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3話 伝説を探す少女

 トムが荷車を引く軋む音と、アムの革ブーツが地面を踏む軽やかな音が、夕暮れの静かな村に溶け合っていた。村の中心へ続く道は細く、両側に広がる麦畑が風に揺れて黄金色の波を作り出していた。空は次第に深い藍色に染まり、遠くの地平線にはまだ薄い橙の光が残っていた。


 トムは時折振り返り、アムの真剣な表情を確かめるようにチラリと見つめた。彼の心にはまだ疑念が渦巻いていた。勇者シオン・エバレットがこの小さな村にいるなど、にわかには信じがたい話だった。だが、アムの瞳に宿る炎と、彼女が口にしたトライナの名は、彼の記憶に深く刻まれた伝説を呼び起こしていた。


「村長の家はもうすぐだ。あの丘のふもとに古い屋敷がある」トムは顎で前方を示し、荷車をゆっくり進めた。「ただな、お嬢さん。村長は人望もあってとてもやさしいお方だがよそ者には警戒心が強いところもある。どこまで話をしてくれるかは正直わからんよ」


「そ、そうですか…」


 彼女の声には、疲れと決意が混ざっていた。

 トムは肩をすくめ、荷車の取っ手を握り直した。「ああ、そうだ。ガルド村長はな、この村を守ることに命をかけてる。昔、魔王の残党が村を襲ったことがあってな。それ以来、知らん顔には用心深いんだ」


 彼は一瞬言葉を切り、アムの反応をうかがうように振り返った。「お嬢さんがトライナ様の娘だっていうなら、話は別かもしれねぇが…さて、どうなることやら」


 アムは唇を軽く噛み、母の言葉を思い出した。『シオンはこの村にいる。だが、彼を見つけるのは簡単じゃない。村長は彼を守ろうとするだろう』。母の声は遠く、だが力強くアムの胸に響いた。彼女は短剣の柄にそっと触れ、心を落ち着けた。「ありがとう、トムさん。どんな反応でも、ちゃんと話してみます」


 二人が丘のふもとに近づくと、屋敷の門が風に揺れて小さく軋む音を立てた。トムは荷車を道の脇に寄せ、門の前に立った。「ここだ。俺が先に話をつけるから、少し待ってな」彼はそう言うと、門を軽く叩いた。鈍い音が夕暮れの静寂を破り、しばらくして足音が近づいてきた。


 扉がゆっくり開き、背の高い老人が姿を現した。ガルド村長だった。白髪はきちんと整えられ、深い皺の刻まれた顔には穏やかな微笑みが浮かんでいたが、その目は鋭く、まるで相手の心を見透かすようだった。ローブの裾が地面を軽く掃き、彼はトムを見て小さく頷いた。

「トムか。こんな時間に珍しいな」ガルドの声は落ち着いていたが、視線がアムに移るとわずかに眉が動いた。「この娘は?」


 トムは一歩下がり、アムを紹介するように手を広げた。「村長、このお嬢さんはアムさんと言って…どうやら元勇者のシオン・エバレットを探してるって言うんです。それと驚かないでください。彼女の母は、なんとあのトライナ様だそうです」

「トライナ様?」ガルドの声に一瞬の驚きが混じり、彼はアムをじっと見つめた。


「はじめまして、アム・エリスティアといいます。」


 アムは一歩踏み出し、ガルドの鋭い視線を真正面から受け止めた。彼女の声はわずかに震えていたが、決意に満ちていた。「母から、勇者シオン・エバレット様がこの村にいると聞きました。彼に会うため、遠くからやってきました。どうか、お力を貸してください。」

 ガルドの目はアムを値踏みするように細められ、しばらくの沈黙が流れた。夕暮れの風が屋敷の門を再び軋ませ、遠くでフクロウの鳴き声が響いた。トムは気まずそうに足を擦り合わせ、荷車の取っ手を握り直した。


「そうか…。とりあえず中に入りなさい。話はそこで聞こう」ガルドの声は低く、慎重な響きを帯びていた。彼は一歩下がり、扉を大きく開いた。「トム、お前もだ。」

「わ、私もですか?」トムは目を丸くし、荷車の取っ手を握ったまま戸惑った。


「ああ。荷車はそのままでいい。さあ、早く。」ガルドの口調には有無を言わさぬ力が込められていた。

アムは小さく頷き、革ブーツのつま先で地面を軽く蹴ってから一歩踏み出した。トムは慌てて荷車を門の脇に寄せ、彼女の後を追った。


ガルドの背中に導かれ、三人は屋敷の薄暗い廊下を進んだ。壁には古びた燭台が等間隔に並び、揺れる炎が石壁に長い影を投げかけていた。足音が硬い石の床に反響し、アムの胸に緊張が広がった。彼女は短剣の柄を握る手に力を込め、母の言葉を心の中で繰り返した。


 廊下の突き当たりで、ガルドは重厚な木の扉を開けた。村長の部屋だった。部屋は質素だが、どこか厳かな空気を湛えていた。中央には傷だらけの円卓が置かれ、壁には色褪せた織物が村の歴史を静かに物語る。窓から差し込む夕暮れの光は弱々しく、部屋の隅に置かれた燭台の火が頼りない暖かさを添えていた。暖炉は冷え、灰が積もったままだったが、机の上に置かれた小さな水晶の欠片が、微かに光を反射していた。


「そこに座れ。」ガルドは円卓の椅子を指し、自分もゆっくりと腰を下ろした。彼の目はアムを離さず、まるで彼女の言葉の真偽を量るようだった。「さて、アム・エリスティア。トライナ様の娘と言いましたな? シオン・エバレット様をなぜ探すのです? 詳しく話して聞かせてください。」


 ガルドの穏やかな口調に、アムは一瞬目を伏せ、深呼吸してから意を決したように口を開いた。



 

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