桜花前哨戦
◇ ◇ ◇
合宿六日目。訓練場は熱狂に包まれていた。
ただの平場だった訓練場は、壁が階段状にせり出し、コロシアムのような観客席を作る。そして地下からはタイルが現れ、即席のコートを作り出した。
ついに始まった桜花前哨戦は、昼休憩を挟み、最高潮の興奮を迎える。
それもそのはず。午前中で多くの戦いが行われ、勝者と敗者が決していた。
これまでのゲームとは違う。一対一の魔法戦闘。見ている側の緊張と昂揚はすさまじい。
しかも武機の使用も解禁されている。
まだ一年生同士の戦いとはいえ、見ているだけでも勉強になることは多かった。
「解せぬ‥‥まったくもって解せぬ。こんな方法では俺の実力の半分も測れはせんぞ」
隣では、頬を真っ赤に腫らした村正がぶつくさと文句を言い続けている。
わりと早い段階で前哨戦を終えてから、ずっとこの調子だ。村正は得意の魔法で敵をかく乱し、徹底して逃げ続けたが、所詮は訓練場。
逃げるにも限界があり、捕まってボコボコに殴り倒されてしまった。
個人的にはフラッシュの使い方とか、ミラージュとか、参考になる技が多かったんだけど、いかんせん攻撃の手がない厳しい。
「武機を使えばよかっただろ。折角訓練したのに」
「俺の武機は奥の手なんだ。こんな場面でそうそう使ってたまるものか」
村正は鼻を鳴らすと、至る所にできたあざを撫でた。
一体どの場面で使う気なのかと聞きたいが、まあ桜花戦としても、これは本番じゃない。まだ取っておきたいというのなら、それは本人の意志次第だろう。
実際、武機を使わない生徒は他にもいた。
「それで負けていたら世話ないわね」
村正とは反対の隣に座っていた紡が、切り捨てるように呟いた。
かくいう彼女も、武機を使わなかった一人だ。
それでいて村正とは違い、危なげなく勝利した。見たところ相手も相当な実力者だったと思うが、紡はまるで寄せ付けなかった。
対人戦における『念動糸』は、あまりにも凶悪だった。視界外から巻き付いてくる糸は、一度捕まれば早々逃げることは敵わない。相手は身体の自由を奪われ、ろくに魔法を使うことも出来ないまま降参した。
「ま、負けたわけではないぞ! これが実戦だったなら、結果は違ったはずだ!」
「負けは負けでしょ」
「二人とも、俺を挟んで喧嘩するなよ‥‥」
どうして毎回俺を挟むんだ。
本当は王人とも話しながら前哨戦の様子を見たかったが、彼はふらりと遠くに座ってしまった。
その周囲には誰も座ろうとしない。
まるでそれが今の彼の纏う空気を可視化しているようだった。
そしてそれは、星宮有朱も同様だった。彼女は王人とは違い、複数の人に囲まれて観戦している。時折隣と楽しそうに談笑している様子も見えた。
けれどその目は、常に鋭い光を宿している。
一部の人間と、それ以外とで、緊張感が違う。まだまだ一年生、例外的な前哨戦。多くの生徒は、高い評価が取れなくても仕方がないと思っている。
俺だって別に高い評価が欲しいわけじゃない。
ただ、やはり許せないのだ。弱いままの自分でいることが。
ワッと歓声が響き、前の試合が終わったことに気付いた。コートを覆っていた先生たちの魔法が解かれ、緊張感から解かれた観客席も緩いざわめきが満ちた。
その中で、立ち上がる。
「‥‥行ってくる」
「あ、ああ。まあなんだ、無理はするなよ」
村正の歯切れの悪い声援に押されて立ち上がると、服の裾が掴まれた。
「紡‥‥」
「――頑張って」
俺の知るつむちゃんと違って、紡は不器用だ。今だって、視線は前を向いたまま、裾を掴んだ手から彼女の素直な感情が流れこんでくる。
もしかしたら、あの食堂でのやり取りを、少し気に病んでいるのかもしれない。
素直で、臆病で、人懐っこいつむちゃんの表情が見え隠れして、思わず笑ってしまった。
「何?」
