69. カトリーナの幸せ
「カトリーナ……、あなたはギルモア辺境伯との縁談を、前向きに受け入れているってことなのね……?」
私がそう尋ねると、カトリーナはますます頬を赤くし、恥じらう少女のようにコクリと小さく頷いた。
「あのね、ティファナ。実は私ね……、子どもの頃からギルモア辺境伯のことを、素敵な方だなって思っていたの」
「そ、そうなの……? え? いつから……?」
「さぁ……はっきりと自覚したのが何歳の頃だったか、自分でもよく分からないわ。そんなに頻繁にお会いする機会があったわけでもないしね。でもね、時折王宮での式典やパーティーであのお方とお会いして、ほんの少し言葉を交わしたり、父と仕事の話をしているあのお方の姿を見るたびに、私いつの間にかギルモア辺境伯のことがとても気になって……。気付けばあの方のことばかり考えるようになっていたのよ。知的で才覚があって、落ち着いていて、……素敵だなって」
そう打ち明けるカトリーナの顔がどんどん真っ赤になっていく。カトリーナは「やだ、私ったら」なんて言いながら両手で頬を押さえ照れている。
知的で才覚があって、落ち着いた紳士……。ダミアン様とは真逆の男性ね……。
これまで全く見せたことのないカトリーナの恋する乙女のような表情を見て呆気にとられながら、私は頭の中でそんなことを思った。
「い、今までそんなこと一度も……。私全然知らなかったわ……」
「だって、言えないわよこんなこと。王太子殿下の婚約者の座を共に目指しているあなたに、実は私ときめいている殿方がいるの、なんて……。ふしだらだし、あなたに軽蔑されるのも怖かったの」
「け、軽蔑なんて……! するはずないじゃないの。カトリーナったら。……でも、言えなかったあなたの気持ちも分かるわ」
たしかに、私が彼女と同じ立場だったら絶対に打ち明けられなかったと思う。王家に嫁ぐことを競い合っている親友に、実は私他に好きな人がいるの、なんて。
私の言葉を聞いて少し微笑んだ彼女は、自嘲するように言った。
「それに、決して許される感情ではないと思っていたから。エーメリー公爵家の娘として、私には成し遂げなくてはならない責務があった。父にも母にも、そして王家に対しても大きな裏切りの感情だと自分を責めたわ」
「……カトリーナ……」
知らなかった。カトリーナがたった一人で、そんな葛藤を抱えていただなんて。
きっとすごく苦しかっただろうな。それなのに、カトリーナは自分の本心を微塵も表に出さず、時には私や周りの令嬢たちをフォローしながら、王太子妃教育にも打ち込んでいたなんて……。
やっぱり、カトリーナはすごいな。
アルバート様が静かに口を開く。
「じゃあ、結果として君にとっては良かったわけだね。ひそかに想いを寄せていた人の元に嫁ぐことができるわけだ。……もう正式に決まったのかい?」
「はい、先日婚約の書面を交わしました。ギルモア辺境伯も、前向きに考えていてくださったようですし……。結果として良かったと言っていいのかは、分かりませんが。父はいまだに納得していない部分もあって、王家との話し合いは続いておりますし。でも……はい、私個人としては」
「……幸せ?」
思わずそう尋ねると、カトリーナは私を見つめて、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、……ええ。ダミアン様とサリア嬢との現場を見てしまった上に、一方的に婚約破棄まで突きつけられた時はもう、怒りと落胆とで目の前が真っ暗になったわ。でも、正直今は……感謝してるの、あの人たちに。まさかこんな結末が待っているなんて」
「そう……。ふふ。じゃあ、よかったわ。エーメリー公爵夫妻には少し申し訳ないけど、私はあなたのそんな幸せそうな顔が見られて嬉しい。……婚約おめでとう、カトリーナ」
