開戦
俺たちが前哨戦のコートに現れた時、それまでとは明らかに違う反応が起こった。
これまでは誰が出ても激励なのか野次なのか、とにかく騒々しい声が聞こえたものだが、今ここにあるのは静寂だ。
「なあ、本当なのかな‥‥」
「人型怪物って?」
「しっ、やめろよ」
静かになったせいで、観客席の呟きが微かに聞こえた。
俺が化蜘蛛と戦っている姿は、よほど衝撃的だったらしい。
まあ、今となってはどうでもいい話だ。
俺の目に映っているのは、たった一人だけだ。
あちらも周囲から良い目では見られていないらしい。小さな悪意の呟きを投げつけられながら、それを意に介した様子もなく、彼は歩いてくる。
土杭蛇との戦いを見てよく分かった。こいつにチームワークという概念はない。
敵と見れば一直線に殴りにかかる金色の暴走車。
「初日以来だな、百塚」
「よお真堂。まさかこんなに早くやり合えるとはな」
俺より頭一つ高い位置から、百塚が見下ろしてくる。右肩には武機だろう、ケースを担いでいた。
こうして対面すると分かるが、百塚の圧は凄まじい。身体の厚さとか、立ち振る舞いとか、そういうこと以前に、全身から放つ魔力の質が、重い。
これがランク2を倒す男か。
「俺と戦いたかったのか?」
「ああ、俺も化蜘蛛とは戦ったが、勝てなかった。それを倒したお前を、この手でねじ伏せてやりたいのさ」
「何度も言うようだけど、化蜘蛛を倒したのは俺だけじゃない」
「そんなことはどうだっていい。俺が見て、俺が判断した。お前は、戦い、倒す価値があると」
百塚はそう言って獰猛な笑みを浮かべた。金髪も相まって、獅子に睨まれているようだ。
「身震いするぜ、有償石でガチャを引く直前みてーだ」
「その例えはいまいちピンと来ないけどな」
言葉のチョイスはよく分からないが、百塚にも緊張感があるのは分かった。ケースを持つ手が、微かに震えている。
武者震いってやつだろう。あの土杭蛇を正面からねじ伏せた攻撃が自分に向かって飛んでくると思うと、俺も震えそうだ。
それを深呼吸で抑え込みながら、左手を差し出す。
「いい勝負にしよう。俺が勝つけどな」
「‥‥ああ、叩きのめしてやるよ」
俺たちは握手を交わし、振り返って距離を取った。
一歩一歩進むたびに、緊張感が重くのしかかる。
先生がコートを囲むようにドーム状のクリエイトシールドを貼った。これでこの戦場には審判を除けば、俺と百塚の二人だけだ。
向き合い、構える。
俺がいつものように構えるのに対し、百塚はスーツケースを下ろしながらロックを解除。
武機が開かれた。
その展開は俺の予想とは違っていた。
ケースだと思っていたものそのものが、武機。ケースを構成していた複数のパーツが動き、噛み合い、中に収納されていた刃と共に、その本質を露わにする。
タイルに突き刺さったのは、鈍色の大剣だった。
切っ先はない。あまりに武骨。現代にはふさわしくない蛮骨な金属板。
しかしそれは紛れもなく剣だった。
刀身そのものは金属だろうが、刃の部分には怪物の素材を使用している。つまりあの部分は、魔法を通し、纏う、理外の牙。
背筋が粟立った。
怪物を殺す剣が、これから俺に向けられるという事実に。
王人の剣とはまた違った威圧感だ。
百塚が身の丈はあろうかという金属の塊を、片手で持ち上げた。
そのまま平らな切っ先を俺に向ける。
「俺の武機、『荒神』だ」
「俺のは『黒鉄』だ」
俺も見えるように右手を前に出す。
音無さんが作ってくれた黒鉄は、今朝もう一度音無さんが調整してくれた。
おかげであの夜よりもよく馴染んでいる気がする。
「さて、やるべきことは済んだな」
「ああ、始めようか」
俺たちの準備が済んだのを確認したらしい。審判として立っている木蓮先生が、手を上げた。
「桜花前哨戦、一年A組 真堂護 対 一年B組 百塚一誠――」
俺たちは自然と笑っていた。
懸けるのは命ではなくプライド。全力を出して己の力を試せる敵を前に、昂揚しないはずがない。
