015:第9章「友情には届かなくても」①
「きゃああっ!? も、申し訳ございません! シルフィーナ様っ!」
結婚式まであと一月と少し。
最後の挨拶回りがてら舞踏会三昧の日々。
その内の一つで、ちょっとした騒動があった。
シルフィーナが着ていた銀色のドレスに使用人が手にしていた赤ワインがかかったのだ。
べつに怪我したわけでもないからシルフィーナ自身はそれほど気にはしなかったのだが、周囲の貴婦人たちは皆青ざめてしまった。
なにしろ、クレムウェル王子の髪色を摸した婚約者だけが纏うことができる王家特注品のドレスだ。それを汚すことは王家に対する不敬だと捉えられても仕方がない。
もちろん、そんなことを咎めるクレムウェルとシルフィーナではないが。
「も、申し訳ございません、申し訳ございません! ど、どのような処罰でも、わたくしは……」
ワインをかけてしまった使用人は真っ青な顔で謝罪をひたすら繰り返す。
どこかで見かけたことがあるような気もしたが、どこの使用人だったか。
だが、それを思い出すより前に、まずはドレスをどうにかせねばならない。
「シルフィ義姉様、大丈夫ですか? お着替えされた方が」
同行していたリリムウェル王女も心配そうに声をかけてくれる。
確かに、彼女が言うように着替えた方がいいかもしれない。
自分は染みの部分が視界に入りづらいが、周囲の人々の方が目に入って気にするだろう。
けれど替えのドレスは持参していない。
どうすればいいかと悩むシルフィーナだったが、そこへ長い紅髪をなびかせた令嬢が現れた。
「シルフィーナ様、当家主催の宴で不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。替えのドレスはわたくしが用意いたしますので、どうぞこちらに」
「ローズ」
申し出てくれたのは学生時代の同級生でもあるルヴィリア家の令嬢ローズだった。
彼女のことは幼い頃から見知っているが、妹を溺愛するウィルフレッドを慕っているため残念ながら仲は良くなかった。
とくに今日はウィルフレッドが同伴していないことを知って明らかな落胆顔をしていたから機嫌は悪そうだったが、それでも体面のためにシルフィーナを気遣ってくれたのだろう。
「クレムウェル殿下、しばらくシルフィーナ様をお借りいたしますわね」
「ああ、よろしく頼む」
礼儀正しく一礼するローズに先導されて別室に向かうと、すぐに使用人たちへ指示を出してドレスを数着用意してくれた。
「銀色は……さすがにありませんから近い色を。ああ、そちらの白いドレスを合わせてみてちょうだい。髪型も変えた方がよさそうね。髪飾りや小物類も……あら、そんな髪飾りあったかしら。ドレスに合いそうね」
急なハプニングにも関わらず、テキパキと対応する彼女の有能さは学生時代から変わらない。
学園で彼女が実行委員を努めた卒業パーティーは、優美なテーブル設営に腕の良い楽団や料理人たちの手配、内気な生徒たちでも楽しめる仮面舞踏会の催しなど、細部まで配慮が行き届いていて過去最大の盛り上がりだった。
今夜の舞踏会は表向きはルヴィリア公爵夫妻が主催だが、実際は彼女が手伝っているのかもしれない。
(ローズのこういうところ、昔からちょっと憧れなのよね)
どうしても平民だった頃の前世の意識が抜けないシルフィーナとは違って、生粋の公爵令嬢であるローズの立ち居振る舞いは常に気品があって美しい。
貴族ならではの気位の高さはあるものの、貴族というのはローズのような令嬢のことなのだと、シルフィーナにとってはお手本のような存在だった。
ただ、どうしてもウィルフレッドのことが絡むと敵視されてしまって友人にはなれなかったけれど。
「ありがとう、ローズ。私のために」
ルヴィリア家の使用人たちに着せてもらったドレスは、雪のように白く清楚なものだった。
ドレスに足りないクレムウェルを示す銀と蒼は髪飾りで補われている。
大きめの黒真珠を中心に銀のレースリボン、そこに青く小さな花々が散らされた髪飾りが、ドレスをより映えさせていた。さすがにローズの選んだものはセンスがいい。
ただ、どれもローズ自身の好みとは少し違っているようだし、新品のように見受けられたのが気になった。
「当家で開催している宴ですから、わたくしが責任をとって対応するのは当然ですわ」
後片付けを済ませた使用人たちを下がらせ、ローズ自身も先に退出しようとしたが、
「ま、待って、ローズ」
シルフィーナがそれを引き止めた。
たぶん、彼女と一対一で直に話すのはこれが最後になるだろうから。