「いや、頑張ってくるよ」
俺は出場者の待機列の方に移動をした。
◇ ◇ ◇
待機列の方は、戦場や観客席からさほど離れてもいないのに、静かに感じた。
次の戦いが始まり、皆の視線はそちらに釘付けになっている。
俺もそちらを見ようかと思い、やめた。
別に今更、人の戦いを見たところで集中力が切れるわけではない。むしろ様々な戦いを見た方が、勉強になるだろう。
それでも、見る気になれなかった。
今は過不足のない気持ちだ。これ以上も、これ以下もいらない。
音無さんと共に過ごしたあの夜の温度が、手の中にまだ残っている。
盛り上がる歓声を聞きながら、右手の『黒鉄』を意味もなく触っていると、隣に誰かが立つ気配を感じた。
「昨夜はお楽しみだったみたいですね」
「‥‥別に楽しんでたわけじゃないですよ」
気配を消して現れた鬼灯先生にももはや驚きはしない。
その顔はいつもより心なしかニヤニヤしているように見える。なんだか下世話な笑みだ。
まあいい。俺は俺で先生に聞きたいことがあった。
「どうして音無さんを俺のところに来させたんですか?」
「別に私が呼んだわけではありませんよ。あなたの居場所を聞かれたから答えたんです」
「それのせいで危ない目に合わせました。ああいうやり方はやめてください」
結局虎は顔を切られたことで撤退したのか、それとも消えたのか、夜の帳の奥へ姿を消してしまった。あの場でその正体を確かめることはできなかった。
「本人の責任ですね」
あっけらかんと言い切る鬼灯先生に、俺はため息で返した。この人にこれ以上何かを言ったところで反省も何もしないだろう。
鬼灯先生は更に笑みを深めた。もはや悪魔か悪鬼羅刹の笑顔だ。
「それより、花剣は完成しましたか?」
「見てれば分かりますよ。がっかりはさせないと思います」
「そうですか。それは何よりです」
戦いの終わりを告げるアナウンスが鳴り響いた。
次は俺の番だ。歩き出しながら、ふと思い出したような体で鬼灯先生に言った。
「鬼灯先生」
「なんですか?」
「もう一回言いますけど、昨日みたいなやり方はもうやらないでください」
「‥‥そこまで怒っているのですか?」
「はい。あの虎の人形、ちゃんと処理しておいてくださいね」
「‥‥」
初めて鬼灯先生の顔から笑みが消えた。
やっぱりか。
どう考えても、あの虎の存在はおかしい。怪物だったら干渉波が怒るはずだし、そうでない怪談の類だったとしたら、噂好きな生徒たちが誰も話していないのは不自然だ。
だったらあとは考えられるのは、誰かが仕組んだもの。
おそらくあの虎は木蓮先生が作った特別製の人形か何かだろう。関節部分のこだわりぬいた球体には見覚えがあった。
再起動した鬼灯先生は、スッと元の笑みを浮かべ直した。
「‥‥何の話ですか?」
「鬼灯先生って、嘘とか隠し事は下手ですよね」
流石共通言語がグーパンだと思っている人種だ。根の素直なところが思いっきり出ている。
どういう魔法を使ったのかは分からないが、大方鬼灯先生があの人形を操作していたんだろう。
その辺は正直、勘だ。
「俺が何発先生の振槍受けてきたと思っているんですか」
スピード、攻撃のタイミング、手加減の仕方。どれをとっても覚えがあるなんてもんじゃない。
反射的に身体が回避できてしまうほどだ。
「‥‥」
「じゃ、音無さんには謝っておいてくださいね」
鬼灯先生のしてくれたことが俺のためだということは分かる。それでも、誰かを巻き込むようなことはしてほしくなかった。
俺は鬼灯先生を残して、光の当たる前哨戦の場へと歩き始めた。
だからその時、鬼灯先生が小さく呟いた言葉は、聞こえなかった。
「まったく、鈍いくせに妙に鋭いですね。‥‥そういうところ、本当にそっくり」
それを呟く鬼灯薫の口は、少しだけ尖っていた。




