第9話 生存本能
「避けろッ!!」
アインの鋭い声に体が強張る。と同時にボクの体は横向きに突き飛ばされた。
アインの足裏がこちらを向いている。どうやら蹴っ飛ばされたようだ。
何で、という思考が終わるよりも前に、青い何かが視界の端に飛び込んできた。
ソレはボクの脚の表面の擦り、黒板に爪を立てたようなイヤな音を立て、ボクとアインの間をすり抜ける。
ドン、と地面を揺らす音が響き、ボクらの少し後ろに土埃が舞った。
「見境無しか」
アインが僅かに顔を顰めている。
自分の脚を確認する。鏃と接触した部分は、服が破け、露出した肌は青く変色し、ボクの体を守っていた。
少しホッとする。
とはいえ、危機的な状況からは脱していなかった。
「そもそも何で攻撃してくるだよ…!」
「今話し合っている暇は無い」
言うが早いか、アインはボクに突進してきた。…‥突進?
「ちょっ、おま、何を!?」
そのままタックルと言ってもいいスピードでアインはボクを担ぎ上げる。
鳩尾にもろに食らったと思ったけど、ダメージは思ったほど無い。これも青い肌の影響なんだろうか。
「このまま矢を避けて城門に近づく」
高速で走るアインはそのまま弧を描きながら進路をコントル関所方向に変更している。
「相手は撃ってきてるんだよ!?」
「相手は1人だ。距離を詰めた方がいい。」
担がれて逆さになった景色が、飛ぶように過ぎていく。すぐ横で矢がすり抜けていく中、ボクは目を細めながら城壁の方を見る。
近づいた事で、だんだんとそこに立つ人影が見えてくる。
二人だ。
矢を番えている方は遠目からでも分かる、白い服を着ていた。片方の肩に黒いマントの様なモノを羽織っている。
「聖騎士?」
「そうだな。しかも厄介な相手だ」
ボクの疑問符にアインが短く返してくる。こんなスピードで走って話す余裕があるなんて、どれだけタフなんだ。
表情は窺えないが、厄介な、というのはどういう意味なんだろう。
「いいか。絶対に攻撃するな」
「ボクが、どうやって、攻撃、するって、いうんだよ!?」
振動で舌を噛みそうになりながらも言い返す。アインの様に剣を持っているならまだしも、ボクに攻撃手段なんて。
「えっ」
それは、相手との距離がおよそ五十メートルを切った所で起きた。
相手は防壁の前から一歩も動いていない。
こちらの反撃は、考えられていないと言った様子だ。アインの「攻撃するな」という言葉を思い出す。
相手が新たに矢を番えている。アインの接近速度からいって、おそらく最後の一本だ。アインも回避行動に移る。これまでもジグザグ移動で矢を回避してきた。
今回もソレは上手くいっていた。
アインが横に逸れる一瞬、相手の引き絞った矢の先が僅かにぶれた。
こっちを見ている。
感覚的にそう感じた。相手と目が合う。その片目だけが仄かな水色を纏っていた。
頭と脚は、慣性に囚われてアインの体から僅かに離れている。
矢が放たれる。近づいてくる矢が酷く遅く感じた。けれどボクの体は反応しない。できない。
「ッ」
久々の感覚だ。焼けるような感覚。
最後にこの感覚を覚えたのはそう、あの横断歩道の上で…。
赤色が目に入った。赤い、新鮮な血。ボクの血だ。
横目に矢が見える。その鏃が、頬を切り裂いていた。
『生きていたい』
「は?」
頭の中で、声が響いた。紛れもないボクの声。ただ、違和感のある声だ。
そう、これはボクがあの鉱物に貫かれる前の『ボク』の声だ。まだ子供っぽい、少年の声。
上体を起こし、アインの両肩に手を置く。両脚を折り曲げたまま、その胴体に張り付かせた。
それらの行動を、酷く他人事のように感じている自分がいる。まるで現実とボクの自意識の間に一枚のガラスがあるかのように、感覚がくぐもっている。
全身をあの冷たい感覚が走る。アインの肩を掴む手は、文字通り真っ青に変色していた。
両脚に力を込め、アインの接地とともに、発散する。
その反作用によってアインの体勢が大きく傾く。こっちを見る目は僅かに見開かれていた。
敵との距離が一気に縮まる。
敵は少年だった。少し癖毛の金髪に、くすんだ紅の瞳だ。
その少年の、驚きに歪んだ顔をはっきりと捉える。
『生きていたい』
あの声が頭の中を反芻している。
ボクの命を脅かす彼を……排除しないと。
ボクの腕が彼の顔に吸い込まれていく。そのまま、ボクは拳を振り抜いていた。
「ッ、げほっ、げほっ、」
気管に舞い込んだ土埃によって、ボクは盛大な咳をした。あのくぐもった感覚は消えていた。水色が引いていく手の指を握ったり開いたりしながら確認する。
「攻撃するな、と言ったはずだ」
後ろからの声に振り向くと、アインがこっちに歩いてきていた。全体的に服が砂色に汚れている。
「どうしたんだ?その汚れ」
「お前に蹴り飛ばされた」
「あっ…」
そうだった。意図した訳じゃないけど、アインを文字通り踏み台にしてしまっていた。申し訳なさそうな顔をするボクに、アインは特に何を言うでもなくボクの後ろを見た。
「それより、こっちの方が問題だ」
言われて再び振り向くと、人が二人、壁に寄りかかるように気絶していた。一人はあの金髪の少年。もう一人は、執事の格好をした背の高い青年だ。
金髪野郎はボクが殴り飛ばしたけど、執事さんは何で倒れてるんだ?
「ここを離れるぞ」
アインが短く指示を出してくる。
「この人達、このまま放置でいいの?」
「上を見ろ」
城壁の上が、何やら騒がしい。
「上で見張りをしている聖騎士が降りてくると、厄介な事になる。その前にここを離れ、街中に紛れるぞ」
確かにアインの言う通りだ。
「でも城門には見張りが居るはずだ。どうやって街に入るんだよ」
「この壁を駆け上がる。セイ、もう一度担がれろ」
………また?
「〜〜〜〜〜!!!」
再びアインに担がれたボクは、噛みそうになる口をしっかりと閉じて伝わってくる反動に耐えていた。
アインはほぼ垂直の壁を、何となしに駆け昇っている。そのまま頂上まで。
「なにごt」
壁の上で見張りをしている聖騎士が事態を把握するより速く、城壁を飛び越える。
壁に閉ざされた視界が広がり、向こうの壁まで広がる街の景色が目の前に飛び込んでくる。両端を崖に挟まれた窮屈な土地に、煉瓦や粘土、石造りの建物がみっちりと詰め込まれるように立ち並び、城門から続く大通りは人々が行き交っている。
「わぁ…!」
その光景に見惚れたまま、ボクは街の景色の中に落下していった。