「ありがとう、ティファナ」
そう言ってはにかむカトリーナは、抱きしめたくなるほどに可愛らしかった。喜びに満ちた彼女の笑顔が嬉しくて、私は前のめりに尋ねる。
「ね、それで? ギルモア辺境伯とお会いして、どんなことをお話ししたの?」
「えっとね、ふふ、私からはギルモア領の話を聞いたりしたわ。元々裕福だったギルモア領は彼の代になってからますます栄えるようになったし、どういう領地経営の工夫をなさっているのか、とか。結婚後は私も彼の役に立ちたいし、これからはまた新たに覚えることがたくさんあるわ」
「そう。早速辺境伯領について学ぼうとしているのね。さすがはカトリーナだわ」
「立派な令嬢が嫁いできてくれるわけだから、辺境伯も心強いだろうね」
私とアルバート様の言葉に照れくさそうに微笑みながら、カトリーナが続ける。
「ギルモア辺境伯からは、私の日々の生活のことなんかをいろいろと聞かれたわ。それに、お互いにどんなものが好きなのかとか。絵画や音楽の好み、趣味や読んでいる本のことも……。あ、あなたのこともたくさん話したわよ、ティファナ」
「……えっ? わ、私のことを?」
「ええ! あなたのこと、ちゃんと覚えてらっしゃったわよ。大好きな親友なんですって言ったら、ぜひ今度オールディス侯爵令嬢にもご挨拶したいって」
「まぁ。光栄だわ」
嬉しそうに話すカトリーナを見て、私は心から安心した。話を聞く限り、ギルモア辺境伯もカトリーナのことを憎からず思ってくださっているような気がする。きっと大事にしてくださるだろう。
帰り際、別れの挨拶を交わした私たちは、これからの互いの人生が上手くいくよう願いあった。
「じゃあまたね、カトリーナ。あなたがギルモア領に行ってしまったら会いに行くのに時間がかかるけど……、でも同じ国内にいるんだもの。何度でも会いに行くわよ」
私がそう言うと、カトリーナは苦笑した。
「そうね。……ダミアン様がああなっちゃったことだし、あなたが私の元へたびたび会いに来てくれるのは、もう難しくなるかもしれないけれど……」
「……え?」
ダミアン様……? なぜダミアン様の名前が今……?
戸惑う私の両手を、カトリーナがそっと握る。
「でもね、離れていても私たちは繋がってるわ。ずっとね。私たちは特別だもの。幼い時から一緒に努力して、一緒に苦労して、励ましあって支えあって、こうして絆を紡いできたの。……そうでしょう?」
「……ええ、もちろんそうよ、カトリーナ」
どうしてだろう。なんだか胸が締めつけられる。これまで一緒に過ごした時間を思い出して、これからは互いに離れた場所でそれぞれの人生を生きていくことを、切なく思ってしまうからかしら。
視界が揺らぎ、鼻の奥がツンとする。気付けば目の前のカトリーナも、その瞳に涙をいっぱい溜めていた。
「……だから私は、あなたを応援してる。そしてあなたを祝福するわ、心から。アルバート王弟殿下と、幸せにね」
「……ええ。ありがとう、カトリーナ」
「大変なこともいっぱいあるだろうけど、あなたなら大丈夫。殿下もおそばにいることだし、何も心配いらないわ。……全ては運命の神様が決めたこと。あなたが大好きよ、ティファナ」
「カトリーナ……! ええ、私もよ。あなたが大好き」
カトリーナは自分の言いたいことを全て伝えようとしているような気がした。私たちは自然と抱き合い、しばらくそのまま動かなかった。
けれどやがてカトリーナは私から体を離し、そばで静かに見守ってくれていたアルバート様に言葉をかける。
「……ティファナをよろしくお願いします、アルバート王弟殿下」
「ああ。心配いらない。何があっても俺がティファナを守るから」
迷うことなくそう答えてくれたアルバート様に手を引かれ、私たちはエーメリー公爵邸を後にしたのだった。




