39. 上辺だけの夕食会
ヘイワード公爵夫妻が到着してから数刻後、無事ラウル様が帰宅した。その顔はぎこちなく強張り、緊張が見てとれた。
まさか今夜の夕食会の席で、私との離縁を発表する気でいるのだろうか。それなら彼の緊張も分かる。ヘイワード公爵も、そして私の父オールディス侯爵も、簡単には許さないだろう。激昂するかもしれない。
(さぁ、ラウル様がどう出るかが見ものね)
私はそんな風に冷静に考えるまでになっていた。どっちでもいい。もし今夜彼が離縁の話をするつもりでいるのなら、私も自分の責任ではないことを、そして彼とロージエさんの関係なども暴露してやろうかとも思っていた。
そしてしばらくして、私の家族も到着した。
「まぁ、しばらくねティファナさん。お元気そうで何より」
「お義姉さまぁ~! お元気ぃ? うふふっ、やっとお会いできたわねっ。んもうっ、お義姉さまったら、ラウル様と三人でどこか出かけましょうよっていくらお手紙出してもつれないお返事ばかりなんですものぉ。あたし寂しかったわ。……あぁーんラウルさまぁっ! お会いしたかったですぅ~!」
「……久しぶりだな、ティファナ。元気にやっているか?」
「ええ、お父様。お久しぶりです。私はつつがなく。今日は遠路はるばるお疲れ様です。ありがとう」
義母イヴェル、義妹サリア、そして父をラウル様とともに玄関ホールで出迎える。ラウル様はいつもの神妙な顔で私の家族に挨拶を返している。
一段落して公爵夫妻が待つ食堂へ向かう途中、父が低い声で厳しく叱責した。
「サリア、甲高い声を上げてはしゃぐなといつも言い聞かせているだろう。ヘイワード公爵家でまで無作法は止めろ。我が家の恥になる。……お前もしっかりサリアに教育しないか」
「……ごめんなさい、あなた」
サリアが怯えた顔をして口をつぐみ、義母が渋々といった不服そうな顔で父に詫びる。……あら? もしかして、こっちも険悪な雰囲気なのかしら。
食堂まで移動するオールディス侯爵家三人の雰囲気を見て、私はそう思った。
「────このワインをぜひ侯爵に味わっていただきたかった。これはレイラーニの夫が南国から持ち帰った土産でな。変わった色をしておるだろう。味わいもまた格別だよ」
「ほぉ……。これはまた、何とも芳醇な香りですな。このような色味のワインは初めて見た。……うむ、実に美味だ」
ヘイワード公爵が勧めるワインを味わう父は上機嫌だった。プライベートな場での旧友同士の語らいに、気分が高揚しているのかもしれない。
公爵の言うレイラーニさんとはラウル様の姉上で、大使を務める高位貴族の男性と結婚している。
「ベネディクト殿はお元気ですかな、公爵閣下。ティファナとラウル殿の結婚式でお会いしたきりだが……。隣国に留学中でしたな」
「ああ、あの時一時帰国し、その後とんぼ返りで今もまだ向こうの国におるよ。相変わらず本の虫で、学問にばかりのめり込んでいるようだ」
ベネディクトさんはラウル様の弟君。隣国に留学中の秀才だ。
盛り上がっている男性二人。それを聞きながらニコニコと相槌を打つ妻たち。ウズウズした表情を浮かべながらラウル様に露骨な視線を送り続ける義妹。ほぼ無言のまま黙々と料理を口に運ぶラウル様。上辺だけは和やかな雰囲気の夕食会。
その後デザートが運ばれてきても、会話がふと途切れた時でも、ラウル様が何かを言い出す気配はなかった。
「ラウル、お前は仕事の方はどうなんだ」
ふいに、ヘイワード公爵がラウル様にギロリと視線を送りそう尋ねた。別に睨みつけているわけでも怒っているわけでもない。公爵はその貫禄と迫力ある表情のせいか、妙に威圧感があるだけなのだ。
ところがその公爵の言葉に、ラウル様は目に見えて緊張感を漂わせる。背筋を伸ばしンンッ、と軽く咳払いをすると、少し上擦った小さめの声で答えた。
「……はい、つつがなくやっております」
「そうか」
たったこれだけの会話で、ラウル様がヘイワード公爵に対して萎縮しているのが分かる。彼のその雰囲気を察した私は、ちょっとした復讐心から、あえて口を出してみた。
「そういえばラウル様、先日お義父様方に何か大切なお話があるようなことを仰っていませんでしたか?」
グラスを手にしたまま、私があくまでさり気なくそう言うと、全員の視線がラウル様に向いた。彼の纏う空気が一瞬にして強張るのを感じる。
「何だ、ラウル。何か話があるのか」
低くしゃがれたヘイワード公爵の声に、しばらくの間黙っていたラウル様が、静かに答えた。
「……失念いたしました。いえ、大したことではなかったと思います」
「ふん。何だそれは」
公爵は興味を失ったようにワイングラスを傾けた。
(……情けない人)
あんなに偉そうな態度で私のことをこき下ろしておきながら。ロージエを愛しているだの、離縁だの、自分には確固たる意志があるだの、私の前では堂々とそうのたまったくせに、互いの両親の前では何も言えないんじゃないの。
不甲斐ないその姿を見て、ますます彼を軽蔑するしかなかった。




