第20話 約定と友情
視線の先には、十字に組まれた木材があった。その隙間から覗くのは、淡い栗色の布地だ。頭に引っかかる光景だ。具体的にいうなら、見たことは無いけど、知っているといった感じの。
「あ……アインのベッドか」
普段は二段ベッドの上で就寝するボクに布団を支える簀子をじっくり見る機会なんてなかったが、見覚えはあった訳だ。
「横たわらせる場所、間違えてたかな」
声に反応して頭を横に向けると、そこにロゼの姿があった。凄いデジャブ感。
「何というか、私は君が倒れる場面ばかり見ている気がするよ」
ロゼも同じ事を感じていたようだ。決闘の前に倒れた時も、この人に運ばれ、ベッドの上で目覚めていた。そしてあの時と同じように、ロゼは置いてあった椅子に跨り、此方を見つめてきていた。
「ボクを運んでくれたんですか?」
そう、ここは旧寄宿舎。ボクとアインが住まう第十一討伐部隊の隊舎だ。
「決闘が終わった途端気絶してしまったからね。そのまま放置というのも、気が引けるだろう?」
それに、とロゼは区切る。その瞳が真っ直ぐ此方を捉える。
「約束を守ってもらわないと困るからな」
「……ボクがアンジェラさんについて知りうる全ての情報、ですね」
合点がいった。彼女は決闘の対価をいち早く受け取るため、ボクのそばを離れないためにボクを旧寄宿舎まで運んできたのだ。
「分かりました。話しましょう」
ボクは語った。気づいたらこの体になっていた事、そして夢で出会った、自身を『アンジェラ・コーリ』と名乗った首だけの少女の話を。
ロゼは話を聞く間、終始無言だった。ただ此方を見つめるだけで、唯一、アンジェラの名前が出た時だけ眉を僅かに顰めた。
「──つまり彼女はまだ、そこで生きているんだな?」
そう言いながらロゼは、ボクの額にそっと指を当てる。
「……おそらくは」
断言は出来なかった。彼女と会うための条件はボクの意識が落ちている事だと思ったが、気絶している間、彼女が夢に出てくる事は無かった。
ロゼは息を吐く。
「まあ、君にも分からないか。いいよ」
「えっと」
「君と結んだ決闘の約定は果たされた。私は君に危害を加えないし、君からアンジェラの事を教えてもらった」
そう口にするロゼの表情は晴れないままだ。徐に椅子から立ち上がり、部屋から出るために足を扉に向ける。
ロゼは扉の前で立ち止まり、体を捩じって此方を今一度見た。
「これは、決闘に負けた私の言える事じゃないし、君には関係無い事だと、そう承知しているんだけどね」
その瞳には、見えない熱が宿っていた。
「その顔、なるべく傷を付けないでくれよ」
ロゼは強がるように笑って見せた。
きっと、この胸を渦巻く罪悪感は、関係あるとか無いとか、そういう話ではないんだろう。
「あの!」
去ろうとするロゼを呼び止める。
「大切にします。それに、アンジェラさんの事、何か分かったらお知らせしますね」
「そんなにしてくれる義理はないよ」
「ボクが、そうしたいんです。それに……」
確証がある訳じゃない。けど。
「ロゼさんが最後に躊躇ったのは、ボクの顔がアンジェラさんと瓜二つだからですよね」
決闘の最後、あの一瞬の硬直が無ければ、ボクは反撃のチャンスを見出す事が出来なかっただろう。
ロゼは痛い所を突かれたように苦笑いをする。
「嫌な事を思い出させてくれるなぁ。……本当に、なんで躊躇してしまったかな」
あのまま剣を突き付ければ勝っていたのに、とロゼは漏らす。
「ボクは貴女の事も、アンジェラさんの事もよくは知りませんけど、ロゼさんがアンジェラさんの事を大切に思っているのは分かります」
「だから?」
ロゼは苛立ったように髪をわしゃわしゃと掻く。
「……貴女を、そんな暗い顔のままにしたくありません」
