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結婚式の夜、突然豹変した夫に白い結婚を言い渡されました  作者: 鳴宮野々花@書籍4作品発売中


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72. 澱んだ愛の残骸(※sideラウル)

 わずかばかりの日銭のために、取るに足らぬ下賤の男に怒鳴られながら慣れない肉体労働をし、疲れ切って家に帰る。ここはロージエが誰かに頼んで借りたらしい、長年空き家だったオンボロ小屋だ。


 その夜、私が埃っぽいマットレスに横たわっていると、繕いものをしていたロージエがポツリと言った。


「……やっぱり私も、もっと実入りのいい仕事をしなきゃいけませんよね……。サリアさんやイヴェルさんみたいに……」


 サリアとその母親のイヴェルは、この街の娼館で働いているらしい。奴らも王都から逃げるように離れ、我々と同じようにこの街に辿り着いたのだ。そしてロージエの父親である元ブライト男爵は、彼女らと共に暮らしているらしい。影の薄かったロージエの母は、この騒動の中夫と娘から離れ、実家に帰ってしまったそうだ。

 以前サリアからぶちまけられた時には半信半疑だったが、ロージエの父親とサリアの母イヴェルは、いまだに恋仲にある。そしてロージエの父親はろくな仕事もせず、イヴェルたちが体を売った金で生活の面倒を見てもらっているのだ。

 サリアはなんとあのダミアン王太子と一時期恋仲になったそうだが、サリアに狂った王太子がエーメリー公爵令嬢との婚約を勝手に破棄し、国王陛下の怒りを買って廃太子とされてしまった。その上王籍からも外され、あの東端の干からびたアグニュー男爵領に飛ばされてしまったのだ。サリアは「無一文になった元王太子とともにアグニュー男爵領なんかに行くのは絶対に嫌だ」といい、母親らと一緒にいる道を選んだらしい。


 誰も彼も、頭がおかしいとしか思えない。


「わ、私さえああいう仕事をすれば、ラウル様にももっとましな生活をさせてあげられますもの。……ね? ラウル様」


 ロージエのその言葉は、私の中にわずかに残っていた自尊心の欠片さえも粉々に砕いてしまった。……私はこんなみすぼらしい場所で、こんな最底辺の生活を送りながら、自分よりもはるかに下に見ていた女に憐れまれ、世話をされている。

 泣きわめき、暴れ回りたい衝動にかられた。

 何故。何故私はこんなところにいる。こんな地獄のようなところに。こんな見苦しい女と二人きりで。

 ふと、頭の中に美しい彼女の姿が浮かび上がる。誰よりも気高く上品な、そして誰よりも賢い私の元妻。その姿を思い出すと、いつも冷静ではいられなくなる。激しく押し寄せる後悔の念が私を責め立て、正気を失わせようとするのだ。


 ああ、ティファナをもっと大切にしていれば……!!


「ラ、ラウル様? どうなさいました? 大丈夫ですか?」


 背中を丸めて頭を掻きむしりだした私を気遣うように、ロージエがおそるおそる声をかけてくる。その自信なさげな声でさえ、私の神経を逆撫でする。

 私は大きく息をつくと、彼女に背を向けて答えた。


「……いいんじゃないか。あの女たちと同じところで働けばいい。そうすれば今よりもマシな生活ができるだろう」


 予想以上に低い声が出てしまった。ロージエはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。


「……そうですよね。……分かりました。明日、館を訪ねてきます」


 そう言うと、何やらガサゴソと片付ける音が聞こえはじめた。やがて部屋の明かりが落とされ、ロージエが私の隣に体を横たえた気配がした。

 しばらくすると、私の背中に彼女がピタリと身を寄せてきた。


「……ラウル様」

「触るな。不愉快だ」


 私はいつの間にか、男として完全に機能しなくなっていた。おそらくはヘイワード公爵邸を追い出された時からだろう。これから先の自分の人生が見えない絶望と恐怖で毎日必死だったため、自分がいつから不能になったのかはっきりとは分からない。しかしこうしてロージエがそばに寄ってくるだけで、全身に鳥肌が立つほどの不快感を覚えるのだ。その部分はピクリとも反応しない。


 振り払おうとした時、背後からゾッとするほど恨みがましい声が聞こえてきた。


「……愛していますわ、ラウル様。私、本当に幸せなんです。抱いてくれなくてもいい。他の男たちに体を売ることを、止めてもらえなくたっていいの……。ただ、あなたのそばにいられるだけで、本当に幸せ。……言ったでしょう? 私。あなたが公爵家の子息じゃなくても、格好良くなくても、平民でも、何でもいいって。……ね? 本当だったでしょう? 私の愛だけが真実なんです。真実の愛なの。……一生、離さないから……」


 途切れることなく聞こえてくる、まるで呪詛のようなロージエの言葉。あまりの不気味さに、私はおそるおそる首を後ろに向けた。


「……ひっ……!」


 暗闇の中、光を失ったロージエの瞳が私を見つめている。張り付いたようなその笑みは、思わず叫び声を上げそうになるほど異様なものだった。獲物を捕えた悪霊のように。


 その瞬間、私は気付いた。私はもう少しも愛されてはいないのだと。

 孤独を恐れ渋々彼女と一緒にいる私のように、ロージエもまた、澱んだ愛の残骸を抱え込んで自分を洗脳しているのだ。愛を手に入れたと。自分は幸せなのだと。そう言い聞かせなければ、彼女もまた正気を保ってはいられないのだ。


 これから先私たちは皆、生きたまま地獄へと落ちていくのだろう──────








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