に、彼女の声が聞いたことがないほど裏返った。
「は!? はぁああ!? あなた、わたくしの話を聞いていなかったの!?」
大嫌いだと言ったでしょう! と念を押されたけれど、やはり不愉快な感じはしない。むしろ、言われるたびに好感を持ってしまうのは何故だろうか。
「まったく……そんなところばかりウィルフレッド様に似ているなんて、ずるいわよ」
「え、そう?」
双子とはいえ、髪色以外で似ていると言われたのは滅多にないからシルフィーナとしては少し意外に思えてしまった。
(そっか……そうだよね、私たち兄妹なんだし)
昔の距離感と今の距離感がごちゃ混ぜだったから、改めて傍から似てると言われるのは新鮮だった。ちょっとくすぐったいような、嬉しいような、不思議な感覚だ。
「もう、あなたとのお喋りには付き合っていられませんわ!」
身支度を済ませたら後からいらっしゃい、と先にローズは部屋から退出する。最後に「そうそう」と一言付け加えてから。
「そのドレス一式は差し上げますから返す必要はありませんわ。……元々、結婚祝いとして用意していたものですからお気になさらず」
「え? ローズ?」
二度目の引き止めは叶わず、彼女は先に部屋を後にしてしまった。シルフィーナを一人を残して。
「私のこと大嫌いなのに、祝いの品を用意してくれていたのね」
だから、どれも新品に見えたのかと腑に落ちると同時に、彼女という人間性に触れることができた気がして、思わず口元が緩んでしまった。
大嫌いで、煩わしくて、妬んで……でも、きっとそれだけじゃない。
そんな複雑な想いを真っ直ぐにぶつけてくれた彼女を、シルフィーナはやはり嫌いにはなれなかった。
(私だって、兄様のこと……クレルのこと……)
単純な好意や愛情だけでは測れない想いを彼らに抱いている。
どう言葉にすればいいのか。どう伝えればいいのか。まだ答えは出ていないけれど。
「――――ウィル兄様、一日も早く、帰ってきてくださいね」
私も、クレルも、ローズも、みんな待っていますから。
そう、窓から見上げる夜空へ祈りを捧げてから、シルフィーナは新しいドレス姿で大広間へと戻るのだった。