「始め!」
刹那、『火焔』と『エナジーメイル』の光が弾けた。
◇ ◇ ◇
護が待機列に移動した後、試合を眺めていた村正は、一席分の空白を埋めるように、口を開いた。
「な、なあ」
「何?」
聞くべきか、聞かざるべきか。そんな煮え切らない態度を数秒続けた村正に、紡は冷たい視線と共に、もう一度同じ言葉を送った。
「何?」
「いや、そのなんだ」
この時点で、紡は何を聞こうとしているのかなんとなく分かっていた。
「真堂は、百塚に勝てるのか?」
「難しいでしょ」
聞かれることが分かっていたから、紡の返答は素早かった。
「難しいのか‥‥。しかしあいつは化蜘蛛と真正面から戦って勝ったんだぞ。百塚はそんなに強いのか?」
「護が化蜘蛛に勝てたのは運が良かったからよ。あの戦いに至るまでに、星宮さんとか、剣崎君とか、それこそ百塚が相当ダメージを与えていたし、私たちもいた」
「それは、そうかもしれんが‥‥」
「推薦組は全員何らかの力に特化している。純粋な一対一の戦闘でも、私はそうそう負けないけど」
紡はそこまで言って、一度言葉を切った。
その後の続きを、振り絞るような声で続けた。
「百塚には、今は勝てない」
「そうなのか?」
紡は脚を組み、不服そうに顎を上げた。
「あいつは剣崎君と同じような怪物なの。エナジーメイルの練度が常軌を逸しているから、近接戦闘じゃ勝てない。勘もいいから念動糸でも捕まえられないし、そもそも魔法的にも相性が悪いの」
「なんだか、やけにリアリティのある話だな。もしかして戦ったことが――」
村正はそれ以上喋れなかった。不可視の糸が顎に巻き付き、強引に口を閉じさせたのである。
「むぐっ、ふぐっ!」
「いい? あんたがフラッシュとかミラージュが得意なように、人には魔法との相性がある。百塚はその中でも、『エナジーメイル』と『ショックウェーブ』の適性がとんでもなく高い」
「む、むぐ‥‥」
「二つとも汎用性の高い魔法よ。はっきり言って、一年生であいつに勝てるのなんて、剣崎君くらいでしょう」
「むぐっ、むぐぐ!」
呼吸が苦しくなったらしい村正がバンバンと椅子を叩くので、紡は仕方なく念動糸を解除した。
「‥‥っぜぇ、はぁ、鼻が、腫れていたせいで、息が‥‥」
「ああ、ごめん」
少しも悪く思っていなさそうな謝罪を聞き流しながら、村正は唸った。
「それより、そこまでだったとはな。大丈夫か、真堂は」
「そうね‥‥」
紡はコートに現れた百塚と護を見下ろしながら、憂いを帯びた息を吐いた。
「頑張れ、護」
紡の小さな呟きが届いたのかも分からぬまま、開始の合図が振り下ろされた。
◇ ◇ ◇
剣崎王人と星宮有朱は、静かに護と百塚の開戦を待っていた。
まるで遠く離れた位置に座る二人の視線は、しかし似たような光を宿していた。
すなわち、これから何が起こるのかと、期待する目だ。
まっとうな見方をすれば、護と百塚が戦えば勝つのは百塚だ。素質はともかく、研鑽の時間が違い過ぎる。
特に百塚の魔法の練度は、有朱や王人から見ても特殊だ。
普通の学生でああはならない。
それがセンスによるものなのか、なんらかの反則によるものなのかは分からないが、事実として、その実力は一年生の中で頭一つ抜けている。
しかし特殊性だけで言えば、護もまた無類。
外部生でありながら王人と相打ちし、初めての実戦でランク2を倒してみせた。
そして仲間を率いて化蜘蛛の討伐。
見ていてワクワクする。
次は一体何をしてくれるのだろうと、期待してしまう。
王人は感謝した。
今日この時、護と戦うのが自分でなくて良かったと。
まだまだ化けるであろう彼を、こうして外から眺めるのも一興であった。
有朱は感謝した。
護と戦うのが百塚一誠であることを。
この一戦は、間違いなく彼を更なる高みへと導くはずだ。
似ているようで、少し違う二人の視線の先。真堂護と百塚一星は、二人同時に魔法を発動した。