そして、続いたボクの言葉に、ピタリと動きを止めた。
「はあ、本当に身勝手なガキだね」
おそらく取り繕っていた優し気な言葉遣いに、暴言が混じる。
「お前の所為でこんな気分になってるっていうのに、無茶を言ってくれる」
視線が自然と下がる。確かに、ボクはロゼとの決闘に勝った事で彼女に制約を与えてしまった。彼女はもう、アンジェラの件でボクに直接的な干渉をする事が出来なくなったのだ。
そんなボクを横目に、ロゼははっきりと宣言した。
「お前に気遣われなくたって、私は自分で立ち直れる。それに、まだアンジェラの件を諦めた訳じゃない」
顔を上げると、彼女の力強い碧色の瞳が体を貫く。
「安心していい。決闘の約束は守るよ。口上通り、ね」
含みを持った言い方をした彼女の口には、今度は強がりではない、獲物を前にした肉食動物のような凶暴な笑みが貼り付いていた。
ロゼが去り、空にオレンジ色が浸透してきた時分、旧寄宿舎の玄関扉が開く音にボクは読んでいた教本から目を上げる。
椅子代わりにしていたベッドの隅から立ち上がり、玄関の様子を見ようと廊下に出ると、見慣れた水色の少年が目に入った。
「おかえり、アイン。聞いてくれよ。今日はホントに大変な──」
急に訪れた圧迫感に、言葉が途切れる。
ボクの話に構わず近づいてきたアインが、突然ボクの体を抱きしめていた。
「えっと、どうした?」
無言で抱きついてくるアインに困惑して、手が宙をアワアワと所在なく動く。
何か、協会本部で嫌な事でもあったのだろうか。いや、それにしてもあまりに子供っぽいというか。普段のアインからは想像できない行動だ。
数秒そのままだったアインは、するりと後ろに回されていた手を引き抜いて、数歩後ずさった。顔はいつも通りの無表情で、そこから動機を見出す事が出来ない。
「──お前が、決闘をしたと聞いた」
ぽつぽつと、アインは話し始めた。
「勝ったとも聞いた」
「あ、ああ。結構厳しかったけど、なんとかね」
「状況は全て聞いていて、お前が無事だとも知っていた。ただ……」
「ただ?」
「今お前を見た時、胸がざわついた」
……コイツ、ゲイか?
「えーっと、アイン。ボクの恋愛対象は女の子だけというか。まあアインには友情を感じてはいるけどそれ以上はちょっと」
小声で自分の性的指向をつらつらと説明するボクを、アインは理解しているのか判別できない顔で聞いていた。
「よく分からないが……。情報で分かっていたのに、この目で見るまで、なぜか実感を持てなかったんだ。見て、お前が無事だとまた理解した時、何か、こう……」
そこからアインは言葉に詰まってしまったのか、中途半端に口を開けた状態で固まってしまった。
どうやら性的指向の話題ではないようだ。
「安心したって事?」
助け舟を出してみる。
「安心……。そういうものなのか?」
「まあ、友達が危機に瀕してたって聞いて不安になって、無事を確認して安心する。普通の事だと思うよ? 心配してくれてありがとな」
そう言って拳を突き出してみた。
周囲から距離を置かれているアインにとって、もしかしたらボクは初めて出来た友人なのかもしれない。だからこそ、他者に向ける感情の正体が分からなかったのだろう。
「そうか。そうだったな」
呟いたアインは、応えるように自分の拳を合わせてきた。
「セイ、無事でよかった」
「うん。じゃあボクの祝勝会として、今日は豪華な食事処に行こうよ!」
雰囲気を切り替えるための提案を、アインは快諾した。
その夜、ボク等はアインの懐を痛めて豪勢な食事を楽しんだ。普段は小食なアインも相当な量を食べ、此方の世界は丁度十五で成人と聞いたボクはお酒を頼み、その苦さに咳き込んだ。その時間は、これまで頭の中で抱えていた数々の不安を一時、吹き飛ばしてくれるほどに楽しかった。