43. 温室の奥で
両家の夕食会の日からしばらく経った、ある日のこと。
私の元に、アルバート様からのお手紙が届いた。侍女から渡されたその手紙の差出人の名前を見た途端、私の心臓が大きく跳ねる。
湖に出かけたあの日以来、何だかアルバート様のことばかり考えてしまって、やけに気持ちが落ち着かない。そんな中で、まるで私の動揺を見透かしたようにお手紙なんて届いたものだから……。
(……温室に、異国の珍しいお花が? まぁ……)
その内容は、王宮の裏手にある温室に、両陛下のために贈られた希少な植物がいくつか植えられているとのこと。中にはとても幻想的で美しい花々もあるから、是非見に来るといいというものだった。
どんなお花なのかしら。見てみたいな。
昔から花が大好きな私は大いに興味をそそられた。ほんのわずかの間、アルバート様にお会いする気恥ずかしさや、またラウル様と鉢合わせしてしまった時の気まずさなどが頭をよぎった。けれど……。
(……馬鹿馬鹿しい。なぜ私がラウル様に遠慮しなくてはいけないの。後ろめたいことをしているのは向こうなのに。それに、アルバート様のことは私が変に意識しすぎているだけだわ)
何も変わらない。私とアルバート様は、昔から他の人たちよりも距離が近かったし、長い間親しくしていただいてたじゃないの。湖でのことは、もう思い出さないようにしよう。またいろいろ考えすぎちゃうわ。うん。
そう自分に強く言い聞かせ、私は後日王宮へ赴いたのだった。
「……っ! まぁ……っ! なんて綺麗なんでしょう」
「ね。俺も最初に見た時は驚いたよ。不思議な色合いだよね」
広い温室の最奥のスペースに、鉢に入れられ大切そうに植えられている半透明の花々。それを目にした途端、私は隣にいるアルバート様の存在をしばし忘れてしまうほど夢中になった。
供をしてきた侍女と護衛たちも、入り口付近の広いスペースに待機していてそばにはいない。
「ええ……。うっすらと透けていますわ。綺麗……。それにこの神秘的な色合い……。光の加減で全然違う色に見えます。ほら、こちら側から見たらまるで虹のよう。とても素敵ですわ」
私はすっかりその異国の花に魅入られ、身をかがめてはいろいろな角度からそれを眺めて堪能していた。まるでお伽噺の中から飛び出してきたお花みたいだわ。子どもの頃に読んだ、妖精たちが暮らす国の花畑の……。
一心不乱に見つめていると、ふいに後ろの方からアルバート様のクスクスと笑う声が聞こえてきて、私は我に返った。
「……ごめん。そうやって花に夢中になっている姿が、幼い頃の君のことを思い出させたものだから……」
「ア、アルバート様……っ」
楽しそうに笑ってこちらを見つめるアルバート様の姿を見て、なんだか急に恥ずかしくなってきた。
私は慌てて姿勢を正すと、そっぽを向いて小さく咳払いをする。
「も、もう……。そんなに子どもっぽいですか? 私。だって、こんなに幻想的なお花を見たのは初めてだったんですもの。つい……」
アルバート様の視線があまりにも優しいものだから、何だか妙に照れてしまってまた頬にじわじわと熱が集まりはじめた。
背を向けたまま言い訳がましいことを言っていると、アルバート様が後ろから私に声をかける。
「今はたまたま、子どもの頃のティファナを思い出しただけだよ。無邪気に花を愛でている姿が懐かしくてね。幼い頃の君も、新しい花を見つけるたびにそうして瞳をキラキラさせながら俺に教えてくれていたな、って。……でも、普段はティファナのことを子どもっぽいなんて思うことはないよ。むしろ、あの頃とは比べものにもならないくらいに美しく、大人っぽくなったと感心しているんだから」
「ほ、本当ですか?」
そう言って振り返った時、そのあまりの距離の近さに心臓が跳ねた。やけに真剣な面持ちのアルバート様は、その澄み切った美しいブルーの瞳で私のことだけを見つめている。
「本当だよ、ティファナ。君は完璧な淑女に成長した。そして、止める間もなくヘイワード公爵令息夫人になってしまっていた。……つくづく、あの男を軽蔑するよ、俺は。君を妻にするという至上の幸運を手にしておきながら、そのありがたみを全く分かっていないのだからね。軽蔑するし、そして……羨ましくてならない」
「……ア、アルバート様……?」
なって、しまった……?
私の不幸な結婚生活を憂いてくださってるのかしら。
それに、羨ましいって……?
言葉の真意を測りかねて、私はおそるおそるアルバート様のお顔を見つめる。
彼は至って真面目な顔をしたまま、私に言った。
「……もしも俺が君の夫という立場を、そんな歓びを与えられたのなら、何を放り出してでも君の幸せを一番に考えるよ。他の誰よりも大切にして、君が一生笑っていられるように尽力する。……君が誰よりも、大切だからだ」
(……。……え?)
一体、アルバート様は何を言っているんだろう。
私の心を射抜くようなその青い眼差しが、心臓を激しく揺さぶりはじめた。鼓動がどんどん速くなる。時を止める魔法にでもかかったかのように、私はアルバート様から目を逸らせずにいた。




