51. 不気味な静けさ(※sideラウル)
「……最近、お屋敷での奥様のご様子はいかがですか? ラウル様」
「……ティファナか? ……いや、別に。ほとんど顔を合わせてさえいないからな。様子は分からないが、特に変わりはないんじゃないかな」
「そうですか。……何も変わったことは?」
休日のある日。私はロージエと二人、街はずれのある宿で密会していた。大胆になってきているという自覚はあった。あまり羽目を外してはいけないという思いも。けれどロージエを愛してしまった今、日々高まる自分の想いに歯止めが効かなくなっていた。もっと会いたい。もっとゆっくりロージエに触れたい。二人きりの空間にいたい。そんな思いで、私はおそるおそる彼女との密会を続けていた。
その宿の一室。ベッドの中で私の腕に抱かれていたロージエが、ふいに私を見上げるようにしてそんなことを尋ねてきた。正直、二人きりの甘い時間を楽しんでいる今、ティファナのことなど思い出したくもない。
「変わったこと、か……。いや、別にないな。何故そんなことが気になるんだ? 何かあったのか?」
「……いえ、別に。先日変な夢を見た気がして、大丈夫かなぁって……」
「どんな夢だったんだ?」
「……お、覚えてません……」
「ふ……、何だそれは。おかしなヤツだな」
自信なさげに弱々しい返事をするロージエが可愛くてならない。この子には私がついていてあげなくてはという強い気持ちが込み上げてくる。ティファナのように意志の強さを持つ賢い女とも、サリアのようなあざとい甘え方を熟知した下品な女とも違う。
私を尊敬し、頼り、自尊心を満たしてくれるか弱い女。
私の可愛い、たった一人の特別な女。
その日、夜遅い時間に屋敷に戻った時、ティファナと玄関ホールの前で鉢合わせしてしまった。居間から出て自室に戻ろうとしているところだろうか。ついさっきまでロージエと密会していた後ろめたさから、つい視線が泳いでしまう。
しかしティファナは私の方をチラリと一瞥し、そのまま通り過ぎて行った。
「お帰りなさいませ」
「……ああ」
そう一言だけ、声をかけられた。
もう以前のように、何か言いたげな表情で私のことをジッと見つめることもしない。
私と会話をするために、わざわざ起きて待っていることもしなくなった。今日は本当に偶然出くわしただけだ。久しぶりだった。
(……そういえば、顔を合わせたのはいつぶりだ……?)
家令に上着を預け、部屋に戻りながら、ふとそんなことを考える。記憶を辿り、あの夕食会の夜が最後だったと思い至った。……そうか。もうそんなに会っていなかったか。あれはたしか、十日は前の話だ。
「……」
だから何だというわけでもない。結婚直後のように、帰宅するなり人が帰ってくるのを待ち構え駆け寄って来られるのも、朝一番から「お、おはようございますラウル様。あの……、今夜は何時頃お戻りですか? 少しお話する時間を作っていただきたいのですが……」と、こちらの機嫌を伺うような目つきでおそるおそる声をかけてこられるのも、煩わしくてならなかった。
それがなくなって、本当にありがたい。
(……あの夜、離縁に向けての私の意志をきちんと伝えたのがよかったな。あれからだ。あの夜からティファナは、私に関心を示さなくなった)
相変わらず私と話し合いの場を持ちたがっていたティファナに、できるだけ早急に離縁すると、そう宣告した。あの時、ティファナは初めてこの私に露骨な怒りを見せたのだった。これまでと口調の変わった彼女の様子に、一瞬たじろいでしまった。
しかし、その時だけのことだ。
今はもう、ティファナの様子は落ち着いている。現に今も、私を睨みつけることも、必要以上に話しかけようもする様子も一切なかった。
完全に、私に無関心になったかのように。
「…………」
何故だろう。私にとって非常に都合の良い状況であるにも関わらず、妙に嫌な気持ちになる。そわそわと落ち着かず、腹の中を不気味な生き物がのったりと動き回っているような、言い表せない不快感と焦燥感。
『ラウル様。……信じていただけなくて、とても残念です。私はあなたと、良き夫婦になりたかった』
ふいに、部屋で話したあの夜の、彼女の去り際の言葉が脳裏によみがえった。
だがその理由は、分からなかった。
そして、それからわずか数日後。
私はロージエから驚愕の事実を打ち明けられた。
彼女がそのか細い体に、私たちの愛を宿したということ。
そして、ブライト男爵がそのことを知ってしまい激怒し、すぐにでも田舎の伯爵家の後妻としてロージエを嫁がせようと手配をはじめたということを。
目の前が真っ暗になった。
「だ……、だが……そんなことはあまりに無謀だ……! そうだろう!? 私の子を宿す君を、何故……!」
「……父は、妊娠初期の今ならば、まだ誤魔化しがきくと考えているのです……。その伯爵は耄碌してきているから、嫁いですぐにベッドを共にしてしまえば、きっと私が我が子を宿したと信じるはずだと……。お、お前が初夜からしっかり務めを果たせばバレない、と……。うぅぅ……っ、ラ、ラウルさま……っ。助けて……」
「…………っ、」
肩を震わせながら私の胸に顔を埋めるロージエを手放す選択肢は、私にはなかった。
ロージエを抱き寄せながら私は、父であるヘイワード公爵の帰国の予定がいつであったか、自分にはあと幾日の猶予があるのか、そのことばかりを考えていた──────




