68. エーメリー公爵邸へ
「カトリーナ嬢には、王家の仲介で条件の良い縁談を世話しようと、今陛下が見繕っているところなんだ」
「そ……そうなのですか?」
アルバート様の言葉に、私はほんの少しだけホッとする。私たちの年齢になって突然婚約者を失うとなると、次の縁談を整えることは通常とても難しい。ほとんどの高位貴族の令息はもうとうに婚約者が決まっているし、決まっていないとすれば、何か当人やその家に大きな問題があったりする場合が多いのだ。エーメリー公爵家の令嬢、それも王家に嫁ぐ予定だった優秀な彼女に良縁が全くないなんてことはないはずだけれど、それを探すのは難航するのではないかとも危惧していた。
「それでね、陛下がギルモア辺境伯はどうかと話をしてみたところ、カトリーナ嬢自身がすごく前向きな返事をしたらしいんだ」
「……エーメリー公爵や夫人ではなく、カトリーナが、ですか?」
「ああ。意外だろう?」
「は……はい……」
ギルモア辺境伯はこのリデール王国の南方を守る傑物で、現王妃陛下の縁戚にあたる血筋の方だ。独身を貫いてはいるけれど、歳は私やカトリーナに比べると随分上だったはず……。三十代半ばくらいだろうか。先日の祝賀パーティーにも代理の方が列席していたし、お顔を拝見したことがあるのは私も数える程度だ。
「会いに行ってみるかい? カトリーナ嬢に」
「え……っ」
「本人に会って様子を確認しないと、心配でたまらないんだろう? 本当は今日も、俺のところに来るよりも、カトリーナ嬢の元へ駆けつけたかったんじゃないのかい?」
「そっ! そんなことは……、でも……はい。会いたいです、カトリーナに」
アルバート様の鋭い言葉に、思わずドキッとしてしまった。たしかに、出がけにあんな話を聞いてしまったものだから、今日はもう気もそぞろだったのだ。
私の返事を聞いたアルバート様は小さく頷く。
「だろうね。そうと決まれば早速訪問の伺いを立てようじゃないか。早く君を安心させないと、肝心な話もできないしね」
「え……? な、何ですの? 肝心な話って。私なら大丈夫です。どうぞ、なさってくださいアルバート様」
そういえば、屋敷を出る前に父も同じようなことを言っていたっけ。王弟殿下から大事な話があるかもしれない、と。
そんなことを思い出していたその時、アルバート様が私の髪をそっと撫で、唐突に私の頬に唇を寄せた。
「きゃ……っ! ア、アルバートさま……っ!? 何を……っ」
温かく柔らかなその感触と、ふわりと香るアルバート様の香水の匂いに心臓が大きく跳ねる。頭が真っ白になり、全身が滾るほど熱くなった。
けれど、アルバート様はいつもと全然変わらない穏やかな眼差しで私のことを見つめている。
「ふ……、ごめん。ティファナが愛おしくてたまらなくて。触れたい欲求を我慢できなかった。許しておくれ」
「ふ……、ふれ……っ」
「カトリーナ嬢から返事が来たらすぐに知らせるよ。一緒に訪ねよう。楽しみだね」
まるで何事もなかったようにそんなことを言うアルバート様とは対照的に、私は口をパクパクさせながらただ狼狽えるしかなかった。
◇ ◇ ◇
「ふふ。二人お揃いで来てくださったのね。嬉しいわ」
数日後。エーメリー公爵邸で私とアルバート様を出迎えてくれたカトリーナの顔は晴れ晴れとしていた。その表情や雰囲気に無理をしているような緊張感はなく、驚くと同時にホッとする。
まるで本当に何の憂いもないように見える。
通された応接間でソファーに腰かけ、私たち三人はほんの少しの間当たり障りのない会話をした。けれどもすぐにカトリーナが核心に触れる。
「……心配して来てくれたんでしょう? ティファナ。もう聞いているわよね?」
「……ええ。実はそうなの、カトリーナ。まさか、今さらになってこんなことになるなんて……。私の義妹が、とんでもないことを……」
「ふふ。今では無関係の元義妹でしょう? あなたがそんなに落ち込むことはないわ。あなたにはこれっぽっちも責任はないんだもの。それに……ダミアン元王太子殿下がああいう人だということは、私もあなたも昔からよく知っていたじゃない」
「それは……そうだけど」
あの人の怠惰な性格や女性関係のだらしなさについては、たしかによく知っていた。だからと言ってカトリーナやエーメリー公爵家にとっては、まぁこうなっても仕方ないか、なんて納得できる話じゃないはずだ。
けれどカトリーナの顔は相変わらずさっぱりしていて、まるで重い荷物を全部放り出すことができたとでもいうような爽快ささえ感じられた。
その時、私たちの会話を黙って聞いていたアルバート様が口を開いた。
「もうギルモア辺境伯とは会ったのかい? カトリーナ嬢」
「はい! ……ふふ、とても紳士的で、素敵なお方でしたわ。こんなにゆっくりお話をさせていただいたのは初めてで、なんだか緊張してしまいました。でも……楽しかった」
頬を染めながらそう答えるカトリーナの表情は、まるで蕩けるほどに幸せそうで、私はとても驚いた。長い付き合いの中で、彼女のこんな顔を見たのは初めてのことだった。




